漆黒に眠る



「一体、何があったんですか?」


「何があったも糞もあるか…………はあ……はあ…………あるか……はあ…………」


 全く余裕のない部長を見て、俺は何と声を掛けたらよいかを迷った。怒った姿などは見た事あるが、これは怒っている様には見えるも、実際は只余裕を無くしているだけで、部長自体は至って平常なのである。人間、本当に余裕がなくなると息をする事だけで手一杯になってしまうらしい。部長は暫くフェンスに前のめりになったまま呼吸をして、五分程度もそれを繰り返し、ようやく調子を整えた。油断して顔を見せてくれれば良かったのだが、極限まで警戒心を抱く(どうしてそこまで顔を隠すのか。今は誰も居ないだろうに)彼はやはり背中を向けたまま話し出した。


 男は背中で語るとはこの事か。


「で、何があったんですか?」


「ああ。まずその前に聞いておきたいんだが、施設の外にラブホテルがあるのは知ってるか?」


「え、部長。あそこ入ったんですか? あの……ラブホテルに」


「あの、という事は知ってるんだな。なら話が早い……しかし待て。その表情は何だ」


「……いやあ、何というか」


 部長は性欲とはかけ離れた仙人みたいなものだと勝手にイメージしていたので、俺の中で部長のイメージが崩れただけである。というかこの部長、背中を見せている癖に俺の表情を読みやがった。何故分かるのか甚だ疑問である。ひょっとして、背中が顔だったりするのだろうか。俺は部長の背中を突いてみるが、めちゃくちゃしなやかな筋肉が沈んだだけである。


「何を勘違いしているのか知らないが、あそこのラブホテルは既に廃屋と化している。仮にそういう目的があったとして、わざわざそこに行く意味は? 廃屋なら何処だって良いだろ」


「…………え?」


 廃屋だったのか…………では天奈と会話していた際に動揺していた俺は正真正銘の馬鹿ではないか。今が夜で、しかも目の前に居るのが部長だけで助かった。こんな所に碧花や萌が居たらどうなっていたか…………


「って話を逸らさないでくださいよッ」


「何も逸らしてないぞ」


 動揺が過ぎて話が逸れた事になっていたが、確かに部長は僅かたりとも話を逸らしていなかった。話を逸らそうとしていたのはむしろ俺の方であった事を、彼の持つ有無を言わせぬ奇妙な圧力が悟らせてくれた。


「まさか自分が標的にされるとは思っていなかったが、元々俺達はフィールドワークの一環としてここに来た。君まで八石様のターゲットにならなければ、もっと早く行っていたさ」


 そう言えば萌がそんな事を言っていた様な気がする。水着のインパクトが強すぎたのと、直後の部長が被っていたガスマスク染みたあれにはインパクト以前に恐怖を感じたせいで、忘れていた。


「そのラブホテルで、白い服を着た女の子を見つけたんだ。年齢は……中学生くらいかな。それにしても異常な空間に居たよ。只者ではないと一瞬で分かった」


「異常な空間?」


 好奇心猫をも殺すというが、それでも部長がそんな言い草をするくらいだからどんな光景だったのか気になった。数秒後、その判断を俺はとてつもなく後悔する事になるのだが、この時の俺がそんな未来を知る由は無い。後悔とは、戻れないからこそするのである。





「数十人以上の男性のマネキンに、石が詰められていた」





 部長が言ったその光景とは、正しく八石様の手を逃れられなかった者の末路であった。


「マネキンに、石が…………?」


「マネキン、だったと信じたい。人にしてはあまりに無機物的だったからな。その真ん中に蹲っていたんだよ、その女の子は」


「ちょっと待ってください。それ、八石様なんじゃ……!」


「俺もそう思った」


 流れはどうあれ結果的に部長は生き残っている訳だが、またも部長は気になる言い方をしてくれた。『もそう思った』という事は、つまり俺やその時の部長の考えは誤っていたという事である。話を円滑に進める為に、俺は先んじて返事を出す。


「……何で、違うと思ったんですか?」


「ん? まあ待て。話は順序が大事だ。その子は何も話さなかったが、何やら人ならざる気配を感じた俺は、何となくその子を連れ出す事にした。語弊を招く言い方を敢えてするなら、ホテルに持ち帰ろうとした」


