嗤い、笑い。



「有難う、まさか買ってくれるなんてね」


「ふ、気にするな! これも男の務めだッ」


 彼女にしてみれば他意はないと思われるが、碧花と共同で使える物が生まれるなんてこれは購入するしかない。多分テレビショッピングでそういう文句が出たら俺が即買いしている。何ならテレビショッピングが始まる前に買っている。


 荷物は増えたものの、俺達はそれからも水族館を今一度見て回り、外へ戻る頃には日が暮れていた。当然と言えば当然だが、既に帰宅準備を始めている人も居る。隣の碧花は、まさか俺の行動が変わるとは思っておらず、少々名残惜しそうだった。


 部長から八石様の事を聞かなければ、俺も同じ表情をしていただろう。


「ふむ…………楽しい時間は夢の様に流れる、か。私達もそろそろ帰宅準備を始めないとね」


「いや、それなんだけどさ碧花…………」


「ん?」


 その顔は俺の言葉を全く予想出来ていなかった、まあ当然だ。入って早々俺はお金がない旨を彼女に伝えている。あの時の会話を聞いてでも居ない限りは、予想出来る筈があるまい。いつもいつも振り回されっぱなし、惑わされっぱなしの俺だが、たまには彼女を振り回してみたって良いだろう。俺は碧花と向き合って、それからその肩に手を置いて。


「今日、泊らないかッ?」


 ホテルがホテルであれば、意味は色々変わってきただろう。碧花はその胸に巨大アザラシちゃんを抱きながら、目を白黒させていた。普段が冷静沈着なので、やはり彼女がこうも露骨に取り乱してくれると、とても可愛らしく思える。


「え、え…………それは君の家に、という事で良いのかな?」


「いや、あのホテルだ!」




 先程も言った通り、俺には金がない。だが部長は言っていた。八石様に魅入られた者は一日以内に死ぬ。生き残りたかったら同行者……つまりは碧花と一緒にホテルへ来いと。




 姿を見た事もなければ存在すら知らなかった八石様の存在はさておいて、一日以内で死ぬ事に対してホテルに来いと言っているのだ。これはもうつまり、部長が代わりにお金を払ってくれるという事を暗に示している。彼に借りを作るのは癪だったが、碧花と距離を縮められる良いチャンスだ。『友達』の一線を越えて男女の仲に―――なんて事は幾ら何でも期待していないが、添い寝くらいは期待している。


 行かない訳には行くまい。


 単刀直入且つ、単純明快な俺の言葉にも、碧花はまだ理解が追いついていなかった。


「―――お金が無いんじゃなかったの」


「無い。けど、泊まれる!」


「……君のお父さんの知り合いがあのホテルの社長とか、そういう事?」


「俺は嫌味でナルシストな金持ちじゃねえよ! まああれだ。当てがあるんだよ。だから……休日だって、後一日あるし―――二日間、遊びたいんだよ」


 碧花の水着姿を二日連続で見られるなんてそれは一体何という軌跡か。願望こそ漏れてはいないが、下心見え見えのお誘いに、碧花は戸惑いを隠せていない様だった。断られたら、どうしようか。もしも八石様の話が真実ならば翌日に俺は死ぬ事になる。俺だけでも泊まって、碧花を一人で帰らせるとかいう最悪な展開だけは避けたい。


「もしかして予定とかあるのか? 明日に」


「いいや。私も大概友達が居なくてね。予定表があったとしてもそれは全て君との約束だ。だから私は別に構わないけど……君は、大丈夫なのかい?」


「え、俺?」


「妹に連絡とかしなくてさ」


「ああ」


 そう言えば忘れていた。俺は携帯を取り出すと、簡易交流アプリで妹に宿泊の旨を伝えておく。直ぐに既読が付く事は無かった。夕食でも作っているのだろうか。


「なんて言ってたの?」


「いいよーって」


 実際は返信すら来ていないが、正直な話をすれば、天奈がどう言おうと俺は泊まる気でいる。こんな機会、滅多にないのだ。碧花に告白して成功する可能性が虚数の彼方にあったとして、それがゼロくらいまで回復するかもしれないのだ。本人から許可が下りた以上、他の如何なる判断も俺の宿泊を止める事は出来ない。恋の焔に燃える男は最強なのである!


「……えーと、じゃあ。行くか?」


 今度は俺の方から彼女の腕に絡ませる。ぬいぐるみを抱きしめる彼女が力を返してくる事は無かったが、リードを頼むと言わんばかりに身体を預けてきたので、そのまま俺達はホテルの方へ―――




「いやいや。レジャーシートを片付けないとな」


「お。今度は引っかからなかったね。成長だ」


「やっぱ知ってたのかよ!」



 


 こんな時にも悪戯をしてくる碧花に、俺は溜息を吐いた。滅多に笑わない彼女も、こういう下らない事をしている間は、表情が嘘みたいに柔らかい。
















 さて、無事に碧花の悪戯も防ぎ、ここはホテルのエントランスホール。俺も碧花も水着からちゃんと着替え、重い荷物を持った状態でここに来ている。泊まらせないとは言わせない。


「あ、先輩ッ! こっちですこっちッ」


 聞き慣れた声がホールに響く。萌だった。ホールの隅で手を挙げながら、アピールする様にぴょんぴょん跳ねている。ジャージを腰に巻いているのが最高にダサいが、ノースリーブシャツのお陰か体型マジックショーがまたも起こっておらず、その結果、大人顔負けの胸が自己主張強く揺れている。碧花も同じ事をやろうと思えば出来るだろうが、それにしてもこういう現象に一番腹が立っているのは同じ女性でありながら貧乳の者に違いない。そういう女性にしてみれば『男を誘っている』ようにしか見えない。



 萌の事を知る俺にしてみると、彼女は恋愛方面に凄く疎いので、そういう悪意はないと思うが。



 彼女の方まで駆け寄ると、その隣に狐面を被った男が居る事に気付いた。明らかに目立っているのに、俺は二足の間合いに来るまで彼の存在に気付けなかった。不思議である。


「クオン部長。約束通り、来ました」


「ああ、ご苦労」


 碧花がじっと彼の方向を見つめているが、彼は碧花処か、俺や萌にすら視線を合わせず、何処かを見ながら話し出した。


「幸い、ここは後払いのホテルだ。その時には払ってやるから、勝手にチェックインしてくれ」


「あ、有難うございます。じゃあ碧花、俺ちょっとやってくるから、待っててくれるか?」


「構わないよ」


 碧花は二人とは初対面の筈なので、どうなるかは全くの未知数だが、俺も並ばなければ始まらない。一抹の不安を抱えながら、俺はホテルの受付に赴くのだった。















 さて、あまり多くは語るまい。お互いに譲れないものがある筈だ。特に彼は、こちらにとってみても重要な存在。失う訳にはいかないし、その為には命すら張る覚悟がある。


 仮面の位置を修正し、改めて彼の同行者を見つめる。


「―――萌」


「はい?」


「お前、大変だな」


「へ?」


 途中から分かっていた事とはいえ、中々の苦行であろう。特にこうして出会ってしまった以上、いつ闇討ちされるかも分からない。最大限の警戒を払うに越した事はない。


「先に部屋に戻っているぞ」


 二人から距離をとってから仮面を外して、それからダッシュで上り出す。さてさて。この結末、凶と出るか大凶と出るか。



 興冷めは勘弁願いたいものだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る