明日も明後日も遊び続けよう

「…………やくん」

 僅かに聞こえたその言葉が、俺の意識が戻るきっかけとなった。俺の目はゆっくりと開き、やがて保健室の天井を認識した。

「…………」

 事態の把握に努めている。幸いにも俺は記憶喪失ではなく、意識を失っている間を除けば、全ての記憶を保有している。確かそう、一人かくれんぼが碧花の手によって終了させられ、意気揚々と俺が校舎を出ようとしたら、首無し畑川に刺されて、気を失ったのだ。俺は確かな死の予感を感じていたが、今ここに居る時点で無事らしい。腹部にはまだ強い痛みが残っているので、俺は起き上がる事も出来ない。

 首だけを傾けると、横で碧花が眠っていた。俺の片手に対して両手を合わせながら、不安気な表情で突っ伏している。意識の目覚めるきっかけとなった言葉は、彼女の寝言だったのだろう。腕は負傷している訳ではないので、問題なく動く。俺は彼女の手を敢えて離すと、眠りこける碧花の頭を優しく撫でた。もう片方の手はフリーだったが、腹部に強い痛みが残る現状、身体の向きを変える事すら困難なのだ。

「んッ……んふ……狩也君………………」

 俺の名前を呼びながら眠る彼女は、一体どんな夢を見ているのだろうか。己が魅力という点に関してのみネガティブな俺に言わせれば悪夢なのだが、どうも表情と一致しない。不安気と俺は言ったが、俺の事を喋っている時のみ、心なしか幸せそうな顔をしているのだ。


 まあ、気のせいだと思うが。


 どうして気のせいかと思うかは、言うまでもあるまい。俺は自分に自信が持てないのだ。たとえば近所の老年の女性に『良い男』と言われても、それが実際的に良い男かどうかは分からない。少なくとも現代の価値観でないのは確かな事だ。そうであるのなら、俺はモテている。ここまで自分に自信無さげになる事もなかった。

「碧花……」

 彼女の無防備な姿を見るのは、これで初めてな気がする。今まで無防備だったのはむしろ俺で、こうも隙だらけな彼女を見てしまうと、思わず襲いたくなってしまう。けれど、俺にそんな余裕は無いし、仮にあった所でそんな度胸は無い。俺が出来るのは精々、彼女の寝顔をずっと眺める事くらいである。

「済まない。俺が浮かれてたばっかりに」

 刺されたと思わしき個所を手で触ってみる。彼女に応急手当の心得があるとは知らなかったが、お蔭で命拾いをした。感触的には、包帯が腹に巻かれている。若干濡れている様な感触は、血に染まっているからだろうか。

 俺が何となく擦っていると、横から俺の手が掴まれ、動きが制止される。




「―――駄目、じゃないか。狩也君。君は怪我人なんだから……動かないでくれよ」




 驚く事はない。碧花の意識が目覚めたのである。万全の状態であれば身体を横に倒す所だが、腹部の痛みがそれを中断させる。せめて首だけでもと傾けると、それに応じて碧花も移動してくれた。

「怪我の具合はどうだい?」

「動いたら痛い」

「もう君の行った一人かくれんぼは終わった。君を運んでる最中に時間を確認したけど、もうすぐ夜が明ける。そうなったら怒られちゃうよ」

「知らん」

 動けないものは動けない。瀕死の人間にとっとと動けなんて言っても、無理なものは無理である。早々に俺をどかしたければ担架を持ってくるなり、極端な話、ぶち殺してくれればそれで終わりなのだが、後者だけは勘弁願いたい。何であれ、俺が自分から動く事は出来ない。碧花が抱きかかえてくれたりすれば話は別だが、女性に抱きかかえられる男とは一体。

