遅すぎた決着



 少女は優しさを知った。


 少女は善意を知った。


 自棄か、それとも諦観からか、気まぐれに始めた遊びによって、少女は悪意以外のものを知った。今まで出会って来た全てと、何かが違う『それ』は、少女に色を教えた。真っ黒だった少女を、黒以外のものが染め上げた。


 その日から少女の見る世界は変わった。色づいた、と言う言葉では到底表しきれないくらい鮮やかに。映る景色全てが面白く、味わい深く、趣深く。人生というものはここまで楽しかったのかとさえ、思わせた。やがて少女は、あまりにも美しい世界に心を奪われ、自分もそうなりたいと―――その色に染まりたいと考える様になった。


「好きで、好きで、好きで。とにかく好きで。君の為ならあらゆる事をしてあげたい」


 少女は乙女だった。『それ』を誰よりも愛していた。『それ』以外に価値が見いだせなかった。『それ』によって彩られた全てが、少女の現実だった。


「ねえ」


 色を知った少女は、笑う事を思い出した。


 色を知った少女は、悲しむ事を思い出した。


 色を知った少女は、恐れる事を思い出した。


 色を知った少女は、怒る事を思い出した。


 色を知った少女は、楽しむ事を思い出した。



 そして、少女は愛する事を知った。



 君以外、要らないんだ。


 色を知ったその日から、考えなかった瞬間は刹那たりとも存在しない。私が私である限り、私は『それ』を愛し続ける。


 君だけが、私の全てなんだ。


 大衆的な特別じゃない。私だけの特別。他の誰も、見向きしなくたっていい。私だけが、その価値を知っていればいい。


 好きなんだ。


 『それ』よりも善意のある人間はごまんといるだろう。ただ、そうだったとしても、最初に善意を教えてくれたのは、私に『色』を教えてくれたのは、他でもない『君』なんだ。




 首藤狩也君。

















 俺は精一杯頑張った……かは、怪しい。碧花や人知れず動く部長達の活躍が無ければ、封印すら出来なかっただろう。だが怠けていた訳ではない。出来るだけの事はやった。それだけは言える。


 だが、それはあまりにも遅すぎた。二人を完全に助けるには後数秒……処か、数時間早くここまで辿り着くべきだった。


 オミカドサマの残した最後の絶叫に耳と目をやられた俺が再び目を開ける頃、二人は目の前に姿を現していた。ただしそれぞれ、まともな状態で現れてはいなかった。


 まともではないと言っても、万全な状態ではない、という意味なのは萌。頭から血を流しているが、それ以上の負傷は見られない。これを不幸中の幸いと言わずして何と言おうか。意識は無い様だが、単に気絶しているのだろう。それに関しては時間が解決してくれる筈だ。



 真にまともではない―――言葉通りの意味なのは、由利の方だった。



 全身に刻まれた深い切り傷。衣服はおろか、内側の下着までズタズタのバラバラに引き裂かれており、目を逸らして誤魔化しているが、注視するとそこには由利の控えめな胸が見えてくる。これは何も、俺が下心を抱かない為に目を逸らしている訳ではない。あまりにも痛々しい様子に、見ていられなかったのだ。


 由利の負傷はそれだけじゃない。両手首の後ろから掌の中心を貫通する様にナイフが突き刺さっている事にくわえ、萌とは比較にしてはいけない量の頭部出血。太腿には無造作に釘が打ち込まれ(しかもボッコボコに変形している)、両足首には鋸か何かで切断途中だった事が見受けられる傷跡が残っていた。骨に苦戦していたのだろうか。そこまでは切れていない様で……良かったというのもおかしな話だが、もう少し遅かったら彼女の両足が無くなっていたと考えると……全身の温かさが消え失せる気分だった。


 こんな惨状を見てしまうと、猟奇的だと感じてしまう。どんな悪質な怪異と遭遇したって、ここまで酷い事にはならないだろう。だからってこんな酷い事を人間がするとは思いたくないが……居たとしたら、きっとそいつは良心が致命的に欠如したクソ人間に違いない。


「由利! 萌!」


 オミカドサマにここまで痛めつけられていたのか……やはり、アイツの懇願など聞かないで正解だった。ここまで性根が腐っていたとは。


「ああ、あああああ碧花! 病院。救急車だ!」


「事情はどうやって説明するつもりだい?」


「んなもんどうだっていい! 二人を助けるんだよ! 早く!」


 碧花は何も言わず、只、携帯を取り出してくれた。オミカドサマの神通力が消え去った以上、俺が携帯を使えない道理は無いのだが、二人の惨状……特に由利の姿を見て、そこまで冷静に行動出来るものか。この時の俺は携帯の事なんかすっぱり忘れて、痛々しい傷跡の残る由利の身体を観察していた。


 見たくて見ている訳ではない。まだ他に傷があるのではないかと思ったのだ。太腿に打ち込まれた釘でさえ、グロ耐性の無い俺にはきつすぎた。直ぐに引き抜いてやろうと手を掛けようとしたが、俺はすんでの所で踏みとどまった。


