誰もここには要らない

 …………ふう。


 警察への連絡も終わり、俺はその場で崩れ落ちた。何と言うか、全てが終わった気分だった。ホラー映画とかで、警察に保護された時の主役達だって崩れるだろう。何もかも終わり、責任感という肩の荷が下りた今、俺も主役も、立派に立っている必要はないのだ。後は頼れる機関に任せればいい。自分達は早々に帰宅して、温かいご飯を食べて、風呂に入って、寝れば良い。もう何も考えなくていい。残りの者達の行方も、これからの事も、全て任せればいい。後は碧花さえ帰ってくれば、それだけで俺は十分だ。


 ―――にしても。


 またやってしまった。どうして自分が何かするだけでいつもこうなるのだろう。首狩り族なんて不名誉なあだ名で呼ばれて、それを冗談であると自分も回りも多くの割合でそう思っているが、死人も出てしまった今、いよいよ冗談では済まなくなってくる。


 どうしよう。このままでは彼女なんて出来ない。友達も消えていく。俺はどうすれば良いんだ。どうして俺の周りには生首しか転がっていないんだ。何で俺の周りには……不幸が降りかかるんだ。


「…………碧花、帰って来ねえかな」


 奈々に良い所を見せられなかったとも言えるし、それはそれとして、彼女には無事に帰宅して欲しいという気持ちもある。一応交流アプリの方に『大丈夫か? 落ち着いたら反応をくれ』と残しておく。これに既読が付く事を願うばかりだ。


「誰か……けて」


「え?」


 うっすらと。全く風のない日に感じた風みたいな小さい声を、俺は確かに聞き逃さなかった。それは今だに発見されていないリュウジ、神崎、央乃の内の誰か。今度も聞こえるだろうと感覚を研ぎ澄ませると、やはり声は確かに聞こえた。


「誰か…………タスケて」


「…………央乃か? おい、俺だ! 首狩り族だ! 何処に居るんだ、央乃!」


 もう見つからないと思っていただけに、俺は声を荒げて彼女を探した。蔑称である名前すらも使って、とにかく俺は声の出所を探りたかった。俺の存在を語る為には、首狩り族以上の言葉は存在しない。そんな風に呼ばれているのは世界広しと言えども俺だけだからだ。


 蘭子、碧花、俺、奈々。それだけでも生きて帰れれば大丈夫だと思った。けれどもう一人くらい生還出来るのなら、出来ればカイト以外の全員が望ましいが……理想は理想に過ぎない。けれども生きて帰れる人数が一人でも増えるのならそれでよかった。俺は携帯のライトで転ばない様に足元を照らしながら、声の出所を探っていく。


「たす…………けて」


「何処だ、何処に居るんだ! 央乃!」


 違う。何処だ? どちらかというと足元の方から聞こえる。木の上ではない。足を進める。何処に向かっているかも把握していないが、この時の俺は無我夢中だった。央乃という人物を見つける為には、虫眼鏡すら使う勢いだった。


「…………けて」


「央乃! 何処に居るかを言ってくれ。それだけじゃ分からない!」


「―――けて」


「何処だよ!」


 とは言いつつも、俺は声との距離が近づいている事を確信していた。相変わらず短い言葉を繰り返しているだけだが、その声は徐々に大きく、そしてか細くなっていった。きっと怪我をして、意識が朦朧としているのだ。これ以上救出が遅れると、いよいよ手遅れになってしまう事は素人の俺でも想像に難くない。


 声が明らかに大きくなった方向へ歩き出そうとすると、不意に俺の肩が掴まれた。     




「狩也君!」




 碧花だった。彼女は珍しく肩で息をしながら、必死の形相でこちらを睨み、俺の肩を掴んでいる。別に怒っている訳では無いようだが、どうにもその顔が、俺には恐ろしく見えた。


