お前がいるだけで

 横穴の入り口で待ち伏せを喰らっていたら流石にどうしようもなかったが、そんな事は無く、俺達は無事に山の中へと帰還した。結局ランタンは置いていってしまったので、視界は狭く、足元すら満足に見えない。

 その中で碧花は木の幹を正確に回避して、横穴からかなり離れた位置まで走り続けた。そして不意に、止まった。

「……まずい」

「え?」

「眠く……なってきた」

 俺の説が正しいのなら、碧花は先程蝋人形達に見られた事で、体温を奪われている。それが原因で眠くなっているのなら……かなり不味い状況だ。果たしてそれが実際に起こり得るのかどうか知らないが、雪崩に巻き込まれて生き埋めになった人は、突然雪が温かく感じ始め、そして眠くなるそうだ。漫画で見た事がある。そういった人物は等しく凍死しているのだが―――それが碧花にも適用されているとしたら、現在、彼女の身体は死にかけている。

 碧花は近くの幹にもたれかかると、弱弱しい手招きで俺を呼び、近づいてきた俺を優しく抱きしめた。

 …………身体が、冷たい。

「狩也君。良く聞いてくれ」

 耳元に辛うじて聞こえてくる声は掠れ切っていた。全神経を耳に集中しないと、聞き逃してしまいそうだ。

「多分…………ここまで影響が強くなったって事は、元凶が近くに居る…………と思う」

「元凶って蝋燭歩きの事か?」

「………ぅん。だから……頼む。もうす……ぐ、意識、が……失、しまうから―――――――――」

 その言葉を最後に、碧花の意識は途絶えた。俺の耳が悪くなった訳ではない。少し距離を取って彼女の表情を窺うと、眠っているというよりかは、意識を失っている様に見えた。

「……碧花」

 結局、彼女は何を頼みたかったのだろう。意識を失った今、それは分からない。たとえ今、身体を揺らした所で起きないだろう。体感では眠いだけでも、実際死にかけている恐れがあるから当然だ。死んでいる奴に『おい起きろ』と言って、『はい起きました』と返せるだろうか。死にかけの奴に『頑張れ』と言って頑張れるだろうか。頑張れるとしても、それは頑張るとは言わない。単に無理をしているだけだ。

 彼女が何も託してくれなかった以上、俺は俺の判断で動くしかない。碧花によって生かされたこの命を、俺が俺の手で生かすしかない。



―――もう、来たのか。



 背中から体温が一気に消えていくのを感じ取り、俺は背後から元凶が接近してきた事を直感した。

「…………近づくな」

 碧花の頬をそっと撫でてから、俺はスッと立ち上がり背後を振り返る。そして当初から一目見たかったその顔を、睨みつけた。

「それ以上こいつに近づくな、蝋燭歩き」

 恐らく、それは女性であった。

 ただしその顔は酷い火傷と温度の消えていない蝋に塗りたくられ、とても生きている状態とは思えない。唯一蝋を纏っていない左目が、黄土色の瞳を爛々と輝かせながらこちらを―――正確には碧花を見つめていた。先程とは一転して、怪異共は俺ではなく碧花に注意を向けている。攻撃をした事がそれだけ気に食わなかったのだろうか。

「近づくなって言ってんだろ!」

 俺も同じだ。気に食わない。オミカドサマが遊び相手として求めているのは俺だろう。碧花は関係ない。蝋燭歩きと関連性があるのか無いのか。もうそれはどうでもいい。どうせ関係があるに決まってる。あの部屋の蝋人形が俺を『見つけた』と言ったのだから、協力でもしているのだろう。

「俺を見ろよ。碧花に近づくな」

 言葉が通じないなら、直接行動で示すまでだ。体温の低下が加速する事も厭わず(視界に入れば影響があるのだろう)、蝋燭歩きへと近づいた。顔ばかりインパクトが強くて分からなかったが、予想以上に身長が大きい。二メートルはあるかもしれない。それでいて身体は極限までやせ細っていて、顔に負けず劣らずの火傷が刻まれている。それとは全く別に無数の切り傷が全身に刻まれているが、吹き出しているのは血ではなく、蝋だった。

