首狩り族は斧を振るう

 俺の聞いた発言がどれだけ意味の分からない事かを理解していただく為に例を用意した。皆さんご存知のトイレの花子さん。その所以とはトイレの中から花子さんと呼ばれる幽霊が出てくるからであり、トイレから出てこない花子さんは花子さんであって花子さんではない。只の花子さんだ。

 同じように、鏡の中から顔面の皮を剥がしに来ない……つまり、こっち側に来て、人を追い回す年彦君は年彦くんとは言えない。陽太の発言はあまりに滅茶苦茶で、俺の足りない頭が理解を及ぼすには発言から更に数十秒程経ってからだった。

「……えっと。その時の状況を教えてくれないか?」

「あ、はい……えっと、狩也先輩が出て行った後の話なんですけど―――」

 あの後、待機しているだけというのもオカルト部としては面子に関わる選択肢らしく、三人でもう一度『年彦君』に挑戦してみようという流れになったそうだ。萌も含めて今度は三人で、一階の男子トイレに足を踏み入れた。すると、今度はちゃんと現れたらしい。言葉の上では淡白な気持ちにしかならないが、本当に見てしまった時の衝撃は相当なものだったのだろう。

 状況としては、萌が鏡に映らない位置から水をかけて鏡を汚して、残った二人がぼやけた年彦君を撮影―――多分携帯だろう―――と、噂通りなら年彦君に『お前の顔を見せろ』と脅されても顔面の皮をはがされないのだが、そこから様子が違ったらしい。

「顔が見えない、顔が見えないって言い出して……そうしたら鏡が割れて! 中から年彦君がッ!」

 それからは泣き崩れてしまって言葉にならない。俺は一旦陽太を離して、その両肩に手を置いた。

「落ち着け。オカルト部が怖がってどうする!」

「だ、だって、襲ってきたんですよ! 先輩は……年彦君の顔を見てないからそう言えるんです!」

 それは一理ある。傍観者と当事者とでは感じているものが違う。傍観者の見るもの全ては他人事だが、当事者にとって全ては自分事。怖がりな筈の俺が一番落ち着いている様に見えるのは、恐らくその違いがあるからである。

 実際? 慌てている。クオン部長とは出会えないし、萌と藤浪とは逸れたし。我妻と御影は校門前以来目撃していない。

 だが傍観者にしても当事者にしても、ここで慌てて冷静さを失うのは違うと思う。単に俺がこの手の緊急事態に慣れてしまったのもあるが、慌てるだけ事態は最悪に導かれる。今は萌達を探すのが先決だ。

「お前だけここに居るって事は、年彦君はお前をターゲットにしなかったんだよな。二人が何処に行ったか分かるか?」

「分かる訳ないですよ! 必死に逃げてきたんですから!」

 それもそうか。後ろを見て走れる程の余裕があれば俺に泣きついたりはしない。おかしな事を聞いた。

 聞きたい事はもうない。俺が身を翻し、二人を捜索せんと廊下へ歩き出そうとすると、物凄い力で陽太に引っ張られた。その表情は、いや感情は見ずとも分かる。離れて欲しくないのだ。俺が碧花の部屋から出て行くのを躊躇った様に……あれは、俺が離れたくなかったので、厳密には違うのだが。

「じゃあお前も一緒に来るか?」

「違います。か、帰るんですよ! 部長にはもう言っておきましたし、誰も文句は言いませんッ。あ、そうだ一緒に帰りませんか? 二人だったら安全に……」

「…………悪い。それは出来ない。萌達に被害が出た原因が俺にあるかもしれない以上、俺は残る全員の安否を確認するまで帰りたくない」

 警察が役に立たないとは言わないまでも、誰が七不思議に殺されたなどという妄言を聞いてくれるのか。むしろ学校に不法侵入した俺達が疑われて、誤認だったとしても逮捕される可能性がある今、自分の安全を確保し、後は警察に丸投げという判断は得策とは言い難い。

 警察は『見える物』しか捕まえられないのだ。それと、警察が動けるのは法律の範囲内。七不思議が出現したのだとしたら、元々法律の外に居る『それ』に一体何が出来ようか。今ばかりは怖がっていられない。自分の尻は自分で拭かなければ。

「だけど、女子トイレは近いからな。帰るとしても止めはしないし、そこまでは付いていく。『首狩り族』故、安全は保障できないが……どうする?」

「…………行きます」

 一人が二人になった所で安心感しか得られない。俺は最善の動きをするべく、携帯に手を伸ばし、ある人物に電話を掛ける。七不思議によって妙な電波妨害がされていない限りは、彼女には繋がる筈―――