「ええ!」


 高校生とはいえ、中学生の子をホテルにお持ち帰りは幾ら何でも犯罪である。敢えてしているというのだから性質が悪い。彼は自分を犯罪者にでもしたいのか。ただ、全く正しくない訳ではない。身元も分からない、しかも廃屋とされていたホテルに女の子がいれば、常識的には家出した女の子が居たという事になる。家出したくらいなのだから家庭環境にはそれなりに事情があり、おまけにこの時間だ。連れ帰るのはどうかと思うが、外に出す事は正しいだろう。


 因みに一般人として正しいのは、警察に引き渡す事だ。俺はお持ち帰りなどという、殆どの場合犯罪行為となる事は絶対にしない事を心に誓った。この部長を反面教師に、俺は真っ当な人間としての人生を歩むのである。


「所がな―――ラブホテルを出た時に襲われたんだよ。胸に八個の石がついた、巨大な女のバケモノにな。信じるかどうかはお前に任せる。俺はとにかく襲われた。まあ、あれが八石様なんだろうな。文献を調べるのと実際に見るのとでは随分イメージが違う。俺も背筋が凍り付いた。そして直感的に思った。逃げなきゃとな」


「それで、逃げたんですか?」


「ああ。逃げた。幸い、怪異撃退の為のアイテムは沢山持ってきていたんでな。本当はアイツを守る為の物だったんだが、八割使う羽目になってこの様だ。俺は屋上まで全力で逃走して、お前にメリイさんの禁忌を踏ませる事で怪異の重複を起こして無力化。無事に生き残れたという訳だ」


 お前のせいで死にかけた、とも部長は言った。実に恨めしい一言だが、俺の不信感で危うく死ぬ所だったのだから無理はない。俺のせいという事もあり、こちらは申し訳なさそうにするしか無かった。


「女の子はどうしたんですか?」


「途中まで運んでたんだが、流石に無理があってな。ホテルの裏口の方で放置してきた」


「ホテルの裏口……って。あれ。でもそこ、従業員専用じゃ―――」


 そこまで言って、俺はひとりでに気付いた。部長は屋上のフェンスから外の闇を眺めている。その表情はたとえ俺が超能力者だったとしても窺い知れない。闇色の仮面が、彼の顔に張り付いていた。


「あの、部長。それって不法なんじゃ」


「そもそもホテルに入った時点で外に出るのは禁止だ。その証拠にプールで誰も泳いでないだろう。まあ失くしものを探すとかなら許可が下りるかもだが、オカルトは失くしものとは言い難いからな」


 さも当然の様に色々とグレーな行為をする部長に、俺は溜息を吐いてしまった。確かに、オカルトなどという非科学的な―――しかし、そんな否定的な言い方をする割には何度も俺だって遭遇している―――存在を追究する以上、人の秩序に沿って行動し続ける道理はないのだが。


「それで、これからどうするつもりなんですか?」


「どうするもこうするも、あの女の子を回収しなきゃいけないんだから戻るつもりだ。まともな存在だったら……今頃はホテルの従業員に確保されてるかもしれないがな。しかし俺の予想では、萌が確保したんじゃないかと思ってる」


「何故?」


「逃げている時に萌の声が聞こえた気がした。君も分かっていると思うが、俺はなりふり構わず全力で逃走した。あれだけ走っていれば注意深い人間なら誰でも気になると思うから、と。そう思っただけだ」


 部長は身を翻し、屋上から離れていく。


「行くんですか?」


「まあな。君も来るか?」


 言わずともついていくつもりだ。今まで散々隔離されてきたのだから、解放された分、情報を共有して何が起きたかを把握していかないと。部長の後をついていきながら、俺は碧花に電話をする。飲み物を買いに行ってしまっただけの彼女も、俺と同じで何も知らないだろう。むしろ彼女からすれば理由もなく俺の部屋が開いている訳だから―――



―――オートロックの事、忘れてた。



 あれじゃあ碧花は俺が部屋に居るか居ないかも分からず、余計に心配をかけてしまう。途端に俺は足が速くなり、部長についていっている筈なのに、何故か部長を通り越した。せっかく彼女が心配してくれているのに、呑気に階段を下りている道理が無い。一刻も早く彼女に無事を伝えたくて、俺の足取りは歩くたびに軽くなった。




 三階まで下りると、丁度俺とぶつかる形で、一人の女性とぶつかった。











「君。出たなら出たって、ハッキリ言ってくれないと困るよ」


 顔を突き合わせるや否や、碧花が口を尖らせながら言った。

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