そのモテは要らない



「いやー楽しかったね」


 楽しかったのは碧花だけである。俺は全く楽しくなかった……訳ではないが、碧花の返してくるボールから殺意しか感じないので、楽しさよりも圧倒的に疲弊が勝っていた。しかし、彼女が楽しんでくれたのなら何よりだ。プールでひとしきり遊んだ俺達は、レジャーシートの上で昼食を楽しんでいた。空腹が最高の調味料とは言われているが、多分これは碧花の料理の腕前が凄すぎるだけだと思う。全くの偶然だと思うが、どれもこれも俺の好みの味に調整されている。偶然だ、といった理由は、俺と碧花の会話の中には今までで一度も好きな味の話などという話題は無いので、彼女が知る筈はないという事実からである。


「しかし君は、運動神経が良いのか悪いのか分からないね」


「あれはお前に問題があるだろッ」


 あの殺意に満ちたショットに対応出来ただけ褒めて欲しいくらいだ。無理に反応したせいで溺れかけたとか言ってはいけない。あの人ごみの中でボール遊びをしていたのに、誰一人に迷惑を掛ける事が無かったのだ。これ以上欲張ると罰が当たる。


 俺は素早い手付きで具材を取っていく。


「いやいや。私に問題はないよ。あるとすれば君だ」


「は? 何で俺ッ?」


「君のそのサーフパンツは本来水中運動に適しているものではないんだ。肌に密着しても居ないし、抵抗も大きいからね。原因があるとすればそれを履いてきたという事だよ」


 完全論破、とはいかないまでも、特に返す言葉も見当たらなかったので、俺はがっくりと肩を落として、すかさず気分を切り替えた。


「でも……似合ってるよ」



 気分が戻った。



「そ、そうか?」


「ああ。男らしさが十二分に出ていると思うよ。その姿を見れば、他の女子も君にイチコロ……」


「マジでッ!?」


「そんな訳ないだろ。夢見過ぎだよ君。大体、君の肉体の何処を見てイチコロな女子が居ると言うんだい」


 悔しい。確かにその通りだ。俺の貧弱な身体ではどんな女子も魅了されない。泳ぎが特にうまい訳でもなし、肩幅が広い訳でもなし。とはいえ、碧花に言われて認めるのだけはどうしても嫌だったので、俺は目の前に指を向けて、答えを示した。



「―――へ?」



 そう、碧花だ。俺は彼女の問いに対し、彼女を指し示す事で答えを提示した。それは長年の付き合いがある俺以外には出来ない事であり、碧花は暫く目を瞬かせて、こちらの真意を図っていた。それから五分も経って、彼女が微笑む。


「……成程。確かにね」


「え?」


「私は君にイチコロだ。君が私の事をどう思っているかは知らないけれど、今押し倒されたら……抵抗出来そうもない」


 意識しないでいたのに、碧花からそういう方向に持っていってくれたお蔭で、俺の目線はまたしても彼女のけしからん体に流れていた。こんなものは隣にあるだけで猛毒だ。俺が見境なしの絶倫野郎だったら本当に押し倒している頃だろう。


「そ、そういう事。言うなよなッ」


「冗談でも、かい? でも冗談のつもりはないよ。スタンガンは持っていないし、純然たる事実として、私は抵抗出来ない。力は君の方がある」


「だーかーらー! って、この話もう何回目だよ! いい加減面倒だよ! そういう話題はカップルにのみ許された話なんだってッ。分かるか、碧花。俺達がしていい話じゃないんだよ!」


「では君に尋ねるけど、カップルとは?」


 また妙な事を聞いてくる。何か裏がありそうなので、直ぐに答える前に、俺は一度思考を立ち止まらせた。



 カップルとは、交際中の男女一組の事である。同性愛者の問題はややこしい上に語り尽くせないものがあるのでここでは割愛しておく。ここで定義するのは、あくまで一般的なカップルだ。



