恐怖とは、即ち

 案内を求めた俺が言うのもおかしな話だが、碧花の案内は完璧だった。あれだけ探して見当たらなかった鐘楼がすぐ目の前に佇んでいる。俺はてっきり何らかの霊的現象によって見つけられないのかと思ったが、単に俺の探し方が悪かったらしい。だとしても鐘楼はかなり大きいので、遠目とはいえこれを見つけられないのは、単純に視力の低下が問題としか……


 いや。馬鹿な。俺はこの間の視力検査もAだったし、俺調査機関の俺調べによると、俺の視力は五・〇。アフリカ人に劣らないレベルの超視力だ。その俺がこんな鐘楼如きを見つけられないなんて、やはり何らかの霊的現象が働いているに違いない。そう考えた俺は、鐘楼の方へと歩きながら、ふと今までの事を思い出してみる。


 説明のつかない現象と言えば、普通に生活していても色々ある。あれは中間考査が始まる前の日の事だった―――








『もうすぐ中間テストだけど、君は勉強したのかい?』


 椅子に跨って、背凭れ越しに碧花が聞いてきた。あの時の俺は己の成績に絶望しており、半ば自棄とは大げさだが、とにかくそれぐらいに絶望していた。


『いやー頑張ってみたけど、どうだろうなあ。特に国語がなあ、不安なんだよー。だってさ、数学は決まった解き方があるだろ、でも国語は決まった解き方が無いと言うか…………』


『数学も出来ない癖によくそんな言葉が言えたもんだね。それは出来る人が言う言葉なんだけど……やれやれ。国語まで苦手なんて、そんな体たらくで女の子が落とせるのかい? 国語力が無ければ、女心の理解は愚か、胸をキュンとさせる様な粋な台詞なんて思いつかないよ』


『仕方ないだろう……? 分かんねえもんは分かんねえんだよ。なあ、点数上がる方法教えてくれないか? 最初の選択肢ですら俺は分からねえんだよ』


 俺にしてみれば本当に教えてくれるかくれないか、それはどうでも良かった。ただ、俺の嘆きを聞いてくれて、それで少しでも苦悩が晴れたらと思っていた。そう思っていたのに、碧花は少し考え込んだ様子で何処かを向いてから、俺に耳打ちした。


『五六の二段落、五八から五九。四三の作者と三日前に配られたプリント』


『え?』


 全く意味の分からなかった言葉に俺がキョトンとしていると、碧花は薄ら笑いを浮かべて言った。『これに懲りたらちゃんと勉強はする事だね。私で良ければいつでも教えてあげるよ』 








 あの時はなんのこっちゃと思っていたが、いざ中間考査が始まってみるとびっくり。国語の範囲、というかテストに出された問題がピッタリ的中していた。あの耳打ちと、それから泊まりで碧花の家で勉強を教わった結果、俺は八九点を獲得し、家族にも驚かれる事になった。因みに普段の点数は四〇とかそこらである。


 普通に考えればテスト開始前に答案用紙を盗み見たのだろうが、生徒に不覚を取る程この学校はいい加減じゃない。後、仮にそうだったとしても、俺は共犯した訳でも、現行犯を見た訳でもない。結局は想像でしかない事を吹聴するなんて俺には出来なかった。碧花には何かと世話になっているし、彼女の人生を破滅させたいとは微塵も思っていない。だからあれは、俺の中で七不思議になっている。本人曰く、『真面目に授業を受けているか、いないかの差だよ』との事だが、俺は居眠りをした事が一度もない。自慢じゃないが。


 わざわざ強調する程の、大した自慢ではないが。


「奈々、居るか?」


「あーくびっちー! 来てくれたんだねー!」


 心の中では奈々が鐘楼の前に居ない展開を想像していたのだが、そこまで想定通りにはいかない様で。いや、想定通りだったら恐ろし過ぎてこの場で失禁していた自信があるが。奈々は禁断の果実を食ベる前の始祖の如く、大して交流も無い俺に抱き付いてきた。胸がやばい。俺と奈々の間で潰されている胸が、中々どうしてリビドーを禁じ得ない。抱擁のお蔭で、目線を下にやっても谷間が見えない事が唯一の救いか。


