メリイクライマス
それからの時間程、暇な上に無力感を感じる時間は無かった。籠の中の小鳥とは言わないが、同じ八石様に狙われている筈の部長が歩き回っている事に納得がいかない。それなら俺も出歩いたっていいのではないだろうか。いよいよ終身刑を受けた罪人の如き気分を味わってきた俺は扉を開けようと思ったが、もしもという事がある以上、俺にこの扉を開ける勇気はなかった。それに彼だけが出歩ける理由も、全く見当が付かない訳ではないのだ。
そこにはプロとアマの違いがある。
プロとは言っても高校生だが、それでも俺よりはずっとオカルトに対しての造詣が深い。彼には何か秘策があるのだろう。遭遇する事になってもその場を凌げる自信があるから、歩き回っているのだ。そうでもなければ死にたいと思っているかのどちらかである。俺は扉を開けようとするのをやめて、再びベッドに寝転がった。
開けようと思えば、開けられる。オートロックは外側からの干渉にのみ反応する。内側から開けられないなんて事はない。
けれどもそれをした場合に待ち受ける『死』の予感が、俺の手を扉から遠ざけていた。扉の前に壁が張られていると言い換えてもいい。俺には突破する勇気が無かった。何とも情けなく、そして愚かしい事に、俺はその超絶的不運で幾人の命を奪っておきながら、俺自身は命を奪われる覚悟が出来ていないのである。
それでいいのかもしれない。俺は英雄じゃない、多数の死に対して己の命を差し出す事に躊躇わない強い人間ではないのだ。けれど、だからこそ俺は無力感を感じている。不運のせいと割り切れず、罪の意識に苛まれている。
「―――ああ、最悪だ」
密室に只一人隔離されて、感傷的になってしまったらしい。碧花が馬鹿に遅い。電話をかけてみたが、やはり出なかった。実に暇である。最早やる事はテレビを惰性で見る事くらいしかない。眠る、という手も無くはないが、出来ればこの一件が終わり、彼女がこの部屋に戻ってきてから眠りたかった。皆が動いている中、俺だけが呑気に眠るなんて出来る筈がない。まだ風呂にも入っていないし、歯磨きもしていないのだから。
俺が意識を腐らせながらテレビを見ていると、何度目かも分からない着信が掛かってくる。先程電話を掛けたから碧花かと思ったが―――また、天奈である。
「天奈ッ!」
意識の腐っていた俺は直ちに意識を新調し、通話に飛びついた。しかし今度は沈黙が続き、電話口に耳を澄ませても音一つ聞こえない。只の電話とは言い難い。あちらが完全な沈黙を保っている関係で相対的に俺が興奮している様に見えたので、一度深呼吸を挟んでから、慎重に言葉を出す。
「…………天奈、だよな?」
「お兄ちゃん、今、廊下に居るの」
「え?」
「お兄ちゃん、今、廊下に居るの」
壊れた機械の様に繰り返される発言。最早妹でない事は俺も理解していた。これがメリイさんという怪異か。確か部長曰く、メリイさんと遭遇した際には電源を切ってはいけないだったか。ならば絶対に電源ボタンは押してはならない。一生電話の音が頭に鳴り響くなんて嫌だ。
携帯がもう一個あれば萌に繋げて声を聴かせるのだが、俺は一個しか持っていない。連絡出来ないのが残念だ。
「お兄ちゃん、今、扉の前に居るの」
近づいた。それからは暫く同じ言葉の繰り返しなので、俺は通話を繋げたままインターネットに繫ぎ、メリイさんについて調べる事にした。流石にフィールドワークをしているオカルト部に知識で勝てるとは思っていないがそれでも少しくらい情報を得る事は可能であろう。
メリイさんとは、人形を基にした怪異とも、正体不明の怪異とも言われている。
ネットに書かれている動きとしては、電話で逐一自分の位置について報告をしてきて、最終的に対象者の背後に回ってくる怪異だ。その後には諸説あり、メリイさんとして代替されてしまうとか、刺されてしまうとか色々ある。
―――と、いう事は。
「お兄ちゃん、今―――」
俺は反射的に通話終了のボタンを押した。機能に従って通話は途切れ、その後の言葉が紡がれる事はなくなる。禁忌とされているのは曰く『電源を切る』事だ。途中で通話を切る事じゃない。俺は決して死にたがりではない。
再び電話がかかってきた。ほらこれだ。恐怖から反射的に通話を切ってしまったが、恐らく『禁忌』が電源を切る事なのは、それによって物理的にメリイさんの効力を遠ざけられるからだと思われる。途中で通話を切ってもメリイさんにしてみればまた掛ければ良いだけの話なのだから、『禁忌』な筈があるまい。
念の為に掛けてきた相手を確認してみると、やはり天奈ことメリイさん―――
「誰ッ?」
