出会いもあれば別れもある



 再生時間は全部で八分。窓に罅が入っているせいで見えにくいが、確かに小屋の中にリュウジが入っていく光景が見える。それからリュウジは小屋を出て、裏側の方に回り込んでそれっきり姿を消した。何て動きの悪いと言ってはあれだが、携帯のカメラに映る方向を内側とするなら、リュウジは外側から裏に回り込んでしまったので、彼に何があったのかを知る術はない。幽霊だったとすれば回り込んだ瞬間に消えただけの話だが、生身の人間で同じ事をするとなると、小屋の裏側にずっと張り付く必要がある。


「はい。動画終わりね。因みに私はあの後も小屋の方を見ていたけど、彼が出てくる事は無かったよ」


 再生停止のボタンを押して、碧花は携帯を閉じた。


「ふーんそうか。馬鹿に動画短い感じがしたけど、お前がそう言うんならそうなんだろうな」


「随分綺麗に撮れたねー。全然揺れないじゃん!」


「机に置いたから、当然だろう。で、どうしようか。一人で行くには危険な臭いがしたから行かなかったけど、君達が居るなら行っても大丈夫だろう。行くかい?」


 その言葉に、俺は思わず安堵してしまった。先程の発言は気のせいと考えても違和感はなかったが、今の発言からは碧花の女の子らしい弱さが垣間見えて、何だかとても可愛らしく思える様になった。この危機的状況で考える事ではないと自覚しているが、男の性だ。碧花は間違いなく、現況に恐怖を感じている。あの澄まし顔の碧花が怖がるなんて中々無い。いつもは守られてばかりの情けない俺だが、どうやら今回は俺が守らねばならぬようだ、と。


 一人でガッツポーズを決めている俺に、碧花は冷たい目線を浴びせかけていた。


「な、何だよ」


「いいや。私は心が読める訳じゃないけど、それでも君がどんなにか下らない事で喜んでいるかは大体想像がつくよ」


「くだらないとは言ってくれるな! けど、そういう強がりも可愛いぜ碧花!」


「え」


「何も言うな! ……俺はお前が守る。安心しろ」


 瞬き二回。碧花は目を白黒させながら、首を傾げた。


「…………ごめん。本当にどうしたの? 憑かれたのかい?」」


「キャラ変わってるね~。何だか今のくびっち、すっごく頼れそう!」


「そうだろう、そうだろう! さあ行くぞ二人共! 大丈夫、この俺が守って見せるさ!」


「―――御憑かれ様、とでも言おうか。まあ、守ってくれるなら……お言葉に甘えておくけどさ」 


 女の子という大切な存在を手に入れた男に不可能は無い。俺は脳内行進曲に沿って兵隊の如く進みながら、二人を連れて小屋へと向かった。あの窓から見えるくらいだから分かっていたが、小屋との距離はそれ程遠くない。俺達が入る時に見えなかったのは、単純に興味が無かったからだろう。


 森に足を踏み入れた時、やけに地面が柔らかいような気がした。小屋の扉にまで近づくと南京錠が掛かっていたが、掛かり方があまりにもおざなりで、まるで錠前の役割を果たしていない。扉を開ける瞬間、俺は二人に目配せをした。


「あ、開けるぞ?」


「さっきの威勢がもう消滅したね。やっぱり憑かれてたんじゃないかな?」


「だったら憑かれてたままの方が良かったなあ~。あのままだったらカッコイイ俺になれたのに」


「空虚な幽霊で魅力を獲得しても空虚にしかならないよ。君は君らしく中身のある魅力で勝負したまえ」


「そんなもんがあったら今頃彼女の一人や二人…………出来てるんだよなあ」


 彼女なんて一人も居た事がないのに。その時の俺は、まるで望郷する時の様に目を細めて、懐かしさに微笑んでいた。有りもしない記憶を懐かしむ事が出来るのは、俺の数少ない長所である。


