俺の可愛い妹に手を出すな
「それで、どうしてあんな事をやったんだ?」
俺は二人を正座させて、その目の前で腕を組んだ。香撫はともかく、那須川が素直に言う事を聞いてくれるとは思わなかった……というより、実際聞こうとはしなかった。自称喧嘩無敗の彼は俺から天奈を奪わんと飛びかかってきたが、この場には明らかに彼より強い男が居た。
そう、クオン部長である。
壮一を苦も無く捻った事のある部長を相手に、自称喧嘩無敗の陰キャラが勝てる訳もない。素人目に見ても、クオン部長と彼とでは体の作り方というか、筋肉の量が違う。プールの時に見たあの筋肉が、那須川には無かった。
喧嘩無敗などという言葉が虚勢なのは(天奈に良く見せたかったのだろうか。よく分からない)最初から分かっていたが、こうも二人の差を見ると、陰キャがイキる事は許されないのだなと思う。彼がどれだけ最速の拳を振り抜こうとも、キッチンナイフを使っても、部長は赤子の手を捻る様に制圧してしまい、終わらせてしまった。部屋が荒れる事も怪我人が出る事も無かったのは、彼があまりにも呆気なく制圧してくれたからである。
それは言い換えれば那須川にも傷一つないという事だが、彼は一度ナイフを自分に突き付けられたら、闘志を喪失してしまったので、心配ない。クオン部長は傍に居るし、暴走の原因になりかねない天奈は、碧花に引き渡した。今は二階で萌と御影を入れて女子会染みた事をやっている筈だ。天奈も含めて部外者はとことん関係ない事件なので、そうしてもらっている。
所で全く関係ないのだが、壮一を最近見掛けない。何処に行ってしまったのだろうか。
「だから、練習だって言ったじゃないですか!」
「練習? 天奈は嫌がってたぞ」
「だからそれは―――天奈ちゃんが初心だからですよ!」
「初心だから嫌がってた、ってのは、あんな事をした理由になってないじゃないか。ちゃんと言え。どうしてあんな事をしたんだ。那須川幸慈」
割と今の俺は怒っている。それ程面識のない相手を呼び捨てにする程度には、確実に。虫くらいしか殺せない俺が起こってもさほど怖くはないだろうが、これはそういう問題じゃない。俺の可愛い妹に手を出した事が問題なのである。
改めて言わせてもらおう。首藤狩也は『首狩り族』かもしれないが、首藤天奈は何の変哲も無い一般人だ。怪異に関わる事も無ければ、本来、このような不幸に見舞われる事すらあってはならない。彼女が不幸になるなんて、俺が許さない。彼女を不幸にするくらいなら、俺を不幸にしてくれた方がずっといい。俺と違い、彼女は不幸に慣れていないのだから。
「スティックゲームの……練習だよ」
「練習を禁止した覚えは確かに無いが、相方が嫌がってるならやめるべきだ。自分がされて嫌な事は人にもしてはいけないって教わらなかったか? お前のやってる事はキスのレイプバージョンだぞ」
「お兄さん! お兄さんだって一度くらいありませんでしたか? 好きな子にキスしたいっていうの。でも幸慈君みたいな内気な人は、そういう欲求があっても行動できないじゃないですか。だから私が手伝ってあげたんです!」
香撫はさも自分が善行を働いたかのように胸を張って言った。あれの何処が善行だ、人に迷惑のかかる善行はおせっかいというのだ。
後全く関係ないが、俺は『その』キスを邪魔されている。せっかく覚悟を決めたのに、彼女達のせいで全て台無しではないか。これで怒るつもりは全くないが、この事件が解決しても、俺の心にあるもやもやは全く晴れなさそうである。
「狩也君。一応助言しておくと、この二人反省する気は無さそうだぞ」
知っている。那須川は態度が最悪。香撫は善行をしたと思っているので反省も糞もない。こんな状態で反省を求めるのは阿呆のする事である。これ以上理由を問い質しても恐らく進展はないだろうし、早い所パーティを再開したいので、俺は躊躇なく結論の時間に踏み切る。
「……えーと、これ以上パーティを中断しても良い事は無いからな。単刀直入に聞く。お前達、反省しているか?」
「は? アンタはどんな立場からそんな事言ってんだよ! 俺と天奈がキスするのは、俺の勝手だろ! アイツとキス出来ないなら、俺はこんなパーティ抜けてもいいんだからな!」
「じゃあ抜けてくれ。アイツの泣くパーティに意味なんてない。さっさと帰ってくれ」
あっさりと俺がそう言うもんだから、二人の言葉に、一瞬の空白が生まれた。別に凄い事はしていない。名言も言ったつもりはない。『嫌なら帰ってくれ』と言っているだけだ。何も、空白が生まれる余地なんて無いだろう。
「お兄さんッ。幸慈君はこのパーティに参加してあげたんですよ? ちょっとおかしくないですか?」
「おかしいのはお前達だ。妹泣かせてお客様気分か? 丁重に扱ってほしかったら相応の態度を示してくれよ」
