CASE8
猶予なき交流
その日の夜は、一睡も出来なかった。萌と由利の容態や、オミカドサマとの対決を終えても尚残った謎など、眠りを妨げるには十分すぎる要素が揃っていたせいである。あんなのを見て安眠につける奴は余程のサイコパスか、グロが大好きな人間か。俺には無理だ。安眠処か、一秒も肉体を休める事が出来ない。一刻も早く二人の安否を確認したい。大丈夫なのか、それとも大丈夫なのか。もしくは大丈夫なのか。
「神様…………」
祈っておいて何だが、俺は神様など一ミリも信じていない。だが、祈らずにはいられない。これから先、一生俺の『首狩り族』が無くならなくても良いから、どうか二人を……二人を助けてほしい。
萌も由利も、俺の大切な友達なのだ。居なくなって欲しくない。老衰以外で死んでほしくない。ましてこんな所で死ぬなんて、二人にしても不本意な筈だ。
「何で……こうなるんだよ」
ご都合主義でいいじゃないか。ハッピーエンドでいいじゃないか。オミカドサマというボスを倒して、一件落着。それで良かったじゃないか。この素晴らしい展開にケチをつけるのは傍観者くらいなもので、当事者は誰も彼もそれを望んでいた。
こんなの……間違ってる。
一人ぼっちの家は、こんなにも静かで寂しいのか。天奈を碧花の家に行かせているから、この家に居るのは今の所俺だけだ。二人で居る時は狭いと思っていたのに、一人欠けただけでここまで広く感じるものか。今なら台所に居ると思われるゴキブリの足音すら、明瞭に聞こえそうだ(あれはどれだけ部屋を綺麗にしていても出るときは出る生き物だ)。
ガタッ。
「…………んッ?」
玄関からだ。不審者……だろうか。不審者と言えば野海がまず思い当たるが、あれだけ脅してやったのにまだ懲りていないのなら、いよいよ俺にも手段がある。直ぐに飛び起きると、バタバタと階段を降りて、限界の前で臨戦態勢を整えた。
間違っても、碧花は来訪してこない。こんな時間には流石に眠っているだろうし、どうしても来るなら、多分窓を経由してくる。
―――誰だ?
階段を降りる音は聞こえた筈だ。俺が玄関前まで来た事を、相手も知っている筈。鍵が閉まっているとはいえ、声くらいかけて来ても良いだろう。何の反応も無いというのは、やはりおかしい。考えられるとすれば、あちらも俺と同じ様に、待ち伏せをしているか。
つまりこの勝負、後手必勝。
相手方の誤算は、時間帯だろう。今何時だと思っている。深夜だ。丑三つ時を若干回ったくらいだ。セールスがまさか訪ねてくる訳でも無し、訪問人というだけで十分怪しく思える。待ち伏せは相手が油断している時にするから有効なのであって、この時間帯に待ち伏せをするのはナンセンスだと言わざるを……じゃあ、待ち伏せじゃないのだろうか。
良く考えなくてもそっちの可能性の方が高い。扉越しに人を感知して待ち伏せを考慮するとは、どんな戦争思考だ。俺の前世は傭兵か軍人だったのかもしれない。聞いた事も無いけど。
意を決して俺は扉を開けた。相手が誰であろうと、知った事か。結局直面する前にどれだけ考えても事態の解決や回避になり得ないのなら、一先ず直面してから考えた方が妙案が浮かぶ。
俺の予想は野海記者だったのだが、見事に大外れだった。というか、誰でも外れている気がする。こんなの当てられっこない。
「…………先輩」
「も、萌!?」
萌だった。彼女の来訪をどうやって予想すれば良かったのだろうか。由利と比べれば軽傷だったから、目覚める可能性は大いにあった。あったが、俺の所をわざわざ訪ねる理由が見当たらない。彼女に求められる行動は、警察に対して事情を話す事くらいだろう。
間違ってもその体で俺の家を訪ねるなんて、誰も求めないし、必要ですらない。何故来た。
「良かった……先輩、助けてください! 先輩しか、もう頼れないんです……!」
「は、え? いや、え、いいけど、え? 何でここに……」
「説明は後です! お願いします、入れてください!」
只ならぬ様子の後輩に気圧され、俺は思わず萌と―――玄関で横たわっていた由利の入室を赦したのだった。
警察は?
救急車は?
碧花は?
