全ては虚の中

「…………碧花ッ!」

 反射的に上体を起こした俺を迎えたのは、人っ子一人見当たらない小屋だった。勿論見覚えがある。碧花を寝かせていた小屋だ。そこに何故か俺が眠っていた。何を言っているのか分からないが、意識を失う直前の景色や状況はちゃんと覚えている。何故か居なくなったはずのクオン部長が助けに来たのだ。

「…………そうだ、クオン部長!」

 まだ彼が戦っていたらどうするつもりだったのだろう。仮に戦っていたとしても、俺にここで飛び出さないという選択肢は無かった。

 それは別にクオン部長の事を心配しているのではなく、守る筈の碧花が何処にも居ないからだ。蝋燭歩きの影響を受けたせいで、碧花は意識を失ってしまっている。クオン部長は金属バットを持っていたが、あれで蝋燭歩きを殺せるのなら苦労はしない。いや、殺せたとしても、無力化できなければ意味が無い。そして俺の拳に刻まれた火傷が消えていない時点で、まだあれの無力化は済んでいない。

 なら、こんな所でのんびりしている暇なんて無いだろう。碧花が眠りについてしまった今、俺は一人で戦うしかないのだから。


 外に出た俺を待ち受けていたのは惨憺たる風景だった。


 小屋付近の木々は全てなぎ倒され、足元には蝋の破片と思わしき白い物体。既に冷え切っているせいで硬いが、これだけバラバラに散っているのを見ると、クオン部長がなんらかの方法で蝋燭歩きの温度を冷やし、バットで粉砕したのだと考えられる。 

碧花の痕跡はどこにもなく、足跡すら発見出来なかった。攫われたと考えるのが自然だが、もし攫われたならクオン部長が書き置きか何かで伝えてくれそうなものだが(生きてるなら何かの理由で姿を現せないのだろう)、そんなものは小屋になかった。見逃した可能性は皆無だ。俺を除けば小屋は伽藍堂だった。その中に白い紙切れがあったのなら絶対に気付く。

 俺は考える事をやめなかった。俺が諦めれば、誰が碧花を救うのだ。誰が萌と由利を救うのだ(部長は恐らくあてにしてはいけないと直感した)。


 考えろ。


 攫われたのかそうではないのか、今はそんな事はどうでもいい。関係する要素はクオン部長、蝋燭歩き、そして碧花。このどれか一要素を見つける事が出来れば……碧花に関してはそのまま問題解決してしまうが……自ずと問題は解決出来る。

 全くした事はないが現場調査でもしようか。これだけ痕跡が残っているのなら、何かしら得られるものはあるだろう。というか無くては困る。見つけ出せ。今だけは俺も名探偵だ。まずは中止しなくても分かる程散らばった蝋の破片を調べよう。

 蝋人形が相手ならこの破片は何処の部位だ、この破片はどの部分だと語る事が出来たかもしれないが、蝋燭歩きの蝋は纏っているのもそうだが、奴は内部からも蝋を出せる。なのでこういう不定形な形の蝋は、俺達で言う所の血痕でしかない。

 それが何処かに向かって直線状に落ちているのならまだ意味もあるだろうが、ここまで無造作に散らばっているのを見ると、蝋燭歩きが暴れすぎてばら撒いたか、クオン部長にボコボコにされたからこうなったかの二通りしか想像出来ない。そしてどっちの場合も、碧花に繋がるとは考えにくい。


―――そもそも何でクオン部長が?


 わざわざ俺が過去の呼び方にしているのは、どっちの『ゆうくん』なのか分からないからだ。話し方からして西園寺部長は違うとして、俺が接していたのは九穏副部長なのか有条長船なのか。そのどちらかを断定出来ない以上、旧来の呼び方を使うしか個人を認識出来ないのである。

 そしてあのクオン部長は、恐らく死んでいない。

 もしもマガツクロノで出会った九穏副部長なら、あんな優しい言葉は言わないだろう。あんなに頼もしいクオン部長は、きっと今まで接してきたクオン部長の筈だ。でなきゃ後輩―――萌や由利の事について言及する筈がない。

 助けに来てくれたクオン部長が死んでいない(囚われていない)とすると、どうしてここに居るのか、という疑問が芽生えてくる。が、直ぐにその疑問は投げ捨てた。解決した所で碧花に繋がるとは思えない。今は彼の事などどうでもいい。


 次に俺は、なぎ倒された木々に注目してみる事にした。


 俺は植物に詳しくないので、この木がどうこう言うつもりはない。観察できる点は必然的に絞られてくるだろう。

 一つは勿論折れた方向だ。内側から外側に向かって……小屋から遠ざかる様に折れているので、幾らかの茂みが巻き込みを喰らっている。更に倒れた木の幹には棒状のもので殴った痕跡が見られるので、この木を折ったのはクオン部長…………