「くびっち二股かけてんのっ? ……サイテー!」


「どえええええ? 真面目に受け取っちゃいますかお前が! そういう勘違いは是非とも碧花にしてもらいたかったんだけどッ」


 ビッチという通称を気にはしないと言ったが、あれは嘘に違いなかった。そもそもビッチ云々と一度でも考えた時点で俺も少なからず央乃の事をそう思っている訳で、偏見を持って接しはしないと言うも、そう考えた時点で偏見は少なからず持っている訳で。


 俺は碧花に視線で振ったが、彼女は不遜な表情をピクリとも変えなかった。


「君が二股を掛ける様な人間だとは思っていないよ、実に下らない」


「何を! 俺だって女の子の一人や二人落とせる…………あれ? 今お前、何て言った?」


「何も。いいから開けたらどうだい? 開けたくないなら私が開けるけど」


「いいや俺が開ける! 行くぞ!」


 意を決した俺が小屋を開けると、中に居たのはリュウジではなく―――蘭子だった。体中に縄を縛り付けられており、その縄は小屋の上の方に伸びた状態で張っていた。彼女を吊るにしてはあまりにも紐が余っているが……どうでもいい。今は彼女を助けるのが先だ。 


「蘭子ッ!」


 意識を失っているようなので、どさくさに紛れて名前で呼んでしまった。央乃にも手伝ってもらい、俺は蘭子の身体に巻き付けられた荒縄を解き、彼女を抱き上げ―――


「重っ……!」


 女性に重いなどと言ってはいけないと古くから紳士は言うが、一つ言わせてほしい。女性であろうと男性であろうと、人間一人である。普通に考えて、碌に筋トレもしてない様な俺が持ち上げられる道理はなく、お姫様抱っこは失敗に終わった。俺は激しくつんのめり、俺の両腕を下敷きに、蘭子を床に叩き付けてしまった。


 ドンッ。


 小屋の壁に沿って設置された棚に頭がぶつかった。かなり痛い。どうやらここは工具置き場か何かの様で、棚からはネジなどがポロポロ落ちてきていた。


「うわ~。あっぶないねー」


「大丈夫かい? 凄い音がしたけど」


 小屋の裏側から、碧花の声が聞こえた。


「お前何してるんだ?」


「うん。君が何かにぶつかってくれたお蔭で、小屋の屋根にあった石が落ちたみたいだ。びっくりしたよ」


「えッ? わ、悪い。大丈夫か?」


「別に最初から後ろに居た訳じゃない。石が落ちたから、それを見に行っただけだ。君達は早くその子を運びなよ。座敷で合流すれば問題ないよね」


「駄目だ! お前まで居なくなったらどうするんだよッ。一緒に行くぞ!」


「その子が持ち上げられなくて、手伝ってほしいだけだろう? 君も素直じゃないね。分かったよ。君には負けた。手伝ってあげようじゃないか、運ぶの」


 何故、バレた。こんな暗がりで読唇術が使える筈は、いやそもそも壁越しに話しているのだ。あり得ないのは分かり切っている。俺は思わず戦慄してしまった。もしかして碧花は人間の心が読めるのだろうか。俺は背中に今まで迷惑を掛けてきた事実が這いずるのを感じていた。


「ち、ちげえし! 蘭子くらい俺が一人で持ち上げられるし! 俺はお前を心配して―――!」


「はいはい。じゃ、行こうか」


 俺と奈々でどうにか蘭子を持ち上げると、小屋の裏側から碧花が出てきた。リュウジみたいに消えてなくなるなんて事は無くて一安心。


「おっとっ!」


 柄にもなく、碧花が転びかけた。そこで初めて気づいたが、小屋の裏側には大量に土が積まれており、どうやらそれを乗り越える際の目測を見誤ったらしい。彼女らしくもない間抜けである。土の山は碧花に蹴られて、半分以上が奥の方に崩れていた。


「何してんだよ」


「ちょっと転んでしまってね。さ、行こうか」


 恥ずかしそうに彼女が頬を染めるのを、俺は横目でしっかりと見ているのだった。
















 蘭子が意識を覚醒させたのはそれから三十分後の事で、身体には外傷もなく、多少意識がぼんやりしている事を除けば、彼女は正常だった。


「なあ蘭子。お前、誰に連れ攫われたんだ?」

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