碧花と彼女の密約
トイレから出た俺を待っていたのは、天奈だった。
「お兄ちゃんッ!」
流石に年齢が年齢だ。抱き付くような事はされなかったが、それでも彼女は俺の目の前でじっと立っていた。何と言うべきか迷っているらしい。何度も口に出そうとしてはやめるという行動を繰り返してから、ようやく天奈は言い切った。
「あ、有難うッ」
「………………」
何と返せばいいのか、分からなくなった。妹にここまで素直な感謝をされたのが初めてだから固まっていたのではない。俺は兄として当然の事をしたまでの事であり、わざわざ感謝される程の事をしたかと言われると、そういう訳じゃない。感謝とは、一般的でない行動をしたからされるものであり、何処の誰が道端を歩いているだけで感謝されるというのか。流石にそれは極端にしても、俺はそれくらい当然の事をしたのである。
「お、おう」
ようやく出た返事は、何とも情けないものだった。いや、妹相手に格好つけるのも、それはそれで問題あるのだが、この状態ではもう少し格好つけても良かったかもしれない。俺達兄弟の微笑ましい光景を、部長が仮面越しに見つめていた。
「どうする? パーティは中止か?」
スティックゲーム参加者の二人が途中棄権という事で、ゲームは終了せざるを得ない。これは俺や天奈が何を言っても変わらぬ事実だ。天奈に目線を向けると、彼女は俺に何かを伝えるかのように頷いた。
兄弟だから分かるだろうって? いや、全然分からん。
分からないが、彼女の表情から考察する事は出来る。どうやら俺に言ってほしいみたい(まあ初見で部長と話すのは勇気が要るだろう)なので、俺は再びクオン部長の方へ顔を上げた。
「いえ、パーティは続けます。二人を抜きにしても、まだメンバーは居るでしょう?」
「正気か? 男は俺とお前だけだぞ。実質女子会だ。その中に居る状況を考えてみろ、地獄だぞ」
「……別にいいじゃないですか。楽しければ」
天奈の友達とは違い、部長も萌も御影も碧花も、皆良い人達である。かつての御影であれば問題があっただろうが、今はそんな事無いし、萌は純真が服着て歩いているみたいな人で、碧花は面識があるし。この状況で一番馴染めなさそうなのは部長だが、アウェーな雰囲気には慣れているだろうという偏見が俺の中にある。オカルト部って基本的にアウェーに居るだろうし。一般常識的な意味で。
「狩也君の妹はそれでいいのか?」
部長が天奈に問いかける。声音はとても穏やかで優しく、とてもオカルトに関わってきた人間……というか、中身が変わったんじゃないかというレベルで柔らかい。仮面を被っているから、中身が変わっていても俺達はきっと気付かないだろう。
天奈はそんな部長の声音にむしろ怖がっていたが、答えない訳にもいくまいと、己の答えを用意する。
「……香撫達は居なくなったけど、お兄ちゃんも、皆さんも居ますし。皆さんさえ良ければ、私は続けたいですッ」
これはそもそも、俺の為に開かれたパーティ。俺としては不本意だが、最悪俺の方で継続出来れば、パーティは中止せずとも良いのだ。彼女がわざわざ『皆さんさえ良ければ』と付け加えたのはその為。妹側の客人が居なくなった今、彼女に主導権は存在しないのだ。部長からすれば意外な言葉だったようで、彼は暫く固まっていた。数分間も、微動だにしなかった。
「…………そうか。いや、済まなかった。パーティ中止を尋ねるなんて野暮だったな」
部長は階段の方へ手を伸ばし、指を鳴らした。
「もう降りて来て良いぞ」
その合図を機に二階で待機していた三人が一斉に降りてくる。どうやら俺達の様子を窺っていた様だ。天奈とのやり取りを見られていたと思うと少し恥ずかしい。
「パーティは続けるんだね?」
「ああ。流石にあれで終わらせちゃあ何も楽しくないし。仕切り直しって事で」
「スティックゲームもかい?」
「いや、やらねえよッ!?」
何だってパーティを壊す原因を作った遊びをもう一度やらなければならないのか。そこまでやり直すとは一言も言っていない。碧花が茶化してくれたお蔭で、さっきの出来事など無かったかのように場が和んだ。
