彼女の微笑みは俺だけの

 俺が何を考えようと、何を想おうと、どんな目に遭おうとも、明日はやってくる。極端な話、誰が死んでも、誰が生き残ろうとも、誰が居なくなっても、明日はやってくる。

 時間は止まらない。明日も明後日も、いつも通りやってくる。俺達人間の営みとは、その限られた時間の中で行われる全ての行動の事である。たとえそれが、犯罪的であったとしても。

「はあ…………朝か」

 思った以上にベッドが気持ち良くて、すっかり眠り込んでしまった。ぶっちゃけると、その間に何があっても俺の知る所ではない。いや、寝相は直った筈だから何もしていないと思うのだが、起きた時の由利の反応が明らかにおかしかった。



『へ、変態…………!』

『え? ちょ、由利。俺なんかしたか?』

『お、覚えてないの……あんな事、しておいて』

『先輩、何したんですか?』

『いや、何もしてねえ……してないよな?』



 朝食も勿論ご馳走になったが、あれから一言も口を聞いてくれないのだから、きっと俺は何かしたのだろう。しかし残念ながら何の記憶も無い。

 萌が背中に密着してきたせいで、俺は由利の方に密着せざるを得なくなり、その時に俺の興奮を悟られたのだろうか。でもそれだけでは行為にはならない。それに興奮は、生理現象だ。変態も何も、そういうものなのである―――あ。


 後出しで悪いが、心当たりが見つかった。


 ベッドで寝た時の配置は、由利と萌に挟まれて俺が居た。そして前述の通り、萌が密着してきたので、俺は由利の方に接近。当然彼女は距離を取ったが、ベッドの広さの関係で、距離を取るには限界がある。これ以上離れたら彼女がベッドから落ちると思い、俺は背中から由利を抱きしめた。

 もしかしなくてもあの時の柔らかい感触は……キスのせいで思考力が低下していたが、まさか由利の。

 掌を眺めて、何度も握ったり解いたりする。信じたくない。俺が女性にそんな事をしたなんて。だけど由利の反応から察するに、そうとしか考えられない。


―――うわあ。


 これが真実なのだとしたら、俺は罪深い。中世ならば即断頭台行き、今なら流刑、或は死刑、或は絞首刑、電気椅子刑、圧殺刑、磔刑。全人類から非難される事間違いなし。もしかすると既に俺の個人情報はネットに流出し、性質の悪いネットの住人共におもちゃにされているかもしれない。

 ネットというものは時代と共に我々高校生にとっては身近なものになっている。ネットに個人情報が拡散された今、学校に行けば俺は非難の的だ。全方向からボコボコに叩きのめされても文句は言えない。それだけの事を俺はした。

 碧花にだって……嫌われる。

「―――学校、休もうかな」

 行って不快な思いをするのなら、行かない方が良いだろう。よし、行かない。決断すれば俺は早かった。そうと決まれば直ぐに学校へ連絡だ。あちらも馬鹿ではない。既に事態は把握しているだろうから、休む事も了承してくれるだろう。

「何してるの?」

「いや、学校を休もうと思ってな……ああああああああ!?」



 碧花が相変わらずの仏頂面を携えて、俺の背後に立っていた。



 意外な人物の登場に、俺は振り返ると同時に、その場に崩れ落ちた。

「あ、あ、あああああ碧花さんッ?」

「何、どうかしたの?」

「い、いえいえいえいえ。何でもないですよ! 私は。いつも通りでございますとも!」

「君ってそんな三下キャラじゃないよね。これはいよいよ何かあったと見て良いのかな」

「何も無いって! 気にすんなよ!」

「じゃあその携帯は?」

「これは…………お前にモーニングコールを掛けてやろうと思ったんだよ! いや、お前が起きてたならいいんだ。あはははは!」

 長い付き合いの碧花には分かってしまう様だ。怪訝な顔でじっと俺を見つめてきたが、その手には屈しない。暫くすると、彼女は髪を掻きあげる。

「そう。まあ、君が言いたくないならいいよ。おはよう」

「お、おはよう」

「うん、元気のある良い挨拶だ。所で狩也君、私に挨拶をしたって事は、学校へ行くって事だよね?」

 虚を突かれ、静止。暫くして、俺は騙られた事に気付いた。

「え…………お、お前聞いてただろ!」

 事情を知らないモノが学校を休むか否かの話題を持ち出す筈がない。と言う事は、彼女はずっと背後で俺の独り言を聞いていたのである。その上で、俺が驚くタイミングをずっと見計らっていたのだ。

