幽かに見える瞳



「怪異を怒らせた、とは?」


「分からないのか? 七不思議の時と同じだ。こういった噂には禁忌が付き物だ。禁忌とはつまり、やってはいけない事。それをした場合は、大体碌な目に遭わない。これを怒らせたという」


「いや、定義の話はどうでもいいですよ。怒らせたってのはどういう事なんですか?」


「だからそういう事だ。そのオカルトがあるとされる場所でやってはいけない事をやってしまったか、遭遇した瞬間にやってしまったか。メリイさんの場合は……電話の電源を切ってしまう事だな。より正確に言うと、メリイさんの電話がかかった後にそれをしてしまう事だ。もしもそれをすると…………」


「すると…………」


「―――俺はやらないから分からないがな。一説には電話の音が頭から離れなくなってしまうと言われている。この手の話を誰が言い出したか、については言ってくれるなよ。そういうのはオカルト部としてタブーだし、そんな事を言い出すと殆どのオカルトは成立しなくなる。特に今回は……それをやったとされる人物が全員、三日以内に自殺している。誰が言い出したかなんて分かる筈もない」


 俺は言葉を失った。八石様なんかよりもよっぽど悪質かどうかには議論の余地があるが、俺にとっては自分の命なんぞより妹の方がずっと大切だった。彼女は不幸でも何でもない。むしろ一般的であろうと心がける良識的な少女なのだ。そんな彼女が理不尽にもこんな目に遭う事を俺は許容出来そうもない。


「……どうすれば、助けられますか」


 舌が震える。妹を助けたい一心での行動である筈なのに、何故だか俺には、その問いが答えられた瞬間に、手遅れになってしまう様な気がしていた。部長が俺の双眸を覗き込み、それからゆっくり首を振って。


「そんな物は無い―――と言いたいが、これでも部長だ。伊達に現地調査を繰り返している訳じゃない。今なら一つだけ方法がある」


「―――え? あるん……ですかッ」


「先輩……良かったですねッ」


 布団の中で繋がる手の結束が固くなる。萌もその方法とやらは聞かされていないらしく、その声音は心なしか弾んでいた。一方でクオン部長の表情……と言っても見えないが……は、喜びを分かち合う俺達と相反して、沈んでいた。


「喜ぶだけ損な気もするがな。何せ俺達がやるべき事は今まで誰もやった事がないような事なんだから」


「え? で、でも時間を掛ければ良いと思うんですけど」


「君は俺と同じで八石様に遭遇した事をもう忘れたのか。八石様と遭遇した者は何の対策も無しでは一日以内に死ぬ。時間は掛けられない」


 そう言えばそうだった。八石様の殺し方ばかり印象にあったが、何の助けも無しには俺達は死んでしまうのだ。仮にその話が本当ならという前提だが、これを信じない道理はない。出鱈目ならばそれはそれで良いが、もしも本当だった場合は―――その時には手遅れだ。あの時信じておけばと後悔しない為にも、信じておいて損はない。


「それで、方法とは?」


「通常、余程親和性の高い怪異同士でない限り、同時に遭遇する事はあり得ない。メリイさんと八石様には何の親和性も無いから、つまりはこれを逆手にとって、怪異の効力を消してしまえばいい」




 ………………分かる様な、分からない様な。




 流石に分かりやすく言ってくれたので全く分からないという事は無いが、つまりどういう事かと言われても、頭の中で上手く纏められない。俺が硬直していると、部長が再び言った。


「要は、同時に二つの怪異を起こしてしまえばいいんだ。その為にはまず、二つを引き合わせる必要があるが―――これがまた大変なんだよな」


「何で、ですか?」


「八石様は目撃情報もあるくらいだ。引き合わせる事自体は容易いだろう。問題はメリイさん。それの姿を見た時ってのは大概死ぬ瞬間ってのがオチだ。言い換えると、それまで実体がないって事だ。だから引き合わせようにも、まずはメリイさんが何に反応して出現したのか調べる必要がある」


