貴方は誰ですか?



「萌、待たせたな」


 時は変わって放課後。俺は本来の目的を果たした後、脇目もふらず駅へ向かい、萌の下へと向かった。昼休みに碧花へ声を掛けておきながら結局はこうするなんて、尻軽な男だと思うだろうか。しかし、どっちにしろ俺はこうしなければならなかった。元々予定に無かったのは碧花の方だし、それに、



『今日は君に見せられる顔がない。クリスマス会の準備もあるし、一足先に帰らせてもらうよ』



 メッセージアプリの方にこの文言が残されていたので、どっちにしても彼女とは一緒に過ごせない。見せられる顔がないというのが良く分からないが、クリスマス会の準備を邪魔する訳には行くまい。自分の参加するパーティを滅茶苦茶にしたい人間は居ない。


「先輩!」


 萌は相変わらず首からカメラを提げて、子犬みたいに尻尾を振りながら俺に近づいてきた。そのちっこさも相まって、本当に子犬にしか見えない。もしも彼女が本当に子犬だったのなら頭を徐に撫でていたことだろう。


 流石にここで頭を撫でるのは幾ら何でも状況的に違和感しかないので、やらないが。


「……何でカメラ?」


「いつ何が起こるか分かりませんからッ」


「まあそりゃそうだろうけど。別に曰く付きの場所に行くってんじゃないぞ?」


「でも先輩の隣なら、何か起こりますよね!」


「悪意は無いんだろうが、傷つくな」


 そもそも彼女達オカルト部と接点を持てたのは、この不運のお陰なので、そこに恩義を感じるのなら実はあまり『首狩り族』の事をぼろくそに言えなかったりする。ただし、それは萌やら由利やら、脈のありそうな女子と知り合えたからであり、これがクオン部長としか知り合えていなかった場合、話は変わってくる。俺も俗物だから仕方ない。誰が好き好んであんな胡散臭い部長とだけ知り合いたいのだ。


「それじゃあ早速行こうか」


「駅で待たせたって事は……遠出するんですか?」


「いや、単に分かりやすい建物が俺の中で見つからなかっただけだ。大丈夫、夜には帰れると思う。帰れなかったらちゃんと責任は取るから、安心してくれ」


 両手をポケットに突っ込み、手を握る余地を無くして歩き出す。今彼女の手を握ったら、二度と離したくなくなる。童貞は女の子の手と縁が無いから仕方ないのだ。代わりと言っては何だが、振り返ったら居なかったなんて事になったら笑えないので、肩が触れ合うくらいの距離で先導している……肩というより、腕か。感触が無くなったら振り返る様にしているが、その度に萌が首を傾げる様は、俺の中に眠るある種の嗜虐心を呼び起こした。


 俺が振り替える度、彼女は不可解であると首を傾げる。何度も続く度に彼女は不安になる。不安になって、今度は俺が振り返らなくても俺を見る様になる。


 特別何かを言いたい訳ではないが、もしそういう状況になったら、良い。


 それから一時間と少し。歩いている内に、都会の様相を呈していた風景は姿を消した。建物自体はあるのだが、どうも廃ビルであったり、既に倒壊していたりと、文明というよりかは文明の残骸が散見している。ここだけ見れば既に世界が破滅していたと知らされても、何ら違和感はない。人通りも、俺達が目的の場所に近づいていけば行くほど少なくなっている。空は暮れなずんでおり、これ以上時間をかけるといよいよ夜の帳がおりる頃になってくる。目的地まであともう少しなので、出来れば空にはもう少し同じ光景を続けてもらいたい。


 行きはよいよい、帰りは怖い。一度通った道でも、夜になると全く別の道に見える事がある。同じ空ならそんな事も無いだろうから、どうかお願いしたい。


「あそこだな」


 駅と違って目立つ様な目印とは言えないが、彼に言われた通り確かにあった。御門山の麓、多少森の中に入り込んではいるが―――近くに類似したものも見当たらないので、あれという事で確定しても文句は言われまい。