「……こんな時間帯に電話とは珍しいね、君」



 水鏡碧花。俺の数少ない友人であり、俺が最も信頼を置く人物は、数コールの内に出てくれた。

「碧花か?」

「君は私に電話をしてきたんだろう? 本人確認の必要があるのかい?」

「それもそうか。なあ碧花。年彦君が鏡から出たって話は聞いた事あるか?」

「ん? 妙な事を聞いてくるね。私はそんな話を寡聞にして知らないけど、そんな事を聞いてくるって事は、出て来てしまったんだね?」

「ああ…………それで、その。何にも関係ないお前に言うのもあれだけど……こっちに来れるか?」

 かなり無茶苦茶なお願いなので期待はしていない。案の定、碧花は「それは無理だね」と返してきた。

「今ちょっと手が離せないんだ。だから通話もこの後に切らせてもらうけど、そうなった状況をトークの方に残しておいてくれるかい?」

「分かった。済まなかったな。夜遅く」

「いいや、君の声が聞けて良かったよ……特に何もないみたいで。それじゃあね」

 通話が切れる。電波妨害が無くて何よりだが、これで頼みの綱が一つ千切れた事になる。やはり俺だけで何とかしなければいけないようだ。今まで碧花に頼ってきた手前、依存しがちになっていた事を自覚した。

 言う通り、トークの方に陽太から聞いた事をまんま乗せる。既読は直ぐには付かず、その内に俺達は女子トイレ―――もとい入り口に辿り着いた。年彦君の出るとされるトイレはこの隣であり、床には萌の物と思わしき携帯が転がっていた。通りで繋がらなかった訳だ。

 申し訳ないとは思いつつも拾い上げてポケットに。女子トイレの方を向くと、急かすまでもなく陽太は校舎の外に出て行こうとしていた。俺に見つかった瞬間、僅かに申し訳なさそうな顔になる。 

「それでは…………お先に」

「ああ。じゃあな」

 まずは一人。こんな言い方をするのは好きではないが、陽太が無事に生存し、帰還した。残りは五人である。

 男子トイレの方を覗いてみると、彼の発言通り鏡に何重もの罅が入っており、これでは確かに顔が見えない。しかし話では割ったのはあちらからなので、鏡を割る事が年彦君における禁忌という訳では無さそうだ。

「……すまん」

 手掛かりがないので、俺は萌の携帯を見る事にした。ロックが掛かっていたらいよいよ詰んでいたが、襲われて追い回されたという時点でその余裕は無いだろう。思った通り、ホーム画面が開きっぱなしになっていた。

 自動スリープはしないタイプらしい。電池が半分以下になっている。文句を言うつもりはない。今の状況であれば幸運な事だ。携帯は部長とのトーク画面が開きっぱなしになっており、そこには返事がない筈の部長から、一言だけ言葉が届いていた。



『理科室に行け』



 理科室……もしも萌が逃げる直前にこれを見ていたとしたら―――行っているかもしれない。彼女はあんな小柄でも度胸はある方だ。時にそれは無謀とも言うが、年彦君に追い掛け回されたとは言ったって、陽太の様に泣き出すとは思えない。

 行かないという選択肢は俺には無かった。他の可能性など考慮するに値しない。理科室に実際に居ればそれでよし、居なければそこから考えれば良い。振り出しに戻るだけで、何も変わらないのだから。

 理科室はこのトイレから真っ直ぐ行って、角の所にある。標的が藤浪に変わっていれば、彼女が居る可能性は十分にある。そうと決まれば一刻も早く向かわなければ。俺は理科室目掛けて走り出し、ノブの回りを確認する。

 開いていた。

「萌!」


    












 本当に帰路に着いてしまったが、少し後悔する。帰らなければ良かった。いや、嘘を吐かなければ良かった。彼から聞いていた人物像と全然違うではないか。自分はもっと極悪な存在を想像していたのに。

「藤浪……上手くやれよ」

 友人の頼みを断れないのは俺の悪い癖だ。個人的には粋な事をしたつもりだが、こんな行動が部長に知られたら、多分退部させられる。だが、俺に後悔は無かった。これで奥手な藤浪が幸せになれるのなら、部活動をやめたって後悔はない。

 俺の足取りは軽かった。後は彼が前を踏み出すだけである。














 「嘘吐きには、死を」


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