悪に憑りつかれた少女



 人が多い場所に行けばナンパ自体は挑戦出来るが、それはそれとして、人が多いからこその欠点だってある。さっきも言った通り、ナンパには明るい事と、コミュニケーション能力が高い事が求められる。


 それは言い換えれば、『物怖じ』しない事が必要という事実を指し示しており、要は大衆の面前でナンパを仕掛けても恥ずかしくないのだと、心の底から思える力が必要になる。だからと言って挑む事を諦めるつもりは無いのだが、挑もうが挑むまいが、俺にそんな力は無い。ナンパ自体は喋る事さえ出来れば誰でも実践できるが、実践するにおいて物怖じするしないは、成功率の有無にも関わってくる。



 ―――だからって人が居ない所でやる訳にもいかねえよなあ。



 誰も居ない所で女の子に声を掛けるのはナンパとは言わない。もっといかがわしい何かになる。


 しかし、今躊躇している様に、人が多い所でやるには、必要な能力が足りない。このジレンマを俺は一体どうしたものか。行ってからでは遅いが、何故商店街に来た。ここまで人が賑わっていると、一度飛び交った情報はそうそう消せるものではない。ネットタトゥーみたいなものだ。あれよりも悪質ではないが、一度でも首藤狩也はナンパ師という噂が広まれば、その被害は甚大だ。


 今後一切彼女が出来ない処か、『首狩り族』以前にナンパ師への嫌悪感で誰も会話してくれなくなる。萌や由利でさえ、掌を返してくるかもしれない。それも怖かった。碧花は流石に会話してくれるだろうが、その場合彼女になってくれそうなのが碧花だけという事になる。そうなれば、ハッキリ言って詰みだ。


 彼女に告白して成功する確率なんて万に一つもない。俺の老後は寂しいものになるだろう。




 これ以上文句を言っても仕方ない。来てしまった以上は、ナンパ対象を見つけなければ。




 俺の立っている位置から見える限りでは、主婦、高校生、大学生が見える。高校生はさっきの二人で失敗した件もあって挑戦したくない。大学生は見るからに陽キャの雰囲気を漂わせていて近寄りがたい。主婦に近づく馬鹿が何処に居る。


 それ程乗り気でない事も背中を押して、出るわ、出るわ。貧弱な語彙を通しても尚、底を尽きない文句の数々。足がどうしても動く気にならない。まだ何もしていないが、商店街に来てまで棒立ちを貫く俺は、この時点で少し目立っていた。


 この現状が続けば一層ナンパがやり辛くなる事は分かり切っていたので、俺は体内に自己暗示をかけて、ようやくロボットみたいに歩き出せた。



 俺の不運が幾人を殺そうとも、日常は変わらず歩き続ける。 



 結局、人類というものは六〇億だか七〇億だか居る。この国に絞っても一億人以上居るから、その内の何十人かが死んだ所で、世界に影響はない。まるで何事も無かった様に進み続ける。何事かあったとしても、それは些事なのだ。


 その滑稽さたるや、他の追随を許さない。人の命は尊いという価値観を共有しておきながら、実際には尊いと言える程の影響を与えないなんて。俺が何よりも愛する『日常』という概念は、それ程にまで強固、それ程にまで貴い。人が死んでも世界にさしたる影響はないが、日常が失われれば世界には大きな影響が訪れる。



 ―――などと現実逃避してみたが、哲学的な事を考える余裕なんて俺には無い。



 そこまで精神に余裕があるならナンパなんて悩むまでもなく成功している。大人しく現実に意識を戻すとして、未だに俺が話しかけられそうな人物に当たらない。当たるとすれば別行動中の碧花だろうか。しかし彼女と当たっても、もう写真は撮ってしまっている。意味がない。


 やめようと言いつつ、やはり現実逃避を続けていると、学生服を着た少女が目に入った。


 背丈と顔立ちから判断するに、年は一四歳くらいだろうか。ブレザーの方はきちんと着こなしているが、スカートの丈が短すぎる。多くの学校では膝丈に規定されていると思うが、少女のスカートは絶対領域寸前の所まで持ち上がっている。まだ年が幼い事もあり、その太腿は見るからにすべすべしている。


 俺も含めその少女に視線を取られる者は少なくなかったが、そんな現状を意にも介さず、少女は携帯をつまらなそうに眺めている。単に携帯を見る事に集中しているだけとも取れるが、同級生と思わしき人が話しかけても無視するのは、流石にどうかしている。碧花でさえ、そんな非道な事はしない。


 異様とも言える反応を見せる少女に、何を思ったか俺はナンパしてみようと考えた。あの少女を対象に選んだ時点で、ひょっとすると俺には成功させる気など無かったのかもしれない。当然のように失敗して、それでも『頑張った』という事実が欲しかったのかもしれない。