「…………そう言えばさ、これで私達は友達だよね」

「そ、そう……か?」

 実は喋っても痛いので、俺は出来る限り声を穏やかにしている。激しい声を出してしまえばその分腹部が辛い。彼女からそれを強いられる様な状況が作られない事を願う。

「ここを出られたら、と確か言ったけど。一人かくれんぼが終わった今、学校から出るのは容易な事だ。昇降口も普通に開くのは確認した。もう、友達になっても大丈夫だ」

「お、おう。宜しくな」

 沈黙が二人を押し黙らせる。この遊びを機に二人は仲間から友達になった訳だが、だからどうしたというのだろう。恋人から夫婦になれば接し方も変わるかもしれないが、仲間と友達でどう変えれば良いというのだろう。結局、友達みたいな会話を俺達はしていたのだし。

 余程時間が経ってから、碧花が俺の顔を覗き込んだ。

「約束……破らないでくれよ?」

「え?」

「どんな時にも傍に居るって。破ったりしたら―――」

「破らないよ」

 俺は手で彼女を招き寄せると、その身体を優しく抱きしめた。あまり強く抱きしめても俺の負担が強いので、飽くまで優しく。

「お前が望むのなら、何処でだって一緒に居る。こんな頼りない俺で良かったら……俺の方こそ、ずっと一緒に居てくれ」

 何度でも言おう。大人になれば無茶とも妄想とも出鱈目とも言える言葉を、俺は苦も無く言える年齢だったし、碧花も碧花でどれだけ大人びていようが、それを真に受ける年齢だった。小学生とはそういう夢を語れる年齢でもあり、殆どの場合、俺達は当時の発言を忘れてしまうものだが。

 たまに、例外が居る。





「―――嬉しい」





 抱擁している以上、俺には彼女の表情を拝む事は叶わなかった。けれども俺は、彼女から初めてその言葉を聞き、何だか凄く恥ずかしい言葉を聞いてしまった様な思いを感じた。喜びを示す言葉にこちらが羞恥を表すなど、実におかしな話だという自覚はある。

 一旦彼女と距離を取ろうとするが、彼女は俺の背中にしがみついて離そうとしなかった。

「あ、あの碧花。ちょっと離れてくれると助かるんだけどッ」

「……こしだけ」

「え?」

「もう少しだけ、このままで―――今は、君に見せる顔が無い」

 彼女から嘆願され、俺は大人しくそのお願いを聞く事にした。彼女とこうしている状況は、俺にとって特に都合が悪い訳でもないし、





 腹部の怪我が騒めいて、とても動けそうになかったから。





















 映画が終わった。エンドロールは至極いい加減であり、部長の名前だけがデカデカと表示されているのを見ると、彼にどれだけの自己顕示欲があるのかが窺える。

「……お疲れ! さあ、遠慮なく感想を聞かせてくれ!」

 俺は映画評論家ではない。そもそも映画自体、午後のロードショーでたまに見るくらいだ。どんな風だったかと聞かれても饒舌にはなれない。出来て精々が面白いか否かという判断くらいだ。そしてその判断を言ってしまうと、部長を怒らせる危険性があった。

 十中八九俺には聞いていないので、碧花にその役目を任せるのも手段の一つではあるのだが。良くも悪くも彼女は正直だ。もしも俺と同じ事を考えていた場合、部長は己の矜持を失う事になるであろう。

「…………狩也君」

「は、はい!」

 何故敬語。己自身から突っ込みを受けつつも、その理由はやはり俺が良く分かっていた。長い付き合いだからこそよく分かる。彼女はとても不機嫌だった。

「君の感想を、聞かせてくれ」

 最悪な振り方に、俺は暫し、この硬直で以て現在を凌げないかと考えていた。しかし、沈黙に事態を能動的に動かす力はない。彼女がそう動かしてきたのなら、俺もきちんと受け止めて、返す必要がある。

 極めて思考内で言葉を選びながら、俺は慎重に文章を考えた。

「まず…………演技面については、棒読みじゃない事だけしか分からなかったし。文句を言うつもりはない。けれど、その―――亜深部長。この映画って、本当に碧花の要望通りなんですか?」

