まほろばの王



 時間の感覚が崩れていく。


 携帯は当てにならないし、太陽も見えない。そもそも久しく外を見ていない。



 …………もう、何度目なの。



 同じような部屋を何度も見てきた。同じ構造を何度も見てきた。同じ扉を何度も見てきた。そのくせ出口は一個も見えない。


「神乃……狩也さん…………! どっちでもいいから、どっちもでいいから出てきてください!」


 蝋燭がちかちかと点滅を続ける。部屋を進めば進む程、部屋の様子は私の精神を削りに来る。暗くなったと思えば明るくなって、明るくなったと思えば暗くなって。体感ではもう十五時間以上ここに取り残されている。不思議と空腹も渇きも感じないが、その負担を代わっていたのは私の心だった。


「もう……もうたくさんなの…………幻だって分かってても、もう…………」


 その場に座り込んで、自らの両手を見つめる。明滅を繰り返す景色の中には蛆が居た。蛆が一匹、二匹、三匹……一々数えるのも馬鹿らしいくらいの数で、私の身体に纏わりついている。私の毛穴を利用して、身体の内側に出たり入ったりを繰り返している。


 視覚的には気持ち悪い事この上無いが、実際に潜り込まれている感覚は無い。そのお蔭で今まではどうにかこうにか精神を保てたが、もう限界だ。何気なく頭を掻いたら手に蛆がべっとりくっついていた時の衝撃と言ったら、幻覚だと分かっていても耐え難いものがある。


 気が付けば部屋中に蛆が湧いていた。いや、私の触る所全てに蛆が湧いていた。相変わらず感触はないが、通常生活するにおいて人間はその大半を視覚に頼っているせいもあるだろう。気持ち悪いという言葉で済ませてよいものか。


 見たくないものを見ない為には目を潰せと、誰かが囁いている気さえした。


「…………もう、いいよね」


 人差し指と親指を両目に合わせる。これ以上おかしくなりたくない。目が無くなるのは痛いだろうけど、こんなものをずっと見ているよりはずっとマシだ。


 そう、一瞬。痛みは一瞬だ。


 四六時中蛆虫を見てしまう目なんて要らない。ゆっくりと指を近づける。呼吸がどんどん荒くなっていく。


 もう少し指を近づければ、私の目は潰れる。喉元に刃物を突き付けているみたいで心臓の高鳴りが止まらないが、躊躇した所で私の視覚は蛆虫の幻に侵食され続けている。こんな目をもったいぶる必要が何処にある。



 ―――ごめんッ!



 心の中で神乃に謝りながら、私は思い切り指を押し込んだ。







「クフフフフ。落ち着け水鏡美原」







 え?


 私の自殺を食い止めたのは、最近になって聞き覚えが生まれた声だ。しかしその声の持ち主の性格を考慮すると、こんな風に私の事を止めるとは、とても思えない。蛆虫塗れの視界を再び開くと、一切蛆虫に侵食されていない女性が、そこに立っていた。


「あ、貴方は―――ッ!」


 何故。


 どうして。


 理屈など知った事か。彼女の全身を除けば、相も変わらず視界には蛆、蛆、蛆。これが飽くまで幻覚でしか無いのなら、彼女の方がどうであれ、私には蛆が見えるのが道理というものだが……幻の蛆は、まるで彼女の事を避けている様に動いている。体はおろか、足元さえ通過しようとしない。


「ど、どうやってここに…………狩也さんは見つかったんですかッ?」


「どうやら見つかったみたいだな。君が助かったのも、水鏡碧花が無事に想い人を見つけられたのも、私のお陰に違いない」


 何故に他人事。水鏡碧花という女性は、他でもない自分の事………水鏡ッ?


「え…………え! 水鏡って、え……!」


「驚く事か、水鏡の者よ。同じ血を持っておきながら、知らぬとは言わせぬぞ」



 …………別人?