 いやいやいやいやいや。


 それだとクオン部長は化け物並の腕力を持っている事になる。幾ら彼が強くてもそれはない。俺も早計だった。バットが木に当たっただけで、実際に破壊したのは蝋燭歩きに違いない。そうに決まっている。そう信じたい。これで後々クオン部長が折っていた事が判明したら俺は彼から全力で逃げるだろう。

 木の本体に手掛かりは無さそうなので、巻き込みを喰らった茂みも含めて周囲に視線を向ける。何も無さそうに見えて、案外手掛かりはある筈だ。何せこの木々の周りにだけ蝋が落ちていない。不自然なくらいに片付いている。何も無かったら、それこそ何故掃除したのかという究極の謎が残るので、どっちにしても不自然だ。

 俺は膝をついて、巣から這い出てくる蟻一匹も見逃さぬつもりで注意深く手掛かりを探した。この時の俺の気合の入れ方と言ったら、金にがめつい人物が自販機の下を探すかの如く必死だった。五円が出れば御の字、なんてものじゃない。一円に相当する手掛かりすら、今の俺にとっては得難いものだった。

 だから信用ならない情報屋の持つ情報があからさまに嘘だと見抜いていたとしても、それが手掛かりである限り俺は買ってしまうだろう。それくらい俺は必死だった。


 これで次に見つけた碧花が死体だったら、無力感と憎悪に苛まれて、とんでもない事をしてしまうかもしれない。敢えて濁したが、俺が何をしてしまいかねないかは各自のご想像にお任せしたいのである。

 どんなに最悪な想像だったとしても、きっと俺はやってしまうだろうから。


「ん?」

 手掛かりを見つけた瞬間、俺は自分の作戦が間違っていなかったと気付き安堵した。やはり情報はネットではなく、足で稼ぐべきなのだ。どこぞの知恵袋に質問したってこんな所に証拠があるとは教えてくれない。俺自身がこうして探った事で、手に入ったのだ。

 そう考えたら、警察に繋がらなくても、西園寺部長が居なくても、クオン部長が居なくても、碧花を助けられる様な気がしてきた。自分に自信が付いたと言い換えてもいい。少なくとも、今この瞬間は。

 いや、その言い方も適切じゃない。自信があっても無くても、碧花を助けられるのは俺しか居ないのだ。一度取り戻そうと決めたなら、『成功する』と信じていた方が気が楽に決まっている。根本がネガティブな俺は、ここでも自信の持ち方がズレていた。

 でも自信である事に変わりはない。碧花は意識を失う直前、俺にこう言ったに決まっている。


『うん……だから頼む。もうすぐ意識を失ってしまうからあまり多くは言えないけど…………もし私が連れ攫われてしまったら、君が助けてくれ』


 俺の中ではそうなっている。なので何があっても折れる訳にはいかない。脳内碧花が度々俺に語り掛けてくるのだ。『君が私の王子様』だと。『私を助けてくれるのは君しか居ない』と。

 童貞の妄想力を舐めるな。俺だって都合の良い妄想の一つや二つくらい出来る。己を奮い立たせる為なら、エロからロマンチックまで何でもござれ。あまりにも性癖のストライクゾーンからかけ離れているならともかく、碧花はドストライクもドストライク。余裕だ。

「…………これは」

 碧花への自由な妄想の正当化に思考を割き過ぎた様だ。見つけた手掛かりの事を考えるのを忘れていた。


 俺が見つけた手掛かりとは、ハンカチだった。


 これは間違いなく碧花のハンカチだ。だってこれは―――俺がプレゼントしたものだから。その証拠に、このハンカチには彼岸花の刺繍が施されている。中学の頃、頑張って小遣いはたいて買ったのだ。無駄に高かった記憶がある。ついでに言うと、これをあげた瞬間、碧花が子供みたいに飛び跳ねて喜んでいたのを覚えている。あの光景を俺が忘れる筈がなかろう。あんなに彼女らしくない彼女なんて見た事ないのだから。

―――それがここで見つかった、という事は。

 更に観察する。今の今まで持っていた事にも驚いているが、そこまで大切にしてくれていたという事は、こんな場所で落とす筈がない。更に注意深く地面を観察すると、かなり薄くはあるが、足跡の様なものが見えた。

「……碧花!」

 これが彼女の物かなんて知らない。核心も無いまま、俺は闇の中へと飛び込んだ。

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