「これは……何ですか?」


 棒の突き刺さった土の起伏。そうとしか言いようがないものである。


 取り敢えず写真に一枚収めた萌に苦笑いを向けながら、俺は本来知り得ない筈の情報を漏らした。





「これは墓だよ。……前オカルト部部長、西園寺悠吾のな」
















 あの世界で俺は彼に頼まれていた。


『実はさ、オミカドサマの居る山……名前でもう分かるよね。御門山の麓の所に墓があるんだよ』


『墓? って事はやっぱり―――』


『そこにさ、萌子と行ってくれないかな。それだけでいいんだ。それ以外は別に何もしなくていい』


 萌の事を『萌子』と呼んだという事は……彼が萌の話していた『ゆうくん』に違いない。『萌子』は『ゆうくん』のみが使う特別な呼称だ。一言も言及しなかったが、きっと彼は『虚落とし』に萌も巻き込まれている事に気付いていたのだろう。


「サイオンジユウゴ?」


「デジャヴュか。知らないのか?」


「はい……そんな名前は、全く」


「じゃあ『ゆうくん』と言ったら分かるか?」


 俺からその単語が出た瞬間、萌の目付きが変わった。例えるなら、見ず知らずの人が俺と碧花の出会いを知っている様なものだ。そんな反応になったとしても仕方がない。


「……どうしてそれをッ?」


「まあ、本人からな。つまり『ゆうくん』…………この墓に眠ってる人から聞いたんだよ」


「…………ゆうくんが、この人。ゆうくんは、もう居ないんですか?」



 


「ああ。居ないよ、そんな奴は」




 俺の代わりに萌の心を抉ったのは、聞き覚えのある声。どうしてここに居るのかは分からないが、偶然にも役者が揃ってしまった様だ。彼との約束を果たしたかっただけで、全くその気はなかったのだが。


 揃った以上は、やる必要がある。


「部長!」


「クオン部長……尾けて来たんですか」


「いいや。俺は度々墓参りに来ているんだ。今日も来たらお前達が居た。むしろ、異邦人はお前達だよ。どうしてここに?」


「連れて来て欲しいと言われたので。でも丁度良かったです。クオン部長、お尋ねしてもよろしいですか?」


「…………何だ?」





「貴方は誰ですか?」





 オカルト部最大の謎と言われてきたのは、クオン部長の素顔だ。だがもし、素顔以前に、クオン部長がクオン部長ですら無かったとしたら。この謎が、恐らく日常における最大の謎だ。一旦究明してしまえばもう戻れない。


 もう何も、装えない。


 当然だが萌は何も分かっていない。『虚落とし』の中での記憶が無いか、或はあそこの萌は幻覚だったか。いずれにしても、騒動を知っていて然るべき彼女だけが、蚊帳の外だった。俺と部長とを交互に見て、何とか状況把握しようとしている。


「…………俺は俺だよ。クオン部長だ」


「いいえ。貴方はクオン部長じゃ……九穏猶斗じゃない。九穏猶斗はもう死んでる筈だ。崖から転落死した。恐らく……この上から」


 この墓の真上には、丁度切り立った崖がある。あそこから転落すれば、丁度この辺りで死ぬ筈だ。


「答えてください。貴方は誰ですか?」


「あの先輩? 部長? どういう事なのか……え? 部長は部長ですよね?」


「その通り。俺は俺だ。狩也君、君は重大な見落としをしているぞ」


「え?」


「九穏猶斗がこの崖から転落死したとして……じゃあ、この墓は誰のだ?」


「それは勿論、西園寺悠吾さんの墓ですよ。もといゆうくん。貴方が殺したんだ」


「え? 部長が人を?」


 合間に挟まれる萌の質問に、彼は耳を傾けない。九穏の蓑を剥がされた彼は今、何者でも無くなっている。俺が正体を究明するまで、今の彼は誰でもないのだ。


 だからきっと答えない。萌は『部長』に尋ねているのであって、彼に尋ねている訳ではないから。


「…………君の言い分を整理しよう。俺は九穏猶斗ではない。そしてこの墓は西園寺部長のもの。九穏猶斗は墓の上にある崖から転落死した。そして西園寺部長を殺したのは俺。これでいいな?」


