一時の不穏と引き換えに



 女の子と会話していて命の危機を感じるなんていつ以来だろうか。オミカドサマを女の子とするならそれ以来だが、ああいうのは女とか男とか、そういう単純な分け方をしてはいけない気がする。なので除外するが―――碧花がマジギレした時以来か。しかし危機の種類が違う。


 碧花がキレた時は『怒らせてはいけない奴を怒らせた』類の危機だが、あの少女は『関わっちゃいけない奴に関わった』類の危機である。よく分からないかもしれないが…………ああいや、良く分からない方が都合が良いかもしれない。普通、理解しちゃいけない気持ちだ。


 それでも敢えて言わせてもらうならば、これは別の意味での非日常だ。俺達の一切の常識が通用しない怪異と同じで、あの少女には俺達の一切の常識が通用しない。常識で図れる精神性ではない。


 最初から最後まで分かり合えない事が明らかな怪異は、まだいい。いや、死ぬ可能性なども考えると全く良くは無いのだが、この場合の良し悪しは『性質が悪い』か否かである。そういう意味ならば、あの少女の方が悪い。なまじ同じ人間だから、しかも年が近いから、理解し合えるかもと思えてしまうから。


「あー……怖かった」


 心拍が上がり切ったまま、下がらない。日常に戻ったと思ったらこれか。どっちが現実か架空かなんてのは、どちらにも行った事のある者でない限り、判別のしようがないが、どっちにも行った事があったとしても、結局分からないではないか。


 まあこれは、日常と非日常の話だが。


―――俺は悪のカリスマか何かじゃねえぞ。


 中学生くらいの女の子に本気で恐怖するとか、初めての体験だ。お化け屋敷よりも遥かに怖かった。九穏副部長に殺されかけた時よりも、遥かに怖かった。人に殺されかけるよりも恐怖するなんて俺も異常な感性を持ってしまった様だが、それもこれも『首狩り族』のせいだ。


 つまり俺のせいじゃねえか!


 一般人を名乗るには、あまりにも死体を見た数が多すぎる。今の俺を見てみろ。最初死体を見た時なんかゲロ吐いたり気絶したり失禁したり―――テレビだったら問答無用で放送事故に指定されるレベルで驚愕していたというのに、慣れてしまった。慣れたくもないものを、見慣れてしまった。


 ―――帰ろ。


 後五人くらいと写真を撮るまでやめるつもりは無かったが、あの少女が怖いので大人しく帰る事にする。あっちは俺の事を知っている様だが、流石に家まで知っていたら個人情報が漏洩しているとしか思えない。流石に先回りはされていないだろう。


 ―――されてないよな?


 されていたら……俺も碧花の家に泊まるとしよう。天奈も居るし、寂しくはない……



 あ。



「天奈ッ!」


 忘れていた訳ではないが、いい加減引き取らないと遠くない内に文句を言われてしまう。あれ以降野海は姿を現していないし、そろそろ頃合いだろう。彼女もそろそろ家が恋しくて仕方ない筈だ。あの少女とまた遭遇する事が恐ろしくて仕方ないが、あの少女が俺の家さえ知らなければ、先回りなんてしてこない。大丈夫だ。


 段々落ち着いてきた。落ち着き過ぎて、どうして俺はあんな少女なんぞに怯えていたのかと考える様になっていた。数秒前の自分すら、落ち着いた俺にとっては他人に思えてならなかった。でも、だからって踵を返したりはしない。もう一度あれに触れたら、俺はもう戻れない気がする。


