俯瞰世界は美しく


「それでは先輩、今日はありがとうございました!」




 楽しい時間はあっと言う間に過ぎていくもので、あれからも雑談を交えていた俺達に遂に別れの時間が訪れた。いつまでもこの時間が終わらないというのも、それはそれで問題だったが、それでも俺にしてみれば一瞬の出来事だったので、出来れば後三十分、いや後一時間……寝起きに感じる布団の温もりの如く、出来れば長引いて欲しかった。


「おう。部長と一緒に帰るんだな?」


「はい。部長が『お前達が無事に帰るまで見届けないと何が起こるか分からない』とか言い出したので、お言葉に甘える事にしました……小学生じゃないんですけどね、私達」


 さりげなく文句を呟く彼女に、すかさず彼が言った。


「部長にしてみれば部員は子供みたいなものだ。それに、あまりこんな事は言いたくないが、君の不運によって何らかの被害が起きないとも限らない」


 成程、考えてみれば自然な判断、というより賢明な判断だった。


 俺とオカルト部の間に繋がりが出来たのは、その不運を期待されていた……要は、それによって七不思議の発生を起こしたかったからだ。しかしながらあの事件はとっくの昔に幕を下ろした。


 人ならざる者の手によって部員が死に、俺達も殺されかけて、終いには奇怪な事件として処理された。あの時点で俺に対する需要は消え去ったとも言える。そう考えると、俺の超絶的不運は文字通り只の不運となるので、他の人に被害が及ぶと思われるのも仕方がない。部長が申し訳なさそうに前置きをしたのも、そういう事だろう。


 俺は惨めな気分になったのを苦笑いで誤魔化し、何となく頭を掻いた。


「あーそうですよね。俺の不運でまた萌や御影に何かあったら大変ですもんね」


「送りたかったのか?」


「いや、そういう訳じゃないですよ。只、俺の暇を潰す為に付き合ってくれたから、その礼は返さなきゃなあとか思ってただけです。それじゃあクオン部長、二人を宜しくお願いします」


「お前が言う台詞か、それ……まあ、安心しろ。俺が居る限り、二人には何も起こさせないさ―――たとえ、何が襲って来ようともな」


 不穏な一言を言い残し、部長は三人を引き連れながら何処かへと去っていった。俺の姿が見えなくなるまで、萌はこちらに手を振っていた。







 さて、どうしようか。







 どうするも何も、食事は済んだので碧花に連絡をしなければ。彼女が機嫌を悪くしていると冗談抜きに本当に怖いので、出来れば機嫌が悪くなっていない事を願うしか無かった。


 緊張の一瞬。電話を掛けると、一コールの内に通話が開始された。


「もしもし狩也君ッ?」


「おう碧花。そんな慌てた風でどうしたんだ? まさか俺からの電話を待っていたとかそんなんじゃ…………」


「そんな事言ってる場合じゃないよ。君、クラスのグループには入ってる?」


 クラスのグループとは、連絡網の様なものである。テスト期間に入れば期日やら科目やらその範囲やらが回される。別クラスの彼女がそれを知る道理は無いのだが、基本的にクラスのグループは先生が作り、そこに生徒が入る形になるので、何処のクラスもやっているのだろう。やらないメリットは無く、やらない場合は非常に連絡が全員に行き渡り辛くなるので、そのクラスの担任がまともな思考をしているのなら、まずやっている筈だ。


「一応入ってるけど、あんまり見ないぞ?」


 テスト期間の日は基本的に碧花の家に入り浸り、勉強を教えてもらっているのが俺だ。女の子に教えてもらうなんて情けなさが極まっているが仕方ない。彼女の方が頭が良いのだから。それに俺は、クラスの連中と絡んでいるより、彼女と話している方がずっと楽しい。


 それは邪な感情を抜きにしても、自分を嫌悪してくる連中より、自分を好意的に思ってくれている人と話した方が楽しいという、余程ひねくれた人間でない限りは到達する単純な理屈だ。


