完璧と完全は破られるためにある

 自分で言うのも何だが、よくもまあここまで円滑に二人組が組まれたと思う。俺が先導者という事で、強引に一人掻っ攫ってしまったから、乱闘の一つでも起きそうだと思っていた。よく考えてみたら乱闘を起こしそうな武闘派は部長しか居ないので、起きない事は簡単に予想出来たと思う。

 とにもかくにも、これでゲームが始められるが、取り敢えずチームの考察を始めようと思う。勝利確定だからと焦るべからず。慢心すれば死ぬ。それは何処の漫画でもそうだ。慢心したまま最後まで勝利している人物は、少なくとも俺の知る限り居ない。

「部長! 優勝目指して頑張りましょうッ」

「まあ、程々に頑張ってみるかな」

 これは想定通り。部長と萌ペアだ。部長の仮面はまるで今日のスティックゲームを予言していたかのように口元が空いているので、残念ながら彼の素顔を拝む事は叶わない。しかし、最近は諦めが付き始めたので、今更彼の姿にどうこう言うつもりはない。

「碧花さん! 頑張りましょう!」

「………………」

 このコンビは意外だった。まさか碧花が香撫と組むとは。しかしコンビ仲が良好とは言えない。滅茶苦茶に喜んで腕を組もうとする香撫を、碧花は無言の圧だけで退けていた。かつてのマジ切れと比べるとまだ優しい方かもしれないが、それでも常人に『近づくな』という指示を下すだけであれば造作も無いだろう。俺でもちょっと近づくのを躊躇う。

「天奈、頑張ろう」

「幸慈君、本当にどうしたの? ……まあ、いいけど」

 結局押し切られたらしい、天奈と那須川のコンビ。彼は天奈の事が好きなのだろうか。如何せん、頼りなさ過ぎて彼女を預けるのは少し不安が残る。兄として、妹に幸せな人生を送らせたいと思うのは当然の事だ。どうにも彼はその人物としては不適当な気がする。

 俺に人を見る目があるかは定かじゃないが、同じ陰キャラという事なら話は別だ。俺が言えた義理ではないが、彼は人に好かれる事が少なそうである。


 本当に、俺が言えた義理ではないが。


 とにかく、これでペアは揃った。


 碧花・香撫。 萌・クオン部長。 俺・由利。 天奈・幸慈。


 一番優勝しそうなのは俺達を除くと部長と萌か。見るからに純真無垢な萌はともかく、部長は経験がありそうなので、負けるとすればそのくらい。何やら俺の思惑に気付いている節のある碧花は……気付いているとは言ったが、ハッタリの可能性もある上に、気づいているだけで、何をするのか、そもそも何がしたいのかが分からないのでダークホースという事にさせていただく。俺の邪魔をしてくれない事を祈るばかりだが、こればかりは俺の思惑を彼女がどう受け取るかによるので、俺には操作のしようがない。彼女の善性を祈るばかりだ。

「それじゃあ早速始めたいと思うんだが、何か質問とかあるか?」

「質問が……あります」

 手を上げたのは急にキャラの変わった陰キャこと幸慈だった。彼の方から俺に話しかけて来てくれるとは珍しい話だが、今の俺はルール解説者なので、当然である。ルールを理解してもいないのにゲームを始める奴が居たら馬鹿だ。

 人を本気で罵る事など滅多にない俺だが、下手すると盛り下げる場合すらあるので、本気で言わせてもらう。ルールも知らないのにゲームを始める奴は、法律を知らないのに社会人として生きている様なものである。

 論理の飛躍? いやいや、法律もルールも同じ『秩序』だ。何も飛躍していない。

「何だ?」

「これ……仮にキスとかしたら、その……後始末というのは、どうするんですか」

「仮にキス…………え、何? 君は天奈とキスしたいのか?」

「ち、違う! 何言ってんだぶっ殺すぞ!」

 彼は自分のキャラをどう見せたいのか、俺にはさっぱり分からなかった。露骨に動揺してくれたのは面白いが、それが年上の人間に見せる態度だろうか。ぶっ殺すと言われても全然緊張感が生まれないのは、彼が本当に人を殺した事がない証拠だろう。同じ言葉を碧花が言ったら、多分俺はビビる。




