酔夢に狂う
考えればすぐに分かる。碧花の頼みなんてのは。
就寝準備を整えてする事と言えば、寝る事。碧花の部屋には二つもベッドは無いから、当然俺達は一緒に眠る事になる。きっと、それだろうと想像は付いた。
だがそれだけでは説明が付かない。
キスはともかく、一緒に寝るのは珍しい事ではない。高校に入ってからはこれが三度目くらいで、抱き枕にされる事もあった。それらは、わざわざお願いという形で頼まれずとも俺は快諾する。まず断らない。
―――不思議と嫌な予感はしないけどな。
これも少し考えれば不思議でも何でもない。俺からすればどう転がっても美味しい展開にしかならないのだから、嫌な予感なんて一ミリたりとも感じる余地はない。
「…………で」
どうしてこうなった。
「私のお願いはこれだよ。君に拒否権は無い」
「…………実はお前って、隠れМ?」
「どうとでも言いたまえ。隠れSの狩也君」
俺と碧花が一緒に寝る所までは想定通りだ。というかそうしないと俺か彼女が地べたで寝る事になる。それはいいのだが、問題はその状況だ。俺と碧花は手を繫がざるを得なくなった。
お互いの身体に近い方の手に手錠を付けられたから。
手錠の鍵は碧花が所有しており、朝になれば解いてくれるそうだが、裏を返せば朝までこの軽い拘束状態は続くという事だ。手錠を付けられる感覚は新鮮だったが、何だろうこの感覚。冤罪で捕まってしまった様な、そんな嫌な気分。
「……この状態で、お前を抱き枕にしろと?」
「そうだよ。手錠が付いているから、無理に距離を取ろうとしたら私も引っ張られる。手錠は痛いよ? 私を抱きしめられるくらい距離が近かったら、影響は薄いと思うけどね」
「いや―――それはいいんだけどな」
ここまで露骨に対策を打たれると、俺自身も躊躇ってしまう。
一緒に寝た事は何度かあると言ったが、抱き枕にされている時を除けば、俺はある程度の距離を取っていた。女の子特有の良い匂いを一生嗅いでいたらもう絶対に我慢出来ないと確信しているからだ。試しに碧花の髪を俺の顔に五分程度も乗せてみるがいい。九割八分失神している。女性を襲ってしまわない為の本能的な自衛がそうさせる。
だがこの状況。珍しく俺の理性が役に立たない。本能的な自衛など発動する道理は無いし、ならば残された道は暴走の一択のみ。これは恐ろしい事だ。一度暴走すれば……もう何度夢に見たか、妄想したかも分からないあの状況が、現実のものになる可能性がある。
「え、本当にお前を抱き枕にしないと駄目か?」
「嫌なら……やめてもいいけど」
その時の彼女の弱弱しさと言ったら、抵抗感を示していた俺の心をがっちりと掴んだ。これも一種のギャップ萌えである。普段は間違いなく気が強い碧花が、今、この瞬間だけ庇護すべき存在に……か弱い女の子になっているのだから。
「する! します!」
理性がゴミクズと化した今、この身体を操作しているのは煩悩や男の本能と言った邪な感情ばかり。口よりも先に手が動き、遅れて理性が動く頃には、碧花の小さな体が(飽くまで俺の体格に対して小さいという意味なので、特別身長が小さい訳じゃない)俺の胸に収まっていた。
因みに手錠で繋がっている手はどうしようもないので、恋人繫ぎのまま固まっている。
「…………君の胸って。温かいね」
「お前もすっごい…………柔らかくて、気持ちいい」
「それ、セクハラだよ? 私以外の子には言わない方がいい。嫌われるから」
「お前には言っていいって事も無いだろッ」
「好きにしてよ。君がどんなにスケベな人だったとしても、私は決して君を拒絶したりはしない。だから他の子に言いたくなったら……私に言って。受け止めてあげるから」
「……碧花」
俺の胸の中で、碧花が愉快そうに笑った。本当に普通の女の子みたいだ。いや、元々普通の女の子か。それを表に出すのが苦手なだけで。甘えるのが苦手なだけで。むしろ時代を考慮すると、その辺りに居る女の子よりもずっと純情で、ずっと素直な女の子だ。
あまりにも今の彼女がか弱いものだから、次第に俺の心には支配欲にも似た庇護欲が芽生えてきた。例によってこれを止める理性は機能していないので、この悪心は肥大するばかり。敬遠していた手錠も、彼女と俺を永遠に繫いでくれる証明書と考えれば、愛おしいとすら思えてきた。
「―――ああ、それと」
「ん?」
「コレも、他の女の子の前では静かにしようね」
発言の意図が分からず、無言で困惑していると、不意に彼女の膝が俺の股間を突いた。
「ぬう…………!?」
「私だから良いけど、これはより物理的なセクハラだよ? 気の強い女の子だったらこうして反撃される。気を付けるべきだね」
「以後……気を付け…………いって」
