不運の幕引き

 視界に入れるのも嫌だったので、俺達は我妻の死体を廊下に放置したまま、御影を保健室のベッドまで運んだ。死体よりは生きている人間だ。こうして死体を見た直後でまともに行動出来るのも、我妻の死体に顔が無いからだろうか。藤浪の死体と比べると、目の前で見たにも拘らず非現実的な印象を受けて、吐き出す様な事は無かった。萌の前、というのもあるだろうが。

 またサオリさんに賭けてみるのも手段の一つではあったが、条件が判明していない以上は博打になる。危ない橋を渡る必要はない。この学校から無事に脱出した後、病院に引き渡せばいいだけの話である。

「……あ、そうだ先輩。一つ聞きたかったんですけど」

「ん?」

「先輩って、一度ここに来ましたか?」


 …………彼女は何を言っているのだろうか。俺が怪訝な顔で返すと、萌は引き続きその奇妙な話をしてくれた。


「実は、先輩と出会う前の話なんですけど、誰かが一度保健室に来たんですよ。あ、この時の私、まだ動けなかったんですけど」

「ああ」

 多分、サオリさんに助けてもらっている最中の話だろう。動けなかったというのだからそこしかない。時間的には俺がワイシャツを取りに行っている、または藤浪の死体を目撃していた頃の話だろう。一応言っておくが、俺はあの時より前に保健室には寄っていない。仮に来たとすればそれは御影か我妻がまだ生きていたか、連絡だけ取れる部長が様子を見に来たかだ。

「あれって誰なんでしょうか」

「俺に聞かれてもな……カーテン越しだからお前も分からないんだろ?」

「いや、カーテンは勝手に開いたんですよ。だけど誰も居なかったので……」

「ん? カーテンが開いたけど誰も居ないって、それこそ怪談じゃねえか」

「はあ。まあ、そうなんですけど」

 幸か不幸か、俺達はこれまで直接怪異を目にした事はない。その怪異の被害に遭ったと思われる死体は見てきたが、こうも運よく遭遇しないと、まるで今までの出来事が全て妄想だったのではと思えてくるのだ。

 勿論、これを払拭する方法はある。藤浪の死体をもう一度見に行けばいい。それで現実感は獲得出来る。流石にもう吐きたくはないのでいかないが。

「なあ、今はもうそんな場合じゃないって分かった上で聞くんだけど、これ新聞どうするんだ?」

「あ、その点は安心してください。先輩方が残してくださった結果と今回の経験があれば書けると思います―――無事に帰れたら、ですけど」

「……縁起でもない事言うなよな」

「―――済みません」

 彼女はまだ肝が据わっている方だ。ここで泣き出さない辺り、本当にそう思う。こんな後輩が自分の下に居るとは思わず、狩也は何だか恥ずかしくなってしまった。本当に死人が出ている状況でここまで冷静になれるなんて。俺なんかお化け屋敷ですら碧花の袖を掴まないといけないのに。

「部長、何処に居るんでしょうね」

「もしかしたら、徘徊してる奴等に追い回されてるのかもしれないな。分からないけど…………」

 口にするべきか悩んだ。何だか、あの時以降、俺はどんどん薄情な人間になっているのかもしれない。一度はそう自虐したが、直ぐに思い直した。これしかないのだ。御影も、そして萌も救うにはこれしかないのだ。


 絶対に死なないとあれだけ自信を持っていた部長を信じるならば、俺が、俺達が取るべき行動とは―――


「萌」

「は、はい」

「一つ提案がある。後三十分経っても御影が目覚めなかったら、御影を連れて学校を出るぞ」

「え? 部長はどうするんですか?」

 俺だって本当はこんな判断をしたくない。けれども、部長の状況があまりにも普通ではないのだから仕方ない。彼だって馬鹿ではないのだ。最早この学校はあの樹海を超える危険地帯になっている事は承知している筈。にも拘らず、どうして居場所を教えない。


 先程の発言と矛盾するようだが、考えられるのは、何らかの怪異が部長になり替わり、自分達をここに閉じ込めようとしているのだ。そう考えれば納得がいく。居場所を告げないのも、そもそも実態が無いからに違いない。


 考え方が非現実的だが、既に非現実的な死に方をした死体を見ている。こんな所で理性を持っていても無駄だ。生き残るには柔軟な考えを持たなければならない。

「……部長なら、大丈夫だと信じてる。だから、俺は置いていこうと思う」

「ほ、本気ですかッ!? もしも部長に何かあったら……どうするんですかっ」

「もう目の前の御影に何か起こってるっ。優先するなら……そっちが先だ。それに、部長はまだ既読をつけてくれるんだろ?」

 萌が携帯を開き、適当な事を質問する。直ぐに既読が付き、返信が返ってきた。

「だったら、大丈夫だ。今は御影を……外に出さないとな」

 それに、もしかしたら学校から出れば意識を取り戻すかもしれない。そう考えると、やはり居所の知れぬ部長は置いていくしかない。俺の提案は理に適っていたが、やはり萌としては複雑な気分を抱いてしまう様だ。

「ちょ、ちょっと待って下さい! 部長に聞いてみていいですか?」

 いいですよ、なんて返ってくるとは思えないが。そうでもしないとやはり、人を見捨てるという判断は善良な人間には納得しがたいものだ。俺自身も、俺の事が少し嫌いになってきた。


『部長。由利さんが意識を失っちゃって、これ以上の滞在は危険だと思います。今、先輩が部長を置いて帰ろうとかとんでもない提案をしてるんですけど、いいですか?』


 これは文章が悪い。これじゃあまるで自分が悪質な外道みたいではないか。


『構わない。お前達は自分の身を優先しろ』


 いいのかよ!


