初めてのキスを貴方に

 俺が家でパーティした時もそうだが。俺には運というものが存在しない。分かるだろう。碧花とのキスを邪魔された時の事を話している。別に誰を責める訳でもない(お蔭で妹を助けられたから)が、あれさえなければ、俺は間違いなく彼女とキスをしていた。胸だって揉んでいた。もう勢いだ、その辺は。


 なのに、出来なかった。


 超絶的不運がこのようにして牙を剥くなんて、タイミングが悪いにも程がある気がする。せめてもう少し、遅く……いや、早くしてくれれば、何の問題も無いのだ。それが、どうしてここまで完璧に。


「………………ほ、本当にいいのか?」


 萌は答えない。代わりに彼女は下唇を噛んで、やはり顔を真っ赤にしていた。恥ずかしいのだろう。俺の不運に合わせるなら、それこそ『死ぬ』程。他人に主導権を譲り渡すという行為は、自分もその行為をしたいという想いを相手に教えるという事だ。絶対あり得ないが、碧花が『君さえしたいなら、胸を揉んでもいいよ』と言ったなら、これは遠回しに胸を揉んで欲しいという事である。


 繰り返す。絶対あり得ない話をしている。その理解を得ない事には話が始まらない。


「で、でもほら……お前だって、い、嫌だろ? こんな顔も良くない頭もよくない俺とキスするなんてさ」


「先輩の事、タイプですよ」


「え?」


「外面は、確かに普通かもしれません」


 分かっていたが、地味に傷ついた。


「でも、先輩の内面は、私のタイプなんです」


「そ、それは喜んでいいのか。人の第一印象は見た目って言うぞ」


「部長、いつもこんな事言ってたんです。『いいか、萌。まあオカルト好きなお前にゃ縁のない話かもしれないがな、彼氏を作る時は顔を見て、それから中身を見ろ。顔のブスは整形で幾らでも直せるが、心のブスは整形如きじゃ直せない。そんで、もし長続きしたいなら中身を優先しろ。点数配分だ。テストで言えば裏面の右下と下にある奴だ』って」


「クオン部長も大概失礼だな!」


 萌が落ち着いている様に見えるなら、それは間違いだ。彼女は顔から火が出る程の緊張と羞恥に抗いながら、懸命に言葉を伝えようとしている。その為、言葉が強張り、いつになく落ち着いた固い言葉になっているのだ。


 その証拠に、俺がツッコんで何とか有耶無耶路線に乗っけようとしても、彼女はまるで意に介していない。


「学校で私が襲われた時、私を守ってくれた先輩、格好良かったです! 今でも……尊敬してます。でも、不思議なんです。部長の事も尊敬してる筈なのに、先輩とは違う感情だって、ちゃんと分かるんです」


「…………」


 恐らく。俺はその感情の答えを知っている。知っていて、敢えて口に出さないのは意地悪でも何でもない。交際経験のない俺には、発言の自由はあっても発言力は皆無。言って外れてたら、ニワカを曝け出す事になる。


 なので言わないだけ。深い意味は無い。無いったらない。


「でも、どういう感情なのか分かんなくて。辞書にも何も書いてないんです」


「……うん。そりゃ書いてねえだろうよ」


「だから、先輩とキスしたら何か分かるかなって―――あッ! いや! あわわわ……! いえ、その。無理にとは言いませんから! 先輩がしたくないなら……別に」


 どうにも締まらない。それもこれも、萌が無自覚にボケてくるからだ。一体何処のどいつが感情を辞書で調べようとするのか。




「萌」




「は、はい!」


「お前の親父の前じゃ、俺とお前はカップルだ。だけどな、本当のカップルじゃない。偽物の恋人関係なんだ」


「……はい」


「それに、何だ。お前とキスしたいのは……本当だけど。場所がさ。由利の家だろ? 流石に俺達がキスしてたら、幾ら自分の家つっても居心地は悪い。だから―――ええと、口にはキス、しないよ。俺は」


 俺も締まらなかった。心の中では幾らでも格好良く言えるのに、どうして口までそれが到達する頃には、こんな情けなくなる。どんな塵芥が混ざれば、こんな不純物の塊みたいな答えが出せるのだ。自分磨きには全力を賭したつもりだったが、しまった。殺し文句というか、こういうアドリブ力は鍛えていなかった。




 萌の頬から熱が引いてきた―――瞬間。




 意図した訳ではないが、それと同時に俺は首筋まで伸びていた手で彼女の背中を押し、力強く抱き寄せた。


「きゃううんッ!?」


 不意の接近に、お互いの羞恥と興奮は最高潮に達した。萌の顔をここまで間近で見た事は無い。彼女だって同じだろう。お互いの吐息がお互いに掛かり、身体の強張りがお互いに伝わる距離感。思っても見なかった俺の行動に萌は反射的に逃げようとしたが、腐っても俺は男。力で叶う筈も無ければ、俺は足を絡ませている。



 言い方を最悪にすれば、無力なのが明白な女子に対して、強気な行動に出ている。



 これが碧花だと、スタンガン当てられて終わりだ。トップオブザヘタレの俺がここまで強気になれるのは、先輩という肩書があるから。


 ゲームをやっていない人でも良く分かっているだろう。先輩属性は後輩属性に特攻属性を持っている。一度でも部活に所属した事があるなら分かる筈だ。帰宅部は知らん。あれに先輩も後輩もあってたまるか。


「せ、先輩…………!」


「目、瞑ってくれ」


「は、はいぃ…………!」


 ここまで来ると、上下関係が完璧に決まっていた。俺が主人ならば、萌はまさしく忠犬。俺の発言に対して、正確に対応してくる。目を瞑ったのを見てから、俺は彼女の頬に―――















 キスをした。















 一秒、二秒。或いはそれ以上。口と口同士ではないので、ファーストキスとは言えない。けれどもそれは、紛れもなく、俺が恋愛対象として見る女性にする初めてのキスだった。


 ぷにぷにしている。これが女の子の頬らしい。碧花もこれくらい柔らかいのだろうか。頬くらいだったら俺も抵抗が無いし、後で触らせてもらおうか。


 それにしても、抱き寄せた時から分かっていたが、凄く良い匂いだ。まるでお花畑に居るかの様な、透き通った香りが、俺の鼻を擽っている。


 唇を話すと同時に、俺は彼女を両腕の拘束から解放し、恥ずかしそうに距離を取った。





「……人の家で、何してるの」





「―――ッ! ぎゃああああああ!」


「へッ……きゃああああああ!」


 俺達が由利の存在に気付いたのは、お互い取り返しのつかない事をしてしまった、後の事である。軽蔑を訴える由利の双眸に、俺は必死に訴えかけた。


「違う! ち、違うんだ由利! これには事情があるんだ!」


「…………」


「な、何だよその眼! 事情も知らない癖に!」


「確かに、今来たから事情は知らない。でも現状は知ってる。話は聞くけど、場合によっては」


「よっては―――?」


「殴る」


「殴る!?」


 碧花より物騒である。それに女子が殴るなどとはいただけない。その事を指摘しようかと思いつつも―――どうにも、由利の瞳が、それを許さなかった。或いは、彼女なりの警告なのだろう。





 俺はいつも以上に、己の行いを後悔した。






 

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