最初で最後の告白

 不可解な事はたくさんある。例えば証拠隠滅のしかた、時間配分、殺人の手口、足取りの消し方。警察を欺けるレベルでそれが出来るなんてまともな高校生じゃない。

 しかし、手口なんて聞くのは警官の仕事であり、俺にはそんな事よりも知りたい事があった。優しい彼女を知っているからこそ、聞きたい事が。真相報告書なんていう他人が書いた報告としてじゃなくて、本人から直接。

「何で、そんな事しようと思ったんだ?」

 動機が無ければ動く事もない。警察を欺いてまで殺人を続けた理由が彼女にはある。それは報告書を読めば分かるが、もしかしたら違うかもしれない。碧花はポケットに手を突っ込みながら、首を回した。

「君の為だ」

「俺の?」

「確かに、私の行いが原因で君は『首狩り族』になった。半分怪異であるせいで、人ならざるものも引き寄せている。それは間違いないし、嘘は吐いてない。しかしそれはそれとして、君個人の運は絶望的だ。縁にとことん恵まれていないと言ってもいい。真相報告書とやらに何が書いてあったか知らないけど、私が殺したり再起不能にした奴等は君に害を与えかねなかった。実際与えた奴も居た。恩を着せるつもりはないけど、私が君を守らないと、君は心を壊してしまう予感がした。だから殺した」

「殺したって……もっと他に解決方法があったんじゃないのかッ?」

「性根は生きてる限り治らない。大体そんなのを待ってたら、その間に君が壊れてしまうかもしれない。例えば足の指なんかが壊死した時は切断するだろう? 同じ事だ。それが最善なんだよ。手っ取り早くて、しかも確実だ。とはいえ、人が死ねば君の心は少なくないダメージを受ける。だから手前勝手な都合で殺した責任を取って、君の心が癒えるまで、私は君の傍に居た」

「手前勝手って…………自覚あるならするなよッ」

「しなきゃ君が壊れる。私はそれが我慢ならなかった。君は私の王子様。私の心に彩をもたらしてくれた恩人だ。その恩人をどうして見捨てなきゃいけないんだ。そんな事をするくらいならやっぱり殺すよ。君の為だからね」

「良心は咎めなかったのか?」

「そんなものはないよ。私は悪意しか知らないからね」

 碧花は鷹揚に手を広げた。

「そういえば、今まで家族の事を話していなかったね。少し私の話をしようか」

 不意に彼女の視線が上に上がる。満月が浮かんでいるが、それは彼女の背中の方にある。碧花の丁度真上は、星々の一つも見当たらない真っ暗な空だった。

「私は生まれた時から、その特異性から当主としての地位を約束されていた。父も母も喜んだ。水鏡の当主として相応しい子が生まれたと、誰もが私を祝福した。でもね、それは私が特殊な力を持っていたからだ。誰も『私』を見てくれなかった。『水鏡碧花』と名前で呼ばれる事は一度もなく、皆が皆、当主様と私を称えた。そして自分の力に負えない事は全て私に押し付け始めた。表面上は称えている癖に、実際は全員が私の事を利用していたんだ。嫌になって親に言っても、当主としての責任とか自覚とか、訳の分からない戯言をあーだこーだと言い始めて、終いには『十分な力を持ちながら然るべき場所で発揮しないのは許されない』とか言い出したんだよ。私に選択権は無かった。特別な力を持ってるのは私なのに、私の力を使うのは周りの奴等なんだ。こんな事って無いだろ。一日中拘束してくるくせに、遂には意思にまで鎖を伸ばし始めた。でもまだ、幼かったから受け入れるしか無かった。我ながら馬鹿馬鹿しい話だと自分でも思うよ。本当にもう、嗤っちゃって嗤っちゃって。考えれば考える程、自分というものが惨めに思えてきてね…………心が腐っていくってこういう事なんだなって思ったよ。このまま靡いて、靡いて、利用されて、持ち上げられて、好きでもない男と子供作って死んでいくのか―――なんてね。嫌だから死のうと思ったんだ。その為には、まず私が特別を捨てる必要があった」

「特別を……捨てる?」

「オミカドサマ―――碧あおいが私の姿を象っていた事があっただろう? あれは私と契約したからだ。私が碧を封印から解いた。そしてその碧から一人かくれんぼの事を教えてもらって、やろうとした。そうしたら……君と出会った」


 あの時か…………!


