君以外は何も要らない

「何でッ! 俺の何が駄目なんだッ!」

「何もかもですよ。末逆先輩」

 あれで終了する程、マギャク部長は潔くない。碧花も敬語に戻って、さしずめ告白第二ラウンドと言った所か。礼儀正しい彼女が敬語を使わないなんて余程彼を嫌っているのだろう。嫌っている原因は……分からなくもない。俺も彼の事はそんなに好きじゃない。

「だから、何がッ!」

「……遠慮なく言っても構わないのなら、この状況でも申し上げますが」

「構わない! 言ってくれ! 君の為ならばすぐに直そう!」

 多分、彼は選択を間違えた。前置きしてくれたのはきっと碧花なりの優しさであろう。俺はたった一度だけ、彼女の暴走を見た事がある。暴走と言っても、俺が重傷を負った訳でも、何かが破損した……いや、破損したはしたか。別に漫画的なものじゃない。ただ、碧花が加減というものを忘れると、あんな風になるのは間違いない。

 それは土俵が変わっても同じ事。俺が見たのは物理的暴走だが、言葉の上だったとしても、きっと同じくらい激しくなる。俺の予想通り、碧花は一息吐いてから、マシンガンの様に語り出した。

「まず末逆先輩は清潔感が足りません。場合によっては自分も配役に使うからでしょうか、いいえ。仮にそうだったとしても学生である以上相応の清潔さは保たなければならない。なのに貴方の不潔さと来たら、恐らく昨日お風呂に入っていませんね。次に思いやりが足りません。今日に限った話ではありませんが、何回デートの誘いをかけてくる気ですか? 私は忙しい、予定があると言っているのに自分の予定を押し付けてくる男性は嫌いです。また、私が散々断っているというのに映画のチケットを机の中に入れるのやめてくれませんか気色が悪いです。その映画も話題の映画であるならばまだしも映画通ぶりたいのか何なのか知りませんが、どうしてアダルト色の強い映画ばかり選択されるのでしょう。どさくさに紛れてホテルでも行くつもりですか私の家か貴方の家にでも行くつもりですか、行くつもりもありませんし不愉快です。発情期の盛った猿じゃないのですからもう少しその辺りを弁えてください。その他にも色々言いたい事はありますが、貴方の事を何よりも嫌いなのは、私の人生で最も大切な思い出を穢した事です」

 マギャク部長は唖然としていた。あの無表情で物静かな碧花にここまで捲し立てられるとは思っても居なかった様だ。俺としては案の定と言った所だが、想像以上だったとも言える。彼女の大切な思い出を穢したというのは……俺との一人かくれんぼだろうか。接点がそれくらいしか無いので、多分そうだと思われる。

「確かに、映画という媒体の性質上、幾らか手直しをしなければならない場所があったのは事実です。しかし、それとこれとは全く違う。映画において原作改変が嫌われる傾向にあるのはご存知ですよね? 確かに原作とは別の立ち位置を確保したとして、それなりに受けた作品はあります。ですが、基本的にそう言った作品は駄作になる事、末逆部長はご存知では無いのですか。映画通なのに」「……君に映画の何が分かるッ!」

「分かりませんし、貴方の語る映画など分かりたくもありません。ともかくそういう事ですので、貴方と共に聖夜を過ごす気はございません。それでは失礼いたします」

 周囲を人ごみに囲まれる中、碧花はスタスタと歩き去って行ってしまった。人ごみによる壁は、彼女の纏った覇気に圧倒されて、忽ち両脇に退いてしまった。誰も声を掛けようとはしない。多くの場合、ヤジは『何で断ったんだよ(笑)』であったり『いいじゃん男に誘われる内が華だ』などと言うのが常だが、それすら一切飛び交わない。誰も彼も、一言たりとも発さず、碧花が通り過ぎるのを待っていた。皆、命知らずでは無いのだ。今の彼女に冗談を掛けられる様な奴なんて、誰も居ない。俺ですらやりたくない。

 マギャク部長は完全に心が折れていた……と言うには、あまりに立ち直りが早かった。彼もまた、碧花の後を追うような真似はせず、スタスタ歩き去っていく。俺の方向に来たが、どうやら俺の存在には気付かなかったらしい。他の上級生と同じ様に脇へ下がると、彼は何らかの意思を瞳に宿しながら下の階へと降りて行った。