「な、なあ。ちょっと力強くないか? そろそろ離してくれても……」


「来てくれたのくびっちだけだから…………その、ありがと」


「ん……あ、ああ。何だ、全員に掛けたのか?」


「当たり前でしょー! 私だって怖かったんだから! みーんな電話は繋がるのに出ないし、すっごく不安だったんだからあ…………」


 この状況でこんな事を言うと神経を疑われるか、ド変態と言われてしまうかもしれないが。敢えて言わせて頂きたい。


 怖がるイメージのない女子が涙ぐんだ声で喋ると、物凄く可愛い。奈々でさえとは失礼な言い方だが、俗な恰好の彼女でさえ、自分には一時天使の様に見えた。この理由の付かない可愛さは一体何なのだ、どうなっているのだ! 一言一句を聞き届けるだけで、この女性を守りたくなってしまう。たとえ力が及ばずとも、どうしてか優しく包み込んであげたくなる。


 ちょっと卑怯なので、俺は少し強引に身体を離して、一度落ち着く。今はこんな事を考えている場合ではない。今は他の者達を見つけて合流するのが先決だ。碧花は旅館に居るとの事だったから、後は央乃、蘭子、神崎、リュウジ、カイトを見つければいいだけである。確実に見つかっている人物にだけでも報告しようと考え、俺はお礼も兼ねて碧花に電話する。


「もしもし。お時間十分前ですが、延長なさいますか?」


「カラオケのフロントじゃねえんだよ! あ、奈々と出会えたぞ、ありがとな。お前は今何処に居るんだ?」


「あー、今かい? 旅館から外れて、森の中にある小屋の所に居るかな?」


「小屋? 何でそんな場所に……」


「リュウジ君が見えたからね。何だか様子がおかしかったから、見に行ったんだよ。でも……探しても居ないね。取り敢えず合流するかい?」


「そうだな。お前が居なくなっても困るし、今から旅館の方に向かうよ。でもあれ、旅館が見え……あれ」


 見える。確か最初に電話した時、奈々は旅館が見えないと言っていた。だが実際には遠くの方にうっすらと旅館の壁が見えるではないか。虚言とも思えないが、どうして彼女は嘘を吐いたのか……奈々の方を見ると、彼女は他の人に繋がらないか再試行していた。


「どうかした?」


「いや、何でもない。それじゃあ怖い話の始まった場所に集合って事で。居なくなってくれるなよ?」


 電話越しに、彼女は鼻で笑い飛ばした。


「君こそ、彼女も出来ない内に居なくなるなんて不本意だろう。それじゃあね」
















 これでも、記憶力には自信がある。勉強的な記憶力はさっぱりな代わりに、俺はこういう記憶力だけずば抜けているのだ。先程碧花に教えてもらったルートを逆走すれば旅館に辿り着ける。その天才的発想のお蔭で俺は奈々とはぐれる事もなく旅館に辿り着き、碧花の淡白な歓迎を受けて帰還した。こうなるまで終始手を繫いでいたという状況は、旅館に戻った今では悶絶死もあり得る程恥ずかしかったが、歩いている最中は霊的現象によって奈々が消えないかハラハラしていてそれ処では無かった。これがオカルトなのかそうじゃないのか。どちらかのせいであると判明していれば少しは恐怖も抑えられるのだが、どちらとも分からないから怖い。オカルトであればそれに倣った対処法をすればいいが、もしもオカルトじゃなかった場合、何の効力も無い。


 やはり何だろう。恐怖の原点は正体不明というか、『それ』が何か分からないから対処のしようがなく、その無力感にこそ人は恐怖するというか……そこから派生する『死』のイメージに震えているというか。語彙力のない俺には、これ以上の表現を期待しても無駄である。


