どうにも間抜けを隠せない
「プールの方なんか見て、どうしたの?」
「え……いや、暇だなと思って」
別に隠す訳では無かったが、俺はこのデートに邪魔が入る事を嫌っていた。あの二人の事を嫌っている訳ではないのだが、如何せんこのデートは俺にとってとても重要な意味を持っているので、敢えてあの二人の事は伏せておいた。せっかく校内一の美人、水鏡碧花と二人きりでデート出来るのだ。これを無駄にする手はない。
「暇だったら泳いでればいいじゃないか。私は一向に構わないけど」
「いいや! これはお前を満足させるデートだから、俺が一人で楽しんでたら駄目だッ。という訳で碧花、行くぞ!」
「何だいそれ……ていうか待ってくれ。私をこんな格好で水に入らせるつもりなら、やめて欲しいな」
「え―――あ」
萌を直前に見ていたせいで忘れていたが、碧花はまだ水着に着替えていなかった。俺は歩くのをやめて、再びシート内に収まる。
「じゃあ俺、浮き輪とか膨らませてるわ」
「明らかに私の方が早く終わると思うけどね。これを脱ぐだけだし」
俺は直ぐに取りかかろうとしたが 碧花の手がパーカーのチャックに触れた瞬間、行動が直ぐに中断された。自分でも思うが、つくづく俺は欲望に忠実である。
その行動があまりに露骨すぎて碧花がじろっと俺を睨んだが、直ぐに目線を戻し、チャックを下ろした。
その瞬間、世界が停止した。
正確には俺の認識だけが止まっていた。碧花はかつての三角ビキニ(一般的なビキニの事だ)ではなく、所謂クロスホルタービキニというモノを着用していた。本来は首で交差させるのだが、彼女のビキニはアンダークロスであり、胸の下部分で交差している。これはクロスホルターに限った話ではないとはいえ、胸が強調されているせいで、只でさえ大きい彼女の胸がより深い谷間を作っている。色は最早当然の如く黒だ。
ここで首藤狩也の豆知識。と言っても皆知っているだろうが、黒いビキニというものはビキニの中でもアダルトな部類に入るので、スタイルも色気も持ち合わせていなければ、このビキニを着こなす事など出来はしない。
では碧花はというと……彼女は中学生の頃から黒色をお気に入りとしており、当然ながらこのスーパースタイルがビキニに負ける筈がない。俺の記憶が正しければ、碧花の胸に谷間があると気付いたのは中学一年か二年……彼女自身の大人びた性格も相まって、十分着こなせていた。今も、紐の交差が胸を抱えている様に見えて、割増しで量感がある。
それだけでも良かったのだが、普段は短パンなどを好む碧花が、スカートタイプの何かを履いているという状況は、俺にとっては猛毒に劇薬を足して毒薬を足したみたいなものだった。
全部同じだって? 知らん。
こんなものを女子高生が着ていると風紀委員が知ったらどう思うだろうか。
「……そこまで見てくれるんだったら、感想を求めようかな。似合ってるかい?」
「………………に、似合ってる。ぞ。めっちゃ……いい」
首藤狩也。只今言語中枢に深刻な問題が発生。著しい言語能力の低下を確認。修復は困難を極める。
俺の視線が、下に映った。それに応じて碧花も自分の下半身を見る。
「ん? ああ、スカートが珍しいって事か。たまにはこういうのもいいだろう?」
碧花がフッと微笑み、次の瞬間。俺に見える形でスカートをつまみ、内部をチラリと見せつけた。
そこには色の統一された、いつもの一般的なボトムスがあった。
「残念だったね。ノーパン、ではないよ。一瞬でも期待してくれたかな?」
「………………は、はあ!? してねえし! そもそもノーパンしてくる痴女じゃ……ないだろ、お前ッ」
ガン見していた奴の言う事ではない。俺の必死の抵抗も空しく、碧花が愉悦たっぷりに微笑んだ。
