俺が守らなきゃならない


 歌が聞こえた。俺の聞いた事の無い歌。でもその声は、俺の良く知るものだった。


―――碧花?


 碧花が歌っている。長い付き合いだが、今まで彼女が歌った所なんて見た事が無い。である以上は、歌声も聞いた事が無い。だからこれは貴重な瞬間だ。意識は覚醒したてのせいでボンヤリとしているが……その状態であっても脳が蕩けてしまいそうな程、彼女の歌声は美しい。

 因みに彼女の歌は聞いた事が無い。自作なのだろうか。リズム的には子守歌に近い気もする。

「…………碧、花?」

「―――やあ、目覚めたみたいだね」

 ゆっくりと目を開いて、現状を確認。彼女の声が近い。今はどんな状況だ。あまりにも近かったら全力で逃走するつもりだったが、目を開ける前に、一つ分かった事がある。


 近い。


 外で倒れていた割には随分温かいなあと呑気に考えていたが、これは彼女の体温では無いだろうか。ここまで肉体に馴染む温かさと言うと、人肌以外には考えられない。足が思う様に動かないのは、彼女が俺の足に絡みついているからだろう。となると鳩尾の辺りに感じる至福の感触は……胸!?

 試しに手を伸ばして、俺の前方を囲ってみる。柔らかい肉を抱きしめたから、これは多分碧花の腰だ。服の下に手を入れて肌を擦ると、滑らかな感触が返ってきた。

「ちょ、ちょっと……?」

 ああ、分かる。この湾曲。この細さ。くびれだ。一生擦っていたい。胸を触りたいなんて滅多な事は言わないから、せめてこれだけ。これだけでも―――

 ん?

 意識の覚醒が終わって間もない頃を『寝起き』とも言うが。だからこそ取れる珍妙な行動は確実に存在する。俺が碧花の身体に躊躇なく触るなんて、それこそ寝起きか誰かに洗脳されてる時でもない限り、あり得ないのだから。

「…………のわああああああああああああ!」

 己のやった事を理解した俺は直ぐに後ずさろうとしたが、さっきも言った様に俺の下半身には碧花の足が絡みついている。後ずさろうとしても不可能だし、そもそも俺達はベッドで寝てはいなかった。

 意識を失う直前―――つまり地べたで、ずっと寝ていたのだ。碧花の滑々で柔らかい肌には真っ先に気付いた癖に、地面で眠っている事に気付いたのはちゃんと目が開いた後なのは、秘密だ。

「あ、あ、あ、あ、あ、碧花ッ?」

「うん。おはよう、狩也君」

「ああおはよう……って、夜だろ! お前……何で起きて」

「私との貸し借りを気にする様な人が助けてくれた……と思っても良いのかな。君は眠っていた様だしね」

「眠っていたんじゃない! 俺はお前を―――!」

 言い終わる前に、碧花の人差し指によって俺の口は封じられた。



「分かってる。有難う、狩也君。君の様な『トモダチ』を作れて…………私は、本当に幸せだよ」



 およそあらゆる光を吸い込んでしまいそうな深淵の瞳に、光が宿った気がした。瞬きを挟んだ瞬間にそれは消え、幻覚とも思ったが―――いいや、きっと真実に違いない。彼女も一人の人間だ。一度くらい瞳に光が宿ったって、別に不思議だとされる道理は無いだろう。

「…………碧花」

「それと狩也君」

「ん?」

「いつまで服の中に手を入れてるの?」

 空気が凍り付いた。今まで何となく築き上げられていた筈の良い雰囲気は台無しになり、それを契機に俺の顔は耳まで真っ赤に染め上がった。

「あ! あ! ……ご、ごめん!」

 どうして碧花なら服の中に手を突っ込んでも良いと考えたのか。寝起きの俺の思考が全く分からない。確かに彼女の身体を隅々まで触りたい気持ちはあるが、だからって実行する奴があるか。考えるは易しだ。

 急いで手を引っ込めるまでの様子を、彼女は口元を緩めながら眺めていた。

「いつ見ても良い反応をしてくれるね、君は」

「か、揶揄うなよ」

「フフフ。でも安心してくれて構わないよ。私の身体は君専用だからさ……何処でも、好きに触ってくれて良いんだからね?」

 揶揄うなと言った直後にこれである。どうせそんな気は無いと分かっているが、それでも意識せずにはいられない。勿論、今意識してしまうと密着している関係で下半身が大変な事になるので―――無理をして、意識するのをやめている。  

