守る為に


「…………うおおおおおおおおおお!?」

 蝋人形に呑み込まれるという状況を、よく俺の脳は理解したものだ。それもかなり引き込む力が強い。万力で固定されたみたいに腕は動かず、俺を侵食しつつある蝋も、蝋とは思えないくらい硬い。非力な俺ではたとえ理解したとしても、対処のしようがなかった。

「碧花ッ! ちょっと手を貸してくれッ!」

 後ろを見ている場合ではない。腰を落として懸命に己の腕を引っ張りつつ、この場に居る唯一の人間に救助を頼む。しかし返ってきたのは予想外の答えだった。

「―――悪い狩也君。無理だ」

「はあ!? なんでッ?」

「良く周りを見てみなよ」

 言われた通り、他の蝋人形の方に視線を向けると―――


 ゆっくりとだが、残りの人形も俺に向けて歩みを進めていた。内一体、生気の無い瞳と目が合うと、再び俺の全身から体温が消えていくのが分かった。


 ―――そういう事かよ。

 これが神通力かはさておき、この蝋人形達の視線には体温を奪う効果があるらしい。目が合えばなのか、それとも見られたらなのかは……多分前者。そう考えれば茂みでの一幕にも説明が付くし、現在の碧花が特別体温について言及していないのも頷ける。


 人形は誰一人として碧花を狙っていなかった。全員、俺のみを獲物に絞っているのである。


 だから碧花は俺を助けられない。幾ら彼女と言っても多勢に無勢だし、呼吸の影響はまだ取り除かれていないのだから。

 救援を拒絶された事で恐怖を感じ、危うく呼吸を乱しそうになったがそれは堪える。どんな状況であれ、碧花が隣にいるのだ。情けない事は出来ない。

「……分かった。碧花」

「何?」

「お前だけでも逃げろ。こいつらの相手は俺がやる」

 ってか俺しか出来ない。既に呑み込まれているし。『ここは俺に任せて~』と言うような奴が生き残ったケースなんて滅多にないが、彼女が狙われていないなら、それは僥倖。甘んじない道理が無い。

 俺の覚悟に、初めて碧花が声を荒げた。

「死ぬ気かい?」

「お前も萌も由利も居ない世界に生きてる価値なんかねえよ! …………お前達が助かるんだったら命くらい懸けてやるさ。今まで他人の首を狩ってきたんだからな。俺が命を惜しんだら、死んだ奴に顔向け出来ない」

 彼女は言葉に詰まったが、それでもこちらを説得する様に言い返した。

「君のせいじゃないって何度も言ってるだろ。それに『首狩り族』は嘘っぱちだ」

「嘘っぱちだとしても、俺の近くで人が死んだ事に変わりは無い! それにここでお前まで死んだら、それこそ俺の『首狩り族』が真実だと証明される事になる。お前が俺の噂を嘘っぱちだって言ってくれるなら、逃げてくれ!」

 蝋の浸食は二の腕まで進んでいる。いつ蝋人形が気を変えて碧花を狙わないとも限らない。俺的には早い所逃げて欲しかった。そして俺の代わりに一人かくれんぼを終わらせてもらいたかった。

「早く!」

 勘違いしないでもらいたいが、俺も死ぬつもりはない。不死身の身体でもない限り死ぬ事を望む奴は居ない。だから今もこうして、後ろの碧花と会話をしつつ踏ん張っている。進展は微塵も見られないが。

 ―――マジでどうなってんだよこの蝋。

 硬度は明らかに蝋ではないが、俺の知っている蝋と同じ特性なら、熱を加えれば柔らかくなるだろう。問題は熱源になりそうなものがランタンくらいしか無いのと、ランタンを捨てると、ここを脱出した後が非常に辛いという事だ。何が辛いって、単純に視界が悪くなる。気づかない内に碧花がまたすり替わっていても、気づかないだろう。

「早く!」

 単純な力押しでは無理そうだが、下手にこの蝋人形に接触すると、その部分も吸い込まれかねないので触りたくない。触らずにこの拘束を逃れる……ここで俺も神通力を使える様になれば、それも可能かもしれない。

 不運に幸運を求めても仕方ないが。

「…………君の数多い悪い点だよ」

「……何の話だ!」 

「…………君は自分を弱者と自覚している割には、考え方が強者のそれだ。自分一人で背負い込む。取れない癖に責任を取ろうとする。そういうの、良くないよ。責任は取れる人が取るから成立するんだ。自分一人で背負い込むのは、自分一人で解決出来る人がするから成立するんだ。出来もしない事をやろうなんて、思い上がりも甚だしいよ」