 萌も俺と同じ事を想ったらしい。目を見開いて、何度もその文章を確認していた。

「い、いいみたいだな…………」

「は、はい…………」

 こちらの言いたい事なんて要は『お前見捨てるけどいい?』なのに、それを快諾する奴が何処に居る。部長の懐の深さを思い知ると共に、これ程の器の大きさが無ければオカルト部の部長なんて務まらないのかと考えると、彼以降部長になれる人間は居るのだろうか。御影が無事であれば……いけるか。

「―――何故か本人からもオーケー貰ったし、もう行くか?」

「そ、そうですね」

 俺も萌も、何だか拍子抜けしてしまった。見捨てるか否かで多少角が立っていたのに、部長の行動がそれらの角を全て丸くしてしまった。

「先輩」

「ん?」

「さっきは……すみませんでした」

「―――いいよ。俺の方こそ、というか、見捨てるなんて人として普通じゃないからな」

 今は普通じゃないので、人としての道理はこの際色々と無視である。どうか簡単に道を踏み外すこの俺を赦して欲しい。

 俺は只、今救える命を救おうとしているだけなのだから。そもそも、七不思議に対して知識を有している筈のオカルト部が揃いも揃って死んでいる事自体、おかしな話なのだ。それに対して納得のいく説明を俺がするならば、偏に俺の不運が引き起こした自体。

 俺が命を救おうとするのは、英雄的行為でも何でもない。俺の超絶的不運が引き起こした事件の幕引きをしたいだけなのである。


 















 校舎から出るまでの道のりで何かと出くわさないか心配で仕方なかったが、僥倖にも何かの気配を感じる事もなく、無事に俺達は外へ出る事が出来た。御影は俺一人で背負うには重すぎるので、彼女と担架よろしく両端を持って歩いている。

「先輩。明日の放課後空いてますか?」

「え? まあ空いてるが、何かあるのか?」

「いえ。その……何か不味い気がするので、お祓いに行きませんか? もしかしたら私達、七不思議を怒らせてしまったのかもしれませんし」

「ああ…………そう、だな。じゃあ校門前で待ち合わせるか―――!」



 俺達三人が校舎から出ようとした瞬間、それは唐突に起こった。




―――センコクハ、クダサレタ。




「うっ…………!」

 突然、胸が締め付けられた気分になり、俺達はその場に崩れた。頭の内側から聞こえた声は……まさか、宣告階段!

「せ、せん…………ぱい……!」

 早くも不明瞭になりつつある視界が捉えたのは、同じ様に苦しんでいる萌の姿。何故、今になってこの七不思議が牙を剝いた。やはり……誰一人として、ここから逃がさない気か。

―――萌…………を。

 校舎の外にこうまでして出したくないという事は、外にさえ出れば効力を失う筈だ。俺は力なくのびたままの彼女の手を掴み、何とかして外に押し出そうとする。力が足りない。

「だ………………れ…………か」

 守らないといけないのだ。部長にそう頼まれたのだ。

「も……………………え………………を」

 後輩一人守れずに何が先輩だ。俺がもしも首狩り族だというのならば、せめて首を狩る相手くらいは選ばせてほしい。武器は振るう相手を選べない。それを選ぶ権利は俺にあるのだ。

「た……………………………………す――――――」

 俺の意識が闇に閉ざされる直前に見えたのは、





 赤いレインコートを着た、何かだった。



























「…………ぱい! ……ぱい!」

 声が聞こえる。

「先輩! 起きてください!」

 永久のモノと思われていた闇に光が差し込む。最初に見えたのは、大粒の涙を浮かべた後輩、萌の顔だった。

「………………も、え?」

「―――先輩ッ! 良かった…………」

 安堵の反動か萌は俺から顔を離し、倒れ込みそうになった。俺が手を引っ張らなければ、そのまま寝転がっていただろう。

「ここ……は」

 答えるまでもない。俺達の通う学校だ、どうやら、校門の外で倒れていた様だ。何故かもう一人の姿が見えないのは、尋ねておくべきか。

「御影はどうした」

「由利さんは、先輩が目覚める前に起きて……そのまま、帰っちゃいました」

「帰った!? …………大丈夫、そうだったのか?」

「多分。去り際に、先輩に『有難う』って伝えてって言ってましたし…………多分」

「多分ッ?」

「全体的に舌足らずな発音だったんで聞き取りにくかったんですよ。えーと……私達も、帰りませんか?」

 俺は校舎の方を見遣り、それとなく窓を眺める。しっかりと施錠されているから、俺達の様に抜け穴を作っていない限り、人は見えない。

 しかし何故だろう。誰かに見つめられている様な、そんな気がしていた。

「先輩?」

 萌は感じていないらしい。キョトンとした表情を浮かべて俺の表情を窺っている。元気そうに見えるその顔も、今はとても弱弱しかった。

「あ、ああ。帰るか」

「はいッ」

 俺は一度校舎の方に手を振ってから、ポケットに両手を入れて歩き出した。俺を見ていた視線が、消えたような気がした。     

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