彼女の悲しみ
アニメや漫画などとは違い、乳袋というものが現実には出来ないという事はご存じだろうか。実際の服というものは肌に密着していないので、普通に着ても胴体が太く見えてしまうのだ。
見えてしまうのだが…………
どういう訳か碧花はその問題を克服している。いや、何もこれは今回の仮装に限った話ではないが、彼女の胸は、強調されているというか、俺の目が釘付けになるくらいには目立っている場合が多い。もしかして、俺を弄る為にやっているのだろうか。
「上がってもいいかな?」
「お、おう。言っとくけど、まだ全員揃ってないから始まってないぞ」
「構わないよ、別に。所で君のその服、市販には無いと見た。妹さんが作ったの?」
「そうなんだよ! 天奈が俺の為に作ってくれたんだよ~いやあ参っちゃうねえ! 兄想いの妹を持っちゃうと参っちゃうねえ!」
「兄弟仲がよろしい様で何よりだよ。どうやら……あの後は喧嘩も無さそうだね」
「おう。所で……さ。お前。その―――えーと。胸の事なんだけど」
聞かずにはいられない。その胸の話を。当人に対してその話を持ち出すのは失礼な気がしたが、碧花は流石にそこまで初心ではない。自分の胸を見つめて、それから俺の方を見遣った。
「これがどうかしたの?」
「いや……何で、そんな強調されてるのかなあって思って」
意識しようと思わなければ意識せずに済む、とかそういう簡単な話では済まされない。ここまで強調されると最早凶器だ、身体に悪い。大概自制心の強い俺だが、この胸に顔を埋めた日には、多分理性が崩壊する。触っても同じだろう。
「何でと言われても、見栄えを追究した結果なんだよね。ほら、身体が太く見えるのは、女性として嫌だろ? 後はそうだな……君がこういうの、好きかなあと思って」
「へ?」
その発言、疑わざるを得なかった。何をって、彼女の真意である。前提として、俺は確かにその恰好の事が好きだが、彼女がそれを知っている筈がない。だって、言っていない訳だし。そして何より、俺がその恰好を好きだからと言ってその恰好をするという事は、つまり俺に襲われても良いという事だ。
…………いいや、そんな筈は。
学校では高嶺の花として全男子の注目を集める彼女が、俺の為に俺の好きな恰好をするだと? そんな夢の様な話があってたまるか。碧花が俺に好意的なのは知っているが、それはライクな好意であってラブではない。
そう思っていたのは、もしかして俺だけだったのだろうか。
「……もしかして、気に入らなかった?」
「いや! そんな事は無いです! めっっちゃ大好きです…………あ!」
しまった。脊髄反射で煩悩が零れてしまった。彼女が一瞬だけ俯いたのを見て、悲しませたくないと思い出た言葉は正直も正直。心の底からの叫びだった。ついさっきの初心な躊躇とは一転して恥も隠さず煩悩を曝け出す俺の言葉は、碧花にとっても理解が遅れる代物だった様だ。
静止画みたいに動かなくなったと思えば、テレビにおける間違い探しの如くゆっくりと頬を染めた。
「………………正直、だね」
「いや、違う。違うんだよ。違うんだ。違わないんだけど、違うんだ。違う。違わないんだ。違わないけど違わない……あれ?」
俺の失敗を例えるなら、証拠が無い事を理由にこちらに強く出れない警察を見て調子に乗った犯人が、うっかりポケットから証拠を出してしまった様なものである。おバカここに極まれり。自分でその間違いに気付いたのもあって、俺の取り乱し方も尋常では無かった。この取り乱し方を文章で記述すると、遂に俺の頭がおかしくなったのかと思うだろう。
「ああ…………………うん。その。ごめん」
「―――君のそういう素直な所、素敵だよ。直球で言われて、びっくりしたけどね。……そうか。君が大好きと言ってくれるのなら…………わざわざ手間をかけた甲斐があったかな」
心無しか、普段よりも表情が豊かな気がする。普段の碧花と言えば澄まし顔がデフォルトで、差分もそれ程ないイメージなのだが、吸血姫となった彼女は、良く頬を緩ませる。長い付き合いであればあるほど、そういう一面が垣間見えた時の破壊力は底知れない。出会って早々、俺の心はノックアウトされた。もしも俺がネット中毒者だったら、こんな掲示板を立てているに違いない。
【吉報】ワイ、高校二年生。パーティーに招待した友達のコスプレが可愛すぎて無事死亡。
「他には誰か来てるの?」
「え、ああ妹の友達がな。俺の友達―――ってか、呼んだ奴ならお前が一番乗りだ」
「そうかい。あまり早く来たつもりは無かったんだけど……他の人が来るまで、二人きりだね」
「リビングに来いよ。一応、参加者なんだし」
「構わないけど、友達の友達は他人だ。私は君以外の人と話すつもりは無いよ」
「そう言わずにさあ。パーティーなんだし」
長い付き合いなので忘れがちだが、碧花はこういう人物だ。彼女は自分が心地よい場所に身を置きたがり、心地悪い場所には興味がない。良くも悪くもそう言う意味で正直なので、一旦彼女に嫌われたら戻る事は不可能と言ってもいい。
小学校の頃、俺の悪口を言ったがばかリに碧花に物凄く辛く当たられていた男子の事を思い出した。それに逆切れした男子は碧花の悪い噂を流す様になったが、元々友達が俺以外に居ない(というか作る気が無い)彼女には何のダメージもなく、空回りしていた気がする。
「他には誰が来るか、尋ねてもいいかな」
「デートの時にも出会った二人と、後もう一人。簡単に纏めるとオカルト部の面子だ」
御影、萌、クオン。これらは全てオカルト部の構成員である。説明が省けるので助かるが、オカルト部自体が怪しいせいで、まるで反社会勢力と付き合っている様に思えなくもない。謎の罪悪感が、俺の中に芽生えた。
………………。
勇気を出して彼女の手を掴むと、思ったよりもすんなり碧花の身体が動く。そのままリビングの中に入ると、歴史上稀に見るとんでもない美人に、香撫が真っ先に反応した。
「え、え、えええええ!? ど、どちら様ですかッ!?」
「俺の友達だ。水鏡碧花って言うんだけど、知ってたりする?」
「存じ上げませんけど…………えっと、お兄さんの恋人だったりするんですか?」
香撫に悪意が無い事は分かっていたが、それでも俺は顔を真っ赤にして頭を振った。あり得ないと言う意味ではなく、『釣り合わない』という意味で。
「いやいやいや! 『友達』だよ! 単なる『友達』!」
「……でも、手」
あ。
俺は直ぐに碧花から手を離して、ポケットに両手を突っ込んだ。恥ずかしがっている顔を見せたくないので、台所の方に顔を向けて、口笛を吹いて誤魔化す。
「な、なにも無いから! 本当に、何も無いから! なあ碧花ッ!」
「…………単なる」
「え?」
振り返る。碧花の機嫌が悪くなっていた事を、俺は本能で察した。直前に何か言っていた様な気がするが、聞き取れなかった。
「狩也君」
「な、何だよ」
碧花は俺に近づき、すれ違いざまに言った。
「恋人と言ってくれても、良かったんだよ?」
俺を揶揄うかのような発言に、何をと食い下がるつもりで振り返った俺は、もう一つの可能性を予感した。
或いは今の発言。もしかして―――
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