それもまた、俺の宿命

 暗闇がある。

 光がある。

 俺は光の中で生まれたと思い込んでいた。いや、それは正確ではない。『首藤狩也』という人間は光の中で祝福されて生まれた。それは間違いない事実だろう。光の中に生まれた者は、基本的に光の中のにあるものしか見えない。

 この概念を歪ませたのが、一人かくれんぼだ。俺はあそこで死に、そして生き返った。人間であって人間ではない存在となった俺は、今、何処に立っている?

 ―――『俺』って誰だ?

 『首藤狩也』はあの時死んだ。碧花によってその魂は再び同じ体の中に収められたのかもしれない。だけれども、今の俺には見えている。


 もう一人の『何か』が。


今までは光の中に『俺』が居て、闇の中に『そいつ』が居たから、何の変化も起きなかった。住み分けが問題なく出来ていたから。『俺』は『俺』として生きてこれた。しかし俺を光の中に繫ぎ止めていた存在が死に、俺にとってその境界が曖昧になった俺は―――オレは―――



 オ糲ㇵ…………………。  











「…………」

 意識は覚醒したが、目が開かない。開きたくない。せめて誰かが起こしてくれるまで……最愛の妹が、呆れた様に溜息を吐きながら、起こしに来てくれるまで。

「…………」

 音もなく、匂いもなく、気配もない。目を瞑り続ける限り、時間すらも永遠に続く気がした。これだけ何の音も無い―――しいて言えば自分の呼吸の音だけ―――と、五感が鋭くなったと勘違いしても仕方がない。埃が舞い落ちる音さえ、耳を澄ませば聞こえてくる様な気がした。

「…………」

 平和な喧騒に慣れきっていたせいで、こういう静寂には弱い。恐る恐る目を開けてみたが……何も見えなかった。暗い。辺り一面が完全な闇に覆われている。

 一瞬、盲目になってしまったのかと思ったが、携帯の画面は問題なく見える。やはり暗いだけだ。ホーム画面曰く、現在の時刻は夜の八時。月明かりも差し込まない暗さとは、ここは相当な密室か、または地下室らしい。窓やカーテンを閉めたくらいではあり得ない暗さなので、普通の部屋とは言い難い。

「……狩也君。起きたんだね」

「―――碧花? お前、居たのか。ていうか何処に居るんだ?」

「それは何となく察してくれ。申し訳ないけれど、今、君に顔を見せたくない」

「何でだ?」

「君の痛々しい姿は見るに堪えない。手当している内に涙が出てきちゃって。体の調子はどう?」

 良いか悪いかで言えば、良い方だ。完全に意識から外れていたが、自分に目を向けてみると、身体の至る所に包帯か何かで縛られた感触がある。きつすぎず、かといって緩すぎない感触だ。ここが暗室故、その実態を把握する事は出来ないが、きっと俺の身体に巻き付いたこの包帯は、真っ赤に染まっているのだろう。特に頭と、腕は、俺自身も酷使した記憶がある。

「悪くない。けど、一つ確認していいか?」

「どうぞ」



「あれは…………夢だったのか?」



 答えは誰に言われずとも分かっている。分かっているが、俺の心がどうしてもそれを認めたがっていない。それもまた本心である以上、俺がどんな強固な意思で以てそれを否定しても、もう一方の本心も、同程度の意思で対抗してくるだろう。

 一人ジャンケンの様相を呈した自分との戦いを終わらせるには、誰かにトドメを刺してもらうしかない。

「…………正直に、答えてくれ。お前がここに居るって事は、俺が倒れた後の事とか、様子とか、全部知ってんだろ? 何も知らなくたって、夢か現実かくらいは答えられる筈だ」

 トドメを刺せばどうなるかは火を見るよりも明らか。それを他でもない俺の好きな人にやらせるなんて、『俺』はどうかしてる。頭がおかしくなってしまったと言われても仕方がない。これは言うなれば心の自殺。碧花の回答によっては、俺の心は完全に崩壊する。

 『俺』自身もそれだけは避けたかったが、世の中にはどうしようもない事だってあるのだ。それに、このままトドメが刺されないのも、それはそれで生殺しだ。こうなってしまえば最早修復のしようがなく、俺の精神はゆっくりと、長い時間をかけて擦り切れていく事になるだろう。

