どんな男にも、水鏡碧花は冷笑で応じる

 やはりこう、プールというものは只泳いでいるだけでは面白くない。いや、面白くない事はないのだが、何らかの遊びを絡めないと、一体授業と何が違うのかという話になってくるので、やはり遊具は必要である。俺は浮き輪とボールを片手に先程の場所まで戻ると、その足は強制的に途中で止まる。


 俺が離れた後、碧花もプールサイドに上がったらしいが、その碧花に絡む二人の人物が居た。同じ学校の者かと思ったが耳や鼻にあるピアスといい、そのカッコイイを勘違いした金髪といい、まず間違いなく高校生ではない。碧花の場合は良い意味だったが、彼女に声をかけている男性は悪い意味だ。悔しいのは肉体美といい、身長といい、あらゆる点で俺が負けている事。


「だから言っているだろう。私は君達と一緒に遊びはしないよ。デートの最中なんだ、帰ってくれ」


 碧花はかなり鬱陶しがっているらしく、その顔には露骨に嫌悪の情が見える。


「デート? 誰としてるの?」


「君達、さっき私の事を見ていただろう。だったらそんな三文芝居をしなくても、私の連れが誰かくらいは分かってるんじゃないのかい?」


 多分ここが俺の出るタイミングだ。持って来た遊具を両脇に抱えて三人に存在をアピールする。碧花の視線が直ぐにこちらへ動いた。端から二人に興味は無かった様だ。


「遅かったじゃないか」


「え。ああ、悪い」


「謝らなくていいよ。じゃ、遊ぼうか」


 碧花が水に入り、俺もそれに続こうとしたが、その前に二人の男性が立ちはだかった。俺よりも筋肉質なので、威圧感は十分にある。


「な、何ですか?」


「ねえ君、君はあの子の何なの? っていうかあの子の名前教えてくれない?」


「聞いてないんですか?」


「知り合いでもないのに教える名前はないって言って冷たいんだよ。……な? いいだろ?」


 目の前の男性が俺の肩を掴み、顔を近づけてきた。多分凄んでいるのだろうが、壮一すら克服した俺に怖いものはそれ程ない。あるとすれば本気でキレている碧花か、幽霊くらいである。とはいえ、公共の迷惑になるので、この手の話は早く終わらせたい。俺は喜んで彼女の名前を―――




「教える義理はありません」




 碧花が教えたくないのだから、その気持ちを俺は汲んでやるべきだ。そもそも、他人に名前を教える義理は彼女も言った様に存在しない。これが人探しとか、警察の捜査とか、身元の確認とか、そういうのであれば彼女がどう思おうと俺が言っただろうが、これは所謂ナンパという奴だ。彼女が嫌がっているのならナンパに協力してやる道理はない。俺は男の脇腹を押して横に払い、碧花と同じくプールに入る。見た目に反して強気に返してきた俺に、二人は少々呆気に取られていた。この場凌ぎならばこれだけで話は終わりだが、俺の居ない時にまた碧花に接近してきても困るので、釘を刺すつもりで俺は振り返った。


「彼女は俺の親友です。デートの邪魔をしないでください」


 二人はギロリと俺を睨んだが、少しも怯えない俺に勝てないと悟り、「あっちに行こうぜ」と去っていった。




 …………怖かった。




 突然感情に矛盾したが、これは終わってみれば、という奴である。あの瞬間は全く怖くなかったが、二人の内金髪の方は目力が異常に強かったので、碧花が関わっていなければ俺は膝を震わせながら小声で答えていただろう。碧花の方を振り返ると、彼女が肉迫。俺の両手を掴み、胸の前まで持ち上げた。


「……有難う。怖かったよ」


「こ、怖かった?」


 微妙に口角は上がっているが、それでも澄まし顔の範疇である。そんな表情で『怖かった』と言われても全く説得力がないが、彼女が直接的な感情表現が苦手なのを俺は知っている。きっと、本当に怖かったのだろう。


 やはりどんな性格だったとしても、碧花だって一人の女の子なのだ。本来しっかりするべきは男である俺。俺が彼女を守らなくては。


「そ……そうか! あ、ああいうのが居たら、俺に言えよッ? その…………守るから、さ」


 それが精一杯の、俺の男らしさだった。碧花は暫く目を瞬かせていたが、今度はしっかりと微笑んで、俺からボールをひったくる。


「頼りにしてるよ、狩也君。それじゃ、準備はいいかな?」


「おう! いつでも来いや!」


 碧花がボールを真上に高く放り投げた。





















 私の水着は水中運動に適しているなんて部長は言っていたけど、ならば部長は、恐らくこの世で最も水中運動に適していない格好だ。見た事もないというか、改造なのではないかと疑うくらいに珍しいガスマスク型のマスク。流石に両目の部分はマジックミラーだから見えていない訳ではないと思うけど、それにしても呼吸はしづらそう。



 …………なのに。



―――どうして私より早いんですかッ?



 私の方が水に浮けるのは事実だし、部長の方が沈むのは明白。にも拘らず、水中において部長は私を遥かに上回っていた。これがフィールドワークで培った部長の身体能力だというのなら、一言言わせてほしい。フィールドワークにおいて、私は一度たりとも水に潜った事なんかないと。というか潜水自体、滅多に無いだろう。


 数メートル先で部長は魚の様に水中を泳いでいた。何故手を使わずにそこまで泳げるのだろうか。



 ひょっとして、部長は半魚人? そうだとするならば、顔を見せないのは鱗が見えてしまうから?