「え? でも俺の妹は……その、電話に出ないんですけど」


 今から家に行き、到着する頃には俺も死んでいる可能性が高い。また、部長の言葉を信じるならば家には居ない可能性がある。そうなれば無駄骨も無駄骨。おまけに命まで無駄にしておっぺけぺー。部長は俺と萌を通り過ぎて、部屋の扉に手を掛けた。


「安心しろ、お前にそんな事をやらせようとは思っていない。そういうのは俺の領分だ。お前はとにかく八石様に殺されない為にも、自分の部屋から出るな。誰の声が聞こえても、絶対に開けるな。分かったな?」


 部長はそう言って狐のお面を外しつつ、部屋を出て行ってしまった。俺の返事を待つかに見えた質問は、その実、只の警告であった様だ。萌は俺から離れると、狐のお面を扉に引っ掛けた。


「何してるんだ?」


「魔除けになるかなと思って」


 ならないと思う。部長が神聖な存在であれば話は別だが。


 続いて俺も立ち上がり、彼に言われた事を思い出す。流れで言われたから忘れてしまいそうだったが、八石様に殺されない為には、どうやら部屋から出なければいいらしい。が、ここは萌達の部屋だし、彼も自分の部屋からと言っていた。今動けば……間に合うのだろうか。


 気がかりな事があるとすれば碧花の機嫌だが、もう直っている事を信じたい。俺は萌に別れを告げると、大人しく自分の部屋へ戻る事にした。












 部屋の扉は…………開いていた。



 やった人物は明白だ。オートロックのかからない様に、スリッパが挟まれている。


 あの会話を聞いていたとは思えないが、あまりにも丁度良いタイミングだ。遠慮なく俺が足を踏み入れると、やけに部屋の中が静かな気がした。


「碧花?」


 居ない。布団にくるまっていたのは巨大アザラシちゃんだった。ひょっとして自分でも居心地が悪くなって、外の空気でも吸いに行ったか、それともエントランスホールにあった休憩スペースにでも行ってしまったのか。怪異のせいではない、と思う。既に起きているのなら、俺は早速部屋を出るなという部長の言いつけを破った事になる。


 そうなれば、死んでいる筈だ。する事も無いので、俺はベッドに寝転んで、テレビを見る事にした。テレビを見るな、とは言われていない。退屈しのぎという事もあるし、出来ればこの張り詰めた空気を少しでも緩和させたかった。


 携帯を何気なく見ると、碧花とのチャット欄に『少し歩いてくる』という書き込みが残されていた。やはり俺の思った通り、彼女は自分でも居心地が悪くなってしまってここを出たのだ。怪異の仕業ではない、と思いつつも、やはり心の何処かで信じ切れていなかった俺は、この文章を見てホッとした―――





「ああああああああああああ!」





 馬鹿だった。俺は急いで玄関まで戻ると、挟まれていたスリッパを戻し、オートロックを発動させる。幾ら何でも阿呆すぎる。何でこれを忘れていた。これでは入り放題ではないか。長い時間挟まれていたせいか若干スリッパに皺みたいなものが出来てしまったが、弁償とかにはなるまい。この程度は、多分気付かれないだろう。



 安心して俺が部屋に戻ろうとすると、早速扉をノックされた。



「誰だ?」


「私。水鏡碧花だ。お望みならスリーサイズでも口にしようか?」


「マジか?」


「宇宙人の存在くらいマジだね」


「その返答で俺はどういう捉え方をすればいいんだよ!」


 一瞬、八石様が碧花を装ったのかと思ったが、この返し方といい、このぶっきらぼうな感じといい、本物に違いない。俺は直ぐに扉を開けようとしたが……部長の言葉が思い出され、手が止まる。



『誰の声が聞こえても開けるな』



 同じ部屋に居るし、碧花くらいならば良いと思って手を伸ばすが、またも何かに抑えつけられる。抑えつけたのは俺の本能だった。そういう勝手な解釈が悲劇を起こすのだという、第六感にも似た危険察知の本能だった。


「えーと…………その、碧花。落ち着いて聞いてくれ」


「何だい?」


「俺、今、扉開けられないんだよ。その―――信じられない様な話かもしれないけどさ……」


 俺は八石様の事をかいつまんで碧花に説明した。碧花はかなり肝が据わっており、こんな話を聞かされても怖がることはない。それは信じていないというよりも、自分が生き残る事に絶対の自信を持っている様だった。信じる信じないはその場所による。縁もゆかりもない地での心霊は信じないが、そうでないのなら―――


