兄を弄んだ妹は
お兄ちゃんを真の意味で『首狩り族』にする作戦は、ものの見事に失敗してしまった。何が原因だったかなんて分からないし、全てはあの良く分からない扉の消失から始まった。あれさえなければ、妹を殺させる事で『首狩り族』を完成させる計画は確実に成功していた筈なのに。
―――予定変更しようかな。
私の目の前に倒れ伏す女性を殺せば、お兄ちゃんはきっとどんな手段を使ってでも私を探し、殺してくれる。一度でも人を殺せば、お兄ちゃんを抑え付けているつまらない凡善人の殻は破れて、私の愛した『首狩り族』が現れる筈。というか、現れてくれないと困る。その為に私は自分の命を投げ出す様な真似をしているんだから。
「これも全部、貴方が悪いんですよー? 貴方が抵抗せずに短い時間で犯されていてくれれば、扉が消えようと消えまいと関係なかったんですからー」
ナイフを振りかざし、狐の面を着けたまま動かない女性目掛けて、私は両腕を振り下ろした―――
「やあやあ。作戦を何もかもぶち壊しにされた気分はどうかな」
私の動きを止めんと背後から聞こえてきた謎の声。一度は動きを止めたが構うものかと振り下ろすのを再開した瞬間―――
「あがッ…………!?」
首をへし折られたと錯覚してしまうくらい、鈍重な衝撃が私を吹き飛ばした。壁まで吹き飛ばされて居たら即死は免れなかったけれども、そこまでの威力は無かった様で。しかし私が殺さんとしていた女性からは随分引き離された。
「ああごめん。つい足が出てしまったよ。君が狩也君にさえ手を出さなければ、関与する気なんて更々無かったんだけどね」
「そ…………その声は」
かなり首の辺りが痛いが、それでも気合いで上体を起こして睨みつけると、そこには浅く見覚えのある美しい女性が立っていた。忘れる筈もない。忘れてたまるものか。
目の前の女性は、『首狩り族』の事を知っていながら、私を相手に隠そうとした愚か者なのだから。
「初めまして。水鏡碧花だ。君が愚かにも狩也君に手を出した榊木唯南だね。いや、今は彼の妹になり替わっているみたいだけど、私には分かるよ」
「なんで…………その事を……!」
「……指切の呪いを君だけが知っていると思ったなら大間違いだ。私だって彼の妹になりたかった。一度そういう願望を抱いたら、それを叶える為にはどうすれば良いかを調べる。当然でしょ」
碧花と自ら名乗った女性は、私が殺さんとしていた者へ近づくと、その背中を優しく撫で始める。
「それにしても随分面白い物を見せてもらったよ。扉が急に消えた事で慌てる君を見ていたら笑いを抑えきれるか分からなかった。本当に面白かったよ。自分が何もかもを操作しているって思い込んでる奴の作戦をぶち壊しにしてやるのは」
「あ、アンタ…………何で、邪魔をした! せめてそこの女を殺してお兄ちゃんを『首狩り族』にしたいっていう私の計画を―――」
「計画? こんなものが? 素人同然の私に阻止される程度の下らない遊びじゃないか。こんなの計画って言わないよ。計画って言うのは、あらゆる不確定や要素を計算して、その上で行われるものだ。それなのに、よりにもよって君は、一番不確定な事を起こす『オカルト』を要素に取り入れてしまった。そこがまず失敗だって言うんだ」
「な、何だと……?」
「撃って良いのは撃たれる覚悟のある奴だけだ―――なんて、有名過ぎて元ネタが何処にあるのか分からないくらい陳腐だけどね。あれは正しいよ。君はオカルト……生命ならざる概念を利用した。指切呑目といい、指切りの呪いといい、非現実的な手段ばかりを使った。そんな不完全な概念で、計画を完璧にしようとした。だから失敗するんだ」
どうにも要領を得ない私が首を傾げていると、碧花は仏頂面を貫いたまま、嘲る様に、この上なくゆっくりと、答えを口にした。
「―――考えなかったの? 同じ系統、同じジャンルの力で計画を阻止されるってさ」
考えなかったなら正真正銘の馬鹿だよ、と繋げつつ、激痛から身動きを取れない私を尻目に、碧花は立ち上がって、こちらの作戦の不備を淡々と指摘し始めた。
「最初から最後まで穴だらけだ。部長が居なくて良かったね。彼が居たら君はそもそも作戦を始める事もなく死んでいただろう。まあそれは良いとして、問題点その一。怪異を舐めすぎている。どんな存在にも『怪異』、『怪談』として伝わる以上、そこには何かしらの禁忌が存在する。そんな存在を手元で操ってたら足元を掬われる。例えば―――そうだな。君は代償を払わずとも指切吞目を操る方法を知っているかな?」
「…………何?」
「答えは簡単。これは正確には誘導にあたるんだけど。肉以外の物体に血を塗ればいい。一定量の新鮮な血さえ塗れば、指切吞目はそれを肉だと思い込む。ここまで言えば、心当たりがあるんじゃないの?」
………………まさか!