事件は解決し、何事もなく処理されると思い込んでいたのに、まだ一悶着あるというのか。碧花に連絡して、二人を引き取ってもらう事も考えたが、あっちに携帯を忘れた事を思い出して諦めた。テレビの代用品として使った俺の携帯……碧花が回収してくれていると助かるのだが。
「怪我は……大丈夫なのか?」
話を聞くべく、俺は萌を連れてリビングで机を挟み向かい合っていた。取り敢えず俺も含めて両者に麦茶を注ぎ、体の前まで滑らせる。
「はい。私は……大丈夫です」
萌にしか聞いていない。意識もない由利にこんな事を聞く奴は悪趣味が過ぎる。
麦茶に口を付けている萌の頭部に視線を向ける。出血箇所を覆う様に包帯が巻かれているのは当然としても、狐面を側頭部に付けているのは意外だった。彼女はああいう不気味なものを身に付けないものだとばかり思って……。
「その包帯、自分で巻いたのか?」
「いいえ。私が目覚めた時にはもうこうなってました。それと……御影先輩も」
重傷というよりは重体の由利は、殆どマミーになっていた。取り敢えず俺の部屋のベッドに寝かせたが、いつ回復するかは分かったもんじゃない。というか本当に回復を望むなら、直ちに救急車を呼んだ方が得策なのは俺も分かっている。
しかし呼吸は安定しているし、心拍、脈拍なども極めて正常だ。もしかしたら暫く休ませれば意識を覚ますかもしれない―――と。僅かな期待に懸けて、敢えて呼んでいない。
あの山から俺の家まで中々の距離があるが、その距離を何の問題もなく萌が連れて来れているのだ。明らかに負傷状態とは釣り合わない安定性だが、その事を聞いた時は、少し安堵した。願わくは本当に目覚めてもらいたい所だが、今はその話はよそう。
言葉を選びながら、俺は慎重に質問した。
「……今回、お前達は被害者だ。一から十まで事態を説明しろつっても、無理だろう。質問形式で尋ねるから、分からなかったら素直に言ってくれ」
「あ、はい!」
「まずその狐面。クオン部長に貰ったのか?」
早速、萌の表情が変わった。
「……今は話せないです。順序があるので」
そう語る彼女の双眸は潤んでいた。部長がどうしても姿を現さない事が悲しいという訳では無さそうだ。
深追いはしない。変に心を傷つけてしまいそうだから。
「碧花に看てもらってたんじゃないのか? 救急車だか救助隊員だかが来るまで」
また、表情が変わった。萌は露骨に目を伏せて、小刻みに瞬きをしたが、それは何かを悲しんでいるというよりは、何かを恐れている風に見えた。質問をしたのは俺なのに、返された反応がどうにもおかしい。要領を得ないというか、質問内容と反応が合致しないというか。
切り口を変えて質問してみようかと考え始めた時、萌がにわかに話しかけてきた。
「あの、先輩。碧花さんの事、どう思ってますか?」
「碧花の事? ……また急な質問だな」
「大事な事なんです。茶化さないで、お願いします」
「そう言われてもな。俺はアイツに対する感情を茶化した事は一回もない。だから正直に答えるぞ……好きだ」
「どれくらい、ですか」
「世界一。ま、アイツは俺の事、どうせ『友達』程度にしか思ってないだろうから、八割くらい諦めてはいるんだがな。それがどうかしたか?」
長い沈黙を引きながら、萌は重苦しく言った。
「…………………………先輩。悪い事は言いません。あの人とは距離を置いた方がいいです」
「え? 何でだ?」
「それは―――その」
「あの女性は、何かが外れてるから」
答えを出し渋っていた萌の代わりに提示してくれたのは、廊下の方からひょっこりと顔を出していた由利だった。
「―――おおおおおう!?」
答えよりも、彼女が目覚め、ここまで歩いてきた事に驚いてそれ処じゃない。俺は直ぐに扉を開けて、力なくたっている彼女を抱きしめた。それはもう、体に負担を掛けない様に、優しく。
「由利ッ! お前……大丈夫なんだなッ?」
「…………心配かけて、ごめん、なさい。首藤君」
「何処も痛くないんだな?」
「―――んが」
「ん?」
「サイオンジさんが……治してくれたの。だから今は…………だいじょう、ぶ」
全然大丈夫に見えない。意識不明の重体が、辛うじて生きている状態まで回復した程度の差は、素人目から見れば誤差だった。俺はいつもの筋力を忘れて由利を持ち上げると、そのままソファまで一直線。ソファを蹴って動かし、俺と萌の近くへ。それから横たわらせた。
「…………有難う」
「お礼なんて言われる筋合いはねえよ。俺はお前達を助けられなかったんだから……それで、外れてるって、何がだ」
俺は出来る限り彼女の表情のみを視界に捉えて尋ねた。肉体がどうあれ衣服は時間経過では回復しないので、まだ胸の傷は残っているし、若干見えている。痛々しくて、やはり見ていられない。わざと浅切りを繰り返した様な悪質性すら見て取れる。
「そもそも、先輩の家まで行こうって言い出したのは、御影先輩なんですよ」
「は? いやいやいや。俺の家より行くべき所あるだろ」
警察とか、病院とか。それらより俺が有能だなんて事は逆立ちしてもあり得ない事だ。
「大体碧花が連絡してくれたんだったら、待ってれば救急車だか救助隊員だか、何でもいいけど助けが来ただろ。何でそれを差し置いて俺の家に来たんだッ?」
「――呼んでない」
「呼んでない? 救急車をか?」
「あの女性は、私達を殺そうとしていた」
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