 それは俺と彼女の出会いの話。今に至るまでの縁を築き上げた。この人生で最良の出会い。 

「君だけだったんだよ。『私』を見てくれたのは。水鏡碧花を見てくれたのは。君の心はとても優しくて、君の声を聞いてるだけで、私は泣きたくなった。君みたいな優しい人は出会った事が無かった。だから私は……君を喪いたくなかったんだ。君以外、誰も『私』を見てくれないから。君だけが私を見てくれるから。初めて出来た『トモダチ』だったから……私の世界に色を与えてくれた人だから…………私の傍から居なくなって欲しくなかったんだ」

 碧花の言葉一つ一つには妙な重みがあり、それこそが文字通りの本音なのかもしれない。しかしちょっと待って欲しい。彼女の言葉は矛盾している。俺の為に殺したと言っておきながら、俺を失いたくなかったと……自分の為に殺したと言っている。

 それは結局の所、どちらの為なのだろう。

「碧花。お前、矛盾してるぞ。結局どういう理由で殺してたんだ。俺の為に殺してたんなら由利を殺した意味が分からないし、自分の為に殺したなら、どうして奈々を改めて始末したんだ。いや、今のは一例だ。考えればもっと矛盾は出てくるぞ」

「……………………じゃあ、どっちもだったんじゃないかな。でも私は、どちらかと言えば君の為にやっていたとも。以前言っただろう? 心地よい場所に居たいと思うのが人間だと。しかしこんな形で君にバレなければ、たとえ君の隣には居られなくても続けるつもりだったよ。君には幸せになって欲しいから。君の人生を邪魔する障害は排除するんだ」

「―――受け取り方はどうあれ、お前は俺の為に殺したって事か?」

「……ああ。しかしまあ、どちらにしたって君の認識は変わるまいよ。君は人を簡単に殺せる奴が嫌いじゃないか。私は君に嫌われた。人を殺した事実と同じく、それは変わらない」

 一呼吸おいてから、碧花は俺の目の前まで歩み寄ってきた。罪が明るみに晒されない為に俺まで殺すのか、とも思ったが、その手にナイフはない。彼女の瞳からも殺意は感じられなかった。

「……私ね、君の為に頑張ったんだよ。君の理想の女性になれるように精一杯努力した。他の男子からどれだけ告白されたか、君は知らないだろう。私も覚えてないが、告白された数だけ、私は君の理想に近づけた気がしたんだ。でも、いつまで経っても君は私に告白してくれない。クリスマス会の時に…………無理やり襲ってくれても良かったのに」

「……え?」

「毛先から足の爪先まで、私の身体はあまさず君のものだ。それくらい君の事が好きだったんだよ? 出会った時から、ずっと」

「ちょ…………ちょっと待てよ! 俺の事が好きなら、そんなの、お前から告白して来たら済んだ話なんじゃ―――」

 人に押し付けるみたいだが、実際そうだろう。俺は碧花が好きで、碧花は俺が好き。なら碧花から告白してきてくれれば、俺は絶対に断らなかった。俺はヘタレだから卒業までしないと心に決めた訳であって、碧花は違う。むしろ積極的だ。

 彼女から返ってきた答えは、意外なものだった。

「―――誰かを殺す事に躊躇いは無い。けど君を騙し続けるのは心が痛んだ。君を好きだと言いながら自分の所業を偽り続ける状態は、拷問そのものだった……君に対しての罪悪感があったんだ。これも矛盾してるね。君の為にって言ってるのに、やってはいけない事をした自覚があるんだ。でも仕方ない。実際そうだった。そんな状態で告白して成功しても、更に罪悪感が増すだけだった。何より……」

「……何より?」


「君に告白を断られたらと思うと恐ろしくて、出来なかった」


 碧花のどんな行動も決して理解は出来ないが、一番理解出来なかったのはその発言だ。俺が下心丸出しである事も、実際クリスマス会で暴走寸前にまでなった事を彼女は知っている。水着に着替えた時なんか、隙あらばお尻やら胸やらをガン見していた事も知っている。最早それ以前にディープキスまでした仲だ。