 ―――抜けば、出血する。


 ドラマなんかじゃ直ぐに抜いている気もするが、余程の事がない限り、出血を止めてくれている凶器を抜くという行為はお勧め出来ない。その余程の事も喩えに困るが…………ファンタジーチックではあるが、負傷者に自動再生能力があって、ナイフがそれを邪魔している時、とか。


「…………ごめん」


 救急車が来るまでの間、俺は何もしてやる事が出来ない。残ったのは、決着が遅すぎたという絶対の事実だけ。俺は二人の間に立って目を瞑り、深々と頭を下げた。


―――俺に、もっと力があれば。


 力を渇望しても、簡単に手に入る事などあり得ない。それが現実。だからこそ俺は、俺自身がもっと強かったらと想像する。クオン部長並の実力と行動力があれば、こんな事にはならなかっただろうにと妄想する。


 空想家と罵られ様とも、仕方ない。俺は現状の自分に満足した事なんて一度も無いのだから。


「狩也君」


 背後に居た碧花が声を掛けてくる。


「……何だ?」


「君は帰った方が良い。後は私がやっておくからさ」


「―――え?」


 伏線も素振りも無かった突然の提案である。俺は困惑と共に首を傾げた。


「な。何でだ?」


「自分じゃ気付いてないかもしれないけど、君、相当疲れてる。これ以上動いたりしたら倒れてしまいそうだ」


「そ、そんな訳無いだろ! ほら、俺はこの通りピンピンしてる―――」


 俺は勢いよく立ち上がって…………そのまま膝から崩れ落ちた。


 何かに躓いたという訳ではない。肉体が立つ事を拒んだのだ。そのせいで俺が元気である事を証明するつもりだったのに、実際には、碧花の発言を裏付けてしまった。


「あ……れ」


「言わんこっちゃない。無理も無いよ。全てが終わったんだ。満足感や充実感なんてものは一切ないだろうけれど、君の肉体は間違いなく、オミカドサマを封印する所で満足した。これ以上その肉体を酷使したら、そこの二人みたいに、君も倒れる事になる」


 平坦な調子ではあるものの、それは碧花なりの気遣いだった。ミイラ取りがミイラになる、ではないが、ここで俺が倒れては元も子もないと言いたいのだろう。


「い、いや。俺はまだこの通り―――!」


「狩也君ッ!」


 尚も立ち上がろうと抵抗する俺を見かね、彼女は珍しく声を荒げて、俺の両肩に手を置いた。


「自分に、もっと優しくなりなよ。二人が意識を取り戻した時に君が倒れてたら、誰がそれを喜ぶって言うんだい?」


「だって……俺は」


「二人の今後は分からない。けど意識が目覚めた時、君が傍に居なかったらどう思う。私は二人と交流がないから分からないけれど、自分達のせいだって気に病んでしまうんじゃないかな」


 そこを突かれると弱かった。俺自身は酷く強情だが、その強情は意識の無い二人を助けたい所から来ている。その二人を更に困らせるとあっては、俺も口を噤んで、彼女からの説教を受け入れるしか無かった。


 淡々と言い聞かせるように並べられる言葉からは、彼女の慈愛が節々から感じ取れた。


「…………いつもの通り、これ以降は私に任せてくれればいい。もうオミカドサマも、蝋燭歩きも居ないんだ」


「……………………お前に、申し」


「私に申し訳ないとは言わせないよ。この場か、もっと後に倒れられたらそっちの方が迷惑だ。外傷とかまるっきり消えてるから忘れてるかもしれないけれど、君は一度転落したんだよ? これは命令じゃ無くてお願いだ、狩也君。―――頼む、今日の所は、自分を大切にしてくれ」


 長い長い沈黙を挟み、俺は彼女からの嘆願を受け入れた。


「―――分かったよ。実際申し訳ないと感じてるけど、俺はもう……今日の所は帰る」


「一人で大丈夫かい?」


「物に寄りかかりながら歩けば、大丈夫だ。倒れる事は無い」


 俺はユラリと立ち上がると、木から木へ飛び移る様に歩きながら、ゆっくりと碧花達から離れていく。ああ、本当だ。二人の負傷状態に気が動転して気付かなかったが、俺の身体はこんなにも重いモノを持っていたのか。


 通りで、膝が落ちる訳だ。筋力の無い俺には、この疲労はあまりに重すぎる。




「……お前に聞いても仕方ないんだけどさ!」




 俺はにわかに足を止めて、渾身の力を振り絞って身を翻した。




「神通力の被害って、オミカドサマを封印したら無力化されるんだったよなッ?」


「ああ。だから二人が出てきた」


「生物も無機物も、概念も問わないよなッ?」


「さあね。ただ、封印したからこそ、携帯も繋がる様になった。夜も、その内明けるだろうね」


「あはははは! だよな、事件なんて最初からなかった。オミカドサマも蝋燭歩きも、全部居なくなったんだよなッ?」


 明らかにテンションのおかしい俺を見て、碧花はどうにも要領を得ないと目を細めた。


「……どうしたの?」


「分からないか?」


「え?」













「何でオミカドサマを封印したのに、二人は傷だらけなんだよ」  



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