狐は謳う

 腕を組んで歩くなんていつ以来か。いつだったか妹と遊園地に行った時にやった時以来だ。血縁関係も何もない女性とは初めてである。俺の心臓がもう少し外側に位置していれば、きっと碧花にも聞こえていただろう。


 しかし胸を見てもいいと言われると、凄く見づらい。合法的に俺は彼女の胸をガン見出来るというのに、何だか今まで以上に見ている事に罪悪感を感じる様になってきた。この時ばかりは通行人になりたかった。彼等は遠慮なく碧花の胸をガン見して、俺達を通り過ぎる頃に碧花を話題に盛り上がっている。時にはカップルの片割れまでもがチラ見をしてきたが、男の方は彼女に叩かれていた。



 ざまあない。



 見たい気持ちは分かるが、カップルならば彼女のを見てやるべきだ。確かにすれ違う人々の大半、というか今の所全員が碧花よりも貧乳だが、女性の価値は胸だけで決まるものではない。とはいえ、無防備に開かれた彼女の胸は人々の視線を集中させるには十分すぎた。もしかしたら、それが原因かもしれない。


 他の人も見ている中、俺も見る。するとまるで、俺が通行人と同じみたいではないか。違う。俺は通行人とは違う。俺は『首狩り族』であり、水鏡碧花の友人だ。ならば友人として、ここは通行人と違う行動を取らなければならない。だから胸を見たくはない。どうせ見るなら、個室の中で二人っきりの時に思う存分…………



 いや、ホテルに泊まる金なんてないが。



「おッ!」


 適当に水槽を覗きながら大体一時間。一度も腕を解く事のなかった俺達が辿りついたのは、何種類もの動物がモチーフになったと思わしきぬいぐるみの集団……もとい、お土産屋だった。水族館にもお土産コーナーがあるらしい。誤解しないで欲しいが、水族館には全く無いとは言わない。只、付属的になっていたこの水族館にお土産コーナーが用意されているとは思っていなかったのだ。



―――ぬいぐるみ、か。



 俺は好きだ。女々しいと言われようが何だろうが、可愛いものは可愛い。しかしぬいぐるみを見ると、どうにも俺は反射的に怯えてしまう様になってしまった。理由など、とうに分かり切っているが。


「……大丈夫だよ。私がついてるから」


 碧花が俺に身体を寄せた。これではまるであの時の再現である。二人で掃除用具のロッカーに隠れた時も、これくらい密着していた気がする。


「有難う、碧花」


「…………まだ、怖いのかい」


「少し、な」


 あんな目に遭って怖くないと言えればどれだけ格好良かったか。しかし俺は既にあの時、碧花に泣きついているし、何なら彼女を枕にずっと泣いていた事だってある。恐怖で気が狂いそうだった。あんなに恐ろしい事になるなんて思わなかった。



 でもあれを……一人かくれんぼをやらなければ、俺が碧花とこうしてデートする事も無かった。



 そう考えると、たとえ俺が過去に戻れたとしても、やはり俺は一人かくれんぼをやっただろう。たとえどんな状況に陥ったとしても、碧花と一緒に居られるなら、俺は構わない。彼女は俺の『友達』なのだから。


 碧花が俺の心を見透かしたように、俺の頭をゆっくり撫でた。


「そう怖がるな。君の事は、どんな手段を使ってでも私が守る。言っただろう? 私と君は『トモダチ』だ。何も怖がらなくていい」


 夜の闇に怯える子供を慰める様に優しい口調で、碧花の声が俺の心を包んだ。凍えんばかりの恐怖に晒されていた俺の心は、忽ちの内に温まった。素振りや表情は冷たいが、彼女の内面が誰よりも優しく、温かい事に、俺は何度も救われていた。



 …………あの時も。



 いや、それだけじゃない。俺が自身の不運に心を痛めていた時も、彼女だけは俺の『首狩り』を恐れずに接してくれる。それが何よりも、俺にとっては嬉しかった。


「…………碧花ッ」


「ん?」


「この中で欲しいぬいぐるみとかあるか?」


 震えは止まっていた。区画の中心に踏み入っても、恐怖は感じない。聞かれた当初は彼女も遠慮がちだったが、俺の震えが一切合切無くなっていた事を知ると、小さく首を傾げた。


「買ってくれるのかい?」


「まあ、ぬいぐるみだから大した値段もしないし。欲しいのがあったら……お前もぬいぐるみ、好きだったよな?」


 彼女の部屋にぬいぐるみは無かったが、あれは季節的な問題がある。冬になれば彼女の部屋には幾つものぬいぐるみが姿を現すのだ。どのぬいぐるみもまるで、魂が入っているみたいな感じがして、部屋の中は妙に温かくなる。それは幾人の集団が個室で賑やかに騒いでいる時と、全く同じだった。


「……じゃあ、お言葉に甘えて。少し見て回ろうかな。狩也君、少し離れるけど、大丈夫?」


「ああ、俺なら大丈夫だ」


「不安になる様なら迷子センターにでも行っててくれ。後で迎えに行くから」


「俺は子供かよ! 大丈夫だ、ありがとな。心配してくれて」


 再度俺に意思を確認してから、碧花は『ルンルン♪』と擬音が聞こえてきそうな程に軽い足取りで、端の棚から順にぬいぐるみを眺めていた。女の子は可愛いものが好きというが、碧花も例外ではないのだ。普段がクールなため、こういう女の子らしい所を見ると、ほっこりする。取り立ててやる事も無いので、俺もぬいぐるみを鑑賞する事にした。




