碧花の純情



「殺そうとしていた…………?」


 オカルトよりも胡散臭い話だが、由利の表情は至って真剣だった。嘘を吐く理由がないので当然とも言えるが、それにしても到底信じられない話である。


「……斧を持って、こっちまで来たの」


「斧? そんなもん何処で手に入れたんだよ。大体あの周りに斧なんか無かっただろ」


 実際は周りが昏かったので、定かではない。只、本当に斧があったなら、何処かで俺が気付いていてもおかしくないと思ったのだ。超絶的不運の俺なら、躓いたりもするだろう。


「私達、直ぐに逃げようとしたんですけど。その……私はともかく、御影先輩が全然逃げられなくて」


「見捨てられても……おかしくなかった。私なんか気にしてたら、萌まで死にそうで」


 言わんとしている事は分かる。足手まといの言葉通り、この状態の由利を気にしていたら、逃げられるものも逃げられないだろう。結果だけを見れば二人は逃げ切っているが、その時の絶望感たるやどれ程のものだったのか。俺には想像もつかない。


 碧花が斧を持って近づくという姿も想像できないが。


「でも、その時だったんです」


 萌が妙な顔で続けた。



「あの人、急に足元に視線が移って。それから動きが止まったんです」



「…………は?」


 余計に意味が分からない。殺さんとしている対象を目前にして他に気を取られる様な奴が果たして居るのだろうか。獲物を前に舌なめずりではなく、興味を失う……あり得ない。


 どういう事態があればそれが起きる。殺すという行為は非常に『特別』な事だ。俺の様な一般人は滅多に口にしない。殺人鬼でさえ、殺す気にならなければ口にしないだろう。それくらい特別な事なのだから、それに興味を失うというのは…………どういう事だ?


「それで?」


「ずっと動きが止まってたので……その間に、頑張って御影先輩を運んできました。病院とかに行ければ、それは理想だったんですけど……体力、無くて」


 多分、そういう問題じゃない。よく考えなくても、萌が由利を運んで病院まで行ける訳が無いのだ。軽傷とはいえ、頭部を負傷しているのだから。


「―――でも首藤君に、伝えたくて」


「俺に…………?」


「あの女性とは……水鏡碧花とは距離を置いた方が良い。いつか貴方も、殺されるかもしれない」


「…………一応聞いておくけど、冗談では言ってないんだな?」


「冗談で、こんな事は言わない。見た物しか信じられないって言うなら、無理強いはしないけれど」



 さて、どうしたものか。



 余裕ぶって考えてはみたが、心中穏やかではない。俺も彼女に対して引っかかるものを持っているのは純然たる事実だ。その『異物』は、二人の証言と照らし合わせると、丁度呑み込める程度には『異物』ではなくなる。


 とはいえ、それを加味しても答えは一つだった。


「―――ちょっと信じられないな。いや、お前達を疑ってる訳じゃないんだ。只、俺の最初の友達ってアイツだからな……身内が犯罪犯したって言われてるみたいで、ちょっと現実味がない。だからお前達には悪いけど、俺はアイツとは距離を置くつもりは無いよ」


「そんなッ。先輩、死んじゃうかもしれないんですよッ?」


「萌。心配してくれるのは嬉しいがな。死んだら所詮はそこまでだったというだけの話だ。忘れたか? 俺は天下の『首狩り族』。いつか自分の首が狩られたって、何もおかしくは無いのさ」


 自嘲気味にそう笑ってみせたが、それでも二人は俺の心配をやめない。まず自分の心配をした方が、特に由利はそうするべきだろうに。これが余計なお世話という奴だろうか。しかし無理もない。二人は俺と碧花がどれだけ密接に関わり、どれだけの時を過ごしたのかを知らない。俺にとって彼女とは、『友達』であったとしても、只の『友達』では収まらない存在なのだ。


