果たしてそれは怪異か否か
俺達の部屋は三〇五号室となったので、碧花と共に俺は部屋へ。あまりというかほぼホテルに泊まった事がない俺は、部屋が指定出来ると思い込んでいた為、割り振りされた事に少し驚いてしまった。まあ、何処であれ碧花と一緒なら俺は別にいい。八石様関連を抜きにすれば、二人きりの時間を過ごせるのだから。
「隣の部屋じゃないんですね~」
「お前達は何処なんだ?」
「私達は四〇三です。階段は近いとはいえ、少し話しづらいですよねー」
全くだ。萌がどうとかではなく、八石様に狙われたらしい俺と部長が生き残る為の事を話すのに、この一階差は中々どうして辛いものがある。只、明らかに萌の悲しみ方はそういうシリアスな方向よりかは、単に俺と会話しづらい事を嘆いている様に見えた。可愛い後輩とは正にこの事を言うのだろう。こんな風に懐いてくれると、俺も彼女と話していたくなってくる。
「まあ、そんな偶然が起きる筈も無いだろ。幼馴染が隣の家に住んでるくらいの奇跡が起きてたら別かもな」
当然として、そんな奇跡が起きるのは漫画くらいなものである。そんな奇跡が起きてくれるなら是非とも碧花の家を俺の隣にして欲しい。彼女と窓越しに会話なんて、やってみたいものだ。
「それじゃあ部長は先に戻ってるって言ってたので、私も戻りたいと思います! また呼びに来ますねッ」
「おう。じゃあな」
萌は最後まで笑顔だった。手を振りながら階段を上っていく様は妙に面白く感じる。これで正真正銘、碧花とは二人きりだ。早速俺は八石様の事がどうでもよくなっていた。これは修学旅行ではない。他の邪魔なクラスメイトが居る事は無いし、担任など居る筈もない。二人きり。
そう二人きり。
二人きり、という状況にのみ限定すれば、碧花の家でのお泊りイベントだったり、中学校の際の修学旅行だったり、或いは彼女との出会いの時だったりと色々ある。が、ホテルで二人きりという事は一度も無かった。
俺は踏み込むべきか、それともいつもの様に、流すのか。八石様からどうやって逃れるかではなく、俺にとって重要なのはその判断だった。夏という気候がもたらした影響で、碧花はかなりガードが緩くなっている。俺に勇気があれば、直ぐにこの扉を閉めて押し倒していただろう。
わざわざこんな言い方をしたのだから、察して欲しい。俺は扉を閉めたが、特に押し倒す様な事はしなかった。
「一つ尋ねても良いかな」
「ん?」
「あの女の子と、君はどういう関係なの?」
どういう関係かと言われても……同じ『七不思議から逃げた仲間』以上の関係ではない。俺の好みではあるのだが、如何せん碧花が傍に居るとやはり彼女を見てしまうし、それに萌は先輩としての俺に懐いているのであって、男としての俺に懐いている訳ではない。藤浪から助けたのだって、あれは先輩の役目みたいなものだ。
「……先輩後輩だけど」
「本当に? でも彼女は随分と君に懐いているみたいだけど」
「な、何で疑うんだよ! じゃあお前は何だと思ってるんだ?」
「んー……彼女、は違うよね。そうだったら君はもっと喜んでる筈だ。というよりもっとイチャついている筈だ」
「悪かったな。がっついて」
「…………許嫁とか」
「俺んちそんな名家じゃねえよ!」
ていうか結局彼女みたいなものだし。
「何だ? もしかして嫉妬してるのか?」
冗談っぽく俺が言う。が、それを受けて碧花は奥のベッドに座り込んで布団にくるまったっきり、反応を返さない。もしも俺が彼氏なら布団越しに彼女を押し潰した所だが、そんな事をすればやはり俺の命が無いので、俺は同じく沈黙して、彼女の反応を待つしかないのだった。
「……じょ、冗談だからな?」
「………………」
「碧花?」
反応してくれない。不味い。せっかく楽しい日を過ごそうと思ったのに、ここに来て彼女の機嫌を最高に悪くしてしまった様だ。どうにかしなければいけないと思ったが、女性の扱い方について何の心得も無い俺がどうにか出来る筈もない。最悪の手段だとは思うが、下手な刺激よりも放置するしかやりようがなかった。
いよいよ俺が狼狽え始めた時、不意に俺の携帯が鳴った。天奈である。こんなタイミングでどうしてかは定かではないが、直ぐに思い至った。このデートは元々日帰りの予定であり、本来であれば俺は俺の家に戻っている頃である。その事で話があるのだろう。
「ちょ、ちょっと電話してくるわ」
部屋を出る必要はないのに、どうしても居辛かった俺は廊下に出て、電話に出た。
「もしもし」
「もしもし、お兄ちゃん? 今……ホテルに居るの」
「は? いや……うん。居るけど。何だその寂しそうな声は」
遂に我が妹は寂しさのあまり言語能力に支障を来してしまったかと、俺は上機嫌になりながら会話を続ける。生意気な口を聞きつつも、やはりその根っこが妹なのだと知り、俺は少し先程の雰囲気の悪さを忘れられた。
「天奈ッ。もしかしてお兄ちゃんが帰って来なくて寂しいのか?」
「今…………ホテルに居るの」
「ん? いや、だからそうだって―――」
「ホテルに……居るの。ホテ……る」
「ルルル、るる、る、ホテル、る、る居る、ホテ、居る、の、ホテルホテホテ居るルのルルルるのルるるほてルほるホテルほてルの居るのホテ―――!」
それきり通話が途切れたが、途切れたのは通話だけではない。妹からの電話で得られていた一時の安息すらも、ぷっつりと途切れてしまった。
状況が把握できない。何が起こった?