 こうして対峙してみて思ったが、俺は何という化け物を見つけ出そうと思っていたのか。これは、オミカドサマに萌が攫われなくても後悔していたかもしれない。どっちみち、面倒な事にはなっていた。

 前後の状況が違うだけで、こいつとの対峙は必然だったのかもしれない。俺が目前一メートルの位置まで近づいても、蝋燭歩きは碧花へ向けて前進している。徹底的に俺を無視するスタンスらしい。俺には何も出来ないと、そう舐め腐っているかの様だ。

 確かに俺は虫も殺せない……事は無いが、暴力的な事は嫌いだ。喧嘩したら絶対負けるし、お化け屋敷では毎回ビビって碧花にくっつくし。喚く事以外、俺は何も出来ない。平和主義だから。何事も穏便に終われば良いと思っているから。









 俺は限界まで拳を引いて、蝋燭歩きの顔をぶん殴った。









 巨体の割に極めて痩身である事が幸いし、蝋燭歩きは派手に吹き飛んだ。頭に被っていた蝋燭の冠の灯が大きく揺らめく。灯は決して消える事も燃え移る事も無かった。

 心は不思議と落ち着いている。体温が下がろうと知った事か。感覚が死んでも、相手をぶん殴る事は出来る。

 俺は大きく息を吸い込み、慣れない啖呵を、全力で切った。

「失せろ! お前が居るだけで、碧花が苦しむ!」

 怪異に物理攻撃が効くなんて聞いた事も無い。プロボクサーならまだしも、俺は素人。時間稼ぎが精々だろうが、それで十分だ。幹に凭れ掛かる碧花を素早く抱き上げると、起き上がるまでに当てもなく走り出した。

「―――うおッ!」

 早速木にぶつかった。どうやって碧花は木を避けていたのだろう。俺の肩が壊れるのが先か、蝋燭歩きを撒くのが先か。そういう勝負になりそうだ。そろそろ起き上がっている頃だろうから、これ以上のタイムロスは認められない―――そう思った矢先、俺の右肩を、何かが掠めた。

「あっつッ!」

 それは一瞬の熱だった。擦過熱だろうか。それにしたって近付いてくるのが早すぎる。後ろを振り返っている暇なんて無いから、それが何だったかも分からないまま、引き続き走る。

 何処に行く?

 何処が安全?

 誰も答えを教えてくれない。碧花と言う最大の味方が意識を失った今、全ての答えは俺が作るしかないのだ。




 碧花の願いを。碧花の約束を。俺は守らなければならない。『友達』として。


 



 














「はあ……はあ………………はあ」

 十五分以上ノンストップで走ったせいで、流石に息が切れた。平地ならもっと続いただろうが、ここは山道で獣道。要は足元が悪い。十五分転ばずに走れただけでも、十分な方と信じたい。運の良い事に小屋も見つけたので、そこに碧花を置き、俺も一時の休息を過ごす事にした。蝋燭歩きが手出し出来ない様に、ちゃんと休息場所は小屋の前を選んでいる。怪異は物理法則を無視するが、蝋燭歩きは殴れた点からも分かる様に、実体化していた。ならこれで十分だろう。

「…………どうすっかな」

 蝋人形が全て怪異の影響を受けているとなると、魂を吹き込む素体を別で用意しなければならない。が、俺が考えているのはそれ以前の問題だ。それは碧花が蝋燭歩きの影響を受けてダウンしている事。彼女抜きに緋々巡りが成功するかと言われると首を傾げるし、オミカドサマを封印できたとしても碧花が眠ったままなら俺にとっては失敗だ。

 オミカドサマと同じ理屈で考えると、怪異の影響を受けた者を助けるなら、その怪異を無力化するのが最善策だ。オミカドサマと蝋燭歩きが別の怪異だとしても―――こうなった以上は、二人共無力化する必要がある。


 ―――蝋燭歩きの調査くらいは、しておきたかったかな。


 オミカドサマは緋々巡りをすれば良い。じゃあ蝋燭歩きは? 緋々巡りはオミカドサマの性質を逆手に取った儀式であり、全ての怪異を等しく封印する万能術ではない。そんなのがあったらそれはもう異能力だ。

