俺とアイツの駆け引き



 裸足で障害物競争なんてやったから、俺はものの見事に足を出血。死に物狂いで走っていたから気付かなかったが、放置していたせいで状態は中々どうして酷い事になっている。壮一に啖呵を切ったまでは良かったが、あの後、感情の鎮静した俺は足の痛みに耐えきれず、こうして保健室へと向かっている訳だ。



 こんな足ではアイツに勝てない。



 アイツは決してかませ的な存在ではない。自分の出る競技で一位を取り続けるなんて、俺が言えば大言壮語も良い所だが、アイツが言うとそれは実力の範疇にある発言になる。それくらい奴は運動神経が良い。まともに戦えば勝ち目はない。



 ならばどうするか。



 障害物競争では思わぬアクシデントに遭ってしまったが、あれの様に一風変わった競技であれば、適応性の高いこちらの方に軍配が上がるだろう。実力以上の相手もやり方次第だ。人間が無敵という事なんて無いのだから。


 所で、俺が保健室に向かっている理由だが……この程度の怪我など本部に控えている救護係で事足りるのは間違いない。しかし俺には気になる事があり、『トイレ』と偽って、ここまで戻ってきた。外のトイレは壊れている癖に学校は全然修理をしないので、理由としては適当である。どうせ次に俺が出る競技はまだ先だ、居なくなっても大した被害はない。


 保健室の扉を開けると、見慣れた人物がこちらを向いた。


「あ、先輩。お久しぶりです!」


「……萌。何でここに?」


 西辺萌。オカルト部の部員であり、俺が今の所唯一交流をしている後輩だ。彼女とは七不思議の暴れる学校を共に脱出した仲であり、俺が碧花以外で仲が良い女性と言えば、彼女か天奈くらいしかいない。オカルト部が活動停止状態の今、彼女とは接点がないのだが、あの一件以降、彼女には懐かれたというか……信頼してもらえている様で、すれ違えば小話程度をするくらいの交流が続いている。相変わらず、その首にはカメラが提げられていた。


「オカルト部が活動停止中何で、色々な手伝いをしています。今は保健室から取ってきて欲しいモノがあると頼まれたので、それを取りに来ました」


「は~なんか、活動再開まで暫くパシられそうだな」


「気にしていませんし、人の役に立てるのって、なんか嬉しいじゃないですか!」


 その発言はオカルト部にはあまりに不似合いなのだが、彼女は一体何部なのだろうか。カメラを見れば写真部だが、その発言自体は慈善団体に属する人だし、何処にもオカルトの要素が無い。今日が体育祭という事もあって彼女も体操服に着替えているが、いつ見てもちんちくりんなから…………だ。




 ん?




「…………先輩?」




 …………あれ、おかしいな。 




 いつの間にか萌に、胸が出来ている―――じゃない。発言が失礼過ぎた。豊胸手術がされている。いや、これも違う。


 え?


 驚きのあまり、俺は隠す事も忘れて萌の胸をガン見する。顔を寄せて、眉を顰めながら見ている以上、幾らその辺りに鈍い萌と言っても俺の見ている場所が分かった様だ。頬を染めて、自分自身を抱きしめる。


「ど、何処見てるんですかッ?」


「あ…………すまん。か、カメラがな」


「え? …………あ、済みません。ちょっと勘違いしちゃいました」


「いや……俺の方こそ悪かった。間違いなんて誰にでもあるし、気にするなよ」


 とは言いつつも、やはり見てしまう。ただのちんちくりんだと思っていたのに、こんな凄まじい曲線美を持った身体を隠していたのか。着痩せという概念を俺は長らく信じていなかったが、彼女がそれを証明する存在だったとは。碧花程完璧な比率ではないのだが、それでもこのスタイルの良さ。制服を着ると着ないとで、まさかここまで彼女の印象が変わるとは。


 俺は想像の中で彼女にビキニを着せて、浜辺を歩かせてみる。……結果から言うと、最早誰か分からなかった。


 俺の中の萌はもっとこうちびっこいだけの女性だったので、このスタイルを露わにした彼女が歩いていても、他人の空似という事で納得してしまうだろう。これ以上見るといよいよごまかしが効かないので、俺は視線を彼女の顔に合わせる。