 それなのにどうして、そんな言葉が出てくるのだ。

「な、そ……断る訳ないだろ! 何で断るって思ったんだ!」

「君が告白してこないから。もしくは襲ってきてくれないから」

「は…………はあ?」

「君だけが私の唯一の味方だった。嫌われたらどうしようってずっと思ってた。勿論君の好意には気が付いていたけど、感情なんてものは曖昧だ。友達として好きなのか、異性として好きなのか。私には判断出来なかった。君がいつだったか私に対して『女性として好き』と言ってくれた事を忘れた訳じゃない。でも女性として好きなら告白してきてくれる筈だ。でも君はしてくれなかった。むしろ、君との仲が親密になればなる程、私の恐怖心は増したんだ。だって、どんな事があっても絶対に告白してきてくれないんだもの…………!」

 つまり俺達の想いは一生すれ違っていた。なら関係が恋人まで進展する筈がない。どちらが悪いのかは議論の余地があるが、罪悪感から動かなかった碧花に比べれば、俺が動かなかった理由は自信のなさが原因だ。

 一度でも自信さえ抱いて告白出来れば、碧花の想いさえ知っていれば、絶対に失敗しない告白に俺はビビっていた。これも偏に俺が弱すぎたからである。

「御影由利や西辺萌を狙った理由に含まれていると言っても過言じゃない。あの二人のどちらかに君を奪われたらどうしようってずっと考えてた。私の傍から君が居なくなる。しかも君は嫌な目に遭ってしまう。我慢出来なかった。耐えられなかった! ―――ああ、これも矛盾してるね。矛盾しすぎだ。矛盾は正さなくちゃいけないのに」

 或いは献身。

 或いは独占。

 或いは嫉妬。

 或いは恐怖。

 矛盾、矛盾と先程から言っているが、心の中でのみ矛盾は矛盾として存在出来る。心という存在そのものが曖昧なのだからこその例外だ。俺に矛盾を指摘されてから碧花も気にしている様だが、少し考えれば彼女は全く矛盾などしていない事が分かる。

 何せ彼女の動機の全てに俺が関わっているのだ。主体がどちらに傾いていても、全ては俺から始まっている。なら彼女の動機は只一つ。首藤狩也の罪が結局の所『弱すぎた事』に収束したのと同じように、水鏡碧花の動機もまた『俺の為』に収束する。矛盾処か、何よりも一本筋の通った動機だ。

 俺が『首狩り族』ではなかったという事実を知った上で言わせてもらうが、俺さえ居なければ今までの事件は絶対に起こらなかった。皮肉な話だ。俺が殺したとか殺してないとか関係なく、全ては俺から始まっているなんて。

 碧花は再び俺から距離を取ると、今度は月を眺めながら背を向けて言った。

「…………まだ聞きたい事、ある?」

 聞きたい事は山程ある。しかしそれを事細かに聞いていたら、いつまで経っても終わらないだろう。だから彼女に一番聞きたい事を、尋ねる。

「―――自首する気は、無いか?」

「……そんな事をしたら死刑か終身刑は免れないだろう。で、刑務所に入れば君を守れなくなる。それにね……どちらにしても、後戻りは出来ないんだよ」

「何ッ?」

「もう遅いって事だ」

「遅いって…………何だ?」

 何か嫌な予感がした。その予感を具体的に言葉には出来ないが、既に手遅れな気が……俺にも止められない気がした。

「……まほろばの住人が、全員私に殺された奴だったのはね、初めてまほろばに来た時、私がそういう契約を交わしたからだ」

「急に、何の話だ」

 何故か、俺の声が震えた。その先を知ってはいけない気がした。

「今だから教えるけど、まほろば駅から脱出するには口外禁止の契約をした上で身代わりを置く必要がある。でも君は、身代わりなんて作らずに帰れただろ? あれは私と王の契約が関係してるんだ」

 雪がポロリと漏らしたから、その件については俺も知っている。それも違和感……俺にとっては『異物』だった。

「君を無条件で帰す代わりに、私はこれから殺した人間の魂を送り続ける。いや、語弊があるな。君にとっての悪い虫を全て、まほろばに届けるって契約だ。言ってる意味、分かるかな?」

「―――俺に害を与える奴、与えそうな奴を殺したのって、そういう理由もあったのか」

「ついでみたいなものだけどね。所でこの契約……私は敢えて正確にしなかった」

「え?」

「君にとっての悪い虫ってどういう基準で判別されるんだろうね。『君にとって』というくらいだから君に基準を設ける権利はあるのかもしれないけど、君は優しいから、それだけなら誰もまほろば送りに出来ない。しかし実際に契約したのは私だ。この曖昧な基準で私は殺し続けた。これがどういう意味か分かる?」


 …………………俺にとっての悪い虫?


