必然の偶然



 それにしても、まさか萌があんなにスタイルが良かったとは。この発言をしてしまうと俺が女性を体だけで判断していると思われるだろうが、単に女性として優れている存在を見るのは若い男として当然の、それは一種の生理現象とも言うべき…………などと難しく言っては見たが、実際感じた感情は「エッロ」の一言で済まされる。本当に申し訳ございませんでした。


 しかし、待って欲しい。「エッロ」という言葉に集約された情欲は、俺が常日頃碧花を見て感じている感情だ。こんな事で謝ると、俺は毎日碧花に対して土下座をしなければいけなくなる。彼女の一挙手一投足が全て可憐で愛おしく、ついつい目線で追ってしまうのだ。高嶺の花だからとアイツの彼氏になる事は無理だと割り切っているが、今回はその高嶺の花が下りている。一度だけその花を直接愛でる事が出来るのだ。今回俺がやる気を出しているのは、そういう低俗な感情に突き動かされているからである。


 最低だと罵るが良い。変態だと罵るが良い。俺はむしろ、俺を褒め称えたい。頼めば恐らく快諾してくれる性欲処理を、俺はずっと拒否しているのだから。……人として普通とか、言ってはいけない。あんな美人と会話出来る事自体、俺にとっては奇跡みたいなものなのだから。


「よう、碧花」


「狩也君。何処に行ってたんだい?」


「トイレに用があってな。にしてもお前、凄いな。女子の短距離走で一位とか中々出来る事じゃないぞ」


 俺は定位置と言わんばかりに彼女の隣に座り、手を握ろうと思って―――やめた。変態扱いされるのは嫌だ。


「見ていてくれたのかい?」


「おう。余裕の一位だったな」


 ここに来るまでに、俺は碧花の出る種目こと短距離走を観戦していた。ここまでの会話でも分かる通り、碧花が一位である。参加者には陸上部も居たというのに、一体どうすれば陸上部でもない彼女が勝てるというのか。この道理が分からない。陸上部は貧乳だから早いという俺の中にあった数式は儚くも崩壊してしまった。正確に言うと、巨乳でも早い奴は早いという数式が出来上がっただけだが。


「珍しくお前は男子からの声援を受けてたよな」


「君もしてくれていたり?」


「悪い。戻ってきて直ぐじゃ俺如きの声は届かない」


「…………そう」


 まあ煩悩の塊の男子達が大体何処を見ていたかは分かる。これに関しては壮一も例に漏れないが、どうせあそこをみているのだろう―――シャトルランでいつも見ている所を。後体操着越しでも分かる魅惑的なお尻の曲線美。



―――さっきから俺は何を考えてるんだ?



 駄目だ。情欲から発展したやる気故、どうしてもこっち方面に繋がってしまう。こう見えて俺はあまり表立った下ネタには耐性が無いのだが、内面となるとこれだ。ネットで態度がでかい人の事をネット弁慶とか行ったりするが、俺の場合は内側スケベだったりするのだろうか。


「そう言えばお前、壮一から何かコンタクトあったか?」


「壮一…………誰?」


「えッ?」


 まさかもまさか、碧花は彼の事など記憶にすら残っていなかった。改めて俺は説明を試みるも、途中から「冗談だよ」と言われ、くたびれもうけに終わる。


「特にないよ。そもそも私だって友達は少ないんだ。君以外、話す機会は少ないかな」


「いや…………」


 無い。それは無い。


 碧花と仲良くなりたいと思っている人間はごまんといる。だから唯一連絡先を持っている俺が敵視されている訳で、その気になれば彼女も友達百人くらいは出来る。九割は下心ありだろうが。それは俺にも言える事なので、これ以上は自虐になる。


「他の奴と話したりしないのか?」


「あまり、好きではないかな。私は君と話していた方が楽しいし」


 碧花は顔をそっぽに向けていった。その表情はエスパーでもない限り窺い知れない。


「……そう言ってくれるのは嬉しいけどな。でも俺、彼女が出来た事ないんだぞ?」


「それが、どうかしたのかい」


「何だお前、知らないのか。女子高生って言うのはな、かっこいい奴と運動が出来る奴と面白い奴にくっつきたがるんだよ! 今まで彼女が出来た事がないって事は、俺はこのどれも満たしてないって事だっ、テストに出るぞこれ!」