 その割には肌は健康的だし、腹筋は六つ処か八つに割れている。鱗なんて何処にもないし、ヒレもなければエラもない。部長より数秒遅れて、壁に到着した所で、私は水中から顔を持ち上げた。


「……ぷはあッ!」


「俺の勝ちだ。まだまだ修行が足りないなあ、お前は」


「ず、ずるいですよ! 何ですかあの泳ぎ方。部長って水泳部だったんですか?」


「それは水泳部に謝れ。俺が水泳部と勘違いされたら水泳部に悪い」


 何でこんな人がオカルト部の部長なのかと思ったけど、私は部長の着用するマスクを見て、やはり彼は部長に相応しいと確信した。こんな怪しいマスクをつける人がまともな筈がない。身体能力がどれだけ優秀だったとしても、変態は変態なのである。


「ふむ。御影の容体は微妙だし、今の所次期部長はお前になりそうなんだがな。これでは安心して部活を任せられなさそうだ」


「だ、大丈夫ですよ! もし部長になったら、ちゃんとやりますからッ」


「ほーう。ではお前、来年度の新入部員はどうするつもりなんだ?」


「え」


 オカルト部は現在活動休止中。フィールドワークというのも、部活動の様でほぼ趣味である。オカルト部自体が趣味から部活になったようなものなのでそれはいいのだが、新入生にしてみれば部活は部活。必然的に、自分が部員を集めなければならない。


「それは…………」


「―――やれやれ。まあ二人入れば良い方だから、あまり気負うな。それにお前には俺と違って……女の武器があるだろう?」


 私は自分の身体を見てから、部長と距離を取った。


「な、何考えてるんですかッ!」


「お前が何を考えている。俺はちょっと下級生のクラスから陰キャな男の子を捕まえて来ればいいと言いたかったんだ」


「え……そうなんですか」


 てっきり私はそういうサービスを条件に入らせるのかと……一人で想像してはいけない方向に想像していただけに、顔から火が出る程恥ずかしい。水の中に沈んで、十秒。そろそろ頭が冷えたと思うので、再び水面から顔を出す。


 良く考えてみたら、私は部長に嵌められたのかもしれない。そもそも彼が紛らわしい言い方をしたから……


「ていうか、それも卑怯じゃないですか!」


「卑怯なものか。中学でどれだけ根暗でも、高校では彼女が欲しいと夢見る男子は大勢いる。お前も彼氏が出来るし、ウィンウィンだろう」


「……別に、無理してまで彼氏とか要らないですよ。それに部長は……いいんですか? 私が仮に。仮にですよ? そんなやり方で部員を集めたとして部長は―――」


 そう。部長はオカルトに対する姿勢に厳しい。今は亡き陽太君にさえも、嫌悪感を剥き出しに、感情を剥き出しにして怒鳴っていた。普段はこの様に冷静な分、あの部長を見た時、私は心の底から恐怖を感じた。この人を絶対に起こらせてはいけないと思った。


 私はこうして部長のフィールドワークに付き合うくらい、本当にこういうものが好きだから無いと思うけど、それでも言葉は、慎重に選んでる。


 顔も見えず、心も見えない。そんな人と話すのに油断なんて出来る訳が無い。


「いや、良いと思うぞ?」


「え?」


「俺が許していないのは、俺がここの部活に在籍しているからだ。俺が卒業したら、後はお前の好きにしろ」


 意外と部長は柔軟な人だった。予想外の返答に、私は一瞬、どう返したらよいか迷う。


「オカルト部に入ったら、その新入生、ますます友達が出来なくなりますよ」


「ほう、それは尤もだ。で、お前はどうなんだ?」


 尋ねられて、私は自身の交流網を思い返してみる。クラスメイトとは普通に話すし、新聞部とはネタ関連で特に話す。時には新聞部の手伝いをする事だってあるけど、友達がどういう定義かによる。


 携帯でお互い連絡出来て、私にとって魅力的で、いつでも気兼ねなく話せる人と言うと―――


「……先輩くらいですかね」


「友達なのか?」


「私もよく分かりませんけど……多分、そうだと思いますッ」


 部長に言ってしまうと弄られる未来が見えているから言わないけど、最近は、授業の為に別の教室へ向かう際、先輩と出会う事が私の密かな楽しみになっている。先輩の話が特別上手い訳じゃないけど、どうしてか、話していると心が明るくなるのだ。不思議な事にこの現象は先輩の時にしか起こらないから、友達云々という話になると、必然的にこうなる。


 部長の表情は多分変化したのだろうけど、マスクのせいで全然分からない。


「ふむ。成程。そうならそうでいいじゃないか。狩也君も加えて男だらけのオカルト部って事で。逆ハーレムとか」


「嫌ですよ!」


「そういうのは女子の夢だと聞いたんだが、違ったか」


「誰情報なんですかッ!」


「俺」


「偏見です!」


 個人的に、私は一人の男性のみを対象にしていたいし、新入生から地味な子を引き連れてオカルト部に入っても、きっと何も楽しくない。部活は楽しくなければ続かないのだから、そういう強引な手段を、やはり取る気にはならなかった。


 部長の偏見に曲がり切った物の見方に私が頬を膨らませていると、部長が不意に明後日の方向を向いて、何かをじっと見ていた。同じ方向を見ると、見慣れない男性二人に、黒と赤の混じるサーフパンツの男……背中を向けているが、多分先輩……が、何やら話し込んでいた。


「部長、どうしたんですか?」


「………………いいや、何でもない。只、強くなったなと感心していたんだ。助けてやった甲斐があった……とも言うかな」







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