勝てる気がしない
クオン部長くらい強かったらぶちのめすのもありかもしれないが、そもそも暴力は好きじゃないし、それよりももっと良い方法がある。
警察。それは魔法の言葉だ。本人に悪い事をしているという自覚があり、且つ根が弱ければ、この単語を聞いた瞬間、対象は確実に怯む。例えば俺とか、例えば壮一とか。一般的な教育を受けている人間は、基本的に怯む。何故なら幼少期において、俺達は善も悪も等しく、『悪い事をしてはいけない』という教育を受けているから。
どんなワルも、警察の言葉を聞けば逃げの一手を選ぶ様に。根本的に心の何処かが破綻している人間でもない限り、警察という言葉は一定の効力を発揮する。この手の喧嘩で警察を呼んだ事がないので、実際対処してくれるかどうか俺は知らないが、男子達は見事に怯んでくれている。
効果覿面だ。
「な、何で警察を呼ぶんだよ!」
「いやだって、迷惑だし」
怯んでくれなかったらどうしようかと考えなかった訳ではないが、そこまで精神的に落ち着いている様な奴はこんな所で喧嘩なんかしない。勝率百パーセントの二択だった。
「おい、どうする……?」
「何かやべえよな…………」
「関わらない方が…………」
陰口は聞こえる様に言うもんじゃない。初対面の人間を相手に『やばい』とは何だ。確かに俺の初動はミスったとかそういう次元を超えた酷い滑り様だったが、そこまで言われる程の事か。
三人の判断が下るまで、俺は仁王立ちを続ける。警察を呼ぶぞと言っておきながら何の行動準備もしていない事に気付かない辺り、本当に動揺している事が分かる。この手の作戦は肝が据わり過ぎている碧花には通じないので、どんな反応も俺にとっては新鮮味のあるものとなる。
「十数える内に帰らなかったら呼ぶからな」
三人の反応を待たずして、俺は計測を開始した。
「十―――九八七六五四三二一…………」
「うおおい! はええっての! おい、帰るぞ!」
「あ、おい!」
「待てって!」
十秒数えるとは言ったが、通常の測り方とはひとことも言っていない。男三人衆は恨めしそうな視線を俺に向けながら、慌しく走り去ってしまった。この時も、別に俺は携帯を構えていたりしている訳ではないのだが、その事には誰一人として気付かなかった様だ。
実を言えばこれ、詐欺の手段を応用したものになる。
矢継ぎ早に要求を押し付け、更には短い猶予のみを与えて判断を煽れば、人は冷静な思考力を失う。詐欺で言えば、振り込んだ後冷静になって、初めて『そういえば』と気付く様なものだ。
まさかここまで効くとは。一言でも突っ込まれたらすかさず準備するつもりだったのに。あの三人、普段から警察にお世話になっている問題児だったりするのだろうか。
「…………あ、有難うございます」
聞いた事のない声だが、その発信主は分かっている。男三人衆は消えたし、神乃と呼ばれた口の悪い女子を除けば、後はその後ろに隠れていた女子だけである。俺は極力怖がらせない様に表情等を気を付けながら、彼女の方を向いた。
―――が、
「アンタ、誰?」
神乃に胸倉を掴まれ、更には持ち上げられてしまった。体格では俺の方が勝っているにも拘らず、情けなく宙に浮いているのである。しかも持ち上げているのは、女子。どんなに口が悪かろうと、女子だ。
「いや、だから首藤狩也だって言ったじゃないか。何でそんな喧嘩腰なんだよ」
「アンタも美原みはるに用なの?」
「用はあるけど、俺は二人に用があるんだ」
「そう。で?」
「え?」
「用は?」
…………言い辛い。理由は何も聞かずにツーショット写真を撮ってくれなんて、絶対言えない。
碧花と長年付き合った事で俺は表情を読むのが上手くなった。だから神乃が本来言う筈だった言葉も当ててやろう。ずばり、
『用は何? 先に言っておくけど、事と次第によってはこのままぶん殴るから、そこの所覚悟しとけよ?』