 人間として大切な何かを、喪ってしまう気がする。


 振り返る事なく俺は電話を掛けながら、歩き出した。例によって、コールしてから応答までの時間が異常に短い。


「はい、もしもし」


「あ、碧花か? 実はそろそろ天奈を引き取ろうと思ってるんだけど、お前今何処に居る?」


「外である事だけは言っておくよ。でも、鍵は渡してるだろう? 勝手に入ってくれて構わないよ」


「…………一応聞いておくけどさ」


「ん?」


「天奈。そっちに迷惑かけたりなんかしなかったか? 失礼を働いたとか」


「いやあ、良い妹さんだったよ。いつも君の事を心配していた様だし、血の繋がりさえ無ければ君も惚れていたんじゃないかな?」


「血の繋がりが無いなら、俺と関わろうなんて思ってくれないだろ。お前じゃないんだから」


「ふむ。珍しく私の事を馬鹿にしていたりするのかい?」


「感謝してるんだよ。俺みたいな奴と『友達』になってくれて有難う、碧花。お前のお陰で、毎日が楽しいよ」


 暫しの間が挟まれる。碧花の声はおろか、環境音すら聞こえない。マイクを切ったか。


「……一つ訂正してくれ。みたいな、じゃない。君だからこそ『トモダチ』になった」


 電話口越しだからあちらには分からないだろうが、俺はその流れから以前の屋上でのやり取りを思い出し、にやりと笑った。


「意趣返しのつもりか?」


「さあね。まあともかく、勝手に入ってくれ。私はクリスマス会の準備で忙しくてね。君に対応している暇が無いんだ。ごめんね」


「いやいいよ。その代わりと言っちゃあれだけどさ。クリスマス会、マジで楽しみにしてるから」


「そう。なら期待に応えないとね。じゃ」


「おう!」


 通話を止めて、俺は意気揚々と彼女の家へと向かった。勝手に上がって良いとの事だったので早く用事を済ませよう。二人が二人共それぞれの目的で外出しているとは考えにくいので、天奈はお留守番している筈だ。


 お兄ちゃんのアポなし訪問で驚かすのも、一興だろう。

















 



 碧花の家に着く頃には、先程の少女の事などすっかり忘れて、俺はスーパーお兄ちゃんモードに入っていた。



 説明しよう、スーパーお兄ちゃんモードとは!



 天奈が居なくなった事で、俺は長い事お兄ちゃんとしての側面を誰かに見せる事は無かった。スーパーお兄ちゃんモードとは、お兄ちゃんになりたくて仕方ない一種の禁断症状であった。実を言えばこの症状、大分前から発症していたのだが、碧花は同級生、萌や由利はそんな事をしている場合で無かったりと、かなりの期間潜伏していたせいで、いよいよその症状は末期に突入しようとしていた。



 ―――合鍵が無かったらどうなっていた事か。



 きっと碧花に妹プレイを強要していただろう。危ない所だった。本当に妹の天奈が居てくれなければ俺は……今更ながら、気持ち悪いと自分でも思い始めたので自重する。一度暴走を心の中に抑え込むと、慎重な手付きで俺は合鍵を挿し、回した。


 玄関を跨ぐや、開口一番大声で叫ぶ。






「天奈~! お兄ちゃんが迎えに来たぞ!」



 




 正直に言おう。妹とは短期間離れたに過ぎないが、もう接し方を忘れている。今の今まで兄妹として健全で当然の付き合いをしてきた筈なのに、果たして俺は自分の事を『お兄ちゃん』と自称したのかしていないのか。それすら分からなくなっていた。分からないまま、妹を呼んでいた。


 一目でいい。妹の無事を、この目で確認したかったのだ。それは同時に、碧花の無罪の証明となる。信じていない訳では無かったが、心の端に引っかかっていた不信感を、彼女が生きていれば取り払う事が出来る。最早その証明方法は願いと言っても良い。


 碧花も天奈も、日常の存在であって欲しいという、心からの願いだと。


「…………天奈?」


 おい。


 おいおいおいおい。


 まさか。


 あり得ない。


 嘘では無かったのか?


 だとしても、おかしい。野海の発言を真実とするなら、碧花は証拠を残さない。家の中で殺したら、幾ら何でも証拠が残る。それを消すなんて、そんな非現実的な事が怪異でも無い彼女に出来る訳が無い。


「天奈!」


 俺は廊下を走り、猛スピードで階段を上った。多分、碧花の部屋に居る。リビングに居るなら間違いなく反応する筈だから。


「天奈!」


 勢いに任せて扉を開けると、突如とした爆音が俺を迎撃した。鼓膜を容易く破ってきそうな音の爆弾に、俺の身体は反射的に反転。しかし勢いづいた体がその程度で止まる事はなく、心と肉体の行動が分離した結果、俺はその場で滑り尻餅をついた。


「…………あ」


 俺を迎撃してきた者は、気が動転して呆然としている俺を見て、驚いた様に駆け寄ってきた。


「お兄ちゃんッ!?」


 俺の事を兄と呼ぶその少女の名前は首藤天奈。俺の大切な妹であり、ついさっきまで死体として再会するかもしれないと思われていた存在。


 俺を迎撃した音の爆弾の正体はクラッカーであり、彼女の両耳には、耳栓が突っ込まれていた。





「…………ああ」





 声に反応しなかった訳を知り、俺は安堵の溜息を吐いた。



  

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