ゴミはゴミ


「ん?」 

 何気なく違和感を覚えたのは、由利の家まで後少しという所であった。正確には違和感というより、後を尾けられている感じ。萌はどうやら気付いていないらしいが、碧花指導の下、ストーカーの撒き方講座を受講した俺には直ぐに分かった。何者かが、俺達の後ろに居る。


 ―――萌の父親じゃあ、無さそうだが。


 彼は一分一秒たりとも俺には近づいて欲しくなさそうだったから、もしも彼ならば、こんな根気の要りそうな真似はするまい。どちらかと言うとナイフ片手に突っ込んでくる方がずっとあり得るし、クオン部長と違って俺に武道の心得は無い(多分クオン部長にはある)。後ろから突っ込まれたらそのまま突っ込まれっぱなしになるから、どう考えたってそっちの方が強い。それをしてこないという事は、つまりこの街で一番遭遇したくない相手……萌の父親ではないという事になる。

 じゃあ誰だろうか。こんな言い方は何だが、尾行そのものは下手くそだ。少し知っている者なら分かる程度の尾行。プロではない。プロではないが、付いてくる意思はある様だ。何の目的で尾行してきているかは知らないが、由利の家で寝泊まりしている事を知られたら不味い。

 萌の手を引っ張り、俺は本来の帰路とは全く違った道を歩き出した。

「あれ、先輩? こっち、道違いますよ?」

「分かってる。詳しい事は後で話すから、今は取り敢えず付いてきてくれ」

 そもそもストーカーの撒き方を習得する羽目になったのは、『脈ありの子がもしもストーカーに付き纏われていたら』という想定をしていたからである。流れを簡潔に言うと、



 ストーカーに狙われ、不安になっているその子を颯爽と俺が助けてうひょひょのひょ。



 これを聞いた碧花は完全に呆れていたが、『誰かに付け狙われた時にも有用だろう』と言って、渋々教えてくれた。

 まずはストーカーがどんなタイプなのかを判別する所から始まる。

「何処に行くんですか?」

「由利の家……だが、ちょっと訳があってな。大丈夫。何も危険はないさ」

 本当は距離感を調節して判別するのだが、今の所ターゲットが俺と萌の二人なので、人気のない場所で対象を襲うタイプではないだろう。人気が無いも何も、こうして腕を組んでいる時点で、片方が邪魔な存在になっている。つまりこのストーカーは、探偵みたいなタイプ。付き纏って何かを探ろうとしている事が分かる。

 こういうタイプを撒くには、角を多く使う。幸い、行先に由利の家が増えたお陰で、俺の知る土地範囲が広がった。あちらも追跡している以上、それなりに土地勘はあるのだろうが、高校生を舐めないでもらいたい。

「萌、そこの角曲がったら、一気に走るぞ」

「え? どうしてですか?」

「確か角を五回くらい曲がった先に服屋あっただろう。あそこまで競争だ。ほら俺、由利の家で執事服着させられてただろ? 意趣返しをしたくてな。遅く着いた方が代金を払う。どうだ?」

 かなり無理があるが、とにかく萌を不安にさせてはいけない。確かに彼女は肝が据わっているが、それでも崩れれば脆い。俺がクオン部長の代わりを務めなければ。努めなければ。





 オレノ日常ガ、コワレル。





 萌は少し考えてから、「やりましょう!」と元気よく言った。

「よし、それじゃあ行くぞッ」

「はい!」

 小声での会話は、背後の追跡者には聞こえなかっただろう。計画通り角を曲がった瞬間、腕の絡みを解いて、俺達は同時に走り出した。

 先程の下りで証明された通り、坂道でもない限り俺は萌には勝てない。それくらい萌は早いのだ。あんなけしからん胸を持っておきながら……ん? 胸? 


 クーパー靭帯というものをご存じだろうか。


 急に何の話をと思うだろうが、どうか聞いて欲しい。クーパー靭帯とは要するに胸を支える部分の事であり、激しい運動等で切れると、形が崩れ胸が垂れてしまう様になる。何が言いたいのかと言うと、ここに萌の体型マジックショーの秘密があるのではないかと言いたい。

 碧花と違って、萌の胸は、少なくとも制服状態では全くと言っていい程揺れない。断崖絶壁にすら見える。どんなカラクリを使っているのかは―――駄目だ。やっぱり見破れない。スポーツブラを着用していたとしても、胸が消滅するなんて流石にあり得ない。BとかCならまだしも、あの胸はどう考えたってそれ以上ある。

 碧花に聞けば分かるだろうか。彼女も同じ巨乳だ。それも滅茶苦茶綺麗で、形が良くて、量感がある。胸の保護の仕方の一つや二つくらい、知っていて当然の筈だ。懸念点を挙げるとするなら、聞き方だろうが……思いつかない。それに何をしたって碧花の胸は消滅しないので、知らない可能性も考慮する必要がある。クオン部長の仮面以上に、萌の体型変化は俺にとって永遠の謎であった。

