それは私と彼の出会いの話


 碧花と由利が居なくなってから、一週間が経過した。

 奈々も死んだが、ハッキリ言ってどうでも良い。俺は彼女の殺人を止められたのかもしれないが、彼女を救う事は出来なかった。それどころか、改めて俺が全ての元凶であると教えられただけだ。俺は何も出来なかった。悪戯に自分の隣に居る人間を消しただけだった。


 ―――俺はまだお前に伝えてない事があるのに。


 夜の間に起きた一件の事後処理は全て萌に任せた。押し付けた訳ではない。彼女が『私が処理しますから、先輩は帰ってください』と言ってきたのだ。今回はいつもとは違い、奈々以外の死体はない。由利も碧花もまほろばの王に奪われた。アイツが全部、全部奪いやがった。一切の不利益も被らず、アイツは利益だけを掴む。気に食わない。腹が立つ。

 大嫌いだ。


 トゥルルルルルル。 


 電話が鳴った。萌だろうか。着信画面を確認してみると、那峰先輩だった。出る気分ではないが、恐らく俺の頼み事についての報告だろう。鬱屈とした気分を抑え込みながら、俺は応答した。

「―――はい、もしもし」

「あ、もしもし。実は貴方に頼まれたものの調査がようやく終わったの。今から会えない?」

「―――口頭で結構です」

「……え? 結構長いわよ?」

「構いません。要点だけ教えてください。僕には行かなきゃならない場所があります」

「…………分かったわ。何処に行くつもりかは知らないけど気を付けて」

「はい。それじゃあお願いします―――」








 








 あり得ないが、懐かしさを感じる風景だった。

 木造建築物の並んだ道、時代錯誤な病院。老朽化の著しい銭湯に、現代にはまず存在しないであろう寺子屋。相変わらず時代が滅茶苦茶だ。統一性があるとすれば、それは電子機器が無い事だけ。テレビもエアコンも、冷蔵庫も無い。コンロもないし、ガスはあるかもしれないが見た事がない。洗濯機なんて論外だ。

 視界に度々映る異形に名前はない。強いて言えば怪物だ。まほろばを拒まんとする者を襲い、力ずくにでもここを受け入れさせる獰猛な存在だが、俺を見ても敵意は抱く事はなく、そのまま通り過ぎてしまう。十字路まで進んだ所で足を止めると、右側から仲睦まじそうな様子の怪物二人が目の前を通り過ぎた。


 ―――。


 アポを取った覚えはないが、眼前に聳え立つ五重塔から彼の気配をありありと感じる。俺の来訪を予期していたみたいではないか。業腹だが、しかし俺は、もう怒らない。俺がここに来る事を予期する事は出来ても、俺が何をしに来たのかまでは流石に予想出来まい。

 五重塔の足元まで近づくと、目の前の扉が音を立てて開いた。てっきり最上階に居ると思ったが、俺の会いたかった人物は、ご親切に一階の奥で俺を待ち受けていた。俺が中に足を踏み入れると、どう見ても自動化していない扉が勝手に閉まり、閂が掛けられた。窓もないこの部屋では、お互いに何も見えていないだろう。

 俺が無言で立ち尽くしていると、彼は何処かから一本の蝋燭を準備。赤緑の焔を盛らせた蝋燭は部屋の真ん中まで移動。俺達二人が話すには十分すぎる明かりが確保された。

「どうだ、綺麗なものだろう。魂の蝋燭は」

「俺の目の前で二人の人間を回収しておいてよくもそんな事が言えたな、王」

 王は不敵に笑う。現在の彼は二度目にて見せた碧花の姿は模しておらず、代わりに俺からすればなじみ深い老人の姿を象っていた。

「クフフ。怒っているのか? しかし御影由利は契約しなければこのまほろばを出られなかった。お前さえ弱くなければ、水鏡碧花があんな提案をする事も無かった。こちらを怒るのは筋違いだろう。私は強制などしていない。少し提案しただけだし、交渉しただけだ」

「…………なら、俺とも交渉して欲しいんだが」

「ほう?」

 王は興味深そうに声を漏らした。

「もしや水鏡碧花及び御影由利を返せとは言うまいな。御影由利はともかく、お前の全て如きで水鏡碧花の価値と等価とは思わぬ事だ。何を差し出そうとお前では対価を払えない。もしそういう交渉をしに来たのなら―――直ちに帰ると良い。特別に運賃は無料にしておこう」