 彼女の口角がニッと上がった。言葉無くして語るとは正にこの事である。実質的な自白だった。

「フフフフ。相変わらず君は面白い反応をしてくれるじゃないか。いやはや、君程間抜けな顔を見せてくれる人は見た事が無い。胸を張りなよ」

「馬鹿にしてんだろ!」

「そんなつもりは無いよ。でも学校へ行かないというのなら、馬鹿にしてやろうかな。何で行きたくないんだい?」

 話すべきか迷ったが、俺はいつだって碧花に助けられてきた。彼女一人でどうこう出来る問題ではないと分かっているが、吐き出すだけ楽になるかもしれない。

「歩きながら話していいか?」

 萌や由利とはカップル疑惑を避ける為、登校時間に時間差を作っている。ここで突っ立っていたら、何のための時間差だったのかという問題が浮上してくる。

「いいよ」

 碧花は俺の横に並び立ち、横目でそう言った。   
















 俺の危惧も知らないで、碧花は呆れたように頭を振った。

「君って奴は阿呆だね」

「何だよ! ネットに情報が拡散されてたら怖いだろ! 俺だったら引き籠るね!」

「気持ちは分からないでもないけどね。ネットだって暇じゃないんだ。君の個人情報よりも価値ある情報何て幾らでもある。悪口を言ってる訳じゃないよ、極論になるけど、総理大臣の個人情報の方が、君の個人情報より価値があるでしょ。或いは何処かの演説の警備体制の方が、君の個人情報より有益だ」

「そりゃそうだろうけどさ。個人情報ってのはやっぱ一定の価値がある訳で…………」

 彼女に宥められようとも興奮を抑えられない。それくらい俺はとんでもない事をして、そしてそれぐらい不安に思っている。どうして不安に思っているか、までは明かしていないものの(胸を揉んだからですなんて言える筈も無い)、少しくらい分かってくれないのだろうか。

「大体、ネットに君の情報が拡散されてるなんて思い込みだよ。そんな情報が拡散されてれば私はとっくに見つけてるし、君に対してももう少し配慮した発言をするさ」

「いやあネットてのは恐ろしいしな…………何があるか分かったもんじゃない。お前が知らないだけかもしれない」

「私が知らないなら、学校が知ってる道理は無いよ。これでも長い間君の傍に居たんだ。心配は要らないよ」

 精一杯笑いかけようとしているのを見ると、やはり碧花は根は優しい女性なのだと再確認する。仏頂面なせいで冷酷に見えてしまうかもしれないが、その仏頂面も、付き合いが長ければ情緒豊かなものになる。

 所で俺には気になる事があった。

「なあ碧花」

「ん?」

「俺、普段の登校時間よりも割と遅いんだけどさ。お前っていつも先に学校着いてるイメージがあるんだけど、いつもこの時間に登校してるのか?」

 一応、俺より遅くても俺自身の移動手段が徒歩なので、全力でダッシュすれば可能である。可能だが、絵面としてはかなり面白いというかシュールというか。

 あの碧花が、という感じである。

「…………いいや。普段ならもっと早いよ」

「じゃあどうして?」

「君が家に居なくて、心配だったんだ。何処かで泊ってるんだろうとは思ってたけど、万が一という事があるだろう」

「あ、そりゃすまん。心配かけたな。でもどうして俺がここに居るって分かったんだ?」

「女の勘って奴さ」

 最近の俺は幽霊や怪物以上に勘の事を非科学的な存在だと思っているが、碧花がそう言うのなら、本当にそれはあるのかもしれない。何にせよ彼女が俺の居場所を特定する方法は勘以外にGPSを付けるくらいしか無い為、素晴らしい勘と言えるだろう。GPSに匹敵するなんて鋭すぎるにも程がある。

 碧花だけは旧文明でも生きていけそうだと思うのは俺だけだろうか。






 そんな風に駄弁っている内に学校へ到着してしまい、俺は遂に休めなくなった。 

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