「あ、碧花……!」


「何処に行くんだい? そっちには……何も無いよ」


「は? そんな訳ないだろ! 央乃の声が聞こえたんだって! そうだ、お前も助けに行こう。二人で助けに行けばまだ間に合うかも……!」


 碧花は驚いて目を丸くしたが、それからあり得ないと言わんばかりに首を振って。


「……ライト」


「え?」


「そのライトで足元を照らしてみなよ。君は何処へ行こうとしてたのか、直ぐに分かるよ」


「何言ってんだ―――よ…………」


 最初こそ足元に注意を払っていたのに、央乃の声を聴いている内に、いつの間にか注意がいい加減になっていた様だ。ライトで照らされた足元を見て、俺は言葉を失った。


 そこには、とてもまともに歩けそうもない急勾配が、無限の闇の奥まで広がっていた。雨でも降っていれば滑りやすい事この上なく、降っていなかったとしても、木々に張り付く様に移動しなければ、そのまま体勢を崩して下の方まで落下してしまうだろう。俺は爪先分踏み出していて、彼女に呼び止められなければ、間違いなく転落していた。


「ひッ……!」


 後ずさり。土が少し崩れて、大口を開ける闇の底へと転がっていく。


「こ、これは……どういう事だよ」


「どうもこうも、君が聞いていた声なんてものは幻聴に過ぎなかったのさ。いいかい? 仮に央乃君がここに落ちて怪我を負ったとしても、ここまで声が届く筈はないんだよ。まともに声が出せる程度の怪我なら自力でも山を下りられるだろうし、そうでなくてももっとはっきり聞こえる筈だ。でも私には聞こえなかったから……聞いておきたいんだけど、君が聞いた声とやらは明瞭だったのかい?」


「い、いや。近づいてる事は分かったんだけど、段々細くなっていって……」


「それはおかしいよね。この付近に居るのならば奈々が、もっと言えば君がこっちに踏み出す事もない。それなのにこちらの方向へ君が歩いたという事は―――央乃の声は、幻聴という事だよ。まあ仮に、央乃が本当にここから落ちてまだ生きていたとしても、それを助けに行くのは心得も無い人間が溺れている人間を助けようと水に飛び込む様なものだ。どっちにしても、行かない方が良いよ」


「…………あ、そうだ! 奈々はどうしたんだ? 連れ帰って来たんじゃ……一人で帰らせたら危険だぞ!」


「その点は心配ないよ。彼女は携帯を持っているし、ちゃんとライトも使っていた。錯乱状態も私が落ち着かせたし、下山ルートに入った時点で旅館の外だ。問題なくカエれると思うよ? 少なくとも、私達よりは安全になったよ」


 こんな状況でも落ち着いて行動出来る碧花が羨ましくて仕方がなかった。こちらは心霊現象とも思わしき声を聴いて、助けようとうろついた挙句後一歩で死ぬ所で、それを碧花に助けられて。情けなさやら恐怖やらの感情が入り混じり、とても穏やかでは居られないのに。再び耳を澄ませてみるが、もうあの声は聞こえなかった。


 本当に、幻聴だったのか?


 俺がそんな事を考えていると、碧花から珍しく溜息が漏れた。


「珍しいな。お前が溜息なんて」


「溜息……? いいや、安堵の吐息とでも言って欲しいね。戻ってきたら君が死のうとしてるものだから、驚いてしまったんだよ。全く、余計な心配をさせないでくれたまえ」


「あ…………すまん。あの幻聴は……何だったんだろうな」


 うっかり足を踏み外すのも笑えない。俺と碧花は旅館の方に歩きながら、一時の休息を味わう事にした。警察には既に連絡済みなので、もう十分もすれば警察が俺達を保護してくれる。さっきはまた余計な行動を取る所だったが、もう俺達にする事はない。いや、するべきではない。


 肝試しも、合コンも。全ては終わってしまったのだ。


「その幻聴について私から言える事はないけど、言っただろう? ここは私のサーチにも引っ掛かった危険な心霊スポットだ。本当は遊び半分で行っちゃいけないんだよ。生憎、私は心霊というものを信じている訳ではないけどね、君の幻聴は、まさしく心霊現象と呼べるものではないかな?」


「ガチの……心霊現象なのか?」


「さてね。これに懲りたら可愛い女の子が盛り上がってても心霊スポットなんて行かない事だ。今回はたまたま私がサーチした場所と被っただけだけれども。危険な場所には行くべきじゃないよ、うん。自分の身体は大切にしないとね」