「勿論だ!」


 それは違う。


 本人を差し置いて俺にその発言は許されていないが、もしも要望通りなら、彼女がこうも不機嫌になる筈がない。つまり要望通りではないという事だ。

 確認する為にも、俺は碧花の方を向いて、言った。

「お前、監修したのか?」

「したと言えばしたけど…………」

 じろりと碧花の瞳が蠢いた。『後は分かるだろう?』と言わんばかりの威圧感に、思わず俺も肯定の意味で瞳を動かしてしまう。全く見当がつかない訳でもないが、何だろう。やはり彼女に本気で凄まれると、俺は忽ち抵抗の気力を削ぎ落とされてしまう。

 まさか俺達の間でそんな危険なやり取りがされているとは知らず、亜深部長は俺達の前に立って、感想に期待していた。

「亜深部長。この映画、碧花の監修を受けてるんですよね?」

「ん? 勿論だ。ただ、映画通の俺に言わせれば、内容には少しインパクトが足らなかった」

「へ?」

「だから足させてもらった。無断でやったのは謝るが、お蔭でこの映画は更に面白くなった!」


 ……………ああ。だからか。


 幾ら何でも小学校の頃の話を鮮明に思い出せる程、俺の頭は冴えちゃいない。

 それでも、あんな思い出は二度と味わえるものではないので、大部分は覚えている。その俺ですら違和感を感じたくらいなのだから、記憶力の良い碧花であれば、全く違うと思っても不思議はない。というか、明らかに違うと言える点が幾つも存在する。   


 一つ。一人かくれんぼではなく、何故か俺が呪術をやっている点。


 友達が欲しくて呪術をやるって、明らかにとち狂った思考ではないか。一人かくれんぼであればこそ、周りは話題性を持つ俺に惹かれるというのに、呪術なんてしてみるがいい。ドン引きで、更に孤立する。


 一つ。登場人物が一人増えている。


 あのよく分からん怪物とかは、よく再現したと思う。思うが、部長が部長の役で出ているのはどういう事だ。あの時に亜深部長が居る道理はないので、これは覚えているとか覚えていないとかの話ではない。この時点で俺が亜深部長と初対面な時点で、あそこに居なかった証明になっている。


 一つ。結末が違う。


 そもそもひとりかくれんぼなんてやろうとした理由は、友達が欲しかったからであり、それに至る流れも、壮一に嵌められたという背景がある。彼女の監修通りなら、それが描写される筈だが、どういう訳か最終的に部長が実は怪異の親玉だった俺を討伐して、エンドである。

 仮にこれが真実だとして、じゃあこの場に居る俺は? 幽霊か何かか?


 一つ。碧花が惚れっぽすぎる。


 開始数分くらいで部長に惚れていた。説明不要。絶対違う。




 総合すると、この映画は監修されて『いた』、という方が正しい。

 実写映画などでは、良く原作者監修という文句が入る。これは原作者が映画の内容について色々と口を出す事で、原作と整合性を取れる様にする目的がある。これがないと映画自体が原作を侮辱するものになる事もあり、その場合、ファンからは大層嫌われてしまうのだが。今話したいのはそういう事ではなく。

 多分、この映画は碧花によって最初は監修された。しかしその後、改めて内容を見た部長が『インパクトが足らん』とかいう理由で再監修した結果、これが生まれたのだろう。当時の事件に関わっていない人物が監修したらどうなるかなんて想像に難くない。というか、それは監修と言えるのかどうか。


 そもそも監修とは、著作権者やその分野の専門家が、制作サイドの作ったものを検閲する事である。


 わざわざどうしてこんな事を言ったのかというと、立場をハッキリさせておきたかったからである。この場合、碧花が著作権者や専門家で、制作サイドが部長だ。再監修という言葉は正しくない。独断による改悪と言うべきだった。

「…………有難うございました」

 俺は手短にお礼を言って、碧花を引っ張り上げる。想定よりも早く彼女は立ち上がり、そして俺に引かれながら、視聴覚室を後にした。

「ふふふ、そうか! 言葉が出ないくらい凄いか! ウハハハハハ!」 

 碧花が彼の告白を受け入れない理由が、分かった気がした。

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