「それで、先輩はどうしてここに?」


「ん。ああ、実は足を怪我してな。救護係に頼るのも良かったが、先にトイレに行きたかったんだ」


 良く考えなくても苦しい言い訳だが、彼女は俺を信用してくれている数少ない人物だ。苦しい言い訳も、容易に通用する。


「それでしたら、私が手当てしますよ! さ、そこのベッドに座ってください!」


「心得あるのか?」


「部長とフィールドワークに行ったりすると、大抵部長が怪我をするので、このくらいの傷なら大丈夫です!」


 そんな小難しい言葉をまさかオカルト部から聞けるとは思わなかったが、また随分と行動力のあるオカルト部だ。一応、ここがオカルト部たる要素にはなるか。都市伝説などに対する好奇心と探求心は、この部活に居なければ発揮されないものである故。ここで彼女と出会えたのも何かの縁だろうから、俺はその言葉に甘える事にした。


「じゃあ頼む」


「任せてください!」


 俺はベッドに腰掛けて、汚れた足を差し出した。


「砂だらけですね……どうしたんですかこれ」


「走る際に、裸足で走ったからな。砂だらけにもなるだろう。手間をかけて済まないな」


「手間という程でもないですし、別にいいですよ」


 大丈夫という言葉に偽りなく、彼女は慣れた手つきで傷口に対する処置を始めた。素人丸出しの包帯ぐるぐる巻きでもされたらどうしようかと思っていたのだが、そんな彼女の姿を見て、俺は彼女に対しての不信感を恥じた。一体俺は萌をどんな役立たずだと思っていたのだ。何だか彼女に申し訳なくなってしまう。せっかく俺を信頼してくれているのに。


「そうだ萌。お前を頼れる後輩と見込んで一つ頼みたい事があるんだけど、いいか?」


「はい! 何ですか?」


「実はな―――」


 俺だって馬鹿じゃない。少し考えればそれなりの名探偵になる事が出来る。もしも俺の予想が的中していた時、俺もまた奴の土俵に上がって戦わなければならなそうだが、取り敢えず、これはカメラを持ち、自由に内外を歩き回れる萌にしか頼めない事だ。


 事情が説明し終わり、俺は神妙な面持ちで改めて尋ねた。


「―――頼まれてくれるか?」


「……それ、本当だったらかなり不味くないですか?」


「ああ。本当だったら勝ち目がない。けど俺は、どうしても勝負に勝たなくちゃいけないんだ。こんな事を頼めるのは、萌。お前しかいないんだ……えっと。やってくれ」


「勿論ですよ! 他でもない先輩の頼みですから、是非やらせて頂きます。証拠が取れたら、直ぐに持っていきますか?」


「ああいや、ここで待ち合わせよう。昼休みにここで」


「分かりましたッ。それじゃ、ここで。―――っと、先輩。終わりましたよ」


 足を持ち上げてみると、そこにはすっかり処置の終わった俺の足が。消毒液の痛みなどちっとも感じなかった。俺が萌との会話に集中していたからだろうか。何にしても、これなら靴を履いた状態ならば従来通りの実力を出せそうである。流石に裸足はもうやらない。やる訳にはいかない。


 俺はベッドから立ち上がると、保健室の机にあったペン立てからペンを手に取り、机の上にあったメモ帳にとあるモノを書き起こす。


「これ、俺のIDだから」


 萌は暫く目を丸くしていたが、俺が強引に紙を押し付けると、水でも掬うみたいにそれを受け取った。


「……どうして、急に?」


「今度、飯でも行こうぜ。何なら部長と三人でさ」


 下心が全くない訳ではないが、俺は単に俺の事を信頼してくれている後輩を可愛がりたいだけである。それに、ファミレスなどの公共の場所であれば、クオン部長の顔を拝める事もあるかもしれない。


 俺の何気ない誘いに萌は外国で中継でもしているのか明らかに遅れた反応を返してきた。その顔は何処か輝いており、嬉しそうだった。


「はい!」


「任せた。それじゃあな」


 俺は保健室を出て、校舎を後に―――









 


「先輩!」


 振り返ると、保健室からひょっこりと顔を出した萌が、笑顔を弾けさせながら言った。


「一位、応援してます!」


「………………おうッ」


 成程、後輩を持つとはこういう事か。中々悪い気分じゃない。二人の女性から応援を受ける事になった俺は、改めて勝利への決意を固くした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る