「おやおや、その反応は図星の様だね。そういう反応をしてくれるから君は面白い。まあ君が望むんだったら…………そんな事より、空気は入れ終わったの?」
碧花に魅了されていたので、全然終わっていない。一ミリたりとも進行していない。どうやって短パンの中にあのスカートを入れていたのかが分からない……いいや。そうか。別に最初から入れている必要は無いのか。
碧花は一度トイレに行っていた。その時にわざわざこれをしたいが為だけに隠したと考えれば納得がいく。というかそう考えないと、皺が全然存在しない理由が分からない。
ってそうじゃない。浮き輪などを含めて遊具に空気を入れられていないのだ。
「い、入れるし、入れるから!」
「やれやれ。それじゃあ待っててあげるから、手早くね?」
空気を入れ終わったので、そろそろプールに行こうと思う。
俺は少し躊躇ったが、思い切って碧花の手を掴み、移動した。彼女の滑らかで柔らかい掌がぴったりと俺の手に吸い付き、彼女の体温がダイレクトに俺の手へ移動する。目の前のプールに行かなかったのは、部長達と遭遇する可能性を危惧したからなのを、彼女はきっと知らない。
移動している内に、俺は周囲の人々の視線に気が付いた。男はともかく、女性からも視線を感じたが、その視線の先は俺ではなく、俺が連れている碧花だった。別にガッカリしていない。俺は腹筋も割れていないし、だからと言って腹が出てる訳でもないが、美しい肉体を所有しているとは言えない。
今回は顔処か身体すらあまり見えなかったが、体育祭にて俺はクオン部長が筋肉質である事を知っている。壮一を捻った時、体操服から見えた腕には血管が見えていた。オカルト部部長とは思えない筋肉に、俺は内心敗北を認めていた。この状況で俺に視線が行くとしたら、それくらいの筋肉質にならないと無理だろう。
少し耳を澄ましてみる。
『あれやばくない?』
『何あれ? めっちゃやばいんですけど!』
『私もあれくらいあれば―――』
『何処かの女優か?』
『エロ過ぎだろ…………』
『おっぱい揉みしだきてええええ』
『俺の彼女もあんだけ胸が大きけりゃなあ』
最後の奴は彼女を大事にしろ。二番目の奴には大いに同意するが、多分スタンガンを当てられるので俺には出来ない。やる際には中国武術辺りでも嗜んできてから触ってくれ。
案の定、誰も彼女が現役の高校生とは見破れない(こんなスタイルをしているのだから無理もないが)一方で、俺に対する声もちらほら。
『あれの連れがあんなのかよ』
『ザ・不釣り合いって感じじゃん』
『召使じゃね?』
『顔もイケてないし』
幾ら他人だからって、言っていい事と悪い事があると思う。いや、俺を賞賛する様な奴は正直目が腐っているのではないかと思うが、だからと言ってここまで言っていいものか。事実だが、事実だからこそ、落ち込む。
目の前に大きめのプールがあったので、俺は「ここにしようか」と言って、碧花を縁まで連れて行く。飛び込みは禁止……というか別の方にそういう場所があるので、ここでは駄目だ。
「ふむ。そう言えば君、泳げたんだっけ?」
「おいおい。泳げなかったら俺はどうやって高校の水泳授業を突破してるんだ?」
俺は得意気に、先んじてプールの中へと身を沈める。俺達の会話で碧花が学生という事を知った者達は一様に『あれが現役JKかよ』と言葉を失っていた。
女子高生というだけで女性に希少価値の様なものが生まれるのは言うまでもないだろう。希少価値が生まれるから未成年売春が横行するのであり、痴漢が発生するのであり、セーラー服のコスプレがあるのだから。スタイルがどうあれそれだけで希少価値が生まれるというのに、スタイルすら大人の女性でも見ない様な碧花は、天然記念物もいい所だ。
「ふ、見ろ。この様に俺は…………泳げるんだああああああ!?」