「ああ、痛い……」

 拳を撫でつつ、呟く。殴りどころが悪かったのもあるだろうが、蝋燭歩きの顔に張り付いていた蝋で火傷したのだ。今の今まで気づかなかったが、ここで休息を取り始めてようやく気が付いた。まだ指は動くが、その内壊死してもおかしくない。

 うかうかしていると、俺まで行動不能に陥ってしまいそうだ。碧花の存在を確認すべく立ち上がり、彼女の眠る小屋に向かう。実体化していたとは言ったが、それ以降ずっと実体化しているとは限らないし、そういう奴は怪異とは呼ばれないだろう。既に攫われている可能性もある以上、定期的な巡回は必須である。

 ドアノブに手を掛け、回そうとした―――刹那。


 



「ミーツケタ」





 生気を感じない声と共に、俺の首は突然何かによって吊られた。

「ぐううううぅぅぅ…………!?」

 それが縄である事を瞬時に理解した俺は、何とか拘束から抜け出そうと両手を使って掴んだが、不意の熱さに怯み、離してしまう。蝋燭だ。この縄には蝋燭が付いている。という事は…………


 首を吊られている関係で上を見る事は出来ないが、犯人は間違いなく蝋燭歩きだ。もう追いついてきやがったのか。


「ぐぅ…………ぐぶッ! ガ…………フッ!」

 俺を吊り上げている縄を掴み、絞めつけを緩くしようと考えたが、手に力が入らない。空気が届かなくなっているのだろうか。痺れてきた。お手本の如く足をバタバタして見せるが、当然足場など無い。

「グ……………………ゴッ……………」

 既に意識は半分以上遠のいているが、まだ諦めない。俺はポケットから碧花が持っていたナイフを取り出すと、残った力を振り絞って、俺を吊り上げている縄へ闇雲に突き立てた。意識が消えるまでに縄が切れれば俺の勝ち。意識が消えたら俺の負け。意識の残り具合から、試行チャンスは推定五回。


 一回目。普通に外す。


 二回目。掠っただけ。


 三回目。外す。


 四回目。外す。



 繰り返す度にナイフを振る力が弱くなっていくが、諦めない。ここで俺が諦めたら、誰が碧花を守るというのだ。

 ―――後………………いっ………………かい!

 これで駄目なら、もう駄目だ。最後の一振りの瞬間、薄れゆく意識を完全に復活させた状態で、俺は五回目の悪あがきを試行した。



 ザッ、という音と共に、吊られていた身体が地上に叩きつけられた。縄が切れたのだ。



「………………う」

 しかし俺は大切な事を失念していた。意識を失いかけている状況から解放された所で即回復出来る程、人間の身体は化け物染みていないのだと。地上に叩きつけられたはいいが、全く動けないのでは、吊られている時と何ら変わりなかった。真上を見る気力すら無い。

 このまま、碧花を殺されてしまうのか?

 このまま、俺は意識を失ってしまうのか?

 そんなの……絶対駄目なのに。体は言う事を聞いてくれない。休ませてくれとの主張を繰り返し、意識の所有者である俺の話を遮り続けている。行動とは肉体が意識の意見を聞いて初めて成立するものであり、このままでは何の行動も取れない。

 正常に機能しているとも言い難い聴覚に、何者かの足音が響いた。蝋燭歩きだろうか。それともオミカドサマだろうか。止めを刺しに来たのか、捕えに来たのか。それは分からない。

「うちの部員が、現在進行形で迷惑を掛けているらしいな。済まない。本来は君の仕事ではないというのに、いやはや全く申し訳ない」

 何か言っている。俺の名前を知っている。誰だ? こんな喋り方の人間を俺は知らない。西園寺部長はもう少し穏やかな喋り方をするし、俺に男友達なんて―――

 心当たりのない人物は、うつ伏せになったままの俺を、足を使って仰向けにしてくれた。


「後は俺がやろう。君ではこの怪異の相手は務まらない」 


 金属バットを持ったその男の名を、俺は無意識に呟いた。 












「……………ク、オん、部長」

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