 その事を碧花も分かっているからこそ、彼女の返答はとても遅かった。自分の言葉が俺の心の行方を決める。それはまるで神様の様に理不尽で、本来、その手の選択は一般人に委ねられるべきではない。



「………………君の妹は、死んだ。あれが現実か非現実かなんてのは、両方を行き来した事のある人間じゃなきゃ判断が付きそうもないけど。少なくとも、それだけは事実だ」



「……………………萌は」

「生きてると思うよ。私は見てないから何とも言えない。心配だったら電話を掛けてみればいい」

 言葉に言葉を返すだけ。いつもやっているキャッチボールの筈なのに。何故か一つ一つが異常に重くて鋭い。受ける事さえままならず、会話のテンポは非常に遅かった。気心の知れた仲の筈なのに、まるで今さっき知り合ったみたいにぎこちない。

「…………あーあ! 遂に家族の首まで落としちまったか! 俺の不運も大したもんだよ、なあ! あははははははは…………ははははは…………」

 無理やり明るくしようとしたのは悪手だった。喋れば喋る程俺の目からは涙が零れ、明るくしようとすればするだけ声が掠れる。


 終いに俺の声は、嗚咽となって外へ漏れ出した。


「はははは………はあううううううッ、うううううッええ! ぐす……ひっ! は……あ、ああああああ!」

「―――狩也君ッ!」

「天奈! 天奈! あまな天奈アマナああああああ! ごめん……ゴメン……ごめんなさい! オレが守るって、言ったのに! 俺はお兄ちゃんなのにッ、お前を、お前を、お前。あ、あ。ううううううううう!」

 男としてのプライドも、兄としての意地も、全てが崩れ去った。何もかも失った男は、もう泣くしかない。誰に何を言われようが、もう失うものなんて無いのだ。もう失われてしまったのだ。これ以上は失われないし、そもそも何も残っていないのだから。

 突如として泣き出した俺を慰める様に、碧花はこの暗闇で正確に俺の位置を把握し、抱きしめる。それでも俺が泣き止む事はなく、彼女の胸の中で、俺の嗚咽―――否、号泣は加速した。

「あああああああ! ううう……うぇ、ぐひっ、ヴぁああああああああ! 俺は最低だ……俺なんて、俺なんて…………!」

「私は、傍に居るから」

「―――今まで、妹は標的にならなかったんだ。でも、こうなっ……たって事は! お前も……いつか…………!」

「居なくならない」

「嘘だ!」

「嘘じゃない」

 激情に支配される俺を宥める為か、はたまた彼女の生来の性質か。淡々と、それでいて柔らかい口調で、碧花は俺に語り掛ける。どれだけ感情を爆発させようとも、碧花は受け止める事に終始してくれた。

「どうして言い切れるんだよ!」



「…………だって私達。『トモダチ』でしょ?」



 そう言われると、不思議な事に俺の涙は止まった。彼女が返してきた言葉は、他でもない俺から言い出した言葉だったから。

「…………『トモダチ』?」

「そう。『トモダチ』。だから居なくならないし、死ぬ事もない。私も君とずっと一緒に居たいんだ。それだけで理由は……十分じゃないかな」

 『トモダチ』。

 告白出来ずにいる事で続くその関係を、俺は今まで友人以上恋人未満だと思い込んでいた。でも違う。きっと俺達にとって『トモダチ』とは、友人以上恋人以上なのだ。

 俺が碧花を許したのも。

 碧花が俺の傍を離れないのも。


 トモダチだから。


 理由はそれ以上要らない。付け加えた所で蛇足にしかならない。たった四文字だけで十分だ。俺が碧花に、碧花が俺に起こす行動の理由なんて、それだけで足り過ぎている。




「…………そうだな。俺達は、『トモダチ』だったな」
















 それから一時間以上も彼女の胸の中でひとしきり泣いてから、すっかり感情の昂りも収まり、一転して妙な落ち着きを帯びた俺は、一向に身体から離れようとしない碧花に向けて、縋る様に言った。

「―――碧花」

「……何だい」

「俺―――暫く学校行きたくない」

「それで?」





「何もかも忘れて、何処かに行きたい―――付き合ってくれるか」

 程なく返答を聞き、俺は暗闇の中で笑顔を浮かべた。


 一筋の涙を拭いながら。

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