「ええ」


「九穏猶斗の死因は転落。では西園寺悠吾の死因は?」


「…………死因?」


「考えてもみたまえ。九穏猶斗が転落死したというのなら、ここに墓があるのは自然の道理だ。まあ通報も報告も一切していないのは不自然だが、それは省く。さて、では西園寺部長の死因は何だ? 何でここに墓がある。まさか一緒に転落したとは言わないよな」


「………………」


「分からないか? 君の発言は矛盾してるんだよ。近くに転落死出来る様な崖は無い。その死因なら、ここにあるのは九穏猶斗の墓である筈だ。だが君はここにあるのが西園寺部長の墓だという。駄目だ。全然駄目だよ、そんな事では、君は探偵にはなれない」


 自分の正体を暴かれかけているというのに、クオン部長は全く動じない。むしろ動じているのは、脈絡もなく真実を知る事になった萌だ。俺も部長も全く答えようとしないので、彼女は終いには俺の身体をゆすって、説明を求めていた。


「どういう事ですかッ。先輩ッ!」



「後で話す。ちょっと待ってろ」



 萌を手で制しつつ、彼から決して目を離すまいとする俺の決意は固かった。暫くすると、彼はゆっくりと拍手を送ってきた。


「―――だが、まあ。よくぞそこまで辿り着いたと言っておこうか。百点花丸とまではいかないが、幾らか正解だ。確かにそこは『ゆうくん』の墓。萌、お前の恩人とも呼べる人が眠っている場所だ」「二人共、全然言っている意味が分からないですッ! どういう事ですか? 誰なんですか『ゆうくん』って。どっちなんですかッ?」


「……かつてのオカルト部は、歪だったみたいですね」


 それこそ、俺が萌と合流するまでに済ませた用事である。職員室に行けばすぐに分かった。幾ら当時の事件が不可解だったとしても、かつての部員表には何ら事件性も無いし、証拠能力もない。学校側が隠す道理も無いので、俺でも合法的に見る事が出来る。


「一年生である九穏猶斗が副部長をしていた。かつての一年生という事は、今の三年生。そして九穏猶斗が貴方ではないのなら、貴方は当時の一年生……九穏猶斗と同期のメンバーという事になる」


「ほほう?」


「俺は覚えていますよ。オカルト部には病弱と引き籠りの二人がメンバーに居ますね。数には入れないとか言っていましたが……その二人って、三年生ですよね。一人は名前を見る限り女性ですから、貴方はもう片方……つまり貴方は引き籠りとされていた有条長船。違いますかッ!」


 静寂は長かった。大声を出した俺が馬鹿みたいである。あの手記には自分を除けば副部長しか生き残っていないと書かれていたが、それは参加したメンバーの中で、という事ではないだろうか。病弱ならまずフィールドワークは出来ないし、引きこもりなら引っ張り出す事が出来ない。生き残っていても不思議ではない。


 彼は身を翻すと、見慣れた狐面を取り外し、俺達の方向に投げてきた。避けるまでも無く、丁度その仮面は棒に引っかかった。






「君の勝ちだ、狩也君」






 その一言が、何よりの証明。今まで俺達が接してきた男は、有条長船。オカルト部における幽霊部員……だった男。


「どうして貴方は、九穏猶斗を装ったんですか?」


「…………もう一人の部員、知ってるよな。アイツは、元々病弱だった訳じゃないんだ。アイツはオミカドサマを鎮める為に、そして西園寺部長を助ける為に、自らを犠牲にした…………元より俺は、見えすぎる体質だった。オカルト部に入ったのも、西園寺部長があんまりにもしつこかったから、名前を置いただけだった。参加する気なんて無かった。だけどそのせいで……悲劇が起きた。もう分かるだろう? 二人共死んだ。いや、厳密に言えば二人共囚われた。他の部員は死んだ。俺と彼女だけが生き残った」