「違うよ。君は一体何を言っているんだ。あんまりふざけた事を言っていると殺すよ」




 うわ、超怖い。

 だからと言って彼女が人殺しという訳ではないが、やはりキャラというものは重要である。天奈は乱暴な人が嫌いなので、今の発言により真意はどうあれ好感度は下がったことだろう。

「まあいいや。キスの後始末? そんなの本人達の勝手にしてくれ。謝るだけでも、付き合うのでも、何でもいいからさ」

 お礼も言わず、幸慈が妹に向き直る。案の定、二人の間には若干の距離が空いていた。妹は俺に心配そうな瞳を向けている。

―――首狩り族として避けられてきた日々に比べれば、こんなものは何でもないので、要らぬ心配と言えるだろう。

「それじゃあ始めるぞ! 準備はいいか?」


 待てと言われても待つ気は毛頭ない。返事が無かったので、俺はスティックを口に加える寸前に、開始の号令を出した。







「スタート!」








 制限時間は一分。この一分の間に考える事は山積みだ。そう言えばジャッジ係が居ない様な気もするが、そこは全員同時にやらなければいい話なので、あまり問題はない。

 取り敢えず旗は一番公正に判断してくれそうな部長に任せておいて、先発は香撫達がやる事になった。先程の相方選択と違い、くじ引きの結果こうなったので、俺に介入する余地はない。

「それじゃあ、始めるぞ」

「はい! 碧花さん、頑張りましょうッ」

「………………はあ、そうだね」

 紛らわしい話だが、俺の開始合図は飽くまでこのゲーム自体の開幕を告げるものだったので、このゲーム内における合図とは全く違うものだ。後者の合図は部長がやってくれる。先発にならなくて何よりだ。まずは他のメンバーがどれだけの実力を保持しているかを見物させてもらうとしよう。



「よーい、スタート!」



 目隠しをしてスティックの両端を加えた二人が食べ始めるが、そこで俺は見物人の……正確には、碧花の事が好きな見物人のデメリットに気付いてしまった。まさか俺にこんな趣味があったとは思わなかったが、どうしてしまおうか。


 目隠しをしている碧花に、背徳的興奮を感じてしまうのだ。


 それだけではない。棒をどれだけ短く残せるかというレースなので、必然的に彼女は棒を食べ進める事になる。より変な言い方をすると、棒を口の中に押し込む事になる。この時点で俺の抱いている想像がどういう物か、勘の良い童貞諸君ならばお気づきになる筈だ。

 このイメージが下ネタを覚えた小学生が何かにつけてそれに繋げるのと同じなのは分かっている。女性に対して免疫があり、余裕のある男性諸君ならば俺の反応には呆れを通り越していっそ不快感すら味わうかもしれない。『こいつがっついてんな』とでも思うかもしれない。

 けれども、俺は聖人でも無ければ八方美人で無欲な人でもない。好きな人が居るなら、その人の事は自分の手で幸せにしたいと思うのが俺だ。『アイツが幸せならそれでいい』などと、他人や環境に任せた幸福で妥協出来る人間ではないのだ。そして、これは言い換えれば、好きな人を征服したいという事だ。どういう意味でも自分の物にしたいという事だ。

 水鏡碧花は俺にとって好きな人の類に入る人物である。しかし、彼女の美貌は俺にとっては高すぎる壁であり、決して手に入るなどとは思っていない。いや、思っていないからこそ、俺は彼女に対してよからぬ妄想を抱いてしまう。『もしもこうなったら良いな』とイメージする。

 教会があるのなら即刻懺悔室行きになるであろう俺の罪深さは自覚しているつもりだ。果たしてどうしたことだろう。端から恋愛対象として見ていない妹やその友達はともかく。由利や萌でも同じイメージを抱いてしまうのなら問題しかない。まさかこんな事になるとは夢にも思っていなかったので、対処方法も当然思いついていない。

 俺は背中に己の罪が刻み込まれるのを感じた。盛り上げる為とはいえ全員を騙し、それでいながらこんな所で興奮するなんて! 