男でありながら男の痛みを知らずに生きてきた俺に、遂にその時が訪れた。男の痛みとも表現されるそれは、殴る蹴るの暴力とは比較出来ない。次元が違う。ありとあらゆる意味で突き抜けている。
「……加減してくれてさんきゅ」
「鈍い君に教える為だけの行動だから、お礼を言われる筋合いは無いよ」
ようやく痛みが抜けてきた。ついさっきセクハラと言われたばかりだが、碧花の身体は触る所全てが柔らかく、弾力がある。この分では邪な事を考えるまでもなく、直に眠りに落ちるだろう。
「…………ん! あぅう…………んッ!」
「あ、すまん。くすぐったかったか?」
「く、首筋なんて触らないでよ……準備、出来てないんだから」
これはうっかりだ。決してやましい気持ちがあった訳じゃない。只、彼女の身体は触っているだけで幸福なので、色々な所を触ろうと思ったら、首筋に触れてしまっただけだ。
「…………」
「………………」
ピロートークなら話は別だったかもしれないが、結局俺も碧花も一線は超えられていない。就寝準備も終わっているので、後は無理やりにでも意識を落とせば、クリスマス会は朝日と共に終了を迎える。お互い、無言を貫き続けた。
それはこの時間を一秒でも長く味わいたいという思いからかもしれないし、この状況に興奮しすぎて眠れないからかもしれないし、或は―――
「……なあ、碧花」
勇気を振り絞って話しかけたは良いが、返答が無い。
「碧花?」
二度目も反応が無いので、俺は耳に意識を集中させた。すると、
「すう………………すう…………………」
碧花はこの短時間の内に寝息を立てる程に深い眠りに就いていた。
「うっそお…………」
この状況で安眠出来る精神構造が理解出来ない。興奮とまではいかぬまでも、こんな状況には慣れているとでも言うつもりか? 慣れているのはむしろ俺だろう。妹と添い寝した事だってある。でも、俺は眠れていない。
その原因は単純明快。異性として意識しているか、否か。妹は家族であって、決して恋愛対象ではない。それが客観的に見ればほぼ同じ状況にも拘らず、俺の対応が違う理由である。さて、この理屈を碧花にも適用するなら、彼女は俺を恋愛対象としては意識していないという事になるが―――
やはり、今までの発言や行動は全て演技だったのだろうか。俺が『もしかしたら』という淡い期待を抱く事を見越して、敢えて好意を見せる様な真似をしたなら、悪趣味を通り越していっそいい趣味してる。
こんな推測を語るのは、絶対にそんな事は無いと信じているからだ。俺を恋愛対象としては意識していないというのはあり得ても、わざわざ俺を不愉快にさせる為に動く程、彼女は邪悪ではない。そんな邪悪な奴なら、何処かで俺と仲違いして、そのまま会わないだろう。
人の本質を見抜くには力が要るが、結局友達として付き合っていくなら、そこには根っこの性格が合わないといけない。小学校に始まり、今もこうして仲良くベッドで眠る様な仲なら、俺と碧花の根っこは合っているという事だ。
「…………碧花。お前の事が好きだ」
普段は口が裂けても言えない様な言葉も、相手方が眠っているならすらすらと言える。俺は日頃からの感謝と共に、彼女の耳元で囁いた。
「お前の全てが好きだ。孤立していた俺を救ってくれたお前が好きだ。友達が欲しい、なんて良く言うけどな。最近、実は考えが変わったんだ。友達が居ても、どうせ俺が殺してしまう。だからもう……オカルト部の奴等を除けばさ、お前以外要らないんじゃないかなって。面倒な授業も、疲れるだけのマラソンも、お前の応援があれば頑張れる。お前の報酬があれば頑張れる。滅多に笑顔は見せてくれないけど、それでも笑った時の顔は凄く好きだ。傍から見ても美人なお前に言ってもどうなのかなって思ったけど……この世で一番素敵だと思う」
後で聞けば卒倒しそうなくらいこっ恥ずかしいセリフも、今なら淀みなく言える。外には山ほど聖人やらイケメンやら居るが、二人きりのベッドでは、俺が彼女の王子様だ。そう思えば、共感性羞恥を引き起こすくらい格好つけてしまっていても、何ら恥ずかしく思わない。
「………………結婚を前提に付き合ってくれ。なんて、言えないよなあ……」
王子様タイム終了。
よく考えたら独り言を耳元でずっと囁くとか、俺の頭はどうかしていた。恥ずかしなって、尚の事眠れない。
「…………お前さえ居れば――――――なんて………………」
たとえ意識がそう思っていたとしても、人が人である以上、いつかは眠らなければならない。ゆっくりと降りてくる瞼の感触を感じながら、俺もようやく眠りに就いた。
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