「違う。そんな安っぽい交渉に応じるお前じゃない事くらい分かってんだよ。俺はお前に利益を与えに来たんだ」

「…………言ってみろ」




「俺の魂と記憶以外の全てをお前にやる。だから電車を……反対方向に動かしてくれ」





 その発言がどれだけ馬鹿らしいのかは、抱腹絶倒する王を見れば嫌という程分かった。しかし王は、俺の表情を見ている内にその発言が本気である事を見抜くと―――静かに笑うのを辞めた。

「クフフ。クフフフフフフフフ! 成程な! お前のやり口は読めたぞ首藤狩也! 過去に戻る事で永遠にあの者と過ごそうというのだな! いやはや初恋もここまで拗らせると何とも滑稽……無様だな」

「何とでも言えよ。俺は記憶と魂以外の全てをタダでやるって言ったんだ。お前にデメリットは無いだろ?」

「まあ、無いな。水鏡碧花の全てはこの手にあり。生かすも殺すも私次第。その事実は覆らないし、だからこそお前を嗤ってやったのだが……ふむ。何か違うみたいだな。一体何を企んでる? 参考までに言っておくが、過去に戻るといっても、細かい制御は効かぬぞ。一日前、二日前……或いは百年前に戻るかもしれない。そんな不安定な時間遡行を魂と記憶だけで何をするつもりだ? 肉体は無いぞ。仮にうまく時間遡行が出来て過去の水鏡碧花と出会えたとしても、お前が出来る事は精々浮遊霊となって見守る事くらいだ。それでも良い、というのか?」

「構わない。俺の魂と記憶を過去に送って欲しい。後は全部くれてやる。言いたい事はそれだけだ」

 王は俺の真意を見抜けずに、大変困っている様子だった。三十分以上も悩み続けた。その果てに王は、部屋の真ん中に移動した蝋燭を手元に引き寄せる。

「では、最後に一つだけ問わせてもらおう。答え次第ではこの場で切って捨てる―――お前にとって水鏡碧花とは、何だ?」

 水鏡碧花。

 スタイルが良くて、美人で、優しかった彼女。それは俺に対してだけかもしれないけど、それでも俺は知っている。彼女が誰よりも俺の事を考えていた事を。その思いがどんな事態を引き起こしても、そこには徹頭徹尾俺への想いがあった。

 好き―――違う。そんな言葉じゃ片づけられない。

 大切な人―――違う。その答えでは語弊が生まれる。

 俺にとって水鏡碧花とは。善意を知らず、優しさを知らず、それ故に誰よりも純粋だった彼女とは―――俺にとって。




「水鏡碧花は―――俺の『トモダチ』だ」




 俺と彼女の関係を表すなら、それが的確だろう。『トモダチ』という言葉は俺達にとって通常の意味ではない。俺と彼女だけの特別な関係を指している。他人に正確な説明をするには難儀なくらい複雑な感情が絡まっている。そういう様々な感情をひっくるめて、俺は彼女の、彼女は俺の『トモダチ』だ。

 王は答えに数瞬固まったが、やがて蝋燭の火を手で払い消すと同時に暗闇の中へ。次の声は部屋全体に響いた。

「クフフフフフ! なあるほど、見えた。見えたぞお前の真意。いやあ面白いな、実に愉快だ! そんな発想をするとはな! ああ面白い、いいだろう。その考えに一本取られた。お前の要求を呑もう、首藤狩也! 慈悲深く優しい私に感謝する事だな!」

「有難う」

「おっと、調子が崩れる……ではそろそろ貴様の記憶と魂以外の全てを頂くとしよう! 精々浮遊霊としての生を楽しむ事だな!」

 浮遊霊は生きていない。そして、俺も碧花が居なければ生きていない。翻せば、碧花が居なければ俺は、とっくの昔に死んでいたのだ。だから彼女が傍に居てくれないと俺は……生きられない。小難しい話は無しだ。俺は決めた。やると決意した。心残りは無い訳じゃない。ちゃんと生き残った萌を置き去りにしてしまう事に罪悪感が無い訳じゃない。

 それでも、俺は―――この想いを貫きたい。


 まだ、言えてないのだ。俺の想いの丈を、ありのままの気持ちを。 























「…………やくん」

 僅かに聞こえたその言葉が、俺の意識が戻るきっかけとなった。俺の目はゆっくりと開き、やがて保健室の天井を認識した。

「…………」

 事態の把握に努めている。幸いにも俺は記憶喪失ではなく、意識を失っている間を除けば、全ての記憶を保有している。腹部にはまだ強い痛みが残っているので、俺は起き上がる事も出来ない。