 全員を騙している事に関しては『盛り上がったからいいじゃん』とか何とか言って開き直ろうとか考えていたが(仮にバレた場合。バレない為に俺は優勝するのである)、ここまで加わると、開き直るという手段は最悪な気がしてきた。

 香撫はどんどん食べ進めていく。碧花もペースこそ遅いが、食べ進めている。制限時間は残り三十秒。二人の唇の距離はかなり近い。チキンであればこの辺りでストップさせる事もあるだろう。だが二人はまだ動きを止めない。


―――何でこんなにやり手なんだ。


 慣れていない筈なのに、まるで毎日毎日想定していた様な動きだ。特に碧花。あのペースは明らかにスティックの全長を知っている速度だ。彼女とキスをしたい人間は俺を含めて山ほど居るだろうが、ひょっとして彼女にもキスしたい人間が居るのだろうか。そんなイケメン、校内に居たかどうか定かじゃない。大概イケメンなど覚えやすい顔なので、俺が忘れている筈は無いのだが。

 残り時間は数十秒。あの距離だと、そろそろ互いの鼻息とか、匂いを感じてくる頃合いだろう。意図的にキスをしようとしない限り、ここでペースを上げる輩は居ない。当然、二人もそうだった。






「そこまで!」






 部長が白旗を上げると共に、停止。スティックの長さは二センチ。かなりギリギリというか、唇の厚みでによっては突破不可能な記録が生まれてしまった。この記録に驚いたのは本人達よりも、純粋にこのゲームを楽しもうとしている萌達よりも―――皆を騙している自覚のある俺だった。言いたい事は色々あるが、一つはっきりしているのは、いきなり負けそうという事だけだ。


 まさかここまでの記録を叩き出してくるなんて。


 そう言えば、やり忘れていた事があった。俺は仮想スティックゲームで十万勝したのかもしれないが、飽くまでそれは経験であり、勝ち方ではない。そして俺の場合、他の参加者が強豪という想定を一切していなかった。なので勝ち方も糞も、俺が今まで積み重ねてきた勝利は仮想空間による俺TUEEE以外の何物でもなく、つまるところ無意味だったという訳だ。

「やりましたね! 碧花さんッ」

「…………そうだね」

 好成績を出せて嬉しそうな香撫とは対照的に、碧花はちっとも嬉しくなさそうだった。かなり気が進んでいない様だ。それでもきっちり好成績を残すあたり、彼女が学校において優等生である事を証明している。

「部長! これは私達も負けられませんねッ!」

「優勝賞品によるけどな。まあ頑張るさ。それなりにな」

 クオン部長はスティックを手に取りつつ、フードを脱いだ。

「狩也君。次、ジャッジ頼むぞ」

「あ。はい。分かりました」

 後ろ姿はイケメンだが、そういう人物は割と居る。肝心の顔は仮面で見えないので、きっと卒業まで彼の顔を拝むことは出来ないのだろう。しかし、不思議と俺の中に悲しさは無かった。

 出会った当初は顔が見たくて仕方なかったが、付き合いが少し長くなってくると、むしろ顔を見たくないという思いが芽生えつつあるのだ。それは『顔を見たら幻滅するから』という事ではなく、顔が見えない方が部長だからという理由だ。顔の見える部長は部長ではない。俺の中では少なくとも、クオン部長は顔が見えないからクオン部長なのだ。

「それじゃあ二人共、準備は良いですか?」

「ばちこい」

「いつでもどうぞ!」

 二人がスティックを咥えたと同時に、おれは開始の号令を出した。

「始め!」






 俺がそう言った直後、部長は一瞬でスティックの殆どを食べてしまった。  






 あまりの速度に、言葉が出なかった。萌は一歩も動いていない。多分、開始前に「動くな」とでも言われたのだろう。二人の唇に挟まれたスティックを測るには、距離にも因るが、少し離れると肉眼では確認出来なくなっていた。しかし唇が当たってはおらず、本当にギリギリで静止していた。ここまでギリギリだと、唇が震えるだけでもキスしてしまいそうだ。俺は慎重に二人の間を見つめて、一分の時を待つ。失敗しろと心の中で念じてみたが、どちらも石化したみたいに動かない。まるで最初から死んでいるかの様だった。

 そんな二人の中で経過する一分はあまりに長いのかもしれないが、俺達観客にとってみれば、この上なく短い時間だった。

「それまで!」

 スティックの長さ、一センチ未満。この時点で俺は敗北を予感した。



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