 好きな人という言葉でも、正直片づけられない。それくらい彼女は俺にとって信頼出来る人物であり、もしも彼女と結婚出来るなら、それ以上の幸せはない。そんな存在から突然「距離を置け」と言われても、納得出来る道理は無かった。


「でも、お前達の忠告は理解した。折衷案を取ろう。俺はアイツから離れないが、アイツにお前達を接触させる事はしない。これならお前達には、少なくとも被害は無いだろう」


「先輩はどうするんですか?」


「俺は離れないつってんだろ。アイツの事は信じてるしな。それに……」


 碧花になら、殺されても良い。


 心の底から出た言葉を飲み込み、俺は徐に席を立った。


「萌は泊まっていくよな」


「え、いいんですか?」


「お前の父親という敵を忘れちゃいない。ここで帰す程俺も馬鹿じゃねえよ。で、由利はどうする? 西園寺部長が治してくれたっつっても、あの人は別に医者じゃない。病院に行くか、自分の家で安静にしていた方が得策だと思うけどな」


「……泊まっていいなら、泊まらせてほしい」


「…………そうか。じゃあお前の家の電話番号教えてくれ。親に連絡してやらないと誘拐犯に勘違いされるかもしれない」


「……必要ない」


 由利は上体を少しだけ起こして、俺を制止した。


「クオン部長とのフィールドワークで……何回か、家を空けた事があるの。だから一日くらいなら、心配はされない」


「どんだけ長い事家空けたんだよ。しかしそうか。なら天奈に感謝しないとな。アイツが碧花の家に居るお蔭で、お前達を泊める事が出来る」


 二人の発言の真偽は、ある意味で妹に懸かっていると言ってもいい。妹が死んでいたら、二人の発言は真実に違いないだろうが、死んでいないのなら虚偽か、もしくは勘違いだ(あの二人が嘘を言う性格ではないのは知っている)。そしてこれは、賭けですらない。どっちかに正解があると言うよりは、片方の選択肢はあり得ない。


 天奈は生きている。


 根拠は無いが、今からでも作る事は出来る。電話をすればよいのだ。碧花が不在だったとしても、家に一日中居るのだから、妹はきっと出るだろう。家からの電話なんて、俺以外しないだろうし。ただ、時間帯が時間帯なので、するつもりはないが。


「私達は何処で寝れば良いんですか?」


「二階の俺と天奈の部屋を使ってくれ。勝手に使わせたら多分後で怒られるけど……背に腹は代えられない」


 それに外に行かせると、二人に碧花と遭遇するリスクを作ってしまう。見るからに病院に行った方が良い見た目だが、本人が大丈夫というのなら、大丈夫なのだろう。少なくとも山から俺の家まで来れるくらいの気力はあるみたいだし。


「あの……先輩」


「ん?」


 珍しく萎れた声を出す萌に、俺は怪訝な表情を浮かべた。


「どうかしたか?」


「……迷惑かけちゃって、ごめんなさい」


 謝罪されておいてなんだが、俺は拍子抜けした。底なしの明るさを持つ彼女ここまで萎れているなんて何事かと思ったが、大したことが無かった。その辺り、彼女は意外と繊細な様だ。