 彼女が怒れば生物の自衛本能として背筋に悪寒が走るので、別に怒ってはいないらしい。とはいえこちらを咎めるかの様な口調には、今まで恐れてきただけはあって、怯んでしまう。

「あ、碧花ッ? だから早く逃げろって―――」

 逃げろと促され続けた彼女の答えは、俺の理想とは遥かにかけ離れたものだった。足音が近づいてきて、瞬間。

「え、ちょ碧花。お前、何して―――」



 碧花は両手を組み、俺の手と蝋が繋がっている場所目掛けて、思い切り振り下ろした。



「うおッ!」

 鉄みたいに固かった蝋が一瞬で崩れ、俺の腕が解放される。二の腕まで上ってきていた蝋は、碧花によって引き剥がされた瞬間、意思を失った様に剥がれ落ちた。蝋燭の感覚はまだ残っているが、腕は無事である。

 代わりに蝋人形が腕を捥がれる結果となったが、良く俺の腕と蝋の境目が分かったものだ。

「お前、よ、良く砕いたな」

「全方向から固められた状態じゃ力も入れられないでしょ。どう、腕は大丈夫?」

「ああ、大丈夫だけど……逃げろって言っただろ、俺」

「君の命令なんか聞かないよ」

「……どうせ囮になったって、直ぐ役目を終えるからか?」


「違う。私は君に死んでほしくない」


 蝋人形に手出しした事で、半数以上の蝋人形が碧花にヘイトを向けた。しかし彼女はそれ以上のヘイト―――殺意の視線を向けて、それに応えた。

 それから俺の方に顔を向けて、顰める。数秒前に振りまかれた殺意は、何処にも残っていなかった。

「助けるなら最初から助けるべきだったんだけどね。さっき気合いでねじ伏せるって言ったけど、実はもう平静を装って立ってるのがやっとなくらい苦しいんだ。だから最初は動けなかった……でもそれは、動かなかったのと同じだ。ごめんね」

「いや、別に良いって……ってか、そんなに深刻になってんのかよ! じゃあ言えよ、全然気づかなかったわ!」

 俺も大概平静を装うが、今はそんな事をしている場合ではないと碧花も分かっているだろうに。どうしてここまで来て偽るのか。

「まだ動けるからね。勝手に足手まといと判断されるのは私が許せない……助けた理由だけど、さっきも言った様に私は君に死んでほしくないんだ。私には君しか居ないから」

「…………俺しか、居ない?」

 悠長に話していられる程時間が無いのは分かっている。分かっているのだが、どうも俺は、それを聞かなければいけない様な気がした。この後の展開がどうあれ、碧花の真意が見えるのなら、見なければいけない気がした。

 俺の知らない彼女が、見えるかもしれないから。

「知っての通り、私のトモダチは君しか居ない。君が居なくなったら、私は今後誰と一緒に居れば良いんだい? 私の事を守るって、どんな時にも傍に居るって約束をしてくれた君が居なくなったら―――忘れてるなら私が思い出させてあげるよ。あの時君がしてくれた約束、私は一生覚えてる。傍に居るって、味方で居るって」

「や、破ってないぞ」

「ああ破ってない。だけどここで君が死ねば約束は破られる事になる。死体も呑み込まれるだろうしね。それで思ったんだ。君がここで死ねば約束は破られる。でもそれを見捨てたら、私は約束を破らせた事になるって。そんなの―――卑怯じゃないか。約束を破らせたかったみたいじゃないか」

 こんな会話をしている間にも、蝋人形はじりじりとこちらに寄ってくる。片腕を捥がれた筈の人形も、いつの間にか片腕を再生した状態で迫ってきていた。

「そんなの駄目だ。駄目だから助けた。君を助けた理由はそれだけだ」

「…………やっぱり、俺って頼りないか?」

「いいや。頼りになるとも。だけどさっきも言った様に、君は紛れもない弱者だ。自分一人で背負い込んだって何が出来る。君は漫画の主人公でも無ければ実在の英雄でもない。君一人の命が懸かって事態が動く程、世界は都合よく出来てないんだよ」



 だから―――。







「君が命を懸けるというのなら私も命を懸ける。だから死ぬな、狩也君。生きてオミカドサマを封印しようじゃないか。格好良く死ぬよりも、醜く生きようじゃないか。もしも最善を尽くして、それでも駄目だったら、その時は……君と一緒に死んでやる」



 




 言い終わってから、碧花は有無を言わさず扉を開けて部屋から脱出した。そんな彼女に手を引かれながら、俺は呆然と彼女の後姿を見ていた。 

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