 カップルとは……交際中の男女一組。男女一組が居るという事は……交際中。交際中だから……男女一組。


 まるでウロボロスだ。永久にループしている。裏がありそうだと思ったが、これでは裏も表もあったものじゃない。俺は再び思考を動かした。


「交際中の男女一組の事だろ」


「では今、君はどういう状況かな?」


「お前とデート中だ」


「デートは誰とするものだと思う?」


「だから女性…………あ」


 俺はようやく彼女が言わんとしている事に気が付いた。要は、物の見方の話である。



 首藤狩也と水鏡碧花はカップルに見えるか否か。



 まあ見えない。見える筈がない。見えても不釣り合いか、俺が遊ばれてるだけと思われるのが精々だ。一方、俺は彼女を満足させる為にデートをしている。下心が全くないとは言わないが、そんなつもりで誘った訳ではない。


 カップルを交際中の男女一組と定義し、デートは女性とするものと定義すると。定義してしまうと。たとえ不釣り合いであろうが何だろうが、女性とするものであるデートをし、二人きりになっている今、俺と碧花は交際中のカップルと言い換えてもいいのだ。つまりそういう話をしても許されるという事であり、俺と碧花がカップルならば、俺は彼女の身体に触っても……何ら問題など無いわけだ。


 俺は生唾を呑み込み、彼女の身体を見る。あれから興味を失くした様に碧花も昼食を摂っているが、今押し倒せば、彼女は抵抗出来ない。心なしか、その無防備さが俺を誘っている様にすら見えた。これは非常に悩ましい選択である。


 今まで俺が彼女の行き過ぎた発言を制していたのは、碧花が彼女ではないからである事が原因だった。しかし今、碧花も言った様に、物の見方によっては俺と彼女はカップルなのだ。胸とかお尻くらい触っても……文句は言われない。


 俺はさりげなく碧花との距離を詰める。がっつり引き摺る音が聞こえたが、碧花は聞こえなかった様だ。


「どうかしたの?」


「い、いや? 別に…………」


 ここに来て、俺の心臓はうるさいくらいに高鳴っていた。こんなチャンス、二度と無いだろう。校内一の美人の胸を触れたなんて名誉な事だ。それもわざわざ彼女から話を振ってきてくれたのだから合意の上である筈。溢れ出るリビドーが抑えきれず、俺の手はパソコン初心者がタイピングの達人を真似するかの如く震えていた。碧花は全く気付いていない。


 俺が情けないのは、合意の上である筈と自分で納得しているにも拘らず、堂々と胸を揉む勇気がない事だ。だって、仕方ない。胸を触った事なんて、多分授乳期の頃くらいだろうし、その時の記憶なんかある訳ない。むしろ胸を触ってはいけないと教育された年数の方が多いので、こういうのはたとえ合意と納得していても、己の中にある倫理が邪魔をするのだ。




―――しかし、遂に決断。俺は思い切って碧花の胸を鷲掴みにしてみる事にした。手順などわざわざ用意する必要はない。手を伸ばせばそこに楽園が―――!








「そう言えば、君」


「……は、はい! 何でしょう!」


 急いで手を引っ込める。危なかった。理性がすんでの所で働いて。もしも碧花が声をかけてくれなかったら、胸を掴んだと同時に俺は彼女を押し倒し、心のままに唇を貪り、それから自分の今まで溜まった欲求を解放していた事だろう。危ない危ない。


 何が合意だ、馬鹿馬鹿しい。ここは公衆の面前だし、そもそも彼女は俺をからかう為に言っているに過ぎない。そして真意とは違う事を俺が把握しているのなら、それは真意ではないのだ。煩悩に侵されていた俺は意味の分からない思考をしていた様だがもう大丈夫。何やら俺と碧花がカップルだと思い込む精神疾患も発病していたようだが大丈夫。全て完治した。


