CASE1[i]
正しいズル休み
「…………はい。そういう訳で、はい。暫く休ませていただきます。はい」
特に疑われる事も無かったので、そのまま電話を切る。特別演技をした事実もつもりも無いのだが、それだけ俺の声が疲れていたのだろうか。或いは今まで滅多な事で休まなかった事実が、信用を築き上げていたか。
いずれにしても、これで学校は休めた。それ以外の事は、何も考えなくていい。
「狩也君。そろそろ電車が来るよ。ボーっとしてたら逃してしまう」
「―――ああ。分かってる」
差し出された手を取って、駅に設置されたベンチを離れる。今日から暫く……少なくとも一週間は、この街に来る事はない。
妹の事なんて思い出したくないし、これ以上俺の罪を見たくない。
本来とは若干違う意味で、これは慰安旅行だ。働いてもいない癖に労われる事など無いだろう……そう思われるかもしれないが、これ以上『死』に向かい合っていたら、気がおかしくなってしまう。他人という前提があったから、今までの『死』は耐えられた。その前提の無い『死』は、受け止めるにはあまりに重すぎる。
「今日は空いてそうだ。良かったね」
「今日は、というよりいつもだろ。こっちの方面に行く奴なんてそんなにいないだろうしな」
端的に言えば、これは現実逃避だ。そんな男らしくない、情けない旅に付き合ってくれる友人を俺は一人しか知らない。
「……車内に入る時、足引っ掛けて転ぶなよ。碧花」
久しぶりに電車に乗ったが、あまりにも期間が空き過ぎて、まるで初めて乗ったみたいだ。人もそれ程混んでおらず、俺達が座る分には誰にも不自由を掛けない。そんな状況下で、俺達は隣り合う様に椅子の端に座った。そのままゆっくりと身体を傾けて碧花に体重を預けるも、彼女は少しも嫌がらなかった。
「有難うな、付き合ってくれて」
これは我儘みたいなものだ。色々な人が周りで死ぬ現実から、妹が居なくなってしまった世界から逃げたかった。認めたくなかった。いつかは向き合わなきゃいけない事を知っていても尚、逃げたかった。
本来は一人旅で行われるべき逃避に付き合ってくれた事には、心から感謝している。こういう優しさを見てきたから……きっと、俺は彼女の事が好きなのだろう。
「いいよ、別に。君と二人で出かけるなんて、滅多にない事だし」
「そうか?」
「十数年も一緒に居たら、三桁はいかなきゃね。しかし数えてみたら、私達が二人きりで何かした回数というのは、まだまだ全然三桁にはいかなかった」
「…………じゃあこれからは、もっと。二人きりで何処か行こうぜ。海とか、祭りとか、花火とか、スキーとか。何の邪魔も、誰の介入も無くさ」
怪異なんて知らない。
オカルト部なんて知らない。
今だけは、碧花を見ていたい。いつまでも俺の隣に居ると約束してくれた彼女だけを、抱きしめたい。
「そうだね。君に見せてない水着や浴衣はまだまだたくさんある。そこまで乗り気なら、私も張り切っちゃおうかな」
「お。そりゃ楽しみだな。お前の着る水着とか浴衣って全部俺が好きな感じだし。スキーウェアとかも期待していいか?」
「勿論、期待していいよ。きみにしか見せる予定はないし―――っと。景色でも見ようか」
「そうだな」
妹は非現実的な方法で死んだ。萌の抱えていた問題は現実的も何もレイプ未遂なので動いてくれるとは思う(少なくとも話は聞いてくれるだろう)が、俺が関わった問題の殆ど全ては非現実的存在が関わっている。動いてくれるのは事情を知っている人間だけ。警察は動かないし、ネットも動かない。前者も事件の前に俺の精神を疑うだろうし、後者は「嘘乙」で済まされる事が目に見えている。
俺の無念は絶対に晴れる事がない。だから俺は逃げた。
だから俺は…………。
電車から見える景色は走馬燈の如く過ぎ去る。外から見た時の電車は遅いが、いざ乗ってみると、ここまで早く感じるものなのか。碧花も電車に乗ったのは久しぶりの事らしく、外の景色を物珍し気に眺めている。
「見慣れた街ではあるけど、こうしてみると、何だか別の街に思えて来たよ。間近では只の喧騒でしか無かった人の声も、こうして聞くと、鈴虫の泣き声みたいに―――いや、それは無いな。鈴虫に失礼だ」
「全否定かよ」
「高尚な表現は苦手だよ。喧騒が鈴虫の泣き声に聞こえるなんて耳鼻科へ行った方が良い。恐らくとっくの昔に鼓膜は破れてしまっていたか、耳に鈴虫が入っているか。そのどちらかだからね」
「お前なあ…………確かに聞こえねえけどさ」
というか、電車の駆動音と風を切る音で何も聞こえない。もし碧花に人の声が聞こえているなら、彼女は俺よりもよっぽど耳が良い事になる。耳鼻科へ行く必要は無いだろう。
「さて、これからどうしようか」