取り敢えず俺はもう一度、今度は俺の方から妹に電話を掛ける。しかし、鳴り響くのはコールばかりで、一向に彼女が出る事は無かった。彼女がこんな冗談をする人間でない事は俺も知っているので、これは『七不思議』的な何かが起こったとみていいだろう。
―――何でアイツの方に!
こういうのは普通、超絶的な不運を持つ俺の方に来るのではないのか。何でこんな事に……出来る事なら自宅に戻って確認するべきだが、今から行っても真っ暗闇の中を駆けるだけだ。得策ではない。
いや、待てよ?
これが仮に怪異の仕業なのだとしたら、八石様の怪異とやらも実現する事になる。という事は、何の対処もしなければ俺と部長は死ぬ。
このホテルはオートロックなので、一度外に出た俺はもう一度部屋に入る事が許されない。何の事は無く、単にインターホンを鳴らせばよいのだが、あの状態の碧花が出てくれるとは考えにくい。少し考えた後、俺は階段を上り、部長達の居るであろう部屋のインターホンを鳴らす。
「はーい!」
奥から萌の声が聞こえる。足音が徐々に接近してきて、直ぐに扉が開いた。
「あ、先輩ッ」
「部長は居るか?」
萌はジャージを外し、ノースリーブシャツだけになっていた。普段の俺ならば食いついている所だが、他でもない妹の緊急事態だ。
「ちょ―――きゃッ!」
答えを聞くよりも早く彼女を押し退けて、俺は部屋の奥に座っていた部長の肩を掴んだ。
「お願いします! 妹が、妹が助けて……助けてくださいッ!」
取り乱してまともに言葉も繋げないでいる俺を、萌が引き剥がす。
「先輩! 落ち着いてッ―――ください! 先輩ッ」
部長は微塵も動かない。碧花と同じ様に沈黙したままだ。騒いでいるのは俺と萌だけで、取り乱していた俺は瞬く間に彼女に引き剥がされる。それでも俺が暴れ出すので、終いには萌が俺を布団で制圧してしまった。
「離してくれ、部長! 妹が、妹が…………!」
「先輩!」
萌が布団の中に手を入れて、暴れ出している俺の手を強く握りしめた。
「…………取り敢えず、落ち着いてください。部長も困ってます」
「…………………………あ、ああ」
この間、騒いでいたのは俺と萌だけだ。部長は身じろぎ一つせずに、窓の外を見つめている。それからもう五分程経過したが、萌の手と繋がり続けた俺の心は、すっかり落ち着いていた。少しは耐性が付いた方だと思っていたが、正確には俺の耐性は『自分に降りかかる不幸』に対しての耐性であり、決して不幸そのものへの耐性ではない。その手の耐性については、オカルト部であり、あらゆる怪異を知っているであろう萌の方が上だった。
「……世を惑わし心を屈させた幽霊に噂に怪物に怪異。全国津々浦々を巡り集めて調べた都市伝説。全くのデマから真実まで、あらゆる知識をオカルト部は必要とする。その慌てぶりから察すると、どうやら他でも何か起こったらしいな。言ってみろ」
「じ、実は妹が―――!」
俺は先程の出来事を部長に説明した。訳が分からないが、とにかく訳の分からないものの専門家に相談したかった。
妹に何かあったら……俺は。
「……成程。それは恐らくメリイさんという奴だな」
「メリイさん?」
「ドラマか何かで見た事ないか? 電話がかかってきて、一々自分の場所を報告してくる物好きな奴だ。その文章から推察するに、君の妹に起こった異変はそうとしか考えられない。只、一つ気がかりな事がある」
「気がかりな事?」
「ああ。あれは特定の手順で呼び出す類じゃない。八石様の様に自然遭遇してしまうタイプだ。狙って遭遇しようとする事は出来るが、まあ基本的に殆どの怪異は、何もしなければ遭遇しない。自宅で遭遇する怪奇現象は、その土地に問題があるのであって―――何が言いたいかというと、君の妹が家に居るだけなら、遭遇する筈がないんだ」
何もしないなら遭遇する筈がない。そして俺の妹は俺とは違って超絶的不運など無いし、何かをする程無駄な事が好きな訳ではない。
では、何をしたというのか。
「特にメリイさんは全く偶然的に遭遇した可能性は低そうだ。となると考えられる事は二つ。一つは怪異に縁深い場所に行ったか、そしてもう一つは―――」
「怪異を怒らせてしまったか」
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