まさか、まさかまさかまさか!
私にはそれに心当たりがあった。そう……地下室の鉄扉が、音もなく消えてしまったあれだ。あれが切っ掛けで私の計画は破綻の末路を辿る事になったから、そういう意味では元凶とさえ言える現象。全く以て心当たりなど無いと思っていたが、そう言われると、心当たりしかない。
確かにあの消え方は……ユキリノメの喰い方だ。
そのままじゃ肉以外を食わないという点も、そう考えれば納得が行く。あの時、お兄ちゃんはそこの女性を助けようと、自分の身体もお構いなしに扉を殴って、蹴って、頭突いてを繰り返していた。あの瞬間、鉄扉にはお兄ちゃんの血がべっとりとくっついていたのだ。
「そ、そんな…………じゃあ!」
「君は狩也君の暴走を笑ってないで止めるべきだった。止めてさえいれば私も手出しが出来なかったからね。その時は君の完全勝利だったかもしれない」
「あ…………ああああああ。嘘。嘘よそんなの。だって、そんなのネットに書いてなかったもん!」
「ニワカの言いそうな事だ。それも失敗の原因だろうね。さて二つ目だが、それは狩也君に手を出した事だ。この時点で君の負けは決定的だった」
「な、何でよ! お前さえ居なければ、私の計画は―――」
「そう、それだ」
「―――え?」
「狩也君の傍に私が居ないなんて、天地がひっくり返ってもあり得ない。一人前に計画なんて立てるくらいなら、まずはターゲットの下調べでも行っておくべきだったね。何せ君が対峙しているのは本物の首狩り族だ」
「………………へ。ほん…………も、の?」
時が止まった様な気がした。自転は停止し、空気は無くなり、音さえも私の意識から消え失せて。それでも尚、目の前の女性の言う事が信じられなかった。
―――首狩り族は、別にいた?
じゃあ私が今まで崇拝して止まなかったのは……目の前の女性。否、水鏡碧花だと言うのか。
つまり私は、本当の凡人を首狩り族と信じ、殺人を犯させようとしていたのか。仮に殺人を成功させたとしても、絶対にそうはならないのに。成功する筈の無い作戦を、前提条件から間違っている作戦を、ついさっきまで完璧だったと言い張っていたのか。
視線に込められていた感情の変化を彼女は直ぐに察知し、反吐が出ると言わんばかりに目を細めた。
「やめろ、気持ち悪い。私だって好きで殺しをしている訳じゃないんだ。お前やどっかの記者みたいな奴に崇拝されても困るんだよ。殺人なんて面白くないし、楽しくないし、何より手間がかかる。下手に証拠を残せば警察に捕まるから、いつもどうやって消そうか悩まなくちゃいけない。しかもそれを誰にも悟られてはいけない。この苦悩がお前に分かるか? 嬉々として異常を好み、必要とあらば喜んで殺人を、自殺をしようとするお前なんかに、分かるか?」
「じゃ、じゃあお兄ちゃんは…………何なの? 貴方の、隠れ蓑?」
「どうして皆、勘違いするかな。私は狩也君を守る為にこんな事を続けているのであって、隠れ蓑でも何でもない。隠蔽するのは狩也君ともっと一緒に居たいからで、狩也君を悲しませたくないからで、狩也君に日常を生きてもらいたいからだ。私は彼が好きなんだよ。この世界の誰よりも私に優しくて、理解してくれて、好きだと言ってくれる彼を愛してるんだよ」
犯罪者でありながら、犯罪者を解さない女性。それこそが首狩り族の正体であり、水鏡碧花……いや、碧花様だった。私に言わせれば、碧花様はこの世の誰よりも恋にまっすぐでひた向きな女性だった。
私の中で、首狩り族のイメージが変わった気がする。気高き存在だとは思っていたが―――ここまで、尊いなんて。
こんな尊い存在を、私は睨みつけていたなんて。首の痛みも引いてきた頃、私はその場に正座して、彼女に向かって、深々と頭を下げた。