 首だけを傾けると、横で碧花が眠っていた。俺の片手に対して両手を合わせながら、不安気な表情で突っ伏している。意識の目覚めるきっかけとなった言葉は、彼女の寝言だったのだろう。腕は負傷している訳ではないので、問題なく動く。俺は彼女の手を敢えて離すと、眠りこける碧花の頭を優しく撫でた。もう片方の手はフリーだったが、腹部に強い痛みが残る現状、身体の向きを変える事すら困難なのだ。

「んッ……んふ……狩也君………………」

 俺の名前を呼びながら眠る彼女は、一体どんな夢を見ているのだろうか。

「碧花…………」

 彼女の無防備な姿を見るのは、これで二度目だ。今まで無防備だったのはむしろ俺だ。それをこんなになるまで介抱してくれたのだから、色々と文句をつけたり、何かいかがわしい感情を抱くのは無粋である。

 刺されたと思わしき個所を手で触ってみる。彼女に応急手当の心得がある事は知っていたが、命拾いをしたのは幸運という他ない。後コンマ一秒遅ければ、手遅れになっていただろう。

 それからも何となく腹部を擦っていると、横から俺の手が掴まれ、静止される。



「―――駄目、じゃないか。狩也君。君は怪我人なんだから……動かないでくれよ」



 驚く事はない。碧花の意識が目覚めたのである。万全の状態であれば身体を横に倒す所だが、腹部の痛みがそれを中断させる。せめて首だけでもと傾けると、それに応じて碧花も移動してくれた。

「怪我の具合はどうだい?」

「動いたら痛い」

「もう君の行った一人かくれんぼは終わった。君を運んでる最中に時間を確認したけど、もうすぐ夜が明ける。そうなったら怒られちゃうよ」

「…………怒りたいのは俺の方だ」

「え?」



「碧花、お前! 俺に何の相談も無く、勝手に消えてんじゃねえよ!」



 既に言い出しておいて今更だが、俺の前に居る碧花が本物でない事くらい分かっている。いや、本物には違いないのだろう。しかし同じ顔をした知らない人間だ。事情を汲めば、恐らくまだ人殺しはした事のない碧花だ(厳密には俺を殺しているが、生き返らせる為の殺しを殺人とは呼ばないだろう。それに……)。彼女からすれば困惑を極める怒りである事は認めよう。

 それでも我慢出来なかった。勝手に献身して、勝手に自分の非を認めて、勝手に消えていった彼女の事が許せなかった。

 目を点にしたまま固まる碧花の肩を掴み、俺は激しく揺さぶった。

「どんな時も傍に居るって、味方に居るって約束しただろ! お前から破らせるなよ! 俺はお前が人を殺しても、嫌いになんかならない! 居なくなって欲しいなんて思わない! たとえ犯罪者でも、俺はお前が好きだ碧花! 一万回嫌いになったとしても、俺は一万と一回必ずお前の事を好きになる! だから行くな、離れるな、消えるな! 寂しい思いなんてさせないし、これからは俺がお前を守るから! だから、だからもう二度と―――人を殺すな!」

 正気の沙汰とは思えないだろう。事情を知らぬ人間が見れば遂に狂ったと疑われても無理からぬ事。それは碧花も同じ……筈だった。





「…………えっと。え………………君、なんで、それを。もし、か……して。『狩也君』、なの……?」





「――――――え?」

 まさかの返答に俺も肩から手を離して、距離を取った。

「……『碧花』、なのか?」

 いや、あり得ない。『碧花』の全ては王が持っている筈だ。過去はともかくとして、未来の記憶を保有している筈がない。いや、しかし。それでも。目の前に居る碧花はどう見ても―――俺の好きな、初めて好きになった人。

「き、君どうやって来たのッ? まほろばの電車でも使った? いやしかし……やけにピンポイントじゃない?」

「そりゃそうだろ。ピンポイントで来れる様に考えたんだから」

「どういう事?」

 俺が那峰先輩に調べさせていたのは他でもない、降霊術の効果範囲だ。降霊術には近くの霊を呼び寄せるものから、遥か昔の霊を呼び寄せるものもある。俺がこの作戦を思い立つに至ったのは、まほろばにて俺の偽物が発した発言にある。


