幻躁・妄実



「目…………私の目……目が」


 突然自分の首からあの虫が出てきて、目に突っ込んできて。私の身体はそのまま勢いよく硝子を突き破って、地面まで落下。奇跡的に下がゴミ捨て場だったので重傷には至らなかったが、硝子の一部が背中に刺さってしまった。


「痛いよ……美原……痛い…………助けて、よ」


 呼吸をするのも苦しい。背中が痛い。というか熱い。体を起こそうと力を入れたら、それでバランスが崩れ、ゴミ袋から転げ落ちてしまう。散らばった硝子がまたも下敷きになるが、それよりも何よりも目が痛い。



 ―――私の目は、どうなったの?



 とにかく痛いが、湿った感覚は無い。激痛を緩和させる為にも取り敢えず掌でグリグリしているが、勇気を振り絞って掌を見遣ると、一滴の血も付いていなかった。


 こんなに痛いのに、目の内側から外側にむけて眼球を押し出されている様な痛みがあるのに、傍から見れば全くの無傷にしか見えないとでもいうのか。


「う……く…………うう!」


 ゴミ捨て場を囲うコンクリートの力を借りて、どうにかこうにか立ち上がる。刺さりっぱなしの硝子が気になるが、手を伸ばした所で届かないし、抜くだけ出血が増すだけだ。かなり気持ち悪いが、このまま歩き続けるしかない。


 歩けるという時点でかなり大丈夫に見えるかもしれないが、それもゴミ捨て場がたまたま下にあって、ゴミ袋が緩衝材になってくれたお蔭である。しかしそこまでの幸運に恵まれても、私にはまだダメージが残っている。


 痛みにさえ目を瞑れば問題なく歩けるが、もう走れそうもない。次に追い回されたら―――その時は逃げられない。確実に。


「……疫病神が」


 狩也とかいう男に関わったせいで、こんな目に遭ったのだ。あの女への報復の意味も込めて、見つけ次第殺してやろうか…………なんて。人を殺した事がない私には、その一線は遠すぎる。とても簡単に跨げる代物ではない。


 しかしボコボコにぶん殴るつもりは大いにある。私でさえ怪我をしているのだから、きっと美原も怪我しているに違いない。その分のお返しという事で考えたら、むしろ温すぎるくらいだ。


 涙を流しながら、それでも変に声を上げてしまうとまた狙われてしまうかもしれない。自らの歯を砕かんばかりに食いしばり、私はゆっくりと病院から離れていく。呼吸を意識して整え、必死に気を保つ。


「………………あ」


 ぼんやりとした視界を前方に向けると、気のせいか分からないが、人が見える。ちゃんとした人間が居る。最初は美原かと思ったが、それにしては小さすぎる。だからといって髪は長くないので、あの女でも無い。


「だ…………だれ…………!」


 誰だ、と言おうとした。しかしどうしても背中の痛みが気になって、実際に出せた声はその程度だった。豆粒程度にしか見えない距離なので、もっと近づいて言わない事には気付いてもらえないかもしれない。


「だれ……誰…………だぁ!」


 どうしても声が出せない。肺をやられている訳でもないのに、どうしてここまで声が出ないのか。もう一度声をあげようとすると、視界に捉えていた人物が徐々に大きくなっているのが見えた。



 ―――気付いたのか?



 休憩も兼ねて、近くの花壇に腰を下ろす。ああ痛い。よく先程は立ち上がれたものだ。自分の根性に、我ながら感服する。視界の人物は、とても素早い速度でこちらまで迫ってきていた。その迷いの無さからするに、やはり気付いてくれたらしい。


「あのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 声の高さからして、女性か。もっと近くに来てから話しかけてくれればいいのに、距離が開いた状態で会話しようとするからそうなる。


 二〇秒と少しくらい経って、面識のない女性が、私の目の前で足を止めた。




「もしかして、ここの住人さんですかッ?」




 最初は、中学生だと思った。


 美原も私も発育に関しては大概貧しいけど、その女性は私達と比べても一回り以上、体格も、発育も貧し……小さかった。


 でもその丸くて大きい瞳を見た時に、私はその女性が誰だかを思い出した。


「……お前…………もえ……だろ…………?」


「え、どうして私の名前を知ってるんですかッ!」


 女性は大きな目を見開いて、自分の名前が知られている事に面食らった。


 西辺萌。以前私達の高校にお邪魔してきたのを見た事がある。狐面を被った奇妙な男と一緒に居たから、印象に残っていた。確か私達の高校で起きてた奇妙な事件の聞き込みに来たとか……男性受けが非常によく、二人が帰ってからも暫くは彼女の可愛さに男子が盛り上がっていた。


「知ってる…………よ。お前は……知らない…………だろう、が」


「そんな有名だった覚えは無いんですけど~って! ど、どうしたんですか背中! 凄い傷ですよッ? 硝子が刺さってますッ」


「そこの…………窓から、落ちた」


「窓?」


 萌は私の背中と、病院の窓とを交互に見比べてから、両手で口を覆った。


「うわああッ! た、大変じゃないですか! と、とにかく付いてきてください! 安全な場所まで案内しますからッ」


「………………一人じゃ?」


「え、一人じゃないですよ? 先輩が居るんです。あ、でも走れないから―――わ、分かりました


! 待っててください、先輩呼んできます!」


 こっちの話も聞かず(喋るのも辛いので、勝手に話を進めてくれる分には助かるが)、萌が実を翻して走り出したが、五歩走った所で不意に足を止めて、その場でぴょんぴょんと跳ね始めた。




「御影先輩! こっちですこっち! こっちに人が居ます! 第一村人発見です!」




 第一村人って……溜息を吐きたくなったが、痛みに堪えている途中だ。そんな余裕はない。それにしてもこの萌という女性……元気が良過ぎるのではないだろうか。私に言わせれば、彼女の方がよっぽど村人らしい。だって、あまりにもこの環境に慣れ過ぎている。