「この後はどうする予定なのかな? 一応聞いておきたいんだけど」


「え……この後か? 泳ぐのも疲れたし、水族館とか一緒に回ろうぜ」


「水族館……か。あっちのエリアだよね」


「もしかして、水族館とか嫌いなタイプだったか?」


 碧花が首を振った。


「いいや、水族館はとても好ましい。生物の美しさを間近で見れるというのは実に良い事だよ。何というべきか、我々地上生物とはまた違った美しさがあるよね」


「……それ、長くなる奴か?」


「手短なのが好きかい?」


「いや。長いならそれで結構だ。良かったら回ってる時にでも話してくれ。お前が長く語る様な事柄なんだから、きっと楽しいんだろう?」


 水鏡碧花は常に澄まし顔の美人だが、時にその表情が変わる事を俺は知っている。それが僅かな変化であろうとも、彼女が心の底からそう思っている事を俺は知っている。彼女がつまらなく感じて俺が面白いと感じた事柄は今までの経験から言ってそれ程ないので、俺はその感性を信じてみる事にした―――


 という建前を抜きにしても、哲学的だったり自然神秘的な話は、妙に聞きたくなってしまうお年頃だ。俺の発言は彼女にとって予想外だったらしい。目を見開いて、子供の様に驚いていた。


「…………君も、女性の扱い方が上手くなってるみたいじゃないか」


「それ、何か別の意味が籠ってたりしないよな?」


「そのままの意味だし、本音だよ。まさか君からそんな発言が出てくるとは夢にも思わなかった。今の発言は少し、嬉しかったかな」


「……マジで!? え、じゃあ俺そろそろ彼女とか出来るかなッ?」


「無理……と言いたいところだけど、趣味に理解のある男性は基本的に良い男だからね。切っ掛けがあれば、不可能では無さそう」


 校内一の美人にそう言われて嬉しくない男子が何処に居る。昼食などとうの昔に食べ終わり、手の空いていた俺だ、碧花の目の前でガッツポーズを取り、大袈裟に喜んだ。


 公衆の面前だが、関係あるか。理性など知った事じゃない。俺は只、喜ぶのだ。


「っしゃあああああああ!」


「そんなに嬉しいのかい?」  


「いや、嬉しいだろ! お前からそう言われたんだったら間違いないし! インターネットの使えねえ診断よりはずっとマシだぜッ」


「でもモテたかったら、身体は鍛えておかないとね?」


 碧花が首を傾げる。俺は苦笑いでそれに応えた。


「……萎える事、言うなよな」











 さて、このまま水族館に行っても良かったのだが、その前にトイレへいきたくなったので、碧花にことわってから俺はトイレに向かった。何の幸運か、トイレが多い訳でもないのに中はガラガラだった。人っ子一人居ないと言えば分かるだろうか。


 それにしても、まさか碧花からお墨付きを受けるとは。高校で彼女を作る事なんてほぼ諦めていたのだが、もしかすると今年の文化祭で出来たりしちゃうのか! しちゃうのか俺!


 理想を言えば碧花を彼女にしたいが、彼女以外にも可愛い女子はたくさんいる。彼女がぶっちぎりで美人というだけで、俺の彼女候補は山ほど居るのだ。


 碧花を満足させるデートの筈なのに、今ばかりは俺の方が満足していた。俺の超絶的不運は単なる不運だと思っていたが、成程。どうやらこの不運は俺に対する試練みたいなものらしい。乗り越えていく毎に俺は強くなる。碧花からあんな言葉が聞けるなんて、昔の俺であれば考えもしなかっただろう。


 用は済ませたので、俺はトイレを後にした。所で背後の方から『ぽぽぽぽぽ』と奇妙な音が聞こえたのだが、あれは何だったのだろうか。





























 私は水着に隠してあった折り畳みナイフを手の上で遊ばせながら、自分の発言を後悔していた。


「彼女なんて……出来ないで欲しいな」






―――だって。君は私の………… 

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