「私は……学校の掲示板で騒がれてるから知ったんだけどね。君は早くグループのメッセージを見てくれ。多分―――動画が、出てると思うから」


「動画ぁ? 別にあれだろ。クラスの誰かが「彼女でーす」とか言ってリア充アピールしてくるうざい奴とかだろ? そんな騒ぐ程の事じゃない…………」


「あ。ちょっと待って。周りに人が居ない所で見た方が良い。児童ポルノを所有してるとでも勘違いされた日にはどうしようもないからね」


「は? 児童ポルノ?」




 彼女から伝えられた言葉が理解出来なくて、大声でその言葉を言ってしまう。近くに人通りが割とあるせいで、一部の人間から妙な視線を向けられた。




 ここでこそこそ逃げてしまうと、いよいよ本当にそっち系の人間だと勘違いされてしまうので、俺は暫く沈黙を保った。ダークウェブの事なんか知らないし、俺はホワイトでクリーンでクリアランス……ってなんだ? ともかく、汚れたものとは何ら関係がない健全な人間なのだ。こんな所で捕まる訳には行かない―――


 言い訳すればするほど、そっちの人に近づいてしまう事に気付いた俺は、その場で言い訳をやめた。違うというのなら、いいえとだけ言えばいいのだ。


「声が大きいよ」


「すまん。人が居ない場所って何処かあるか?」


「トイレとかでいいんじゃないかな」


「……なあ。それだと俺が本当に犯罪者みたいじゃないか。もっとこう……無いのか?」


「いや、君が何処に居るのかなんて私が知っていたら、それこそ犯罪者だよ。だって、君の位置を知っていたら会いに行っている訳だし、それが出来たらストーカーだよね」


「そりゃそうか。えっと……ちょっと待っててくれ」


 何処か適当な場所がないかと辺りを見回すも、そんな都合の良い場所があったらいいなと思えるくらい、何も無かった。馬鹿みたいに見通しが良い。どうなっているのだこの街は。ポルノを隠れて見られる様な配慮に欠けているではないか。



 そんな配慮のある街なんて嫌だが。



 考えた末に、やがて俺は一つの結論に辿り着いた。それは、何気ない場所で見れば、何も見ていない様に見えるだろう、というものだった。


 街を通行する学生がAVを見ていると思うか? 電車の中でサラリーマンがエロ本を読んでいると思うか? 敢えて隠れようとしなければ、俺自身も怪しい人物とはみなされないのである。みなされない筈である。


 早速俺は近くの公園に移動して、空いているベンチに座る。碧花は大袈裟な発言をする女性ではないので、彼女の言葉を信じるならば、文字通り児童ポルノを見る事になる。俺は見慣れた筈の携帯に姿勢を正して向き合い、震えた手つきでグループのメッセージを開く。そこには確かに動画があり、送信者は―――菜雲だった。


「これか?」


「これかと言われても知らないけど、あったんだね?」


「ああ。あったよ。既読はもうたくさんついてるけど、誰も何も言わないのは不思議だな」


「混乱してるんじゃないかな。或いは君と同じ男の人なら……かぶりついて見ているのかもしれない。人は背徳的快楽には抗いがたいものだ」


「お、俺は抗えるからな!」


「そんなに否定しなくても。君は性欲が溜まったら私に頼めばいいじゃないか。それで君の煩悩が鎮まるのなら、私は一向に構わないよ」


「俺が構うのッ! …………いったん、電話切って良いか?」


「はいはい。じゃあ、またね」


 電話が切れる。わざわざ切ったのは、音量の連動性の問題だ。仮にこれが何らかのポルノだとしたら、音量を消して見ないといけない。だが、音量を消してしまうと通話自体が成立しなくなる。そうなると通話している行為が無意味になるので、通話を切った。