「それじゃあ仕切り直しと行こうか。萌、ガヤは任せたぞ」
「え、私ですか?」
「お前は三人分くらいうるさいからな。何とかなるだろ」
「酷いです部長! 私そんなにうるさくないですってばー!」
いや、多分うるさいと思う。しかしそれは良い意味だ。萌の声が聞こえるだけで、俺の心も不思議と穏やかになる。彼女の存在が、彼女の声が、俺にとって平和の象徴だった。
「萌」
名前を呼んでみる。彼女は直ぐに振り返った。
「はいッ」
「……楽しもうぜ!」
「…………はい!」
パーティはまだ始まったばかりだ。こんな所で気分を沈めていては、きっと俺はいつまで経っても菜雲の死から抜け出せなくなる。乗り越えるしかないのだ、あの無力感を。
まさかの仕切り直しに当初はぎこちなかったが、流石は部長と萌だ。三〇分もすればもう先程の雰囲気を取り戻せていた。主に部長がこのパーティの進行を、そして萌がガヤを。
俺は戦犯なので、大人しく部長の言う事に従っていた。
だから遊びもトランプとか、手遊びとか、どんなに間違っても間違えようのない遊びばかりだ。風船と回文を使ったゲームは俺に不向きすぎて個人的にクソゲーだったが、盛り上がったので良しとしよう。
危うくファーストキスを強引に奪われかけた天奈も、二人のお蔭ですっかり元気になっていた。特に萌には、妹の様に懐いてしまった。本当の兄妹は俺なのに、二人の抱き合っている姿を見ると、実はあっちが本当の兄弟なのではないか、とも錯覚してしまう。妙な疎外感だ。あそこまで天奈が甘えるなんて。
「狩也君」
御影の隣で俺がゆったりしていると、碧花が俺の隣―――つまり御影の反対側に座った。女子に挟まれるなんて初めての事でとても嬉しかったが、両手に華……などと呑気に喜んではいられなさそうだ。二人の間に、妙な緊張感が作られている。
それに、碧花とはついさっきの出来事がある。いつもみたいに話すのは、俺にとって困難を極める事になりそうだ。たわわに実った乳袋や、しっとりとした唇にどうしても目が行ってしまう。こんな煩悩の塊に近づくなんて、彼女は襲われても良いのだろうか。
「何だ?」
「いや、君の目線が私に向いていた気がしたからさ。何か用があるのかなと思って」
「え、向いてた……か?」
「君の目線が何処に向いているかを把握していない私ではないよ。何か聞きたい事でもあるの?」
そう言われても、多分見ていたのは彼女の胸であり、俺にその自覚がない以上、どうするもこうするも、どうしようもない。素直に白状すべきかと思った次の瞬間、俺はトイレしている内に忘れてしまっていた事を思い出した。
「あるよ、あるある。そう言えばさっき、香撫が帰り際さ。私と話したかったら碧花さんを通してって言ってたんだけど。お前等、そんなに仲良くなってたのか?」
何の事は無い。気になっただけだ。名探偵の如く疑心暗鬼になった訳でもないし、教えたくないならそれでもいい。俺にとっては胸をガン見していた事を隠すための質問に過ぎなかったのだから。
「………………は?」
しかし俺の軽さに反して、明らかに碧花の表情が変化した。
「ど、どうした?」
「そんな事、言ってたの。アイツ……じゃない、あの子」
「お、おう。だからどうしたのかなって思って―――碧花?」
様子がおかしい。明らかに普通の反応ではない。
「…………………………うん。実はね、あの子がどうしてもって言うから、賭けをしていたんだよ」
「賭け?」
「賭けというよりかは、勝負だね、ごめん。スティックゲームで一位になったら、友達になってあげるっていう勝負をしてたんだ。結果的に棄権したから、私は友達になったつもりは無いんだけど、あっちが一方的に名乗っているんじゃないかな。あはは…………アハハ」
この時、俺は初めて彼女に不信感というものを抱いた。何か、おかしい。普段は滅多に感情の出ない彼女が、ここまで露骨に動揺するなんて初めてだった。
その理由を俺が知る事になるのは、もっとずっと先の話。この時点での俺がそれを知る由など、ある筈も無かった。
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