「君は現役女子高生に何を言っているんだい…………」


 ジト目で見つめられている内に、俺は自分の行いがとても恥ずかしいものだった事を知り、咳払いと共に座り直した。何故俺はありもしないホワイトボードとありもしない指示棒を持って、ありもしない眼鏡を持ち上げたのか、永遠の謎である。


「しかし、君が満たしていないっていうのは嘘だと思うよ」


「ん?」


「君は彼女を作る為に毎日の身だしなみを整えている。運動は出来なきゃさっきの障害物競走はビリだった筈だ。それと君の反応は、見ていて面白いしね」


「最後褒めてるか?」


「勿論。少なくとも私には素敵な男性に思えるよ。だから、自信を持ちなよ。私からのお墨付きだ」


 何の変哲もない一般人に追加で説得力を持たせる事は厳しいが、水鏡碧花は校内一の美人だ。その美人から素敵と言われた以上は、俺も自信を持たなくてはなるまい。


「そうか……俺かっこいいか! お前も彼女が出来るって、そう思ってくれるのかッ」


「まあ、そういう事になるね」


 一瞬、彼女の双眸から光が消失した気がするが、気のせいだろう。ここは日陰なので、そういう風に見える事もあったって不思議じゃない。


「いやーなんか自信湧いて来たぜ! これなら一位取れる気がしてきたぞー!」


 掌返しも甚だしく、一転して元気になった俺を見て、碧花が僅かに口元を綻ばせる。それから少し、申し訳ない顔になった。


「…………何だ?」


 恐らく俺のクラスの順位経過が芳しくない事について言いたいのだろう。しかし、案ずる事無かれ。一度でも最下位を取ってしまうときついが、逆に言えば最下位さえ取らなければ勝機は見いだせるという事である―――





「私が出た時の話だけど、君のクラスの子、最下位だったよ」





「終わった…………」


 そうだったのか。碧花ばかり見ていたからちっとも気付かなかった。しかしそうなると、前述した通りかなりきつい。少なくともこれから三位以下を取る事は許されなくなる。俺と壮一による決戦を抜きにしても、俺のクラスが一位になる未来は、途端に絶望的なものになってしまった。


 他でもない、碧花の手によって。


「済まないね。私から持ち掛けた賭けなのに、私自らが失敗する様に導くなんて」


「いや…………いいよ。俺が勝てばいい話だしな!」


 そう。一位にならなくてはならない。必ず俺と壮一でワンツーフィニッシュを決めなければならない。碧花をモノ扱いするああいつにも分からせる為にも。今回の窮地も、実に丁度良い。この窮地を俺一人で乗り越えれば、碧花にもかっこいい所を見せられるだろう。上手く行けば、そのまま彼女が俺の虜になってくれるかもしれない。



―――なーんて。美味い話があればいいんだけどな。



 賭けには勝てるので、頑張らない道理はないが。


 ふと校舎に取り付けられた時計を見ると、時刻はいよいよ十二時……休憩時間に差し掛かろうとしていた。


「昼食か」


 そう言えば、今回俺は昼食を持ってきていない。いや、あったというべきか。リビングで天奈と喋っていたら、いつの間にか消えていたのだ。なので今回、俺は休憩時間を空腹で過ごさなければならない。皆が弁当を美味しそうに食べている様を指でも咥えながら眺めるのだ。楽しいとか楽しくない以前に、多分空しい。


「君、弁当はあるの?」


「え? ああ、それが聞いてくれよ。急に消えちまったもんで、持ってないんだよ。先生に弁当ねだったらくれっかね」


「そんな事しなくても、私があげるよ」











「え?」


 言っている事の意味が分からず、俺は目を丸くしたまま、呆然と碧花を見つめ続ける。彼女は丁寧に包まれた重箱の様な弁当箱を露わにすると、その上に置かれていた二本の割りばしの内、片方を差し出してきた。


「私だけでは食べられそうも無くてね。半分、食べて欲しい」



 …………



「嫌、かい?」


「そんな筈ないのであります! 是非、頂くであります!」


 碧花の手料理が食べられる。


 そう考えただけで、俺の心は踊り狂うのだった。 

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