緋の水鏡、碧の水鏡
彼女の言う通り、御堂の裏側には小さな部屋があった。中に入ると、ランプが机の上に置いてあるだけで、明かりが心許ない。携帯があればライトを使ったのだが、今の俺は何よりも携帯を嫌っている状態にある。当然、持っている訳が無い。
「あ、奥の方は覗かない事をお勧めします」
「え? それはどうしてですか?」
「御堂の方には確かに何もありませんが、そのうちの一部はこちらに移されております。例えば……祓われていない曰く付きの品物などがございますので」
それはヤバい。只でさえ俺自身が非現実的な存在なのに、これ以上厄介な奴を連れ歩くのは御免だ。この忠告は真面目に聞いておく。好奇心猫をも殺すと言うが、俺の場合人を殺しかねない。例えば俺の隣に居る……この巫女さんとか。
「……絶対に近づかないでおきます」
「申し訳ございません」
それしか知らない訳じゃないが、反射的に俺は胡坐を掻いて座った。一方の彼女は正座で座ったので、猶更印象が悪い。俺も正座にしようか悩んだが、今更治すのもそれはそれで不自然だと思い、それならと開き直る事にした。あちらは気にしていない。大丈夫だろう。
「……それで、質問の答えについてなんですけど」
「はい」
「緋花さんの言う通り……確かに俺は、人間ではありません」
十七年間自分の事を人間と思っていた為、この宣言をするには、かなりの覚悟が必要になる。何せ今までの人生を否定しかねない発言だ。発してしまった今でも、喉の奥がとても苦しい。
それでも、事実は事実。俺は人間じゃない。
俺とは碧花の『遊び相手』であり、どちらかと言えば、人の入れ物に入った幽霊。それは人であって人ではない。その本質は―――俺が今まで恐怖していた、化け物の類である。
「緋花さんはどうしてその事を見破れたんですか? 俺が自分の正体を知ったのはつい最近の事で、他の人も、誰も気づきませんでしたよ」
「それを説明するとなると、私の家系について説明しなければなりませんね」
緋花さんは自らの胸に手を置き、飽くまでゆっくりとした調子で、語りだした。
「普通に過ごされていては私達の家を知る事はないでしょう。私の所属する水鏡家は、古来から続く霊能者の家系です。時に首藤様。霊の存在は信じますか?」
「一応」
「私達の役目は、法的な手段や物理的手段では対抗できない存在を封印する事にあります。ネットなどをお使いでしたら、首藤様も未解決事件と呼ばれる事件の一つや二つくらい、耳にした事があるのではないでしょうか」
未解決事件。警察用語ではないが、迷宮入りとも言う。
基本的にこの国の警察は非常に優秀だが、例えばオミカドサマの様な霊的存在が関わってしまった場合、その力は法的手段では拘束も無力化も図れない。俺達の良く知る所の『現実的』の範疇では解決出来ないものが、主に未解決事件になりやすい。単に犯人の手掛かりが掴めないだけでもなる場合があるが、俺の中で最も近いイメージが前者なのだから仕方ない。犯人の手掛かりが掴めないなんてよっぽどの事だし。
オカルトなどには詳しくないが、幾らかネットを触っているのだ。勿論知っている事件くらいはある。飽くまでさわりくらいだが。
「現在水鏡家は、極秘裏にその様な事件を調査し、人知れず解決しています。飽くまで霊が関わっていると判明した場合、ですが」
「成程……裏の警察みたいなものですか」
「どちらかと言えば、協力者という方が適切でしょう。私が見破れたのは、偏にその様な血を受け継いで生まれたからだと思われます」
「―――あの。つかぬ事をお聞きしますが、姉妹って居ますか?」
「姉妹……ですか? いえ、父や母ならば居ますが」
そりゃ居るだろう。居なきゃ生まれてない訳だし。嘘を吐いている様には見えないので、他人の空似……というか、同姓なだけの別人?
顔で判断を出そうにも、碧花に似ている部分が全然ない。ノアの方がよっぽど似ている。血の繋がりがあればあの時、どちらかに反応があるだろうし、ここまで変化が見られないと、本当に他人の可能性が高そうだ。
「俺の隣に居た女性には、何か見えましたか」
「特には」
「―――じゃあ水鏡碧花という女性に心当たりはありますか?」
同じ事を尋ねている様でも、聞く人が聞けば全く違う印象を抱く事もある。今度の質問は、心当たりがありそうだ。反応を暫く待っている(シラを切れば問い質すつもりだった)と、やがて緋花さんの方から、彼女の話を切り出した。
「どうして貴方がその名前を知っているかは分かりませんが、ええ、知っています」
「……どういう、女性ですか?」
彼女の苗字が水鏡だった時点で、俺は尋ねる気満々だった。よく考えれば、俺は彼女の家族に一度も会った事が無いし、俺と出会うまでは何をしていたのかも知らない。何処に住んでいたのかも知らない。住居に関しては最初からあそこだったとしても、家族に会った事が無いなんてのはおかしな話だ。
碧花が意図的にそういうタイミングを狙っているのは知っているが、にしても親が居るなら、何処かで俺に声を掛けてくるのではないだろうか。娘がどんな男と付き合っている(断じて交際ではない)かは、親として気になる筈であろう。
もし、俺の知る碧花と同一人物ならば、情報を手に入れるチャンスだと思ったのだ。
しかし緋花の反応は、予想外のものだった。
「お教えできません。私は水鏡家から事実上の勘当を受けている身です。本来であれば、どの様な人にも口を聞いてはいけないのです」
「……え? いや、でも俺達に声を掛けてくれたじゃないですか」
「首藤様は、人間ではございませんので」
一瞬、何を言いたいのか分からなかったが、そう言えばあの時緋花さんと対峙していたのは俺で、話していたのも俺だった。どの様な『人』とも口を聞いてはいけないという事は、裏を返せば『人』以外なら何をしたって構わないという事だ。
ルールの穴を突くような行為を見るに、緋花さんからしても家の法は従い難いものであるらしい。でなきゃこんなグレーゾーンな言い訳は言わない。
「ああ、それで。じゃあ教えてくれても良いじゃないですか」
「…………分かりました。しかし、その名前は、もう使われていないという事くらいしか、存じあげておりません」
「使われていない?」
「その名前の者は死んでいる、という事です」
…………えっと。つまり―――どういう事?