 考える事自体はたくさんあるし、俺達の本目標はまだ達成されていないのだから。

「―――そうだ! オミカドサマ!」

 まさか二人の事を忘れるなんて。寝起きで思考が整っていなかったのもあるが、首藤狩也一生の不覚だ。いつまで経っても夜は明けないが、既に中々の時間が経っているのは自明の理。手遅れになっている可能性も、そろそろ考慮すべき頃だ。

「ちょっと碧花。離れてくれ。思考がまとまらない」

「勝手に離れればいいと思うけど」

「お前が絡みついてるし、俺の背後には幹があるんだが?」

「私を押せばいい」

「…………パイタッチ。したくないんです。お願いだから離れてください」

 人の命が懸かってるのに、このやり取り。呑気と思われても仕方ないだろうが、恐怖で取り乱すよりはマシだと、俺は思う。特に碧花が目覚めてくれたこの状況は、非常に好都合だ。これで緋々巡りについてのプランを練る事が出来る。

 ここまでの俺があまりにも間抜け過ぎるので、咳払いと共に脳のスイッチを切り替え、本題に意識を掛ける。俺の真摯なお願いが通じたのか、碧花は直ぐに離れてくれた。

「…………ゴホンッ! さっきも言った様に、オミカドサマだ。俺の記憶が正しければ、一人かくれんぼの要領で遊び相手を作って、緋々巡りをすればよかったと思うんだが」

「そうだね。だからあそこに蝋人形がたくさんあった」

「でも蝋燭歩きかオミカドサマか……どっちでも良いが、怪異の影響下に置かれてしまっている以上、あれは使えない。ならどうするかだけど……蝋燭歩きってまだ居るのか?」

「居ると思うよ。私も起きたというよりは、無理やり『起こされた』と言った方が正しいしね。きっと今も何処かで徘徊しているんじゃないかな。体温がまた奪われれば、分かると思うけど」

 どうにも厄介極まる。緋々巡りをする上で蝋燭歩きは障害以外の何者でもない。俺は蝋人形を操ったのは蝋燭歩きだと思っているが、そうだとすると、緋々巡りを行う為には、前提条件として蝋燭歩きを無力化する必要がある。



 問題点は、弱点も知らなければ禁忌も知らない。あまりにも情報が少なすぎる事。



 こんな状態で怪異と相対すれば間違いなく死ぬ。だから情報が何処かで手に入るまでは、直接対決は避けたいのが本音だ。

 俺は溜息を吐いた。

「―――どうしたもんかな。まさか魂を入れる素体を用意する段階から、前提条件をクリアする必要があるなんて」

「前提条件?」

「またあの化け物に何か邪魔されたらキリがないからな。オミカドサマよりも先に対処する必要があるだろ。それの事」

「ああ、そういう。確かにその必要はありそうだね。でも一つ訂正してもいいかな。もう素体は用意出来てるんだ」

 …………同じ言語を使っているのに理解出来ない日が来るとは思わなかった。数秒間の俺は、さぞ面白い顔を静止画にしていたのだろう。

「あ?」

「君が眠っている間に、丁度良いものがあってね。だから始めようと思えば始められる。邪魔をされないという前提で始めるのも、選択肢の一つだよ?」

「―――いや。それは無いな。絶対邪魔してくるだろ―――」






 コンナ風に。






 刹那。碧花を狙って薙ぎ払われた縄を、彼女が反応するよりも早くオレが掴んだ。先端には蝋燭が巻き付いていて熱いなんてものじゃないが、直で掴んでいる訳でもないし、火傷はするかもしれないが全然耐えられる熱さだった。

「―――オレ、一度言わなかっタカ? 碧花に近づくなって」

 全身の力を腕に集中し、縄を掴み続ける。暗闇の向こう側から縄を回収しようと物凄い力が引っ張ってくるが、オレは一歩たりとも譲らない。


 一度外れた理性の枷は、もう二度と枷としての役目を果たせない。一度外れたが最後、俺の意思とは関係なく、心を喰らう『虚空』は表に出てくる。


「碧花」

「何?」

「協力してくれ。今からコイツを無力化するぞ」

 彼女が間を置かずに首肯したのにお礼を告げてから―――オレは蝋燭歩きへと繋がっている縄を引っ張り込んだ。

 萌も由利も碧花も……俺が守らなきゃいけない。優しいだけでそれが成し遂げられないのなら、少しは怒る事も必要だろう。


 二度と邪魔させるつもりはない。ここで決着をつける。 

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