 俺は元気付ける様に彼女の頭を‥‥‥撫でず、肩に手を置いた。


「何言ってんだよ。こんなもん迷惑でも何でもあるか。それに、後輩が遠慮するもんじゃないぞ。俺は先輩だからな。お前に迷惑かけられてナンボよ」


 勿論、これは萌に限った話ではない。由利もだ。彼女は後輩では無いが、友人ではある。そして友人とは、互いに迷惑を掛けあう存在の事を言う。


 この程度は付き合いの範疇だ。


「……襲ったりしませんよね?」


「怪我人襲う程無神経じゃねえよ」


 冗談を言う余裕が生まれるくらいは元気付けられた様で何よりだ。















 初めてソファで一夜を明かした、翌日。昨日が現実だとして学校を休む訳にもいかず、俺はいつもの三〇分は早く起きて、登校準備を整えていた。


「じゃあ行ってくるから、お前達は勝手に休み連絡入れろよな」


「大丈夫です!」


 因みに由利はまだ眠ったままだ。怪我の事もあるし、流石に疲労が溜まっていた様だ。そう考えると、萌がここまで早起きなのはむしろ凄い気がする。


 怪我を怪我とも思っていないのかもしれない。


「…………じゃあな。そろそろ行くわ」


「行ってらっしゃい!」


 束の間の夫婦気分を味わいながら、俺は元気よく家を出た。二人の発言は到底信じられないが、本人と遭遇すれば確認の術がある。脈絡に関係なく二人の事を尋ねてきたら、本当だと思って良いだろう。


 『殺し』という特別な行為を損ねたくらいだから、よっぽど気にしている筈だ。


「…………自然体。自然体」


 ここで気を付けなければならないのは、事実はどうあれ俺は自然体で接さなければならないという事だ。もしも碧花が本当に二人を殺そうとしていたのなら、怪しまれてしまうし、全く関係なかったとしても、俺が自然体でなくては彼女に要らぬ勘繰りや心配をされてしまう。


 突き当りの角を右に曲がった時、背後から声がした。




「おはよう」




 反射的にビクンとしてしまったが、その声には著しく聞き覚えがある。心の中でもう一度『自然体』という言葉をしみこませ、俺は振り返った。


「お、おはよう」


 早速舌がもつれ、不自然な感じになった。しかし俺に挨拶を掛けてきた女性―――碧花は、さしてそんな事を気にも留めていなかった。


「君が登校するにしては随分早いね」


「そ、そうか? ……だとしたら、昨日あんな事があったせいだろうな」


「ふむ。疲れたらよく眠れると思っていたけれど。もしかして寝不足かい?」


「おう。そりゃそうよ。あんな非現実的な……はあ。事があったんじゃな」


 嘘は言っていない。ソファで寝るのなんて初めてだから、寝付けなかった。それもあって、今朝はやたらと早く起きたのだ。睡眠の質云々の話をし出したら、俺の睡眠の質は最底辺に位置するだろう。


「お前は眠れたのか? 見る限り元気そうには見えるが」


「私は眠れたよ。君に寝不足の顔なんて見せられないし、授業中に居眠りなんてしたくないからね」


「アハハ。お前も居眠りしたくないとか考えるんだな」


「私だって高校生だよ? それくらい考えるよ。むしろ、君は私をどんな風に捉えていたのかな?」


「いや、普通の高校生だけどさ。何と言うか、意外だと思いますよ? 世間様の目からしたらさ」


 …………一向に聞いてこない。


 二人の発言を疑う訳じゃないが、これが人を殺し損ねた人間の反応とは思えなかった。睡眠の件もそうだが、もしも殺し損ねているのなら、その殺し損ねた人物がどんな動きをするのか気になって眠れないと思うのだが。


 或いはこの発想こそ一般人の証であり、真の殺人鬼は違うのだろうか。


「……あ。そうだ。忘れてた」


 碧花は不意に足を止めて、俺の手を掴んだ。


「ん?」


「君に渡したいものがあったんだ」


「え?」


 一応日付を確認しておこう。今はバレンタインでもクリスマスでもない。正月でも無ければゴールデンウィークでもないし、誕生日という訳でもない。友人として手渡されるべきものは、何もない。


「な、なんだ? クリスマス会に先んじて、何かくれるのか?」


「いや、まああげようと思うものは一つあるけど、違う違う。君に忘れ物を届けたくて」


「忘れ物?」


 碧花は手に持ったバッグを開けると、無造作に手を突っ込み、『それ』を俺に差し出した。


「帰ろうと思ったら、たまたま目に付いてね。気づいてなかったのかい?」


 受け取りを拒否する理由がない。彼女の差し出した『それ』は、この現代社会における必需品―――携帯なのだから。



 

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