「ああ……関心を引く様な場所が無ければ、取り敢えず反対側の終点まで乗るつもりだが」
「本当に自由な旅だね」
「風の向くまま気の向くまま。その方が……何も考えないで済むからいいだろ」
因みに携帯は碧花に預けている。彼女以外の人物とは出来るだけ話したくないし、思い出したくない。きっと、それらは全て俺の逃げたい現実に直結してしまうから。そういう訳で現在、俺は何も持っていない。辛うじてポケットに財布が入っているくらいか。服も特別選んではおらず、黒のコートにジーパンと、明らかな手抜きのニオイを感じる。
それに対して碧花はというと、髪を束ねてポニーテールに、上着にはグレー(白寄り)のダッフルコート、肩にはショルダーバッグと随分な気合いの入り方だ。下の方は俺の視点からだとタイツしか見えないが、これはダッフルコートがロング丈で、しかもちゃんと上までボタンを留めているのが原因だろう。
「泊まる所はどうする?」
「ホテルか旅館探す。どうしても見つからなかったら……野宿」
「ホームレスみたいだね。でもいいよ。付き合ってあげる」
「冗談だよ。お前連れて野宿なんか出来るか」
「私は一向に構わないんだけど」
「俺が一向にかまうんだよ」
暫くお互いの方を見もせぬまま会話を続けていると、椅子に放り出された俺の手を、何やら温かい感触が包み込んだ。それは俺の手の裏を暫くうろつき、やがて指の間に滑り込み、そこで固まった。
―――恋人繫ぎ。
多少勇気を出した俺でもない限りは恥ずかしがって振りほどいてしまう所だが、今は凄く甘えたい。俺からも力を込めると、碧花は俺の方を一瞥して。
「……絶対に居なくならないよ」
どれだけ彼女が証拠を、言葉を並べても、最終的に信じるか信じないかは俺次第。そして絶対に居なくならないと信じていた妹が消えた事で、俺の中に絶対は無くなった。
しかし、不信は孤独を招く。だからこそ、俺は―――水鏡碧花を信じていたい。厨二病に罹患していた頃はどうしようもなく独りを好んでいたが―――あれは演技だったのだと、今は疑いの余地もなく言える。俺に孤独を好む性質は無い。
そうなるくらいなら―――『まほろば』の住人になった方が、マシだ。
「あ……見てよ、狩也君。トンネルに入っちゃったよ」
「ん。何も見えないだろ」
一応窓の外を見るが、案の定、暗闇が一面に広がっている。何が面白くてこんな闇を見なければいけないのか、俺には分からなかった。
「やっぱ何もねえじゃん」
「そういう事じゃないよ……はあ。どうして分からないかな。君ってロマンが無いの?」
「そこまで言われなくちゃいけない事か? トンネルの何処にロマンを感じろって言うんだよ」
「ここを抜けたら、それこそ本当に別世界だ。旅っていうのはこうでなくちゃね」
その声音を妙に思い横目で表情を窺うと、碧花はまるで長い事待ち望んでいた願いがようやく叶ったかの様な、清清しい笑みを浮かべていた。学校ではほぼ真顔しか拝めていないので、こういう表情は中々レアである。
もしかして。いや、もしかしなくても。そこまで旅したかったのか。
「……お前、旅した事あんのか?」
「無いよ。正直に話せば、少し怖かった。でも君が傍に居るなら、きっと旅は楽しいものになる。だからこうして想いを馳せているんじゃないか」
「―――そうか。お前が喜んでくれるなら、俺も嬉しい」
「君はどうなの? こうして学校をズル休みして、私と二人きりで旅にでた気分は」
何気なく尋ねたつもりなのだろうが、俺にとっては真面目に考えざるを得ない質問だ。尻の据わりを直しつつ、ぼんやりと返答を考えてみる。
…………いや、考えるまでもない事だ。今までであれば照れ隠しも含めて色々言葉を取り繕ったのだろうが、散々泣き喚いた姿を見せておいて、取り繕うも何もあるまい。
「……そうだな。夢みたいだ」
なので、素直に口にしてみた。
「お前とずっと一緒に居たい。もう俺には、お前しか居ないんだ。だから、こういう時間は本当に夢みたいで。夢なら、一生覚めないで欲しくて。現実なら―――終わらないで欲しくて」
「か、狩也君ッ? どうしたの、き、君らしくもない事言って。周りの人、き……聞いてる、よ」
周囲に居る人間は誰も彼もイヤホンを付けて携帯を眺めている。数少ない例外は眠っている人間か、俺達と同じ様にお喋りしている人間だけ。誰にも聞かれている道理は無い。
仮に聞かれていたとしても、俺は躊躇したりはしない。
「―――有難う。碧花」
『首狩り族オレ』に、言っておく。水鏡碧花に手を出したら、許さない。どんな手段を使ってでも、俺は『首狩り族オレ』を―――
『次は~久遠慈駅~。久遠慈駅~。降り口は右側でございます』
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