「ああ…………何かもう、心が壊れそうだ。周りがこんな目に遭う事自体はもう慣れたけど……ああいや……うん…………人が死ぬのって、こんなに…………重いんだな」


「知らない方が良い事もある。自分の心を大事にしたいなら、ここで居なくなった人の事は忘れてみるんだね」


「無茶言うなよ…………」


「失礼。でも、ここで居なくなった人達と君には何の因果関係もない。君が隠した訳でも殺した訳でもない。気に病む必要なんて何処にもないんだよ?」


 多分その言葉は、碧花なりに俺を励ましてくれてるんだと思う。それは凄く嬉しかった。嬉しかったが……首狩り族と呼ばれ続けた俺の歪んだ心は、その励ましをストレートには受け入れられなかった。


「でも、俺が居なかったら! 俺が来なければアイツ等はきっと居なくならなかったんだ! 俺が首狩り族だから、俺が皆の首を…………!」




「君は何も悪くない」




 碧花は俺を真正面に見据えて、諭す様に言った。


「悪いのは君じゃない。悪いのは居なくなってしまった人達だ。彼等はきっと、消えるに値する事をやろうとしたんだろう。またはやってしまったんだろう。だから居なくなった。君も一度は教わったんじゃないかな? 悪い事をすれば必ずその報いが返ってくる。あれは真理だよ。一時の甘い思いはさておいて、悪事を働いた人間は必ず身を亡ぼすのさ。時には死ぬ事も……ね」


「で、でも。俺だって嘘を吐いたり、女子の着替えを覗こうとしたり、色々悪いことは……」


「それ以上に良い事をしているからじゃないかな。君は今回も、真っ先に逃げる様な事はせず、居なくなった人達を探そうと努力した。それは普通の人には出来ない事だよ。そして、そのお蔭で蘭子や奈々は助かった。他の人は居ないけど、それは間違いなく君の手柄なんだ。君は何も悪くない。もしも君を悪いという人間が居たのなら、私が君の味方になろう。君を守ろう」


「…………何か、お前っていっつも俺の味方になってくれるよな」


「―――友達って、こういう関係だと思っていたんだけど。違ったかい?」


 表情こそ大して変わらなかったが、その時の碧花の瞳は、誰よりも優しかった。それはまるで母親の様に慈悲深く、もしも自分に姉という存在が居れば、こういう人なのかもしれない……


 などという幻想を抱ける程、俺は交友関係がない訳ではない。姉という存在は基本的にガサツで男らしいという現実を俺は聞いている。なのでこの場合の姉とは、姉が居ない存在が妄想する理想の姉だと思っていただきたい。


「…………有難う、碧花。お前が友達で良かったよ」


「だからと言って、胸には飛び込まないでくれよ?」


「え、飛び込んでいいのか?」


「駄目と言ったんだけどな。そういう行為を望むなら、またの機会に言ってくれたまえ。今は座敷に戻らないとね」


 旅館に戻るまでの僅かな時間だったが、いつもの日常が帰ってきた予感がした。俺はいつもみたいに笑い、碧花は見た目こそ笑っていないが、間違いなく彼女も微笑んでいたと思う。精神的な話なので、確信は出来ない。


 旅館に戻った俺達は、座敷が視界に映りこんだ時に違和感を覚えた。蘭子が居ないのだ。二人共目処か身体まで離していたので、当然の事だが誰も目撃していない。残っていたのは、蘭子のものと思わしき携帯だけだった。


「…………え」


 日常から一気に引き戻された俺は転びそうになりながらも携帯を手に取って、画面を見遣る。スリープ状態ですら無かった携帯はメモを開いており、そこにはこんな事が書かれていた。





『此度の計画に、私は最早付いていけません。これは決して人殺しの計画などではなかった筈です。こうなった以上、私はもうついていけません。殺人犯として捕まって、一生不信の眼に曝されるくらいなら、自ら死を選びます。以下は私達の活動の全容です―――』





 それ以降は、文字通り彼女達が今までどんな事をしてきたか、懺悔する罪人の様に、事細かに書かれていた。彼女以外のメンバーも、それぞれが何をしたのかも、全て。


「………………碧花。これ、真実だと思うか?」


 碧花は見せられた画面を見遣り、一通り目を通す。


「さてね。警察が来れば分かると思うよ。けれどもしここに書かれていた事が真実だとするならば―――」








 此度の事件に幕を下ろさんとばかりに、碧花は目を細めて、確かに微笑んだ。


「今回の騒動の元凶は、この『裏風紀委員』という事になるね?」

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