 つまり俺に悪い事をした、しようとした奴等。いや、それとも俺が悪い奴だと認識した奴? しかしそれだと被害者的に繋がらない人物が……皆目見当がつかない。悪い虫という言葉には、それくらいの意味しか見出せなかった。

「この契約はね、私から見た『君にとっての悪い虫』。君から見た『君にとっての悪い虫』二つの基準が設けられてるんだ……まあ普段は後者の基準が使われる事はないよ。君は優しいからね。君に与えられた基準が適用される人間は只一人―――」

 待て。それ以上言うな。

 言うな。

 言わないでくれ。

 それを言われたら、俺は……!






「君に全ての真実を知られた時のみ、私という存在はまほろばの王に譲渡される」






 わざわざ二つの基準について説明をされた時から、薄々勘付いていた。勘付いていたけれども、流石にあり得ないと思っていた。だってそんな契約を交わす事に何のメリットもないから。


 その上で契約したと言うなら、それはまるで―――碧花が自分を止めて欲しかったみたいではないか。他でもない、俺に。


「……どうしてそんな契約を交わしたんだ、という顔をしてるね。単純な話だ。私は君を騙す事に罪悪感があった、と先程言ったよね。私は君の為に罪を犯したんだ。それなら私を裁けるのは警察でも裁判所でも民意でも法律でもない。狩也君。君だけだ。私の罪を裁いて良いのは」

「…………お前、何でそんな契約。バレたくなかったんじゃないのか?」

「もしバレたら、という保険だ。バレない限りは関係ない契約だったし、バレない自信があった。それか…………自分でも気づかなかっただけで、私は君に止めて欲しかったのかもしれない。君を守る為とはいえ、罪を犯せば犯す程、私は君から嫌われる事になる。それを止めたくて、契約したのかもしれない。お蔭で、もう人を殺す必要も、隠す必要も、騙す必要もなくなった。……感謝してるよ。今はね」

「…………嘘吐くなよ」

「……嘘?」

 また碧花が振り返る。

「何処が嘘なのさ。今更隠す事なんて」

「じゃあ何で……泣いてんだよ、碧花」


「…………え、嘘」


 碧花本人は自らの変化に気付いていなかった様だ。確かめる様に自らの頬を触り、濡れたのを確認。自分がどうして泣いているのか、本人も一度は首を傾げたが、間もなく首肯した。

「…………あはは。そっかそっか。怖いんだね、私は。君と二度と会えなくなる事が恐ろしくて仕方ないみたいだ。でももう後戻りは出来ない。本当は、もっとずっと前から気付くべきだったんだ。私みたいな奴が君の隣に居るべきじゃないって。でも……居たかった。守りたかった。私を救ってくれた君を、君だけを…………あは。あはははは。あははははははは。涙が止まらないや、何でだろうね……行動の責任を取るだけなのに、君に、君にもうすぐ会えなくなるかと思うと、私―――」

「碧花ッ! 今すぐそんな契約は破棄しろ! そうすれば消えずに済む!」

「…………嬉しい提案だけど、狩也君。もう無理だよ。契約は履行されなきゃ駄目だ。だから契約って言うんだ」

 碧花は袖を使って零れる涙を無理やり拭うと、早足で俺の前まで近づいて、こちらが反応する暇も無く唇を被せてきた。

「―――! ――――――ッ?」

 僅か数秒の出来事に呆気にとられる。碧花は名残惜しそうに俺から離れると、そのままゆっくりと後ろ歩きで屋上の縁まで移動した。

「狩也君。今までずっと君を騙してきた悪い女の言葉なんて信じなくてもいい。でも一つだけ言わせてくれ」

「…………碧花ッ? おい、その先は何も無いぞッ!」

「君と過ごしてきた時間はほんっとうに楽しかった。こんな私に夢を見させてくれて感謝してる」

「碧花! おい!」

 俺が駆け出すのと同時に、碧花は後ろに体重を掛け、自らの身体を宙に投げ込んだ。








「有難う。君がそこに居てくれて―――」









「碧花ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

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