彼氏としての行い



「はー美味しかったです! ご馳走様でした!」


「美味しかった。正直、こんな美味しい料理を食ったのは何年振りかって思うよ。ご馳走さん」


「お粗末様」


 食事を終えた俺達は、下げられる皿を眺めながら横たわった。奇しくもそのタイミングは萌と同じである。由利は皿の片づけがあるので、横たわりはしなかった。


「ふわー何だか眠くなってきましたねー!」


「ベッド直ぐそこにあるのに床で寝ようとするのはどうかと思うがな」


「でも先輩だって寝っ転がってるじゃないですかー!」


「俺は別だ」


 執事服を着ていて何だが、本当の執事じゃないので仕方ない。というか本当にこれどうにかならなかったのか。何となく仕事をこなしたからさっきはともかく、食後はこのようにとても執事とは思えないだらしない姿を見せてしまう。 


 思えないと言えば、そもそも体型からして執事らしくないが。俺に執事が務まる様な美しい肉体があったのなら、『首狩り族』はともかく、ずっと前に彼女は出来ていたのではないだろうか。


 運動神経も駄目、容姿も駄目、勉強も駄目。三拍子揃った俺に死角はない。と言っても、煩悩に思考を支配される様な俗物である事に変わりはなく、例えば碧花の使っているタオルなんか借りられた日には、マラソンで一位が取れる自信がある。


 我ながら単純な人間だと思うが、仕方ない。それくらい煩悩ってのは、偉大なものなのだ。


「じゃあ私は、片付けがあるから」


「おー御影。寝転がらないのか。お前は」


「…………皿、このままにしておけないでしょ」


 寝転がる俺達を呆れた様に一瞥してから、由利は皿を重ね、部屋を出て行った。料理に詳しくない俺が彼女の出した料理の名前なんて一品も分からないが、なんかフランス料理みたいだったのは覚えてる。本当にフランス料理だったかは知らない。あれの起源は宮廷料理だと何かの本で読んだ事があるが、要はそれくらい豪華だったのだ。


 よく考えてみて欲しい。庶民代表こと俺と萌が、普通の料理何かでここまで満足感を得られる訳……あるか。別に舌肥えてる訳じゃないし、生ごみでも食わされたら話は別だが、流石にそこまで料理を料理たり得なくする女性は居ない。少なくとも俺の近くには。


「御影先輩も居なくなって……お腹いっぱいで。本当に眠くなってきました……」


「おい。まだ歯磨きしてないぞ」


「歯磨きですか…………でも御影先輩に借りるのも悪いし…………」


「風呂借りといて今更だろ…………っておい! 寝るなッ」


「寝ませんってえ…………ばぁ………………」


 普通に起こしてやればそれで済む話だろう。だが忘れないで欲しい。俺も眠いのだ。炬燵が無いからギリギリ耐える事が出来ているだけで、あれがあれば俺もとっくに睡魔に負けている。炬燵の魔力は恐ろしいのである。 


 一応、机に向き合って食事をし、そこから直ぐに寝転がっているので、足は接触している。上手く使えば起こせそうだが、後輩を足蹴にしているみたいで好きじゃない。だがここから動くのも億劫というか、満腹になった事を今更後悔するべきか。


 あの皿の量を考慮すると、由利が帰ってくるまで相当の時間が掛かるだろう。そして俺が何もしないのなら、それまでに寝落ちしている可能性が高い。酒で酔いつぶれている訳でもあるまいし、ここで寝ると余計に迷惑が掛かる。


