災禍を纏う者

「じゃあまたね」


「おう」


 クラスが別なので、碧花とはここで一旦お別れだ。彼女が教室に入るまで手を振って、それから教室へと足を踏み入れた。




―――雰囲気の変化を感じたのは、その瞬間。




 割と遅い時間での登校という事もあり、既に六割くらいの人が来ている。それは別に良いのだが、問題はそれらが向けてくる視線だ。軽蔑、恐怖、忌避、嫌悪、憎悪……まだまだある。人に良い感情を向けられないのはいつもの事だとしては、これは流石に多すぎる。いよいよ何かあったと見るべきだ。


「……な、何だよ」


 机の方を見遣る。こういう時は大抵、机に何かがあるのだ。しかし俺の予想とは反して、机には何ら不思議はなかった。近づいて中を覗くが、何もない。何も変わっていない。ただ視線だけが、今までと明らかに変質している。特に女子だ。ゴミを見る様な目と言えば陳腐な表現になるだろうが、そうとしか言いようのない視線である。


「何だよ!」


「サイテー」


「は? 俺が何したってんだよ」


 クラスの女子は教えてくれなかった。最低な所業をした上に、その自覚が無いような外道に掛ける言葉など無いという事だろうか。たった一日の間に一体何があった。嫌だと思われる個所があるなら言ってくれればいいのに。可能なら直すから。


 この様子だと、五分待っても十分待っても教えてくれそうにないので、俺は徐に教室を出た。俺と同じ空間に居たくないらしいので、自発的に俺が出ればあちらも喜ぶだろう。


 行くあては、残念ながらない。まさかこんな反応をされるとは思ってもみなかったし。碧花のクラスは……行った所で彼女以外同じ反応をするのではないだろうか。理由はないが、証拠はある。クラスメイトの反応がそれだ。


「狩也君ッ」


 廊下に出て、どうやって現状を把握しようかと考えていた時、碧花が駆け寄ってきた。その表情は少し焦っている。冷静沈着が常の彼女にしては珍しい表情だが、用件は俺が思っているものと同じだろう。


「なあ碧花、俺って何かしたか?」


「その件なんだけど……一応聞くけど、心当たりはないよね」


「心当たり? 何の」






「女子の下着を盗んだって話にだよ」






「ある訳ねえだろ!」


 即答だった。


 それもその筈、俺には心当たりがなかった。中学校の頃、碧花に何度か下着の譲渡をせがんだくらいで、高校に入ってからはしていない。というか、俺がそういう変態的な側面を見せる相手は決まって親しい相手―――つまりは碧花なので、下着を盗む筈がないのである。盗むくらいだったらまたせがむ。その方が正直者だからマシだ。


「まあ、そうだよね。私は一瞬たりとも疑っていなかったよ。君が私以外の下着を盗もうとする筈ないものね」


「おい、どういう意味だよ!」


「だって君、子供っぽい下着嫌いじゃないか」


「別に嫌いって訳じゃ―――」


「へえ。じゃあ勘違いかな? 私と買い物に行った時、大人物の下着売り場をずっと見てたのは」


 勘違いではないが、そんな事を今更になって持ち出したという事は、俺が気付かれていないと思い込んでやっていた行動の殆どは、とっくの昔に彼女にバレていた様だ。


 下着泥棒の心当たりはないが、その心当たりは山ほどある。碧花の表情は変わらないので、俺は勝手に危機に陥った。


「……そんな自白寸前の犯人みたいな顔しなくても。君だって男の子なんだから。それよりも今は学校を騒がせてる君の濡れ衣だ。心当たりがないならそれで結構。後は私に任せてくれ」


「……いいのか?」


「君には手を負える事件じゃない。かつて君が壮一君に嵌められた時みたいにね。いつもの事だから別に気にしてない。君と友達になるってのは、要するにその不運と付き合うって事でもあるからね」


「すまん」


「不運も含めて君だ。私はそんな君とトモダチになった。この身が死ぬまで、いや死んでも……何度だって付き合うよ。それにどうやら……軽く調べただけだから何とも言えないんだけど。これはどうやら、私の片づけるべき事件みたいだ」