見た事の無い電話番号だった。メリイさんであれば『天奈』と出る筈なので、これは違う。恐る恐る電話に出ると、見慣れぬ番号に相反して、随分聞き慣れた声が俺の耳に届いた。
「狩也!」
「く、クオン部長ッ。どうしたんですか……?」
やけに荒々しいというか、余裕が無い声だった。普段は俺の事を君付けしてくる癖に、通話に出るや否や呼び捨てとは驚いてしまった。一体どんな状況なのかこちらが把握する暇もない。捲し立てる様に部長が続ける。
「部屋から出ろ! 屋上に行け!」
「はッ…………えっと、どういう事ですか?」
「携帯持ってろ!」
質問の余地もなく通話が切れる。当然、これだけの言葉では訳が分からない。しかし言葉を紡ぐ部長の息が短く切れていた気がする。ひょっとして、走っているのだろうか。何故……かは、ここまでずっと隔離されてきた俺に理解出来たら超能力である。
部長に余裕が無さそうだったので、ここは変に疑ったりはせず、素直に従っておくべきだ。俺は扉に近づき、ゆっくりとノブに手をかける。俺の手を遠ざけていた『死』の壁は、いつの間にか無くなっていた。
八石様が目の前に居たらどうしようかとも思ったが、流石に部長が保障してくれただけはあり、そこにはいつもの虚空が広がっていた。それからまた着信があったが、今度は部長ではなく『天奈』だったので全力で無視。元々少ない体力を全力で駆動させて、俺は屋上までを階段で駆け上がった。明らかにエレベーターを使った方が早いとか言わない。俺はエレベーターの待ち時間が大嫌いなのだ。それ以外にもエレベーターには他の人への配慮も必要となるし、純粋な速度以外に考えるべき点が多いので、階段を使った。三段飛ばしに駆けあがっているので、早い事は早い。
「はあ…………はあッ!」
もう息が切れてきた。これが帰宅部の体力である。ホテルの階段を駆け上がる練習などしていないので、屋上に辿り着く手前で俺の脇腹が痛くなり、足が止まった。
―――ちょっと休憩するか。
どうしてあんな事を言いだしたのかは分からないが、屋上に行く事に時間制限はない。俺は階段に座り込み、暫しの間休憩を取る事にした。何気なく下の方に意識を向けると、心なしか凄まじい勢いで上ってくる音がする。足音からして俺と同じ様に段を飛ばしているのだろうが、その速度が明らかにおかしい。俺が『タッタッタッタ』だとするならば、この足音は三段か四段飛ばしにも拘らず、『タタタタタタタ』と何かがおかしい。
近づいてくるにつれて、その足音がこちらに近づいてくる事を確信。本能的に恐怖を感じた俺は急いで屋上まで行き、部長の指示を達成する。ここで何をすればいいのだろうか。
その時、再び携帯が振動する。相手は『天奈』だった。
「電源を切れ!」
「え?」
声の方向から、何と階段を凄まじい勢いで駆けてきているのはクオン部長らしい。俺が屋上に今入った事をどうやって察したのか知らないが、階段の反響を利用して大音声を上げている。
「で、でも…………!」
「いいから切れ! 死にたいのか!」
俺が躊躇しているのは、何もクオン部長の発言に理解が示せないからではない。メリイさんが天奈になりすましていたのなら、他の人も成りすましている可能性が高い。もしかするとこの部長は―――メリイさんなのではないかと思っていたのだ。部長の声で禁忌を踏ませる事で俺を殺す為に、そんな事を言っているのではと。
「おい!」
俺は着信画面と声とを交互に見て、悩む。どちらを信じるべきなのか。或いはどちらも信じないべきなのか。
「………………」
選択が近づく。間違える訳にはいかない。俺は部長と思わしき声の言う事を聞くのか、それとも無視するのか。俺の生殺与奪を握っているのは、そんなささやかな選択だった。
「お゛い゛!」
「…………」
俺は心の中で謝った。
どうしても信じられない。電源を切れと言われても、『死』を的外れに予感する俺の身体がそれを拒絶する。
取り敢えず、部長が本物かどうかを確認する為に電話を掛けようとすると―――漆黒の人影が俺の携帯を掻っ攫い、それの電源を切った。
「……………………無理もないとはいえ、信じて欲しかったぞ。狩也君」
「く、クオン部長ッ」
仮面を着けていない部長の姿が、俺の目の前にあるのだった。ただし、駆け抜けた勢いでこちらに背中を向けており、顔は見えなかった。横顔は見た気もするが、不信感から見る気が無かったので、記憶に残っていない。
屋上を囲むフェンスに、クオン部長が前のめりに寄りかかった。
「…………はあ、はあ。死ぬかと……思ったじゃないか」
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