 この何処か他人事な感じといい、左目に包帯を巻いている事といい、どうにも私の知る女性―――曰く水鏡碧花とは別人な気がしてきた。私達をここに連れてきた時、彼女は包帯など巻いていなかった。見る限り普通の高校生(体つきは全く普通ではないが)とはいえ、まがりなりにもここに足を運び、無事に帰還した身。まさか怪我などするとは思えないし、それだけでも別人説は濃厚だ。


「あ、貴方は誰……なんですか?」


「ふむ。良い質問だ。君にはきっと、私が水鏡碧花に見えているのだろうな。取り敢えず初めまして。私はこのまほろばの統治者……『王』と呼んでくれ」


「お、王……片目は、どうなさったんですか?」


「片目……何か勘違いをしている様だが、私は両目を貸出し中だ。君の視界に移るそれは私の目では無い―――水鏡碧花の瞳だ」


「え…………ええッ!」


 蛆だらけの視界が気にならなくなるくらい、衝撃的な事実を明かされた。この底なし沼みたいに暗くて淀んだ深淵色の瞳が彼女のものなら、今彼女の片目に嵌まっているのは『王』の目という事になる。


 義眼じゃあるまいし、目がそんな気軽に交換されている現状は、認められなかった。想像するだけで気持ち悪くなってくる。


「―――君は、どうやらあの者の正体について知らぬ様だな」


「しょ、正体ですか?」


「その通り。正体だ。何故私があの者の姿を象り、そして何故目を貸し出したか。そもそも水鏡碧花とは何者なのか。教えて欲しいか?」


「…………それを知ったら、帰れますか?」


「無理かもしれないし、帰れるかもしれない。全ては君次第だ、水鏡美原。真実を知る存在をあの者は許さない。ましてそれをあの男に教えようとする奴は、絶対に。さあ答えを―――」


「……その前に一つだけ! ……何で私を助けてくれたんですか?」


 彼女の正体とか、王の目とか割とどうでもいい。私はこの『素晴らしい』世界『に留まりたい』だけだ。それを諦めたからこそ、せめて嫌なものは見まいと目を潰そうと思ったのに、まほろばの統治者はそれを助けた。


 何で?


 王は不気味な笑みを漏らしながら、答えてくれた。


「クフフフ。助けたつもりはない。冥土の土産という奴だ。自覚は無いかもしれないが、既に君はこの世界に毒されつつある。このまま絶望されてもつまらないから、生きる気力を与えに来たまでの事。どうだ、私は正直だろう」


 王の発言は、例えるなら『虫が生きるのを諦めて死のうとしたので、無理やりにでも延命してもう一度足掻く様を見たい』と言っている様なものだ。そんな悪趣味を堂々と言われて付き合う人物は居ないかもしれないが、今は状況が状況だ。


 誘いを断れば王は何処かへ行ってしまうだろう。そして私は、この蛆だらけの無限部屋に取り残される。この世界そのものから脱出出来なかったとしても、誘いに乗れば、取り敢えずはここから抜け出せる事を考えると、頷かない訳にはいかない。


「話が逸れそうだ。改めて答えを聞こうか。今度は話の腰を折るなよ」


「…………聞きます。水鏡碧花の正体を」


「良い答えだ。それでは移動しよう」


 王が指を鳴らした次の瞬間―――




 視界に映る蛆虫は消えて、こじんまりとした部屋に飛ばされた。














「こ、ここは……」


 部屋の照明は蝋燭一本。それも畳のど真ん中にポツンと置いてあるだけだ。照らせる範囲などたかが知れている。光が当たる部分と当たらない部分とで、境界線が随分とハッキリしていた。


「さて、何から語るべきか―――」


 真正面から声が聞こえる。姿は見えないが、真正面には不自然にも光が当たっていないので、恐らくそこに居る。光源が無ければ、この目は何の像も見いだせない。


「君の家では、あの者はどう伝わっている」


「そ、それが。私は次期当主の筈なんですけど……全然、知らなくて。分家の人間だったとしても、知らない筈は無い、と思うんですけど」


「そうか。ならばそこから話そう」


「―――ちょっと待ってください。王さんは、どうしてその事を知ってるんですか? 本人から聞いたんですか?」


「ああ、聞いたとも。私とあの者は取引相手だからな。だからこそ私も目を快く貸し出したのだ……一方的に強奪されたとも言うが」


「は……はあ」


「そんな事はどうでも良い。あの者の正体は、一言で言えば異常だ」


「い、異常?」



 私の興味を引けた事が嬉しいのか、王は嬉々として語りだした。

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