 ……………………




 流石に空気が悪すぎる。ここで俺だけ動けば変に目立ってしまうので、上級生の波が再び動くのをここで待つ。余程時間が経って、ようやく通常の流れが帰ってきた。

―――碧花。

 部長の謎を解明しようと思ったが、少しだけ予定変更だ。別に後でも間に合うだろう。今は彼女の方を気にしていたい。

 多分、あそこに居ると思うから。

















 やはり、ここに居たか。

 碧花の事は何でも分かるとまでは言わないが、ここは俺と彼女が会う場所である。さっきの今だから、俺以外は誰も屋上に立ち入ろうとはしていなかった。

「碧花」

 彼女は外の景色を眺めていた。俺の存在には気付いたと思うのだが、反応が悪い。

「碧花」

 もう一度声を掛けてみる。すると彼女は、ゆっくりとこちらを振り向いて、寂しげに笑った。その表情から察するに、どうやら俺が始終見ていた事は気付いていた様だ。

「……変な所、見せたね」

「いや、別にお前と過ごしてたら告白の場面に遭遇した事なんて今日が初めてじゃないし。別に変とは思ってないよ」

「…………そう」

「どうかしたのか?」

 俺はいつもの調子を意識して装いながら、碧花の隣に座った。すると、雰囲気もへったくれも無しに、彼女が俺の手を握った。

「今日ほど不愉快な告白は無かったよ。私にはもう先約が居るのに」

「有難うよ。でも約束を破ってくれたって良かったんだぞ?」

「君でなくても、約束を破るつもりは毛頭ない。約束ってのは簡単に破られちゃいけないんだよ。私の持論だけどね」

「お前って、実は結構面倒くさいタイプだったりするのか?」

「嫌いになった?」

「…………いいや。俺も大概、面倒くさいからな。それに俺は、出来ない約束はしない主義なんだ」

 約束は果たされるから、約束なのであって、果たされない約束は約束とは言わない。結婚式では永遠の愛を誓うが、あれも俺から破る気は毛頭ない。

 自分で言うから自虐なのだが、陰キャは愛が重いのだ。器の中に満たされている愛が、とても多いのだ。

「そう。気が合うみたいで良かったよ。君と『トモダチ』になれて、私は幸せ者だね」

「何だよ、変な奴だな。俺以外にも『友達』くらい居るだろうに。しっかしさ、お前も変な事言うよなあ! 俺が彼女欲しいとかヤりたいとか言うとさ、性欲処理を引き受けようとするお前が、人に対してあんな罵り方をするなんてッ」

「あれは、前後の状況が一番問題なんだよ。いちいちチケットを入れてくるのが回りくどいのさ。私は君に一度だってそんな事はしていないだろう?」

「いやいや。回りくどい方が優しいってもんだろ。じゃあお前、今から俺が胸揉んでいいって聞いたら、うんって答えるのか」



「いいよ」



「は?」



 聞き返すべきではないのだろうが、聞き返さずには居られない。俺としては、少しくらい悩んで欲しかったのに、この少女は何の迷いもなく即答してきやがった。彼女がそういう人間であると知っていたにも拘らず、やはり俺は動揺を隠せない。

『胸を揉んではいけない』と、俺の中の理性ゴーストがそう囁いているのだ。これを理性と現実の差異という。

「い、いいの?」

「君も一人の高校生なんだから。溜まってるのを発散したいと思うのは普通の事だよ」

 この仏頂面の下に、彼女は何を思っているのだろうか。対比で俺がより動揺している様に見えるが、意識した所で直る様なもんじゃない。恥という事を知った上で放置する。

「……い、いやいや! まあ待てよ。前後の状況が問題だって言ったな? じゃあマギャク部長が直球で『ヤらせて』って言ったら、お前はイエスと言ったのか?」

「そんな訳無いだろ」

 またも即答だった。

 それにしてもマギャク部長の存在が出る度に彼女の機嫌が悪くなるのはどうにかならないものだろうか。彼と彼女のやり取りについて思う所があったから来たと言うのに、これではかえって碧花を不機嫌にしてしまうだけではないか。

「君は何か勘違いしている様だけど、私はビッチじゃないよ。性知識は人並みにあるけれど、初めては経験していない。君と同じだ。そんな私が誰にでも身体を赦すと、むしろ君はそんなイメージを私に持っていたのかと、逆に問いたいね」

 それこそ、そんな訳無い。碧花はそう簡単に誰かに身体を売る様な安っぽい女性ではない事は、俺が誰よりも分かっている。

 俺が手に入る存在とも、思っていないが。

「私は君の事が好きだから、君の為ならと性欲処理をしてもいいよと言っているんだ。君、まだ彼女居ないんだろ?」

「う、うるさい。これから出来る予定なんだよ」

「そう。でもまだ居ない。その間に性欲が溜まり過ぎて性犯罪なんて犯してみなよ」

「しねえよ!」

「妹に手を出してしまうとか」

「お前ぶっ飛ばすぞ! 天奈はそういう目で見れないんだよ!」

「機嫌を損ねたのならごめん。でもそういうのを私は危惧しているんだ。彼女が出来たら彼女にしてもらえばいいけど、それまでは溜まる一方だからね」

 一度吐息で発言を切ってから、今度は碧花が尋ねてきた。

「で、何しに来たの」

「んあ?」

「本当に性欲処理しに来たって訳じゃないんでしょ。そういう目的ならもう襲ってるだろうしね。何か用?」

「あーそうだ。忘れてた。ちょっと待って、さっきの会話の余韻が……んッんッ!」

 彼女の妙に固い雰囲気を崩す為に下ネタに走ったが、最終的には俺が呑まれていたのは笑い話と言うべきか何と言うべきか。本当、締まらない男である。だがまあ、せっかく碧花が脱線した話を元に戻してくれたのだし、ここで言わなきゃ、きっと言い時を見失う。

 碧花の肩を掴み、真正面から彼女を見据える。真っ白い肌、深淵を凝集させた様な瞳、闇が溶けた様な黒髪。冴えない俺がこんな美人に言っても、滑稽に見えるだけかもしれない。

「碧花」

 それでも俺は、碧花の事が好きだから。女性として好きだから。








「今度気に食わない奴に告られたり、付き纏われたりしたら俺に言え! 絶対守るからさッ。な?」









 たとえ非力でも、守りたい。

  

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