 突然こんな事を考え出したのは、最初から勝負を諦めているからだ。碧花以下で萌以下でクオン部長以下で。俺の足の遅さは亀にギリギリ劣るらしい。実際、五〇メートル走はクラスの中では下から数えた方が早いくらいのタイムだ。これに関してはウチのクラスに運動部が多いというのもあるが。

 しかし、良くあんな俊足を持っていながら陸上部にスカウトされなかったものだ。胸の主張がエロ過ぎるという理由で自粛されたのだろうか。

「うおらあああああああ!」

 八百長は、それっぽく見せているから八百長なのであり、八百長にしか見えない八百長は只の手抜きだ。勝負は諦めているが、負けを認める事は無い。懸命に速度を上げて萌に付いていこうとするが、一ミリも距離が縮まらない。走る事に夢中なのか、萌も手加減してくれない。

「よゆーよゆー! この様子じゃ簡単に勝てますね!」

「くっそお前。待ってろやこの野郎! 首藤先輩は大器晩成型だから、こっから巻き返すんだかんな!」

「喋ってる暇があるなら追いついてみて下さい! 晩成するまでに勝負が終わっちゃいますよッ?」

「先輩を煽りやがって! 後悔すんじゃねえぞ!」

 角は全て曲がり切った。後は直線距離だ。坂道な訳が無いので、敗北は必至。それでも俺は敗北を認めない。



「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」



 直線距離に換算して一キロ未満だが、もう背骨が痛い。足も痛い。脇腹も痛い。喉は乾いてる。ぶっちゃけ歩きたい。でも歩かない。ここまで先輩を舐め腐ってくれたのだ。せめて最後まで抵抗してやらないと、俺の気が済まない。

 転んでくれればワンチャンスあった(その時は助けるけど)のだが、フィールドワークを今まで行ってきた者が今更こんな平地で躓く道理は無かった。店のドア目掛けて、萌は一切速度を緩める事無く店内へと侵入―――

「ヘブッ!」

 出来なかった。何故なら自動ドアの反応が鈍かったから。そして萌が早すぎたから。過ぎたるは猶及ばざるが如しという諺が、これ程似合う状況も無いだろう。

「……痛った~!」

 自動ドアとの正面衝突により萌選手がリタイア。これにより、遅れて来ていた狩也選手の一位が決まった。萌がドアの近くで転げ回っているお蔭で、俺もドアにぶつかるなんて間抜けな事にはならない。

 まさかの番狂わせにより、負けるつもり満々だった競争は、俺の勝利に終わった。

「まーうん。萌よ、勝負は最後まで分からないものよなあ? なあ?」

 負けるつもりしか無かった事は萌には知られていないので、それを良い事に、俺はくるりと掌を返して、醜悪な笑みを浮かべた。

 萌は勢いよく両足を振り下ろし、飛び起きた。格闘ゲームなんかで良く見る起き方だが、良く出来たな。

「先輩卑怯です! 最低です!」

「お前が勝手にぶつかっただけじゃねえか。何で俺が悪いんだよ」

「先輩がこんな店建てるから悪いんです!」

「オーナー処か株主ですらねえからなッ?」

「まさか先輩がこんな罠を仕掛けるなんて、想像もしてませんでした……」

「罠って。道端にベアトラップ見掛けてから言ってくれよな」

「骨折しました! お金払って下さい!」

「当たり屋じゃねえか!」

 一向に自分の非を認めようとしない俺に(だって悪くないし)、萌は露骨に顔を顰めて、店内に入っていった。本気か冗談かの区別が付かないが、勝ち確だったあの状況をひっくり返されて不機嫌にならない奴は居まい。途中まで優越感にすら浸っていた筈だ。マジで不機嫌になっていても、それはそれで仕方ない事である。

 俺だって同じ目に遭ったらブチ切れるし。

「先輩ー」

「おう。待て。今行く」

 俺が店内に入れば、店の前に人はいなくなる。反応の悪い自動ドアと言えど、五秒もすれば元通りに閉まった。 
























「うんうん。教えた甲斐はあるみたいで、良かったよ」

 店内に消える二人の背中を見送った後、私は手に持っていた棒状のチョコを口の中に押し込んだ。これで最後の一本だから、この手に残るのは箱と袋。要するに、ゴミだ。真横にはゴミの溜まり場があるけれど、もう満タンだ。なみなみと注がれたグラスにそれ以上注げば零れる様に、これ以上満たせば道を荒らす事になる。

「近くにゴミ箱、あったかな」

 ゴミはゴミ箱へ。当たり前の事だけれど、近くにゴミ箱が無いなら、持って帰るか、ポイ捨てするしかない。彼の前じゃないからだけど、ついさっきポイ捨てしてしまったし、この程度のゴミなら持って帰った方が後々に楽そうだ。



「たかが高校生。だけど私にとっては、世界そのもの。変に探ってくれるとさ―――腹が立つんだよ」

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