『こっくりさんは分かるな? 低級霊を使う遊びだが、あれは降霊術だ。同じ様に一人かくれんぼも降霊術。水鏡碧花はそれを使って死んだお前を呼び戻した訳だが、あれは完璧では無かった。オレという低級霊も一緒に入れてしまったのだ』


 純然たる事実として、俺は一度刺されて死に、それを生き返らせる為に碧花は俺を人形に見立てて一人かくれんぼを行った。この間、俺の魂が戻るまでの間に一緒に紛れ込んできたのが、あの時の偽物という訳だ。

 つまりこの時、俺の魂が近くにあれば、あの偽物よりも先に魂の枠を埋められる。埋められれば今後偽物が出てくる事は無いし、俺は記憶を保有したまま過去に戻れる。肉体を失ったとしても、同じ俺に憑依出来ない道理は無い。この作戦の問題点は効果範囲が狭かった場合に全てが破綻するという点に尽きるが、これもまほろば駅の存在によって解決された。

 あそこは巨大な霊道でありながら、現在と過去の入り混じった、時間の特異点というべきもの。ここで、西園寺部長の手記も振り返ってみよう。


『一人かくれんぼは二時間以内に終わらせないと霊が帰ってくれないと一般には言われているが、私は一人かくれんぼの起源を追っている内にある事に気付いた。正確に言うと、一人かくれんぼは霊が帰らなくなるのではない。いや、確かに霊は帰らなくなるが、その後だ。その霊はある種の霊道となり、他の霊まで繫ぎ止めてしまう。あの世とこの世が曖昧になるのだ』


 生者が足を踏み入れられる時点で、あそこもあの世とこの世が曖昧になっている様なものだ。それに那峰先輩の調査によれば、まほろば駅は正確に言うと幾つもの霊道が交じって出来た巨大な空間だそうじゃないか。つまりあの一人かくれんぼの時、現れた無貌の怪物は、まほろば駅に居た怪物だった可能性が高い。もし霊道がまほろばまで接続されているなら、魂だけの存在となっていた俺は確実に引き寄せられ、繫ぎ止められると思った。

 そして実際、成功した。俺は肉体を一度は捨てながらも、再び獲得したのだ。半分怪異である事実に変化はないが、些末な事である。

「まあ色々と―――お前は何でここに居るんだ? 王に掌握されてた筈だろ」

「ああ、勿論だ。でも気が付いたらここに居た。あの愉快な事が好きな王からの嫌がらせだと最初に思ったよ。私は君を守る為にまた殺さなくちゃいけない。同じ人生をもう一度味わって、そしてまた君の手によって真実を暴かれて……まるでハムスターの回し車みたいに、終わりのない人生を王が飽きるまで繰り返させられるのかと思った。でも、それもいいかなって思ってたよ。幸せだった時間を何度も味わえるなら、別にいいかなってね。もう二度と『君』に会えない事は覚悟していたつもりだった。それが私の罰なんだと思って、生きようとした。でも…………君は来た」

 お互い動揺は収まり、聞きたい事を尋ねる時間だ。碧花の鋭い視線が、俺の双眸を貫いた。

「首藤狩也君。どうしてここに来たの?」

「お前に会いたかった」

 無論即答で答える。偽りなき心に曇りも躊躇もありはしない。

「人を殺したら確かに後戻りは出来ないかもしれない。でも人を殺す前なら、後戻りは出来る。お前が死の理に反してまで俺を助けてくれたから、俺はお前に会いに来れた。不可逆の時間に逆らって、お前を止めに来たんだ」

 最初は衝動に身を任せて言った手前、大いに伝わらなかっただろう。二回も同じ事を言うのは恥ずかしいが、言わなければ伝わらない事だってある。それを俺は、何十件もの事件を経て学んだ。

「元はと言えば、俺が弱すぎたから全ては起きたんだ。お前に守られなければならないくらい弱かったから、お前の手を汚す事になったんだ。俺が弱いままだと、また同じ路を辿るだけ。だから今度は―――俺がお前を守る。碧花。お前が家族から与えられなかった全ての感情を俺が注ぐ。俺の人生全てを費やして、お前を幸せにしてみせる。だから―――二度と人を殺さないでくれ! 殺したい程憎くなる奴なんて見なくていい。嫌いな奴とは話さなくていい! ―――お前は俺を幸せにしてくれた。今度は俺がお前を幸せにする番だ。好きだ碧花。出会った時からずっと好きだった。俺と―――俺と!」






「俺と付き合ってください!」 


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