「表向きは……只の失踪になってますね」


「幽霊に殺されたなんて馬鹿らしいだろう。死体も全然無かったし、警察はそう判断するだろうよ。けど俺には分かった。その仮面のお蔭でな」


 俺と萌は見慣れた狐面を一瞥する。


「これがどうかしたんですか?」


「その仮面な…………穢れてるんだ。汚いって意味じゃないぞ、憑いてるって事。その仮面を付けてると、たまに身体を乗っ取られる。九穏副部長にな」


「乗っ取られる…………ですか?」


「にわかには信じがたいが、信じたくないなら信じなくてもいい。俺はそれを歓迎した。この身体が真相究明に役立つのならと、喜んで動いた。お前達が今まで接してきた者は確かに俺だったが、同時にそれはクオン部長でもあった訳だ。だから俺は、俺。…………話を戻そう。君は『虚』の中で何を聞いた?」


「とある瞬間から奇妙な事件が続いているとか、西園寺部長がそこでオミカドサマに目を付けたとか、色々」


「うむ。まあ君を殺す為の嘘だろうな。西園寺部長はそこまでズレちゃいない。只、あの人は平和主義だっただけだ。出来るだけ人に被害を与えたくなかったからオミカドサマをどうにかしようと思ったのだろう」


「どういう事ですか?」


「君を殺せば二次被害はともかく、ある瞬間から始まり出した今までの事件は、全て解決する。九穏副部長はそこに気が付いた。だから『虚落とし』で君を誘い込み、殺そうとした。でもそれは、現在に至るまでの被害を重く見たから取った行動でもあり、最初から気付いていた訳じゃない。でも西園寺部長は最初から気付いていたんだよ。一人かくれんぼが何処かで行われ、今も続いているせいで他の怪異にまで影響が及ぼされているから、事件が起きている事に」 



 ……………………つまり。






「ああ。全ての元凶は、君なんだよ。心当たりがあるんじゃないのかな?」






「それ………………は」


 俺が答えかねていると、途中で彼は「いいよ、言わなくて」と自ら答えを遮った。


「まだ、真相には居ない筈だ。しかし九穏副部長も人が悪い。殺せなかった場合の事も考えて、君に自力で真実へ到達させようとするなんて」


「あの、クオン部長!」


「やめてくれ。仮面を外した今、俺はクオン部長じゃない。正体もバレた。元々オカルトにやる気のなかった俺をそう呼んでくれるな。俺が熱心だったのは、俺が行かなかったがばっかりに死んだ部員達への弔いのつもりだ。俺が行っても何も変わらなかったかもしれない。けど、変わったかもしれない。どちらにしても失敗した俺がオカルト部を名乗るなんて出来っこない。九穏副部長にだって顔向け出来ない」


 彼はそのまま墓から遠ざかる様に歩いて行こうとして、一旦止まった―――丁度その時だ。



 彼が振り返ると同時に、落ちつつある太陽が俺達を照らし上げた。有条長船の顔は、逆光のせいで少したりとも見えない。



「しかし、不思議な事もあるものだな。まさか三人とも同じなんて」


「え?」













「何でもない。じゃあ俺の代わりに『ゆうくん』の墓参り、頼んだぞ―――『萌子』」













 夕焼けが一際輝き、俺達の視界を全面的に遮断した。その間は僅か一秒にも満たない刹那の時間であったが、その輝きの収まる頃には、彼は消えていた。端から幽霊であったかのように、スッと消えてしまった。


 『萌子』は『ゆうくん』のみが使う特別な呼称。


 西園寺悠吾。


 九穏猶斗。


 そして―――有条長船。


「……やられた」


 何が俺の勝ちだ。最後の最後で一本取られてしまったではないか。だって、結局俺は、『彼』が誰だったのかを見破れていないのだから。


 暮れなずみの空は暗くなり、大禍時が俺達を見降ろしていた。

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