「……成程。だから私も入れないと」


「ごめん! 八石様から逃げられたら直ぐに開けるから!」


「―――君は、信じてるのかい?」


「え?」


「君はその話を信じてるのかと尋ねたんだ。もしも嘘だったら、私を一日廊下に放置しただけになるけど」


 質問の意図は図りかねたが、また彼女の機嫌を損ねる訳にもいかないので、俺は正直に、そして慎重に言葉を選択する。


「もしも嘘だったらっつうか、もしも本当だったら……死ぬから。怖いんだよ。俺はお前ともっと過ごしていたいし、寿命で死ぬ以外の死なんてまっぴらごめんだ。お前を満足させるって言ったのに……本当に、ごめん」



 十数秒にも及ぶ沈黙。



 心からの謝罪は当人すらもある程度落ち込ませる効果があった。俺は扉を背に座り込み、懺悔の様に呟いた。


「…………いいや、私は別に怒ってはいない」


 程なく、背後で扉の擦る音が聞こえた。碧花の声の位置から、彼女もまた扉を背に座り込んだ事を直感する。


「こうして非現実的、非科学的な事態に見舞われるというのは久しぶりの事だ。あの時を思い出すね、狩也君」


「それは……一人かくれんぼの話か?」


「ああ。あの時も君は怯えていただろう? お互いにとって思い出したくもない話かもしれないけど、どうしても思い出してしまうよ。私と君が初めて会った時の事なんだから」


 何度でも言う。首藤狩也があの時、友達欲しさに一人かくれんぼを行おうとしなければ、俺が彼女と友達になる事は無かった。こうして彼女と話す事も、笑顔を見れる事も、家に泊れる事もなかった。超絶的不運とは言うものの、そればかりは誰に対しても、超絶的幸運だと俺は胸を張って言える。厄の中にも福はあり。不幸続きの人生なんて、あり得ないのだ。


「扉越しに会話なんて、空しいものだ。私は君の目を見て君と話したいのに、これじゃあまるで扉と話しているみたい―――ああ、そう言えば。狩也君。携帯は持ってる?」


「え。ああ、持ってるけど―――」


 着信が掛かる。碧花だ。そこで俺は彼女の思惑について理解し、着信画面を見るや、ビデオ通話の許可を出す。数秒の暗幕が下りて、碧花の顔が俺の携帯に映りこんだ。


「便利な時代になったものだね。一昔前ならこんな事は出来なかった。これなら、八石様とやらの対策に穴を作る事にはならないよね」


「ま、まあな」


 彼女の言った通り、確かに彼女は怒っていなかった。ではあの時、どうして俺の声に反応を返さなかったのか。気になったが、俺は過去に執着しないタイプだ。きっと眠かったのだろうとでも納得しておけば、面倒は起きずに済む。


「でも、これじゃあ顔が見えるだけか。一刻も早く八石様なんて傍迷惑な怪異には終わってもらいたいね。せっかく君と二人きりになれると思ったのに、全く気に入らない事をしてくれたもんだね」


「全く同感だ。今、部長が調べてるみたいだから、あの人の事を信じるしかない」


「…………少し疑問なんだけれど、八石様に遭遇してしまったのは彼もなんだろう。君には部屋から出るなと言っておきながら、どうして彼は歩き回っているのだろうね」























 怪異を二つ同時に引き起こす事で、その特異性を無力化する。我ながら馬鹿げた案だが、そもそもメリイさんと八石様の同時遭遇自体が馬鹿げた事態なのだから、馬鹿には馬鹿で対抗するしかない。しかし俺は、もう一つの可能性も考えていた。そして悲しい事に、圧倒的にそちらの方が可能性としては考えられるという事だ。


 見える物が全てではない。ある方向から見えずとも、裏に回る自分には見える事だってある。


「…………第二回戦と行こうか、『首狩り族』。どちらが先に幕を引くか、知恵比べだ」


 俺はエレベーターに乗り込み、扉を閉めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る