「やあお帰り。ランタンが無いと暗いもんだね」


 碧花はいつもの調子で俺に話しかけてきた。彼女が涙ぐんだ声で自分に話しかけてきたら、俺は多分この場で死んでいただろうが、碧花に限ってそんな弱さを俺に見せる筈がなく。俺の目の前に居るのは、目を擦ろうが三回回ってワンと言おうが、普通の碧花だった。


 俺が肩を落とした訳を、碧花は知る由もない。俺は誤魔化す様に会話を持ちかける。


「幽霊がお前を騙って電話しているとも思ってたから、お前の姿が見られて何よりだよ」


「私の姿が見たかったらビデオ通話にすればよかったんじゃないかな。暗いとは言っても、微妙に月明かりはあるしね」


「もしかしてくびっちってビビりー?」


 歩いている内に、すっかり元気を取り戻した奈々が悪戯っぽく笑った。このよく分からない状況下では、彼女の笑顔だけが俺にとっての清涼剤だった。


「は? ち、ちげえし…………で、碧花。リュウジの話なんだけど、何処で見たんだ?」


「ああ、その事。それはここで説明するより、現場に行ってみようか。付いてきて」


 立ち上がった碧花に付いて行くと、俺達は二階に移動した。階段は若干腐っていて、時々一段二段と飛ばさなければならなかったが、通行する分には何の問題も無い。微妙に手間がかかるだけだ。移動して突き当りを右に進み、着いた場所はこれまた小さな和室。壁に面した窓には罅が入っていて、その足元には机がくっついている。後は部屋の中央に蛍光灯があるだけで、他には何もない。試しに紐を引っ張って見たが、電気が通っていない蛍光灯が光る道理も無いだろう。


「私がここを調査していた時の事だけど、この窓から斜め前方……見えるかい? 小屋があるだろう? あそこの小屋に入るリュウジ君の姿が見えたんだ。ただ動きがちょっとおかしいなって思ったから、携帯で動画を撮ってみたんだけど勿論見るよね?」


「え、ああ。けど随分準備がいいんだな。普通撮影しようって思うか?」


「テレビで放映される心霊映像は、大概撮影されてるだろう? 同じ様なものさ。それにね、誰にも見られずに動いてるってのはおかしい。言っていなかったけど、私が起きた時には他の人は消えていたんだ。自分達で移動してなかったら、怪奇現象で私達以外が切り離されたと考えるのが普通だけど、それだったら真っ先に旅館へ戻ろうとする筈だ。少なくともあんな小屋でうろうろしたりはしない。奈々、君に一つ尋ねるけど、君は自らの意思で鐘楼の方へ行ったのかい?」


「え、いいやー? 私は起きたらあそこに居たって言うかー、良く分からないんだけどおー」


「それで戻ろうとして、狩也君に電話をした。至って普通の行動だ。ああ、それとここで言っておくけど。私の携帯はスリープ状態だと着信すら分からないんだ、ごめんね奈々」


 彼女が謝るのも何気にレアである。やはり澄ましてはいるが、碧花も碧花なりにこの状況を危機と感じているのだろう。


「話を戻すよ。奈々は戻りたいという理由で至って普通の行動を取ったね。けど、戻ろうとしてあの小屋に入るのはおかしいだろう? なら怪しい。怪しいなら撮影をするべきだよ。私的には、確実に気絶していた君は信用出来るし、奈々は君が連れ戻した事実があるから信用出来る。情報は共有するに越した事はないでしょ」


「冷静だよな、お前って」


「無策で突っ走る愚行は私には出来なくてね。リュウジ君とは大して面識も無いし、慌てる程好意的に思ってる訳でも無いし。じゃ、そろそろ再生するよ―――」


 全画面に移行した碧花の携帯に、俺と奈々は食い入る様に顔を近づけた。

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