 もしも村人でないのだとするなら、どうしてここまで元気よく居られるのかが理解出来ない。普通の人間は、私とか美原とか……あの女みたいに、少なくとも低いテンションにならざるを得ないだろうに。


 手を振っている方向を見つめると、また人影が見えた。それは萌みたいに決して走ってはいなかったが、およそ五分後。ハッキリと見える距離まで、近づいてきた。


「…………村人?」


「はい! でも怪我してるんです! 御影先輩、どうにかなりませんか?」


 ……いやいや。




 その先輩も体中に包帯を巻いているんだが。














 二人の手を借りて、私は見知らぬ一軒家まで運ばれ、萌の先輩―――御影由利の治療を受けて、一応背中の痛みは無くなった。無くなった、と言っても、残滓は残っているので、まだまだ痛みは続いているが、異物が刺さっている感覚は消えたので、それだけでも良しとするべきだ。


「え、第一村人さんじゃないんですか?」


「ちげえよ……私は、神乃だ。美原っていう友達と……狩也っていう奴を探しにきた」


「せ、先輩をッ?」


「…………どういう事?」


 私を置き去りにして、二人は顔を見合わせた。


「…………何だよ、急に二人だけで。お前達はどうしてここに来たんだ?」


「あ、済みませんッ。実は私達も先輩を……首藤狩也先輩を探しに来たんですッ」


「私達は、来たくて来た訳じゃない。首藤君に……刺されて、気が付いたら、ここに居た」


 刺されたッ?


 さらっととんでもない事を言っているが、御影の言葉はとても落ち着いていて、少しも動揺を感じさせない。基本的に刺される経験は一般人ならまず獲得しないので、この時点で私は彼女が只者ではない事を悟った。美原とは少し違う意味で、経験者なのかもしれない。


「……それって、同姓同名とかじゃないのか? 私の知る首藤狩也は、弱くて、下心丸出しの男失格みたいな奴だぞ」


「でも、優しくて」


「素敵な先輩ですよね!」


 後ろ手を組みながら、萌が屈託のない笑みを浮かべる。それを見て、猶更私は同姓同名の別人疑惑を深める事となった。あの男がそんな高評価を受ける筈がない。気持ち悪い女じゃあるまいし、あり得ない。


「―――っていうか待てよ。お前達、刺されたんだろ? どうしてそんな高評価なんだよ」


「……そんな事をする人じゃないとは、元々思ってた。そして貴方の発言を聞いて、猶更そう思った」


「はあ?」


「…………首藤君の隣に、誰か居なかった?」


「あ、ああ居たぞ。名前は聞いてないけど…………ああいや、碧花つったかな」


「……やっぱり」


 何か納得がいった様子の御影は、懐からクシャクシャになった紙を取り出して、萌の方にそれを渡した。彼女もそれを見て、何度も頷いていた。紙に何が書かれているのか気になって、暫く視線はそちらに流れていたが、御影が話し出すと、私は直ぐに視線を向け直した。


「水鏡碧花が居るという事は、そっちが本物。あの女性が首藤君を間違う筈がない」


「……おい。今なんつった」


「水鏡碧花が首藤君を間違える筈がないって言った。根拠は無いけど、あそこまで執着してる人が、間違えるなんてあり得ない」


「そこじゃない。水鏡って言ったかッ?」


 マジかよ。


 通りで色々な事を知っていた訳だ。苗字を名乗らなかったのは、美原が居たからだろうか。うっかり名乗ってしまったら自分の素性が明らかになる事を……危惧した? 


 元々信用して無かったが、ますます私はあの女の事を信じられなくなった。一体何を隠している。いやそもそも…………アイツが本当に水鏡家なら、おかしい所がある。



 水鏡家は、その血を継ぐ者を束縛する。



 美原が漏らしていた事をそのまま言わせてもらうが、血が薄れるのを防ぐ為に、そして子孫がより優秀になる事を期待して、家が結婚相手を選ぶらしい。それどころか、度々友人関係を観察しては、それに口を挟んでくるようだ。門限は当然あるし、一日の生活サイクルも決められているし―――要するに色々とうるさい家なのだが、あの女性は同じ水鏡の血を受け継いでいるにしては、幾ら何でも自由過ぎる。とてもあの窮屈な家に居るとは思えない。


 まして友人関係に口を挟む様な家が、あの狩也とかいう優秀さが欠片も見えない男と交流しているのを見逃すだろうか。


「水鏡が、どうかしたの」


「美原って友達もな……苗字が、水鏡なんだよ」


「ええッ! じゃあもしかしてその美原さんは、あの人の妹なんですかッ?」


 そんな話は寡聞にして聞いた事が無い。私の記憶が正しければ、美原は一人っ子の筈だ。記憶が間違っていて、姉妹が居たとしても、ならばあの時遭遇した際、もっとリアクションがあっても良い。


「……神乃さん。私達と、協力しませんか」


「協力?」


「まほろばに長居は出来ない。私達は一刻も早くここから脱出したい。貴方も……多分、そうでしょ。その為には、水鏡碧花を見つける必要がある」


「…………どういう事だよ」


「説明は後。まほろばからの帰還者がそう言っているから―――間違いない」


「帰還者って…………狩也とあの女の二人だけじゃないのか?」


 御影は頭を振って、萌に見せていたその紙を、私の方に翻した。


「この文面を見る限り、どう考えてもあの人は一度ここに来て、無事に帰還した。それも……碧花と首藤君がここに来た時と、全く同じ時期の話」


「あの人?」





「ここにクオンって書いてあるでしょ。これ……私達の、部長の名前」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る