 俺は懸命に身体を起こして、萌に近づいた。途中で足が机に引っかかったが、なら机をどかせばいい話だ。今は何も乗っていない。


「おい萌。起きろ」


「………………」


「起きろッ!」


「……はッ! ね、寝てませんよ! 寝てませんからねえッ」


 語尾が緩く伸びている。寝起きの証拠だ。


「いいや、絶対寝てた。わざわざこんな距離にまで俺が近づいたんだから寝てたよ。いいか萌、絶対寝るなよ? まだ歯磨きしてないし、そもそもここベッドじゃねえからな?」


「そう言われましても……動くのが怠いです~」


「食べてすぐ寝ると牛になるぞ?」


「牛になんかなりませんって……ばあ」


 また眠りそうになっている。声を掛けただけでは根本的解決にならなそうだ。



―――仕方ないな。



 前提として言っておく。これは萌だからやるのだ。もしも目の前に居るのが碧花だったら死んでもこんな事はしない。目の前の彼女が俺にとって『可愛い後輩』だからやるのだ。暫く声を掛けないでいると、彼女の瞼は凄まじい速度で閉じていった。


 完全に閉じた頃を見計らい、俺は彼女のお腹をちょんとつついた。柔らかい反発が指を返し、俺はもう一度彼女を見た。


「…………すぅ」


 流石に起きなかったか。刺激が弱すぎたらしい。もう少し距離を詰めて、様子を窺う。





 こうして改めて見てみると 顔の作りが非常に良く整っていると改めて思う。





 何と言うか、丸っこくて小さい。最近の出来事は流石に心にきたみたいだが、それでもこうして俺の前に呑気な寝顔を晒している以上、既に立ち直っていると見るのが正しい見解だ。今でこそ静かだが、これが起きると底抜けに明るい後輩が生まれるのかと思うと、何だか不思議な気持ちだ。


「…………」


 これ以上のアクションを取れば戻れなくなりそうで、怖い。次の行動が思いつくまで、俺は萌の顔を眺める事にした。



 色々と言いたい事はあるが、やっぱり可愛い。



 こんな後輩と今まで接してきたのかと改めて考えると、存外に俺は女性に対して免疫があるのではないかと思えてきた。特別女性の事を怖いと思っている訳ではないが、ここまで美人だと、普通ならちょっと躊躇っていると思う。余程自分に自信が無い限り、誰だってそうなる筈だ。


 たとえば碧花。俺は特殊な出会い方をしたからともかく、あれと普通にクラスで接そうと思ったなら、余程社交性の高い者でもない限り、まず話そうとは思わないだろう。俺と接している時が、恐らく彼女の情緒が最も豊かな時だ。


 体育や移動教室の関係で会えない時、たまに遠くから碧花を見つける事があるのだが、その時の無表情っぷりと言ったら同一人物かどうかを疑うレベルである。仏頂面とはああいうものを言うのだろうと、見る度に俺は辞書の正確さに感心している。


 だからこそ、俺の目の前でだけ笑顔を浮かべられたりすると、彼女にとって特別な存在になっているみたいでとても嬉しいのだが、それはそれとして。やっぱりあの仏頂面は話しかけづらいだろう。


 一方で萌は底抜けに明るく、いつだって笑顔であったり、口角が上がっている。こうして落ち着くと躊躇わなかったのを不思議に思うが、考えている内に答えが分かった。ずばり積極性だ。彼女があまりにも明るく、積極的なせいで、俺が躊躇う暇が無い、躊躇う暇を与えてくれないのだ。だから今まで、中々過剰なスキンシップを出来たのだと思う。


「…………あ。良い事思いついた」


 わざわざ予告してやったのは、俺なりの警告である。ろくでもない事しかしない事に定評のある俺からこんな言葉が出れば、きっと起きるだろうと思ったのだ。三秒の猶予も間に挟んだが、それでも萌は起きなかった。これは本当に眠っていると判断して良いだろう。眠っているのなら……やる事は一つだ。


 思い立ったが吉日とも云うが、いざやるとなると、途端に覚悟が試される。心拍が一気に跳ね上がり、萌の首筋に伸びていた腕が止まった。



―――本当に、やって良いんだよな?