俺は当初、部長を頭のおかしな人物だと思っていたが、それは撤回する事になった。悪気はないのだろうが、この二人に比べたらクオン部長はずっと良識的である。オカルトが絡むと豹変するとは言っても、ここまで『人の話聞かず』を前面に押し出している事は無かった。この二人、どうかしている。何でまだお客様で居られるんだか。
「ともかく帰ってくれ。それと一階越しでいいから、天奈に謝れ」
俺の一言で完全に血が上ってしまった様だ。那須川は勢いよく立ち上がると、「頼まれたってこんな家に来ないからな!」と言って出て行ってしまった。帰り際に壁を蹴ってくれたせいで傷ついてしまったではないか。これって、損害賠償とか取れるのだろうか。
一先ずそれは置いといて、残った香撫の方を見遣る。彼女にすれば善行をしたにも拘らず咎められている状況なので、良い思いはしていないであろう。
「私も帰りますから!」
彼女くらいは悪ノリという事で許すのも構わないかな、などと思っていた俺が甘かった。帰り際に俺を見遣った彼女の瞳には、軽蔑の感情が浮かんでいたのだ。
「あーあ。こんな窮屈で頑固で不細工なお兄さんを持って、天奈ちゃんは不幸せモノだなー。お兄さん、死んだ方が天奈ちゃんの為になるんじゃないんですか?」
「―――余計なお世話だよ。香撫ちゃん」
「キモいからそんな風に呼ばないでください。後……学校で皆に言いふらしておきますから」
「え?」
「天奈ちゃんはお兄さんと肉体関係を結んでるって。それでは―――」
ちょいちょいちょちょちょちょちょちょちょ!
何でそうなった!
訳が分からないが、このまま返すのは明らかに不味い。俺は素早く彼女に肉迫して手を掴んだが、次の瞬間。家中に甲高い声が響き渡った。
「きゃああああああああああああ助けてえええええええええええええ!」
痴漢対策だろう、この大声は。それに怯んだ俺は思わず彼女の手を離してしまい、その隙に彼女の身体は玄関まで移動していた。
「それでは、碧花さんに宜しく言っておいてください。私と話したかったら碧花さんを通してくださいね」
「へ? お前とアイツの間に何の関係が―――」
俺の言葉に足を止めてくれる彼女ではない。途中で俺の言葉を切ったのは、誰でもないというよりかは他でもない玄関の閉じる音だった。スティックゲーム一つでここまでパーティが崩壊するなんて、一体誰が予想した。俺は目を瞑って、今までの状況を整理する。
まず香撫によって天奈が拘束され、その隙に那須川がキスしようとした。それを俺が遮り、言い分を聞いた所、香撫は那須川の援護、那須川はスティックゲームの練習と宣った。あれが練習だったのか、本番(キス的な意味で)だったのかはさておき、どちらにしても天奈の合意を得ずに行った事は一目瞭然なので、この時点で悪いのは二人の筈だ。
だが二人は全く反省する気はなく、それ処かまるで俺が悪い事をしたかの様に事件が収束してしまった。俺に落ち度があるとすればそれはスティックゲームを軽はずみに行った事だが、それ以外に落ち度はあるだろうか。
…………いや、ない。
お客様として二人を扱わなかった事? いやいや、あれだけ俺の妹に迷惑かけておいてお客様面する二人がおかしいのだ。仮に法律が許したとしても、俺は妹を泣かせる様な奴等を客人とは思わない。後は…………やはり、軽はずみに行った事くらいしか落ち度がない。それが唯一にして最大の落ち度という訳か。やらかした。
「俺が……中断しなきゃなあ」
那須川の発言から察するに、俺がゲームを提案せずともキスの機会は窺っていた様だが、それでも俺が提案したせいであんな事になったのだ。悪いのは俺。全部俺。いつも俺。常に俺。
俺が悪くなかった事なんてどれくらいあった。運はいつも俺に味方してくれない。最悪だ。
「…………はあ」
溜息を吐く。一回くらい許してほしい。俺は自らの手でぶち壊してしまったのだ。このパーティを。せっかく妹が俺の為に開いてくれたというのに。
どうしてこう、いつも悪い方向にしか転がらないのだろうか。
「大丈夫か」
「……部長。上で遊んでる人達に下りてきても良いって伝えてきてください。俺はトイレ行ってきます」
こちらの気持ちを汲んでくれたか、彼は敢えて何も言わず、黙々と階段を上って行った。見送りつつ、俺はトイレの中に足を踏み入れる。
「……寒ッ!」
誰だよ、この時期に窓なんか開けた奴は。
ウチの窓は狭いので、空き巣が入ろうとしたという線は無さそうだ。こんな所から人が入れたら驚愕する。精々横の庭に物を下ろせるくらいだが、ここを経由するくらいなら最初から外を経由するだろう。何の使い道も無い窓だ。
俺は窓を乱暴に閉めると、用を足す為にズボンを下ろした。
―――そう言えば碧花を通してと言っていたが、あれは本当にどういう事なのだろうか。トイレから出たら、早速聞いてみるか。
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