七不思議との遭遇


 そこには信じられない光景が広がっていた。いや、現在進行形で広がっているというべきか。言いたい事は色々あるが、取り敢えず。

 藤浪が萌を押し倒していた。俺が後もう一歩入るのが遅れていたら、あの青年は萌の唇を奪っていただろう。それはそれで合意なら良いのだが、とても合意でしている様には見えない。

 萌の顔を懐中電灯で照らしてみると、その異変により明確に気付ける。目を瞑っている。しかし眠っている様には見えない。こんな時に眠っていられたら大した根性だが、全ては彼の持っているスタンガンと、注射器が物語っていた。

「何やってんだ……お前」

「あ…………え、えっと」

 俗に陰キャと呼ばれる人間はたとえ敵視している人間と言えど面と向かって話そうとすると言葉に詰まるらしい。馬鹿にするつもりはないが、今は都合が良かった。俺はバッグから新聞紙を取り出し、理科室の机を借りてそれを小さく丸め始める。そうして最後まで丸め切って、丁度子供の頃によくやったチャンバラ刀を作った後、真ん中から折り畳み、両端を逆手で握り込む。これで即席の武器は完成だ。たかが紙と甘く見る事なかれ、これでもかなり痛い。本当は先端を水で重くすればより威力が出るのだが、流石にそこまでの余裕はない。

 俺はポケットにそれを突っ込んで、もう一度問う。

「藤浪。お前、何やってんだよ」

「さ、さっきのは何だよ!」

 これでは話が進まないので、俺は無視して話を発展させる。

「萌の意識が無いみたいだけど……お前がやったのか?」

「そ、そんな訳……無いだろ! 七不思議がッ」

「じゃあその手に持ってる物は何だよ」

 もしかしたら、クオン部長が言いたかったのはこういう事なのかもしれない。藤浪の危険な好意を何となく感じていたから、彼は自分に頼んできたのだ。即ち―――


『萌を藤浪から守ってくれ』


 どうして自分でやらないのかは分からない。だが、俺は部長に頼まれたのだ。俺と部長に面識はなく、決して仲が良い訳ではないが、女子を守れと俺に言ったのだ。男は女性を

 俺が一歩踏み出すと、藤浪がスタンガンを突き出してきた。

「う、動くな!」

 恐ろしくはない。俺は心霊の類は恐ろしくて仕方ないが、人間ならばこの後輩よりも恐ろしい存在を知っている。本気でキレた彼女はこの何百倍も怖い。そんな彼女が常備しているスタンガンに、今更恐れを抱いたりするものか。

 喧嘩の経験はない。俺は漫画の主人公ではないので、ここで殴り合った所で負けるのは必至。普通に戦えばスタンガンが体に当たってゲームセットだろう。だが、俺の目的は飽くまで意識喪失中の萌を救う事であり、この後輩をボコボコにしようとは一ミリも思っていない。

 校舎に入るならば制服で無ければ、という謎の癖が幸いした。俺は直ぐにワイシャツを脱ぎ、片袖の方を手に持った。大して美しくもない俺の腹筋を見て、藤浪は確かに、少し油断した。

「せやあ!」

 俺はワイシャツを藤浪の顔に投げつけて、その側頭部目掛けて渾身の力で武器を振り下ろした。新聞紙を折って畳んだだけの武器だが、その威力は馬鹿にはならない。痛かったかどうかは定かじゃないが、ワイシャツで視界を遮られた藤浪はよろめき、理科室の机に身体をぶつけた。

 今しかない。

「萌!」

 抱き起こし、呼びかけてみる。返事はない。やはり眠っているのではなく気を失っている様だ。藤浪の視界が回復しない内に、俺はひょいと萌を持ち上げて、理科室を飛び出した。本来、俺は女性一人もまともに持ち上げられないくらい筋力に乏しいが、この時ばかりはとても容易く持ち上げる事が出来た。


 さあ何処へ行く。俺と萌二人の体重が合わさったお蔭で足音は盛大な事になっている。階段を上れば気付かれるし、上らなくても上っていない事に気付かれる。ならばどこが安全か―――いや。

 考えている暇はない。どうして藤浪が萌を襲っていたかも、どうしてこんな事になっているかも、何が最善かも考えてはいけない。今は何処へ逃げるかだ。

 一先ず距離を稼ぐ為、俺は階段を駆け上がる。そろそろ視界が回復していてもおかしくはない。さあどうする。扉を開けば音でバレるが―――


―――ん?


 何故か、開いている教室があった。美術室だ。我妻達が開けたのだろうか、それとも未だ姿の見えぬ部長が……可能性は低いが、もしかするとまだ中にいるかもしれない。ここは七不思議の一つ『モッコウ男』の出る場所だ。誰かが入ってきてもおかしくはない。しかも、ここで扉を閉めておけば、藤浪は扉が開いたと思い込んで、開いている場所を探しに行くだろう。俺は足で乱暴に扉を閉めて、美術室の画板が纏められている場所の裏側に隠れた。




 ………………足音が近づき、そして遠ざかっていく。




 危ない所だった。俺は安堵するとともに、遅まきながら萌の重さに気が付いて、彼女を下ろした。

「萌……?」

 意識は相変わらず戻らない。まさかと思い脈を確かめるが―――生きている。まだ、大丈夫だ。あの注射器から猛毒が注入されていたらと思うとゾッとする。恐らくは、睡眠薬に近い何かだとは思うが。薬には詳しくないので、これ以上の情報は得られない。