碧花も俺と同じ存在という事では……無い。緋花さんは俺の隣に居る碧花を見て特に何も感じなかったと言っていた。死人でありながら生きているという状態は、俺と同じ法則が適用されなければ成立しない筈なので、その線は無い。
では一体、この矛盾は―――どう解消するべきか。
気になるのはそれだけじゃない。
「事実上の勘当っていうのは?」
「この神社に、生涯仕え続ける、という事です」
「―――でも、何もありませんよ?」
「何も無い神社に仕え続ける事。それが私への罰であり、務めです。ここへご案内する際、私は首藤様にこの部屋の事を『生活スペース』と仰った筈ですが」
聞き流していた。俺に限った話でも無いが、案外、人は思い込みも含めて会話を交わしているものである。
「それって、寂しくないですか? だって誰とも喋っちゃいけないんですよね」
「いえ。今は首藤様とこうして話していますし、それに人の来訪は、毎日ありますから」
「へ? それって参拝客が居るって事ですか?」
「そういう事ではございません。私には理解しかねますが、ここで『集会』というものをする人達が居るのです。夜遊び、なのだと思いますが」
「夜遊び…………あー。だから吸い殻が」
「あ。まだ残っていましたか? 済みません、直ぐに掃除を―――」
「あああああ大丈夫です大丈夫です! 取り敢えずそれは後回しで、一旦座りましょう! ね、ね?」
正座から直立までの一連の流れが全く見えなかった。慌てて裾を掴まなければ、本当に掃除をしに行っていただろう。それ自体は良いのだが、夜遊びをする様な人達がここを集会場所にしているというではないか。そんな中、女性が一人飛び込んで行ってみろ。
例が碧花しかなく、彼女はスタンガンと催涙スプレーで全員撃退してしまったので、無抵抗ならどうなるかは全く知らないのだが、因縁をつけられるのは間違いない。ひょっとしたらぶん殴られるかも。
「そ……そうですか」
直前の慌てぶりから一転。出会った当初の落ち着きを取り戻した緋花さんは、また元の位置に正座した。もしかしたら家系に問題があるだけで変人ではないかもと思ったが、やっぱり変人だった。俺の見立てに狂いは無かった。
只、クオン部長と同じく良い変人な様で安心した。あの人は犯罪行為に手を染めた疑惑があるにしても、緋花さんには無い。俺の中で好感度がぐっと上がった。人間味が無い様に見えて、この垣間見える素の性格という奴が、琴線に引っ掛かったのだろう。
会話する事が無くなり沈黙が神社にのしかかる。質問に対する答えも言ったし、これ以上俺が滞在する理由は無い。というかこれ以上滞在していると、夜明けまでに戻れる自信が無い。
「―――そろそろ、俺帰りますね」
「もう宜しいのですか?」
「話す事が無いって言ったらあれですけど、もう聞きたい事は聞けましたし。逆に、緋花さんから聞きたい事があるなら、受け付けますけど」
「……私から、聞きたい事ですか」
「まあないですよね」
「―――いえ、一つだけ」
「そうですよねない…………あ、あるんですかッ? ……それで、どんな?」
大方の予想としては『碧花』の名前をどうして知っているか、とか。そんな所か。家関係が複雑だから、家の関係者でもない俺が関係者を知っている理由を問い質すのは普通の事だ―――
―――なんて考えていた事実から言わせてもらうに、俺もまだまだ見通しが甘かった。いや、緋花さんの質問を予想しろというのが無理な話なのだが。俺は聞かれたくないだろうと思い敢えて深くは聞いていない。聞いたら戻れない予感がした。
或いは戻れない事を覚悟の上で聞いていたら予想は出来たのかもしれないが……一つ言える事があるとするなら。
聞いていてもそうでなくても。俺は素っ頓狂な声を上げて、発言に耳を疑っただろう。この人生中、そんな事を尋ねられるなんて、思ってもみなかった。
「……は?」
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