 中々覚悟を決められない様な奴程、一旦覚悟を決めると最早止まらない。俺の足取りは、確かだった。


 今度は、滑ったりしない。


「……あの、すみません。今、お暇だったりしますか?」


 相手が見るからに年下であっても、敬語を忘れてはいけない。さっきの二人で失敗したのは、それも原因だろう。誰に声を掛けられても反応しなかった少女は、俺に声を掛けられるや、携帯を閉じた。


「……暇ですけど」


「あ、それなら良かった! ああいえ、あの、怪しいもんじゃないんですよ? ただ、それなら少しだけお時間を頂けないでしょうか。実は頼みたい事があって」


「初対面の人間に頼み事、ですか?」


「まあ、はい。事情は恥ずかしいので話せないんですけど。協力、してくれますか?」


 警戒心。


 殺意。


 いや、違う。では何だ? 俺の事を怖がっている訳では無さそうだが、只の他人を見ている様には思えない。怪訝そうに少女の瞳を覗き込んでいると、少女は不意にニコッと笑った。


「いいですよ」


「……え? いいの?」


「はい。何を協力すれば良いんですか?」


 想像の何倍もあっさりと快諾してくれた事を、俺は不審に思った。現代っ子にしては警戒心が無さ過ぎる。主人公に対して圧倒的に都合が良い世界観のエロ本じゃあるまいし、ここまで無警戒だと、むしろ俺が警戒してしまう。まるで恩に報いる為とお礼を用意したら、『お礼などいらない』と言われた気分だ。完全なる善意だったとしても、やはり裏を探ってしまう。


「……あ。えっと。ツーショット写真を撮って欲しくて」


「私とですか?」


「あ、うん……じゃない、はい。良いですかね?」


「勿論。それじゃあ何処で撮りましょうか」


「いや、ここでも良いんだけど……良いんですけど!」


 慣れない。部活動を経験していないからだろうか。人を敬えない訳ではないのに、敬語が使えない。使いこなせない。今は良いが、後々社会人になって響きそうである。


 俺は少女の隣に並んで、携帯のカメラを内側に切り替えた。


「はい、チーズ!」
















 綺麗に撮れた。実は幽霊だったらどうしようか、とか思わないでも無かったが、オミカドサマとの戦いはもう終わったのだ。非日常は、もう二度と訪れない。オカルト部に毒され過ぎである。


 にしても、これでようやく三枚。前途多難も甚だしい。


「有難う」


「いえ、これくらい何でもないですから」


 結局、少女に覚えた違和感の正体を知る事は出来なかったが、君子危うきに近寄らずんば虎児を得ず―――あれ、何か混ざった。無知を晒しそうなのでこの話は無かった事にするとして―――正体を知る事は出来なかったが、写真は撮れたのだから、細かい事を気にしてはいけない。


「何かお礼したいんだけど、欲しいものとかありますか?」


「え、お礼ですか? うーん……見せてもらいたいものなら、ありますけど」


 少女は妖艶な笑みを浮かべて、俺を見上げた。




「人を殺す所、見せてください♪」




 ……………え?


「な、何を……言ってるんだ?」


「私、貴方の事知ってます。『首狩り族』さんですよね?」


 天奈の友達、という訳では無さそうだ。そもそも制服が違うし。しかしそれならば、俺の事を知っているのは何故なのか。


「……どうやって、俺の事を」


「ええーだって有名じゃないですか。完全犯罪を行う天才だって、有名ですよ?」


「何処でだよ。しかも話に尾ひれがつきすぎてる。俺が手を下してる訳じゃない」


 俺を殺人鬼扱いしてきた奴にはもう一人心当たりがある。が、彼は結局の所碧花を崇拝していたし(しかも全くの妄想を根拠に)、真の意味で俺を殺人鬼扱いしているとは言い難かった。


 だがこの少女の瞳には好奇心の焔が爛々と輝いている。あのクソ記者とは訳が違っていた。


 例によって、無実である事を告げても信じてくれないらしい(野海はわざとだったが)。


「またまた~。あ……済みません、配慮が足りませんでしたね! こんな所でこういう話、出来ませんよね?」


「いや、だから―――」


「良かったら私の家に来ませんか? あ、勿論準備が必要だったら手伝いますよ! 私の親でも、友人でも、何なら私自身でも! 殺害対象なら幾らでも用意しますから!」


 やばいやばいやばい。


 これが俗に言う地雷系女子か。それも俺が踏んだのは超特大級の地雷だ。人生を過ごす上で、絶対に踏んじゃいけないタイプの地雷だ。爆発物処理班を総動員しても、この地雷はどうする事も出来ない。


「お、俺急いでるから!」 


 こっちから声を掛けておいて何だが、あまりにも目の前の少女が理解しがたくて、俺は逃げ出した。今の今までまともに生きてきたが、俺の『首狩り族』を煙たがったり忌避したりする奴は居れど、慕ってくる奴とは出会った事がない。


 怖かった。その精神性が、あまりにも歪んでいて。



―――ヤバい奴に目を付けられたかもしれないな。



 こういう予感は、嫌な時に限って国政を任せられるレベルで的中する。 

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