「萌ッ、萌ッ!」

 揺さぶってはみるがやはり反応は無い。これはもう、奈々と同様に、永久に意識が戻らないと思った方が良いのだろうか。刺激のつもりで彼女の腕に水を垂らすも、事態は好転しなかった。どう対処すればよいか分からなくなった俺は、携帯を開き、碧花にトークの方で相談を持ち掛ける。


『意識が戻らない奴が居たら、どうすればいいんだ?』


 直ぐに返信が来たが、その返信は『救急車を呼べばいいじゃないか』という至極真っ当なモノだった。まあ当然か。この手の症状は素人がどうこう出来るものではない。彼女は正しい事を言っている。

 だが、今は他の皆の無事も確かめなければ。このまま美術室に放置するのは幾ら何でも愚策と思える。病人……と扱って良いのか分からないが、取り敢えず彼女を保健室に連れて行かなければ。保健室は『サオリさん』が出てくる可能性はあるが、その時はその時だ。大丈夫、対処法はちゃんと聞いている―――



 俺が再び萌を持ち上げようとしたその瞬間。美術準備室の方から、耳を劈く轟音が壁を通り越して伝わってきた。

 これは―――ドリルだろうか。一枚の壁を隔ててもここまで聞こえるのだ。これでは、何処かへ行ってしまった足音も、戻ってきてしまう。

 果たして、俺の予想は現実のものとなった。暫くすると一度は遠ざかったあの足音が急接近。全力で扉が開かれ、スライド式の扉が壁に叩き付けられて跳ね返った。

「ここに居るんだなあっ!」

 ドリルの音が一瞬で止む。声は間違いなく藤浪のものだった。

「萌を返せ、僕の萌を……萌を返せ! 後少しなんだ、後少しで僕は萌を救ったヒーローになれるんだ! 何処だ……出てこい!」

 スタンガンの音が沈黙に微睡む。画板の後ろなんて誰でも思いつきそうな隠れ場所だが、頭に血が上り切っている彼に気付けというのは酷な話だ。それに、ドリルの音は隣……美術準備室から聞こえてきた。

 口の中から心臓が飛び出てしまうのではないかという緊迫感の中、聞いているだけで胸が苦しくなってくる妄想は続く。

「僕は萌と仲良くなりたくて……オカルト部に入ったんだ! 彼女と仲良くなる為に嘘ついて入ったんだ! 返せよ! 僕の萌をッ。『首狩り族』!」

 嘘を吐いて入ったとは、恐らくオカルト部入部条件の事だろう。毎年の事だが、オカルト部に入る際は『超常存在を確固たる証拠もなく否定してはならない』という条件……誓約の様なものがある。嘘を吐いて入ったとは、つまり『本当は幽霊などの非科学的存在を信じちゃいないが、女の子と仲良くなる為のダシにする為に入った』という訳だ。

「僕が怖いとでも思ってるのか? 七不思議が! あんなの嘘っぱちさ。部長も御影先輩も萌も可哀想な人間なんだよ。幽霊なんていない。僕は恐れないぞ! だからドリルの音で脅したって無駄だ。『モッコウ男』なんて居やしない! ……今からそれを証明してやる」

 七不思議の一つ。モッコウ男。そのモデルは随分前に自殺をした美術の先生らしい。その先生が特に好きだったものが木工細工だった事からその名がついており、噂の限りでは特定の手順を踏んでから美術室または美術準備室に行くと、工具を用いて殺されてしまうとか何とか。モッコウ男というくらいだから、鋸とか、ドリルとか。多分、その辺り。

 特定の手順とは、まず―――

「貴方の作品はバラバラに壊された。もうここにはない!」

 モッコウ男は趣味で自分でも細工品を作っていたらしい。それを壊したと発言する。次に―――

「俺は見たんだ、貴方のした事を」

 何をしたかは分からないが、それが手順らしい。最後に―――

「貴方と直接話したい」

 そう、言うだけ。ご丁寧にも、藤浪らしき人物はその手順を全て踏んだ。


 しかし、モッコウ男の現れる気配はない。こんな言い方はしたくないが、嘘っぱちだったのだ。少なくとも、モッコウ男の存在は。


 ならば話は早い。俺は画板の裏から少しだけ顔を出して、外の様子を窺った。すると、俺の双眸から不意に視界が失われ、暫しの間、光が全てを掌握する。


「見~いつけた!」


 光から視界を奪還した頃には、既に俺の目前にはスタンガンを手にした藤浪が立っていた。手には俺が萌を運ぶ際に落とした懐中電灯が握りしめられている。

 俺はそんな彼の方向を見つめながら、固まっていた。

「あ…………あ…………」

 俺の顔が恐怖に歪んだのを見て、藤浪は自分に自信を持ったみたいだが、生憎と俺は彼を見ている訳ではない。彼の方向を見てはいるが、正確に言うと、彼の後ろに立っている……


―――まさか、本当に?


 ここは教室の隅っこだ。逃げる事は出来ない。俺は萌の上に覆いかぶさって、少しでも彼女を守る事が出来たらと願う事しか出来なかった。その怪物からも、藤浪からも…………守れたらと。



「ん? 何だお前―――おい! 僕を何処へ連れて行くんだ! ……ひっ! 嫌だ、死にたくない! 助けてくれ! 何で僕が……僕は…………萌のヒーローなんだぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」



 俺が萌に覆いかぶさってから間もなくの事。限りなく俺達を追い詰めた藤浪の声が準備室まで遠ざかり、やがてぱったりと聞こえなくなった。

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