 いい筈だ。眠っている。眠るなと言っているのに、眠るのが悪いのだ。正当化じゃない、断じて。萌が寝なければ何もしないのだ。当事者を除けば誰も居ないのに、俺は何かと戦っていた。悪戯したいという欲望と、萌に嫌われてしまうかもしれないという恐怖と、でも起こさなければいけないという使命と。もうごちゃごちゃだ。


 そ~っと、そ~っと。萌が起きない様に手を忍び寄らせ、そのまま制服の中に指を―――




 パチッ。




 不意に、目が開いた。


「あッ」


「…………先輩? 何か近くないですか?」


 ………………………………どうしよう。


 目が開いている。これ以上ないくらい大きく。それはいい。起きたのはいい。問題はこの状況で硬直してしまった事だ。


 状況を整理すると、現在、俺は萌の首筋に手を伸ばし、背中まで突っ込もうとしていた。ブラ紐を外したかったとかそういう目的じゃない。擽りたかったのだ。擽れば基本的に人は起きる。碧花でさえ、大笑いしながら起きたのだから間違いない。その後に裏十字固めを喰らったけど―――まあそれはいい。


 ここで手を引けば、まるで俺が何かしようとしていた様に見えるだろう。しかも今は二人きりだから、いやらしい方向に発展する可能性が高い。かといって手を引かないのは、この状況を連続させるだけである。


 もっと言うと、ここで手を引かないと顔が退けない。鼻先三寸とまでは行かずとも、かなり近い距離で俺と萌は見つめ合っている。恥ずかしい。目を合わせたくない。けれども、目を逸らした時点で、萌に『何かやましい事があります』と自白した様なものである。俺が目を逸らさない事で、萌も目を逸らさない。その状態が続く限りは、少なくとも萌は首にいやらしく伸びた俺の手に気付かない。


「……せ、先輩」


「な、なんだ?」


「顔、赤いですよ?」


「……お互い様だ」


 絶対に逸らせない。悪戯はバレないから良いのだ。バレてしまえば只の変態になる。


「………………もしかして先輩」


「ん?」


「キス、したいんですか?」




 思考が停止した。今まで考えていた駆け引き全てが、真っ白になった。




 何で、そうなる。


「え。いやその…………いや、したくもなくもなくも。えっと」


「…………」


 無言の圧力が上手すぎる。これでは俺も、嘘の通しようがないではないか。


「そんなつもり……いや、したくない訳じゃない………………正直に言えば、したいが」


 刹那の瞬間たりとも目を離せない中、本人に煩悩をぶちまけるのは、実質的な告白みたいなものだった。萌は頬を真っ赤にして、何度も何度も何度も瞬きをして俺の姿を確認している。しかしこの俺は現実だ。どれだけ瞬きしても、俺の姿が消える事は無い。


「…………ほ、本当ですか」


「お……おう」


 何故頷いたと自責する。間違っても彼氏と偽った事への補強演技ではない。ただ、首筋に手を突っ込もうとした事に幻滅されるよりはマシだと思ったのだ。一応、彼氏ではある訳だし(偽りの)。彼女の唇に吸い付きたいと思っても、何ら不思議はない。


 由利が帰ってくる気配はない。早く乱入してくれないと俺はこの状況を脱せないのだが。満更でも無い気分だが、これは不味い。大いに不味い。



―――いや、待て。俺の目の前の女性を誰だと思っている。



 相手は萌だ。オカルト馬鹿だ。キスしたいかどうかは尋ねて来ても、実際にするしないは別の話。彼女だって一度も彼氏を作った事が無く、キスなんて絶対に無い筈だ。するはずない。そんな度胸が彼女にあるとは思えない。



 ……そう考えたら。少し、落ち着いた。



 白線が見えなかったので慌てていたが、今の俺にはしっかりと白線が見えている。どちらが外側で、どちらが内側かも。


 いやあ危なかった。本当に危なかった。何も起きないと知ったらホッとした。



『紳士淑女の皆々様白線の内側へお下がりください。これより恋愛列車超特急が参ります。この駅で止まりはしませんが、皆さまに一瞬のトキメキを与えてしまう危険が考慮されます。何卒従って下さいますよう、お願い申し上げます』















 


「キスしても…………いいですよ………………先輩、なら」

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