手放された真相

「……なん、だって?」

 奈々の記憶が戻った。それは即ち、彼女は碧花や萌、由利を除き、初めて『首狩り族』の被害から無事に生還したのだ。しかも、厳密に言えば碧花は被害そのものに遭っていないし、萌や由利はクオン部長等の人物が特別守っていた事を踏まえると、誰の助けも無く生き延びたのは、彼女が初めてである。

 これの意味する所はそれだけではない。

 今の今まで推測しか出来なかった彼女が転落した原因。俺は怪奇現象に遭遇したからだと考えたが、実際はどうなのか。これでようやく判明する。

「マジで思い出したんだな?」

「うん…………何で、私が落下したかも。私の正体も」

「正体?」

 その言い方は妙だった。黒幕じゃあるまいし、高校生の正体なんてそれこそ見たまんまだと思うのだが。『首狩り族』と呼ばれる存在でさえ、その正体は只の彼女がいない高校生だ。

 まさかそんな事を言いたいが為に『正体』などという大袈裟な言い回しをしたとは思いたくない。話の内容と表情が一致しないのだ。それだけの事を語るのに、涙を浮かべる必要は何処にもない。記憶喪失前も後も、奈々はそこまで涙脆くなかった。

「―――教えてくれるか? お前に一体何が起こったのか」

 奈々は頭を振ってそれに応えた。

「………………え」

 まさかこの流れで『否定』されるとは思ってなかったので、俺の返答は暫しの間を挟んだ。

「な、何で教えてくれないんだ?」

 彼女は何も答えない。答えようとしない。それどころか、俺と目も合わせちゃくれない。その理由すら分からなかった。記憶喪失に口止めも糞も無いから、何かを庇っていたり、守っている可能性は考えにくいだろう。特にあの事件は、俺と碧花以外、まともに生還していない。

 奈々は口元を震わせながら、限界まで絞り出した様な弱弱しい声を出した。

「お願い…………今日は帰って」

「帰れって……何かしたか? 俺」

「……違うの。心の整理をしたいから。お願い、『狩也さん』」

 意識を失う寸前かと思ってしまう程に弱く、掠れている。しかしながらその拒絶の意思は、きっと彼女のどんな言葉よりも強かった。俺が幾ら粘った所で、絶対に彼女は話してくれないだろう。


 それは心の整理がついていないから、ではなく。彼女自身、戻った記憶に呑み込めない点があるから。


 少なくとも俺はそんな風に考えている。記憶が戻った事で、奈々の人格きおくは二つに分かれてしまったのだ。記憶というものはかけがえのないものだが、記憶を取り戻して間もない彼女にとっては、突然思い出せるようになった過去に過ぎない。

 それは同時に本来の人格の復活を意味しているが、記憶喪失後も新たに記憶を作り続けていたのだから、本人にとっては人格の復活というよりも、新たな人格が割り込んできたと言った方が的確だろう。

 だから答えたくない。自分でさえ理解出来ないものを他人にそう易々と話す奴は居ない。自分が理解出来なければ、そもそも他人が理解出来る様に伝える事さえ出来ないから。

「…………分かった」

 俺は奈々から距離を取ると、カーテンに手を掛けた。

「今日の所は帰るけど、いつか絶対。話してくれよな」

 カーテンを閉めた後も、彼女から返答は無かった。














 ツーショット写真なんぞあの雰囲気で撮れるものか。

 結局俺は、三十分ノアと手遊びをして帰った。その間も奈々から一切の返答及び反応は無かったので、遊んだとは言ったものの、それが心配で五割くらい上の空だったから、全く関係ないノアの気分まで悪くさせてしまった。

 一応、『今度一日中遊ぶ』と約束したらすぐに機嫌を直してくれたが―――まあそれ自体はどうでもいい。俺の一年に忙しい日なんて無いし。問題は、マギャク部長との件だ。

 どうしてこう、俺の不運とやらは、とことん俺に不都合にしか働かないのだ。奈々の記憶が戻った件については喜ばしい事であると理解しつつも、そのせいで写真が撮れなかった。お蔭でまだ二枚だけ。誰がどう考えたって勝負に勝てる見込みは無い。

「何でこうなるんだよ…………」

 神様は余程俺に勝たせたくない様だ。だが俺は勝たなきゃならない。どんなに弱くても、天秤に掛けられているのが好きな女の子ならば、死神でも幽霊でも怪異でも悪魔でも。総理大臣でも大統領でも一国そのものでも。勝たなきゃならない。

 勝負の土俵に立つ権利は誰にだってある。勝つ負けるの問題じゃない。挑む事を端から諦めていたら、何も得る事なんて出来ないのだ。未来も、幸運も……好きな人の寵愛も。

「あー! ナンパするしかねえのかなあ! なあ!」

 そんな独り言を大声で呟いているから、俺の周りから人は居なくなるのだろう。傍目から見れば、完全に危ない人でしかない。でも嘆かずにはいられない。

 陰気な俺がナンパしようとすれば、それはナンパではなく誘拐の下見か、新手のストーカーか。そのどちらかとしか受け取られまい。そもそもナンパという行為は、もっとこう明るくて、コミュニケーション能力が高くて、初見で『一緒に居て楽しい』と思わせる様な男でなくては、到底成功させられないもの。


 では聞くが、俺に何がある?


 明るくはない。友達も大して居ない。初見で『ヤバい』とは思わせても、『楽しい』とは思わせる事は出来ない。一言で言うと、ナンパに必要な要素が一つたりとも満たされていない。つまりナンパなぞしても、成功率は皆無という訳だ。

 だがちょっと待って欲しい。俺だって男だ。幾ら何でも一つ前の発言を矛盾させる様な真似はしない。

 そうだ、出来るか出来ないかは二の次でいい。挑む事を端から諦めていては得るものも得られない。さっき俺はそう格好つけたではないか。ならばせめて、最後まで格好つけさせてもらおう。見栄を上手に着こなせる様になれば、俺はまた『男』として一歩成長出来る筈だ。

 あまりの不運から遂にナンパという最終手段を取る事を決めた俺は、早速辺りを見回した。当然今は誰も居ないが、商店街の辺りに行けば、誰かしら居るだろう。居てくれないと困る。居てくれなきゃ見栄を張った意味が無くなる。

 意を決して、俺は商店街へと歩き出した。その足取りは買い物へ向かわんとするものよりも軽く、素早く。一体誰が、この男を見てこれからナンパしようとしている事を見抜けるだろうか。セール品でも買いに来たのだろうと、多くの人が思う筈だ。

 だが事実は違う。首藤狩也という高校生は生意気にもナンパをしようとしている。セール品にはなり得ぬ女の子の心を、度胸と覚悟で買おうとしているのだ。実際に買えるのかはさておき、ここまでの覚悟を一身に背負った男を、誰が馬鹿に出来ようか。

 これらは全て好きな人を守る為に行う、男として当然の行為である。


 後ほら、苦手な事に挑戦しようとする姿勢ってかっこいいじゃん? 


 首藤狩也は俗物の極みであった。

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