 俺が首を傾げている内に、早速碧花は身を翻し、行動に移しだした。


「私のせいで君を巻き込んでしまった……責任はちゃんと取るよ」


 去り際に放った彼女の言葉を俺が理解するのは、もう少しだけ後の話になる。


















 碧花が行ってしまうと、俺には身を寄せる場所が無くなる。また教室に入ると、主に女子からあらゆる負の感情が含まれた視線を向けられるだけなので、入りたかない。せめてチャイムが鳴るまでは、何処か別の場所で時間を潰した方が良いだろう。それがお互いの為というものだ。


 じゃあ何処で時間を潰すのか、という話になるが、ここから俺の中の思考は停止する。


 萌と由利とは交際疑惑の払拭をする為(偽りたいのは飽くまで萌の父親相手であり、それ以外には偽りたくない。特に碧花)に遅れてやってくるから、会おうとすれば校門で待ち伏せをしなければならない。しかしそれをすると、俺の濡れ衣がよりそれっぽくなってしまうので、選択肢としては存在しない位あり得ない。




 こうなれば、最終手段だ。俺は保健室に向かう事にした。




 通常、保健室は具合が悪くなった者が足を運ぶ場所だが、保健室は別名『公認サボり室』。残念ながら保健室の先生は巨乳でもないし、白衣でもないし、網タイツでもないし、有り体に言うとおばさんなのだが、サボれるだけでも十分だろうと、不良の間では暇潰しスポットとして話題になっている。


 流石にHRが始まる前からサボろうとしている奴は居ないと思うが、不良は怖いので、居たらと思うと気が進まない。


 だが俺は知っている。今の時間帯は丁度保健室の先生が居ない時間帯だと。あの先生は来るのが遅いのだ。暇潰しに使えるとすれば、それは今しかない。道中で担任にでも遭遇すれば事情の説明のために職員室に拘禁されるかもしれないが、それはケアしようがない。賭けだ。


 慎重な足取りになるだけ怪しまれるので、大胆にも俺は全力疾走で保健室へと駆け込んだ。一瞬でも目撃されていれば、まず間違いなく犯罪がバレて逃げ回っている犯人として映るだろう。直ぐに扉を閉めて、外の様子を背中で窺う…………誰も来ないし、足音も聞こえない。


「いや~危ない危ない」


 誰にも見つかっていないので、厳密には何も危なくないのだが、気持ち的には赤外線の網を潜り抜けた様な気分なので、そう思っても無理はない。映画の主人公とまではいかないが、間違いなく今の俺には主人公補正があった。




―――なんて情けない。




 頼んでも良いとは言われたが、女子に問題解決を丸投げするって、男として最低の事だと思う。仮に俺が問題に対面した所で解決出来ないという危惧は、スペックの面から見て明らかなのだが。それでも。


 或いはそれが、俺の告白を阻害しているのかもしれない。


 確かにそれだけが理由じゃない。けれど理由の一つだ。俺が自分磨きをするのは彼女を作る為であり、出来れば碧花を惚れさせるくらいの魅力を得られたらと思い、今も続けている。それは裏返せば今の自分への不信感を表していて、つまるところ今の俺は、自分に自信が無い。


 告白は度胸が要る行為だ。オーケーを貰える自信が無ければ行えない事だ。俺は彼女が欲しいと喚きながら、誰か一人にでも告白をしたか? いいやしていない。怖かった。自分が嫌われているかもしれないという想いが俺の足を躊躇わせた。


 主人公補正は確かにあったのかもしれないが、こんな弱っちくて成長の余地が欠片も見当たらない男が主人公の筈がない。この騒動が良い方向に転がるとは全く思えなかった。例によって、また誰か死んでしまうのだろうか。












「貴方が、首藤狩也君?」












 背後から掛けられた言葉は俺の不意を突き、怯ませた。馬鹿な! この時間帯に人なんている筈がない!


 悪戯がバレた子供みたいに素早く振り返ると、保健室に設置されたベッドに……一人の女性が座っていた。


「あ…………貴方は?」


 碧花を間近で見ていると、美貌耐性というものが付いてくる。要は美しいものを見た時の反応が変わってくるのだ。例えば千年に一人の逸材として報道されたアイドルを見ても、過剰に反応したりはしない。


 これはネット民によくある天邪鬼な反応ではなく、美しいものを見ているが故に簡素な反応になるのだ。美しい女性が、俺にとっての日常なのだ。そんな俺を以てしても、目の前の女性を相手にしては言葉を失う。存在は知っていたが、こんな身近で出会えるなんて考えた事も無かった。


「那峰春佳よ。よろしくね?」


 雪の様に白い髪を揺らして、那峰春佳は微笑んだ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る