―――まだ何も見ていないのに、何故か緊張する。





 だが、見ない訳にはいかない。仮にもクラスに流された動画だ。この既読を付けた者達と同じく、俺もこの動画に既読を付けなければ……既読はもう付いているか。


 ならもう引き返せない。俺は動画を再生した。








 場所は校舎だろうか。かなり古い様に思える。廊下の一部分が腐っているし、窓も割れている。取り敢えず、ウチの校舎ではないらしい。


 映っているのは見た事のない男性複数人と菜雲。行われている行為は、所謂集団レイプとされるものだった。見る限り彼女は嫌がっているが、男達は何かに憑かれているみたいに……或いは、文字通り必死になって彼女を犯している。途中途中で悪態を吐こうとする姿も見られるが、それも口を封じられて出来ない。ナニで封じ込めたかは…………言えない。かなり気分が悪い。


 動画再生時間はおよそ三〇分。筆舌に尽くしがたい不快感がそこにはあった。こんなものを一からぶっ通しで見られる訳が無いので、俺は直ぐに下のバーを動かした。こんな映像を見てしまっても尚、俺はこれが嘘であると信じたかった。動画の最後に『ドッキリ』とでも出てくれれば、それで安心できるだろうと思ったのだ。



 しかし現実は非情なり。動画が終了に近づくと、男達が足早に画面外に去っていった。後には全身を男達の煩悩で汚されたボロボロの菜雲が倒れ込んでおり、遠目から僅かに見えるその瞳からは、光が失われていた。



 そして俺の期待していた文字が浮かび上がる事もなく、動画は終了した。







 終了までの数十秒間、ビリビリに裂かれた制服や、乱暴に剥がされた下着と共に、菜雲は最後まで動かなかった。死んではいないだろうが、動画終了に近づくと彼女は人間というより、モノになっていた気がした。


「…………」


 どんな怪奇現象よりも、どんな怪異よりも、事態の理解が追いつかない。あれは非日常の中の出来事だからまだ『分かる筈がない』と開き直り気味に納得出来るが、菜雲という女性は、俺にとっては日常の中の登場人物だった。


 その日常が、突然非日常に晒される。


 これを理解しろという方が無理だ。開き直る事も出来ない。学校での一件以降、彼女とは一切接触していないので、俺のせいという事で落ち込む事も出来なかった。



 本当に、只々訳が分からなかった。



「……………………え?」


 恐怖よりも、興奮よりも。先に訪れたのは困惑。どうしてこんな映像があるのか、どうして彼女から送信されているのか、どうして彼女がこんな目に遭っているのか、分からない。分かりたくもない。


 これ以上携帯を見る事すら、何だか俺の精神にとって非常に不味い気がしたので、直ぐに俺は視線を上に逸らした。ベンチの方向的に、携帯の背後にはビル群が立ち並んでいる。



 今思えば、上に逸らした事が不味かった。お蔭で俺はビルの屋上を見る事になってしまったし、そして偶然か必然か、その屋上には直前に見覚えがある人間の姿があった。



 見間違える筈もない。ボロボロの制服がそのままなのだ。屋上に佇むあの少女が笹雪菜雲である事は、特別視力が高い訳でもない俺でも見分けられる。では彼女が何をしようとしているのか……特別頭が良くなくても、直前にあの映像を見ている俺なら、直ぐに分かった。


「ちょ、ちょっと―――!」


 物理的に距離が遠すぎる。俺の声が届く事は無い。しかし今の所彼女の存在に気付いているのは俺だけなので、俺が駆け寄らない理由も無いだろう。


 無駄と分かっていても、あり得ないと知っていても。それでも人は、奇跡を望んでいるのだ。


「菜雲おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 俺が渾身の力を振り絞って大声を出すと同時に、彼女の身体が宙を舞った。





  















「狩也君!」


 偶然にも彼を見つける事が出来た私は、急いで彼の下へと走り出した。しかし、彼の身体が硬直しているという事は、間に合わなかったという事だろう。彼の視線の先には、何十人もの野次馬、警察が集まっている。


 私は彼の隣まで駆け寄ると、集団の隙間から僅かに見える光景を見て、口を覆った。




「……………………ああ。酷いね、これは」


 

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