「碧花様。一つお願いがあります。殺す所、見せてくれませんかッ?」
この後、私はどうなっても良い。しかし、せめて一度くらいは目の前で見てみたかった。この国で唯一の完全犯罪者の殺し方を。
「気持ち悪い頼み方をしてくるな。誰を殺せと」
「お兄ちゃんでも、そこの女でも、何なら私でも!」
「ア゛?」
「へゃっ…………!」
改めて、目の前の女性こそが真の『首狩り族』なのだと認識する。迫力が段違いだ。すっかり感情が枯れて、恐怖やそれに類似した感情など抱く事は無いだろうと思っていた自分が、気づけば怯んでいた。心臓が飛び出してしまいそうなくらい心拍をあげて、呼吸は意識を奪いかねないくらい早くなって。
―――さ、最高♪
「人の話を聞かない奴は大っ嫌いだよ。どうしてお前みたいな狂人ぶったバカ喜ばせる為に、好きな人を殺さなきゃならないんだよ。私は誰も殺さないからな」
「じゃあ私がお兄ちゃんを殺すけど、それでもいいんですかッ?」
「お前がマシンガンを持ってた所で狩也君は殺せないし……私は殺さないが、お前は死ぬよ。人を呪わば穴二つじゃないけど、現実世界に非現実を持ち込んだツケは払ってもらわなくちゃいけないからな」
「な、何を言っているんですか? 私はまだまだ元気ですよ! 貴方に蹴りを貰っただけで、今はもう十分回復―――」
ザクッ。
「…………え?」
本物の首狩り族が目の前に現れた事で脳の理解が追いつかくなったのかと思ったが、どうやらそれは真実らしかった。痛みこそ無いが、身体が、命が確かに伝えてくる。
私の左腕が無くなった事を。
「な、何―――?」
ザクッ。
次に右腕が無くなる。痛みを感じないせいで殺されている感覚も湧かず、只々、訳が分からなかった。
「言い忘れたけど、指切吞目に肉以外を食わせる行為は禁忌に抵触する。これをしてしまったが最後、肉以外の物を食わされたと怒り、使役者は死ぬ。どうだい。百足が這う感触は―――今何処にある?」
百足が這う感触。それは腕の切り口に感じるぞわぞわとした感触の事だろうか。普通ではまず感じる事のない、気味の悪い感触。私でさえ気持ち悪いと感じた。
「あ……嘘!」
感触はそれこそ百足の様に全身を侵食していった。腕から肩、肩から胸。足先から膝。膝から太腿。百足というよりも毛虫みたいな多足の感触が、私の身体を埋め尽くしていく。
ザクッ。
左足が、喰われた。
「あ、碧花様……早く私を! 私を殺してください! このままでは食われてしまいます!」
「近づくのも嫌だね。誰も使役してなかったら見境なく襲ってくるそうだから、出来れば抵抗なんてしないで、そのまま大人しく死んでくれると助かるんだけど」
「こ、こんな死に方は嫌なんです! お願いします、殺してください! 私は首狩り族に殺されたくて、殺すところを見てみたくて、ここまで生きてきたんです!」
「…………はあ」
彼女はこちらの方に目もくれず、そのままお兄ちゃんを抱え上げて、出口に向かって歩き出した。
「待ってください! お願いします!」
「狩也君に散々迷惑かけておいて、自分だけやりたい事やって気持ち良く死のうなんて虫が良過ぎるとは思わないか。お前みたいな他殺志願者は、誰でもない『何か』に殺されてしまえばいい。誰の罪としても残らず、誰の死としても処理されないで―――消えてしまえ」
「あ……いや! いやだ! 碧花様!」
ザクッ。
「お兄ちゃん、助けて!」
ザクッ。
「いや、お兄ちゃん! 化け物が私を―――お兄ちゃん! 目を覚まして!」
ザクッ。
「おにいちゃああああ―――!」
ザクッ。
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