プールの底が想像以上に深かった。沈みはしないが、碧花の目の前で情けない姿を晒してしまった事に変わりはない。
碧花は呆れつつも、しかし俺が間抜け過ぎて、笑っていた。
「ほら言わんこっちゃない。溺れたりしないでくれよ」
「お、溺れるかよ。ほら、泳ごうぜッ!」
今の所はきちんとリード出来ていると思う。碧花がやけに艶かしい動作でプールに足を入れる。そうして全身を浸かろうとした寸前、俺はとある事に気付き、急いで碧花を抱き留めた。
「ひゃうッ!」
泳げるかどうか以前に、碧花は俺よりも小さい。俺ですら焦るくらいには余裕が無かったのに、俺より五センチ以上も低い碧花が沈まない道理はない。が、よく考えたら水には浮力があるし、女性は水に浮きやすいので、十中八九碧花は浮く。というか浮けなきゃ碧花も水泳の授業を突破できない筈だ。歩くの禁止だし。
その事に気付いて碧花を離そうとするが、それよりも早く、俺は俺の胸の中で深い谷間を作る胸を見て停止してしまった。
そして先程の女の子らしい声が、碧花のモノであるとも気付いた。
「あ…………」
「き、君……突然何するんだい…………びっくりするじゃないか」
「わ、悪いッ。お前が沈むんじゃないかと思って……」
俺は直ぐに身体を離し、距離を取る。胸の感触がいつまでも俺の上半身に残っているせいで、俺は暫く碧花に近づけなかった。俺の身体がプールに沈んでいるのをこれ程感謝した事はない。ここが地上だった場合、俺のヘソから下の部分が大変な事になっているので、クオン部長ではないが、暫く前面は見せられなかった。
「沈む訳ないだろ……君、私をかなづちと勘違いしてないかい?」
「いや、本当にすまん! 俺は別にそんなつもりじゃ……所で碧花。さっきの声だけど」
「え? ……んん。その件についてはお見苦しい所を見せたね。プールに入ったのは久々だから、冷たさに驚いてしまっただけさ」
「―――ああ、そういう」
とは言われたが、俺的にプールはそこまで冷たくない。微妙に納得はいかなかったが、個人には個人の感じ方がある。碧花にとっては冷たいのだろう。間違っても、俺に抱きしめられて驚いたとか、恥ずかしかったとか、そういう事ではない。俺も人命救助的な意味合いでやったのだ。碧花も分かってくれるだろう。
気を取り直して、俺達はプールの中を泳ぐ事にした。貸し切りであれば文字通り二人きりだったが、俺にそこまでの財力は無い。人が居ると言ってもプールはその為に作られている。夏休みなどであればまともに泳ぐスペースも無かっただろうが、只の休日という事もあり、スペース自体は存在していた。
「それじゃ狩也君。早速だけど競争してみようか」
「え? この人ごみの中でか?」
「障害物競争と同じ様なものさ。それに昼食はお腹を空かせた方が美味しいものだ。空腹は最高の調味料って言うだろう?」
「そ、そうだけどさ。でもそれって学校とやってる事そんなに変わらなくないか?」
「浮き輪とかボールがあるのかい?」
「あるよあるある! 俺が何のためにあんな重たい荷物を持って来たと思ってんだ。ていうかさっき膨らませただろ!」
俺が胸を張ってそう言うと、碧花が目を細めて尋ねた。
「じゃあ聞くけど、この道中、君は何か持ってたっけ」
…………答えは否。
見惚れていて空気を入れ忘れていた件がまだ尾を引き摺っていたらしい。入れ終わったのにも拘らず忘れるし、わざわざ言ってくれない碧花も意地悪である。
「じゃ、じゃあ今持ってくるわ!」
「やれやれ。君はいつも忘れるね」
「気づいてたなら言ってくれよおッ!」
俺は直ぐにプールサイド手を掛けて、地上に上がった。
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