 丁度、その時。





「さあさあ、始まりますは怪異遊び、八石遊び。今宵の参加者は『首狩り族』とクオンの旅人」





 クオン部長の声が何処からか聞こえた。左の方かと思いきや、そこには誰も居ない。暫くすると、今度は右から聞こえてくる。振り向いても、誰も居ない。暫くするとまた左から聞こえる。どうやら棚を利用して店内をぐるぐるしているらしい。だとするとかなりシュールな光景だが。


「部長?」


「おう、狩也君。先程ぶりだな。悪いが俺を探すのは勘弁願いたい。流石に二人も避けながら話すのは難行だ」


「は?」


 二人も避けながら……萌か。隠れる理由があるとすれば、恐らく部長は今仮面を外しているのだろう。だから俺達に見られたくないのだ。彼は顔を隠した状態を素顔という事にしたいらしいから。その言葉を聞いた風にしておいて、部長を探す事も出来たが、何やら気になる単語が聞こえたので、今は会話の方を優先させる。


 俺は適当な棚を背中にすると、目を閉じた。これで彼が隠れる必要性は無くなった筈だ。少なくとも俺は、探していない。


「助かった。これなら安全に会話出来そうだな」


「はあ。それで、さっきの前口上みたいなのは何ですか? 八尺遊びがどうこう言ってたと思うんですけど」


「お前、八石様と遭遇しただろ?」


「いいえ」


 即決だった。そんな明らかに怪物然とした奴は見ていない。しかし部長は引き下がらない。


「ぽぽぽぽぽという音を聞いた筈だ。俺も―――お前も」


「え? 部長も聞いてたんですか?」


「ああ。俺はお前の後にトイレへ行った時に遭遇した。お前、萌から八石様の事を聞いているか?」


「いや……」


 オカルト話を聞きたくなかったから強引に話を逸らしたとは言えず、俺は何とか言い訳を試みる。


「萌の身体見てて、聞いてませんでした」



 僅かな沈黙。漏れたのは小さな嘆息だった。



「そうか。なら教えてやろう。ハッシャク様……それはこの地域に伝わる怪異だ。一般的に女性とされている」


「身長が八尺あるから、八尺様なんでしたっけ?」


「いいや、違うな。ハッシャク様は八に石と書いて八石様。萌も勘違いしていた様だが、この地域ではそちらの字が使われる」


「八石?」


 八石……何だ、それは。南総里見八犬伝みたいなものか。多分全然違うけど。


「目撃情報によると胸に八個の石が付いているらしい。まあ詳しい説明は後にしておいて、俺とお前は奇妙にも遭遇してしまった。個別に、しかし二人で。萌から説明を聞いていなかったのなら簡単に特性を説明してやる。八石様に魅入られた者は一日以内に死ぬ。死体は決まって、口の中に石を詰められた状態で見つかるそうだ」



 死。それは一般人にしてみれば最も遠い概念にして、『首狩り族』の俺にとっては、下手すると恋よりも近い概念だった。



 何度も何度も死を目撃しているから、多少なりとも耐性はある。しかしそれは、他人の死だからこそ、だ。俺に直接降り注いできたのは、これで三度目か。


「ど、どうすればいいんですか?」


「生き残りたかったら同行者と一緒にホテルへ来い。それから話す―――」





「狩也君」





 目を開くと、目前に彼女の体程もありそうな大きなぬいぐるみを抱えた碧花が立っていた。目を閉じて待機していたこちらを不思議そうに見つめている。


「どうかしたの?」


「い、いや……」


 一応棚の裏に回ってみるが、そこにもうクオン部長の姿は無かった。いや、元々見えていなかったけれど、居た様な痕跡すら見えない。


「ひょっとして、誰かと話してた?」


「いや、何かそっちにもう一人の俺が通った気がしてな。あはは……でお前、そのぬいぐるみ―――」


「ああこれ。可愛いだろう? 巨大アザラシちゃんだ」


「いや、可愛いのは分かるんだけど……幾らだ?」


「七千円」


 思ったより高かった。碧花も大概悪知恵の働く人物である。大した値段もしないから買ってやると俺に言わせる事で、高いぬいぐるみを買わせるなんて。


「駄目かい?」


「駄目って訳じゃないけど……何でそれなんだ? 他に可愛い奴もあっただろう?」


 それこそ、小さいアザラシ五つでもこのアザラシ一つ買うよりは安くなる。高校生の財布では中々厳しい値段なので、俺は暗に品物を変えろと言っていた。普段はこの手の裏読みに定評がある筈の碧花は、何故か俺の真意に気付いていなかった。


「いや、これが一番可愛いと思ったんだよ」


「そ、そうか?」


「それに…………これくらい大きくないと、君と私の二人で使う事が……出来ない、じゃないか」






 俺は即座に購入を決意した。後の事なんてこれっぽっちも考えていないのは内緒である。

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