だろう。根拠は顔にそう書いてあるから。なのでこれ以降の思考は飽くまでこの推測前提の話となるが―――事と次第という言葉に問題がある。ツーショットというのは、ナンパ師でもない限りは余程親密な相手としか行わない行為であり、そこには特別性が生じる。
彼女の言う『事と次第』には、余裕で引っかかりそうな行為だ。
この異常な警戒心を持った神乃が居る限り、必然的に同行者の女子とも写真は取れないと思って良いだろう。ならば警戒心を解かせれば良い訳だが、どうやって? クラスメイトならいざ知らず、相手は他校生。コミュニケーション能力が突出した人間でもない限り、警戒心を解かせるのは不可能だ。
「………………いや、いいわ」
「あ?」
「急ぎの用事じゃないし。そこまで警戒されちゃ話しても聞いてくれ無さそうだしな。今日の所は諦める」
「明日も来るってか?」
「会えたらって事で。君も俺にこの場から居なくなって欲しいんだろ。喧嘩したくないし、望み通りにするよ。じゃあな」
諦めたと言えば聞こえは悪いが、この二人相手にいつまでも交渉してたら時間の無駄である。それなら奈々の所に行って、まずは一枚ゲットした方が良い。二兎を追う者は一兎をも得ず……って。何か違うか。
直前の男三人衆に倣って、俺も足早にその場から退散した。チャンスだと思ったのに、俺はそれを無かった事にした。
果たしてこれは『棒に振った』と言っても良いのだろうか。そんな下らない事を考えながら、一度も振り返らずに俺は病院へと駆け出した。
「あ-! お兄ちゃんだッ!」
奈々の居る病室に入室した俺を迎えたのは、『表情豊かになった碧花』ことノアだった。何らかの理由があって彼女も入院している筈なのに、ここまで元気だと、一体何を治療しているのか気になる。
「ようノア。元気か?」
「元気も元気ー! だからお兄ちゃん遊ぼー? つまらなくて退屈してたのー!」
ベッドから俺に向けて懸命に手を伸ばしてくるノアが可愛らしくて、俺もついつい接近してしまった。次の瞬間、幼女とは思えない力で俺はベッドに引っ張り込まれ、抱き付かれた。
「お兄ちゃん遊んでくれるからだーい好き! ね、ね。何して遊ぶ!」
「いや、ノア。ちょっと待ってくれないか。遊ぶのは良いんだけどさ。俺、奈々に用があって」
「奈々お姉ちゃんに?」
「そう。後でいっくらでも遊んでやるからさ。今は離してくれないか?」
何故か、ノアは困った様に眉を歪めた。
「んーでもね。奈々お姉ちゃん、今ちょっと元気が無いの」
「え? 何処か具合でも悪いのか?」
「分かんない。私には教えてくれないのー」
記憶喪失以外に何か怪我があった様には思えなかったが。同じ病室の住人である彼女がそう言うのだから、嘘である可能性もない。ツーショットよりも、今は無性にそれが気になった。俺はノアから距離を取ると、奈々のベッドまで移動し、それとなく中を覗き込んだ。
そこには両手で頭を抱えながら、何かをぶつぶつと呟き続けている奈々の姿があった。
あまりにも小声で呟いているものだから、俺の距離では何を言っているのか分からない。だが、限界まで俯き、苦悩するかの様にそれを繰り返し続ける奈々の様子は、どう考えても普通とは言い難かった。
俺の事には気付いていない様なので、それとなく声を掛けて、存在を認知させる。
「………奈々?」
俺の声に反応して奈々は顔を上げたが、彼女の双眸は恐怖に支配されており、敵意の無い俺を見据えようとも、何かを恐れていた。怖い夢を見た、とかそんな生易しい物では無さそうだ。例えるなら、そう。トラウマになったものが再び目の前に現れたとか、そんな感じ。しかしトラウマも何も、奈々は記憶喪失の筈なので、この例えは正しくな―――
「…………くびっち」
「―――え?」
二度と聞く事は無いと思っていたその呼び名に俺が困惑すると同時に、奈々は涙を目に浮かべながら、怯える様に口元を歪めた。
「私…………記憶、思い出しちゃったよ、くびっち」
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